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さまよえる戦闘員

そろそろ、登場人物増やしていきます。

 これからどうしたものか。

 しばらくは熊の死骸の前でへたり込んでいたが、いつまでも死体と一緒の場所にいるというのは、あまり気分のいいものではない。

 今までの経験にない実戦の後でまだ疲れてはいたが、ゆっくりと立ち上がる。ついでに、その辺の樹から大きな葉を数枚毟り取った。それで武器に付いた血を適当に拭うと、ナイフと警棒をベルトに戻す。もちろん葉っぱなんかで綺麗に拭き取れるはずもないが、血塗れのまま放っておくよりはましだろう。

 熊の血の付いた葉っぱはその辺に放り捨てたままに、とりあえず獣道に沿って歩き出す。


 熊の死体はすぐに見えなくなったが、そのままさらに少し先へ進んだところで、腰を下ろすのにちょうどいい大きさの岩を見つけた。

 熊との戦闘で思い出した記憶を、少し整理する必要もある。史宏はそこまで行って岩の上に尻を乗せると、頭の整理を兼ねてあらためて休息をとることとした。


 落ち着いたところで考えるのは、やはりここがどこか、ということだ。意識を失うまでのことは、熊と出会った時にほとんど思い出した。だが、肝心なところがわからない。

 もっとも、記憶に空白があって思い出せないというよりは、元々初めから記憶にないと言った方が正しいのだろう。あの穴の闇の中で意識を失い、気がつけばこの森の中で倒れていたということだ。

 だとすると、ここは穴の向こう側。研究所の者たちがずっと行く方法を探してきた、異世界ということだろうか。


 いやいや、早計はよくない。

 これだけの広さはなかったし、熊なども生息してはいなかった。どう考えても、ここが第2研究所周辺の山の中でないことだけは確かだ。

 穴を通って、どこか見知らぬ場所に出てしまったというのは正しいだろう。

 だからといって、すなわちここが異世界であるとは何の確証もない。周りの植物には地球の植物にはありえないような特徴は見られないし、さっきの熊にしても詳しい生態などは知らないが、少なくとも史宏の知る熊という動物のイメージを逸脱するものではなかったはずだ。

 ひょっとすると、地球上のどこか別の場所、という可能性だって否定はできない。希望的観測に基づいた都合のいい願望だとは承知の上で、そう思いたかった。


 地球上ならば、たとえ海外であってもゾルジョッカーに連絡さえできれば、組織の力で帰ることができる。だが、もしここが異世界であるならば、帰ることは絶望的だ。まだどんな世界であるかはわからないが、見も知らぬ世界でおそらく一生を過ごすことになる。そんな予想は、できれば現実のものであってほしくない。


 それで、具体的な行動としては、どうするべきか。ここが真に異世界であるか否かはともかく、現在地すらまるでわかっていないことには変わりがない。今となっては、森を出てここがどこかをはっきりさせてしまうことに、若干の恐れもないではない。かといって、ずっとこの森の中にいるわけにもいかない。

 木漏れ日の角度からして、そろそろ太陽が傾きつつあるのも問題だ。戦闘員としての能力やスキルはあるが、本来はインドア派であった史宏に、サバイバルの知識や経験はない。森の中での野宿など難度が高すぎるため、暗くなる前に森を抜ける必要があった。


 結局、するべきことはこれまでと同じ。

 今通っている獣道は、おそらくさっきの熊の使っていたものだろうが、まだ水場に通じる可能性は十分に残っている。

 このまま獣道を辿って水場を探す。そこで水の流れを見つけたら、乾いてきている喉を潤した後、それに沿って下っていき森を抜ける。

 森の外で人に出会えば、どうにかして食事と寝床を貸してもらう。問題は金がないことだが、最悪は力でなんとかする。

 そういう算段だ。


   ◇


 方針が決して、再び獣道を歩くこと約10分。史宏の思った通り、道の向こうに水場が見えてきた。


「おおぉ……」


 ただし、そこは長辺で10メートル弱、短い方でその3分の2といったほぼ楕円形の小さな池のような場所。史宏が辿り着いたのは、その長辺のほぼ真ん中。


 水辺の草木は緑に加えて、いくつかの草が花を咲かせて彩っている。

 森の生き物たちの水飲み場になっているのか、対岸には初めにちらりと見た鹿のような動物が2頭、ちょうど頭を下げて水面に顔を近づけていた。その少し右には、鼬だか狸だかの姿もある。

 辺りの梢からは、姿こそよく見えないものの小鳥たちの声が。池の周りにいるのは小動物ばかりで、彼らが呑気に水を飲んでいる様子からして、さっきの熊のような危険な獣は今のところ辺りにはいないようだ。


 絵になる光景だったが、悠長にいつまでも眺めている余裕はない。当初の、水場を見つけてそこで水を補給し、川の流れに沿って森を抜けるという計画に狂いが生じている。せっかく辿り着いた水場も、そこが池ではどうしようもない。

 動物たちが飲んでいるようなので、池の水は飲んでも大丈夫なのかもしれない。そう思っても、水草やアメンボらしき虫が水面に浮いているのを見ると、やはり抵抗が強い。もっと追い詰められたらまた別だろうが、今はまだ飲む気にはなれなかった。

