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はじまり

 防刃・防弾・耐熱・耐電を兼ねた特殊繊維で作られた黒の全身タイツに、同じく黒のブーツ。

 白い髑髏をかたどったフルフェイスのヘルメット。

 腰には組織のエンブレムが入った太い白の革ベルト。


 これが、河田史宏(かわだ ふみひろ)の職場の制服だ。もっとも、ここ2年以上誰かにその本名で呼ばれたことはない。

 戦闘員D-23。これが組織内での史宏の名前、コードネームだ。

 所属する組織の名はゾルジョッカー。勤続3年目の、いわゆる世界制服を企む悪の組織という奴だ。


 史宏は、ゾルジョッカーの戦闘員D-23として、組織の施設の1つ、第2研究所の警備を担当している。同じ施設を担当する戦闘員はあと5人。彼らのコードや特徴はちゃんと憶えているので、同じような格好をしていても互いに間違えることはない。


 そう。そういったことは、ちゃんと憶えている。自分がどこの誰だかわからなくなるような記憶喪失にはなっていない。の、だが、


「……どこだ? ここ?」


 向こうの遠くの方から、鳥の鳴き声らしきものが聞こえてくる。その反対方向、あっちの鳥の声よりは近い場所で鳴いているのは、別の鳥か、あるいは虫か。

 周りを見ると、そこにあるのは不規則に並んだ数種類の広葉樹に下草。樹の密度は比較的まばらであるため、葉の隙間から太陽が顔を覗かせている。下草の生えた地面は、たまに木の根が張り出したり、小さな石や岩がぽつんと転がっていたりはするが、おおむね平坦。ただ、どっちを向いても今立っている足元を含めて道らしいものはどこにも見えない。


 さっき気がついた時には、史宏はこの森の中でひとり、戦闘員の姿で倒れていた。どうして倒れていたのか、そもそもなぜこんな森の中にいるのか。倒れる前のことが思い出せない。

 警備を担当している第2研究所も山の中にあるが、そこの森とは違う。辺りの樹や植物が、何という種類のものかまではわからないが、研究所の周囲の森に生えていたものとは違うことは確かだ。


 戦闘員の格好をプライベートですることなど、まずない。すると戦闘員としての活動中に何かあったということか。戦闘員の格好と言っても、史宏が身に着けていたのは基本の制服だけではない。

 両手にはプロテクター、腰のベルトに2本の特殊警棒。それにナイフまで。ここまでの装備をするような事態は滅多にない。施設の警備をする時でも、プロテクターと警棒まで。ナイフを持ち出すのはこれまで刃物を使う訓練の時だけで、実際の活動中に携帯することはなかった。


「あ-、ダメだ。思い出せん」


 何かとんでもない緊急事態があったような。頭に引っかかっているものを叩いて出すつもりで、ヘルメットの上から額を拳でコンコンとしてみたが、思い出せそうで思い出せない。

 せめて、どこかに連絡がとることができればいいのだが、戦闘員の活動中は携帯・スマホは認められない。代わりに盗聴防止仕様の専用の無線機が渡されているが、ベルトの武器を差すのとは反対側にいつも付けていたはずの、それがない。ホルダーがちぎれて、その切れ端だけがベルトに残っている。装備の定期的な点検もしていたし、そう簡単にちぎれるようなものではないはずだが、現にないものはどうしようもない。


 とりあえず、この森を抜けることを目標にするべきか。

 連絡手段はなく、現在地すら不明。わけのわからない状況だが、町に出ればどこかもわかるし、連絡の取りようもある。戦闘員の姿で人前に出ることは問題といえば問題だが、この際仕方がないだろう。


 そう考えた史宏は、移動しようと足を踏み出しかけたその一歩目で止まる。

 それで、どっちへ行けば森を抜けられるのか。記憶はなくとも通ってきた跡が残っていればよかったのだが、道もなければ足跡すらない。

 森で迷った時のセオリーみたいなことを知っていればよかったのだが、昔どこかで聞いたような気もするがはっきり憶えていない。


 迷った末に、樹の間から見える太陽の位置から、多分南だと思う方向に進む。南を選んだことに確実な理由はない。勘というか、経験上なんとなくというか。実家は北に山、南に海がある地形で、住宅街はその間に挟まれるように並んでいた。研究所も山の南側に位置していたため、進むなら南というイメージだった。


 だが、それは間違いだったかもしれない。体感で1時間も森を進むと、史宏は後悔し始めていた。

 崖やら大岩やらで先に進めなくなったわけではない。むしろ順調に、前を塞ぐような大きな障害もなく歩くことができた。問題は、それだけ順調に歩き続けていながら、いまだ森を抜けることができないでいることだ。