 流れに沿ってこの先に進む予定も、そもそもその水の流れがない。


 せめて熊の血で汚れた戦闘員のスーツや武器を、水で洗うくらいはできようか。

 草木を掻き分け近づいていくと、血の臭いが届いたのか、単に史宏の姿に驚いたのか。鳥の声が止み、対岸で動物たちが騒ぐ。その半数以上は逃げて行ってしまった。


 バサバサと、羽音と共に逃げていった鳥が落としたであろう1枚の羽。ふわふわと史宏の眼前を舞い落ちていって、池に着水。そのまま沈むことなく、視線の先を右から左へ横切っていった。

 何とはなしにそれを目で追っていく。池の縁、楕円の長辺の先端に当たるあたりで、不意に見えなくなった。普通なら、水際まで生えている草にひっかかるはず。あるいは水の中に沈んだとも考えることはできるが、史宏が見た限りそんな動きではなかった。それどころか、池の端に近づくにつれ、わずかながら羽の動く速度が上がっていたようにも見えた。


「ひょっとして……」


 もしやと思い、熊の血を洗い流そうとしていたことも忘れ、羽の消えた方へと急ぎ近づいていく。その急な動きに、辺りの動物たちの数がさらに減ったが、史宏は気にも留めない。

 楕円状の池の長辺に沿ってその縁を端まで歩いたところで、望むものを見つけることができた。

 遠目には池の縁まで生い茂った草に隠れてわからなかったが、ここはただの池ではなかった。いや、その言い方はおかしいか。

 幅にして、せいぜい指2本分ほど。

 川とはとても呼べないような細いものだったが、水の流れが確かにそこにあった。


 小さな水の流れ。

 地獄に垂れ下がった蜘蛛の糸を思わせるようなか細さだったが、それでもこれこそが史宏が求めていた森を出るための道標だった。


   ◇


 史宏は、か細い水の流れを見失わないよう、慎重に辿って行く。

 一度は水の流れが地下に潜ってしまったり、あるいは、高さ5メートルを超える滝――というか、水量がほとんどないためほとんどただの断崖――に行き当たったり。


 水が地下に潜ってしまった時は、ここまでかと諦めかけた。わずかな傾斜を頼りに数十メートル進んだところで、ようやくチョロチョロと流れる小さな水音を捉えて、再び地表に流れ出しているところを見つけることができた。


 断崖を前にした時には、小さく迂回した。史宏の身体能力なら飛び降りられない高さではなかったが、水の流れを追うということは、当然着地地点は濡れている。もしも着地の際に足を滑らせ痛めるようなことになれば、森を抜けるのが厳しくなるだろう。

 崖下の地面が比較的なだらかで、かつ高さもわずかながら低くなっている辺りまで移動し、そこで飛び降りてから流れの落ちた先へと戻った。


 そうして、目だけではなく耳も鋭くして、流れを見失わないよう必死になっていた。


「ィャァァァ……」


 だから、流れの先の方から風に乗って、女性のものと思しき悲鳴がかすかに史宏の耳に届いたのは、偶然ではなかったのだろう。


 史宏は声のした方に全力で急ぐ。鹿、熊ときて、今度こそ三度目の正直。

 今度は人の声。それも、悲鳴だ。声の主が危険な状態にあることは明白。尚更急がないわけにはいかなかった。


 これで万が一、人の悲鳴に似た声で鳴く鳥や動物だったりした時には、そいつは生かしておかないだろう。そんな風にも思いながら急いでいると、前方に小さく人影が見えた。

 断崖を降りてからは、森を抜けたとまでは言い難いものの、周囲の樹はまばらになって、かなり遠くまで見通すことができるようになっていた。


 まだ数百メートル向こうだが、間違いない。今度こそ人間だ。

 ただし、かろうじて判別できた肩くらいまで長い髪の色は透き通った水色。少なくとも天然でそんな色をした人間は、日本はもちろん地球上にいないはず。

 認めたくはないが、やはりここは異世界で確定か。


 心に衝撃を受けるが、すぐにそれどころではなくなった。

 水色の髪の女性の後ろから、追いかけるようにさほど変わらない大きさの獣の影も現れた。暗灰色の毛の巨大な野犬。いや、ひょっとすると狼だろうか。

 そう見当をつける間に、狼らしき獣は逃げる女性のすぐ後にまで迫っている。その気配を感じたのか、女性が走りながらも振り返ってしまった。

 そこに飛び掛かる狼。女性は背中から地面に倒れこんでいく。

 ヤバい。

 この森で目覚めてから、初めて見つけた自分以外の人間。現状を確認する助けとするためにも、見つけたそばから彼女を失うわけにはいかない。


「やめろ――ッ!」


 走りながら大声で叫ぶと、狼の耳がぴくりと動く。顔が、ちらりとこちらを向いたように見えた。

 だがまだ距離が遠い。遠すぎる。

 こちらが何かできる距離ではないとわかったのか、狼はすぐに元に向き直った。組み敷いた女性の方へ。

 女性は必死に抵抗しようとしていたようだが、上に乗った狼の身体を押し退けることはできないでいる。そうするたびに逆に爪で押さえ込まれ、ひっかかれ。傷をどんどん増やしているだけだ。


 史宏の走る速度はとっくに全力だが、それでもまだ30秒以上かかる。

 あのまま女性が致命的な傷を負ってしまうには、十分すぎるほどの時間。

 なんとか、狼の注意を史宏の方に引き付けなければならない。


 走りながら素早く前方を見回すと、進路上の斜め前に、拳大の石が。一直線に女性に向かっていたが、わずかに斜行。右手を下にやって、極力速度を落とさないまま石を拾い上げる。

 女性の上に圧し掛かる形で、その抵抗を抑え込んでいる狼の頭が、女性の身体の方へと下がっていく。

 まだ距離は女性を見つけた時の3分の2は残っている。ここから投げても、届くかは微妙な距離てあったが、今投げないと手遅れになってしまう。


ガサッ


 案の定、投げた石は狼まで届かない。20メートルほど手前の草むらの中に飛び込んでしまった。

 それでも、石が投げ込まれる音と、それで揺れる草の動きで、狼の気を逸らすことには成功した。牙で女性を引き裂こうとしていた顔を上げて、草むらを振り向く。


 残る女性との距離は、約半分。


 さらに、もがく女性の右手が、余所を向いていた狼の顔かどこかに当たったらしい。怯んだところをなんとか押し退けて、女性は狼の下から逃れ出た。

 そのまま慌てて起き上がって、懸命に逃げる。できるならこちらに逃げてほしかったが、気づいていないのか、逃げたのは史宏から見て右の方向。それでも、わずかな時間そのまま逃げてくれれば、史宏が追いつくことができるだろう。


 思ったのも束の間、押し退けられた体勢を戻した狼が、再び女性に踊りかかる。今度は背中を押されるように女性がうつぶせに倒れた。起き上がろうとするのを、上に乗って押さえ込む狼。大きく開いた口が女性の首筋に近づく。


「おい! コラ! 待て! おいッ!」


 残る距離3分の1弱。声だけではもう止まらないが、それでも叫ばずにはいられない。


 狼の頭がさらに沈む。

 もうあと数秒で、手が届く距離。

 そこまで史宏は迫っている。


 狼の顔の辺りで、大きな赤い飛沫が舞った。


「わあああああぁぁぁぁ!」


 自分でもわからない叫びを上げながら、残りわずかの距離を走りきる。声を聞いて頭を上げた狼の口元は、赤く汚れていた。その顔めがけ、勢いのまま蹴りつける。


「ギャンッ!」


 狼の身体は、女性の身体の上から蹴り飛ばされて、ごろごろと地面を転がっていく。そのまま動かなくなってくれてよかったのだが、回転が止まるとまだ身を起こした。

 すかさず警棒を引き抜き、打ち殺さんばかりの勢いで振り下ろす。

 狼が慌てて飛び退いたために、きわどいところで空を切り、警棒の先を地面に打ちつけた。女性の血に代わって、今度は土が大きく舞い散る。

 史宏の殺気に恐れをなしたか、かなわぬことを獣の勘で察したのか。そのまま踵を返すと、狼は一目散に逃げていった。


 史宏は追うことはせず、姿が見えなくなるまで睨みつけた。森の中に逃げた狼が完全に姿を消してしまうと、振り返って女性の姿をあらためて見る。

 予想はしていたが、すでに女性の息はない。

 おそらくまだ20代。生前は美人だったのだろうが、今は無惨な姿だった。胴体や手足のあちこちは、着ている服もろともに爪や牙で裂かれて何本もの赤い線が走っている。

 致命的だったのはやはり首の傷だろう。肉は大きく喰いちぎられて、角度も通常ではありえないほど折れ曲がっている。

 目鼻立ちが整っている顔も、倒れ込んだ時にか土に汚れていくつもの傷が残り、表情は恐怖と痛みに歪んでいる。髪と同じ水色の、大きく見開かれたままの瞳と目が合ってしまった。


 見知らぬ場所へ来てから、自分以外の人間との初めての対面が、こんな形になるとは思わなかった。研究所での時を含めて、死体を目にした経験は見慣れているとまでは言えないものの、何度もある。

 ただし、若い女性、それもこうも傷ついたものは初めてだった。

 こちらを向いた光のない瞳は、間に合わなかった史宏を責めているようにも感じられる。


「…………すまん」


 瞳を合わせているうち、悪の組織の戦闘員には似合わぬ、救えなかったことへの悔恨が湧き上がった。

 できる範囲で顔の血や汚れを拭い、虚ろな視線をさけるように彼女のまぶたをそっと閉じさせる。多分に自己満足だが、何か償おうにも今となってはこんなことくらいしかできはしない。


 と、女性の死に顔をわずかながらも整えようとかがみこんでいた史宏の後頭部に、ガツンと殴られたような衝撃が走った。

後半、文章にスピード感を出そうとしたが、うまくいかず。

わかりにくいでしょうが、女性を見つけて走り寄っていく1分にも満たない時間のやりとりです。

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