 鬱蒼と茂る森の木々は一向に途切れる様子がないどころか、次第に密度を増している。


「はぁっ……、はぁ……。……樹海か、ここは……?」


 大きな障害がなくとも、ここは森の中だ。ここがどこかもわからない不安を抱えたまま、足場がよいとは言えない場所を1時間も歩き続けていると、さすがに疲れが出てくる。手近にあった樹の幹に右手をつくと、荒くなった息を整えながらぼやきを洩らした。

 途中から密度を増した木の葉の陰で太陽がはっきり見えなくなって、方向が多少怪しくもなったが、できる限りまっすぐ進んできたつもりだ。当初の史宏の予想では、そろそろ森を抜けるか、少なくとも何らかの道に行きあうはずだった。だが実際には、森はむしろ深くなるばかりで、状況はまるで好転しない。


 このまま進むのが本当に正解なのか。今更元来た方向に戻るのはないとしても、左右に進路を変えた方がいいのでは。元々はっきりと確信があって南を選んだわけではないため、史宏に迷いが生まれる。


 どちらを向いても、樹、樹、樹。変わらず森が広がるばかり。木漏れ日が差し込むものの太陽の姿が捉えられないため、あまりあちこち見回していると自分がどちらを向いているかもわからなくなってしまいそうだ。

 どの方向に進むべきか、それを決めるに足る何かが見つからないものか。右手をついていた樹から枝を折って念のため印を付け、今の方向を見失わないようにした上で、史宏は目を凝らし、耳を澄ませて再度周囲を見回す。


「…………ん?」


 ゆっくりと周りを確認しても、風景に変化はなく、離れた場所で鳴く鳥や虫の音が聞こえるばかり。やはり何も見つからないかとあきらめかけたところで、右手側の奥の方から何かが下草を揺らす音が聞こえたような気がした。

 何か動物が、ひょっとすると人がいるのかもしれない。史宏は飛び出すように音がしたであろう方へと向かう。近づいていくと、聞き間違いではなくやがてはっきりと、草を掻き分けて進む音が聞こえる。史宏が思わず足を速めると、こちらの音を向こうも察知したのか、目でも捉えることができるようになった草の動きは大きくなり、急いでこちらから遠ざかっていく。


「ちょっ……、待てっ!」


 制止の声を上げるが、それで止まろうはずもない。

 さらに速度を上げて追いかけようとしたところで、前方に木の根が張り出してでもいたのか、草の中から影が跳ね出た。


「鹿!?」


 はっきりとはわからなかったが、おそらく1メートルほどの大きさの四足の動物。少なくとも人ではない。足元の何かを跳び越えるわずかな時間のみ、こちらに姿を見せたその動物は、再び地に足を付けるや全力で逃げていった。

 追っていた途中から、逃げる速さや草を揺らす大きさなどから薄々と人ではないと予想してはいたが、実際に見てしまうとやはり落胆がある。正体を見てしまった上であえてまだその後を追おうとは思えず、史宏は足を止めてそのまま逃げる姿を見送った。


 だが、追いかけたことはまんざら無駄ではなかった。

 鹿らしき動物が逃げていったそのさらに向こう。人ひとりが十分に通れるほどの大きさの獣道が、かすかに見えた。あれが人の手によるものならば、辿っていけば森の外に出られる。そうではなく獣のものだとしても、水場に通じている可能性がある。水場に出れば水を補給することができるし、迷った時には水の流れに沿って進めばいいような話も聞いたことがあった。

 史宏はようやく見つけた獣道まで進んでいくと、それに沿って進み始める。この道の先で森を抜けることができると信じて。


   ◇


 獣道を進むこと数分、史宏は再び道の先に生き物の気配を感じた。

 ちょうど少し先で大きな樹が数本並んでおり、獣道はそれを迂回するように続いている。樹が邪魔になっているためまだその姿は見えないが、この獣道を作ったであろう、ここを通る何者かがその向こうにいるはずだ。

 それが人であることを期待しつつ、史宏は黒ずくめに髑髏のヘルメットという人が見たら怯えて逃げ出すであろう格好をしていることも忘れて、足を急がす。

 大樹の横を通り過ぎ、カーブを曲がって史宏は道の向こうにいる相手と対面した。


『ある日~、森の中~、』


 相手の姿を両目で捉えた史宏の頭の中で、童謡の1節が再生される。

 2メートルを上回るがっしりとした巨体。その全身を覆う茶褐色の体毛。大きめの頭部に比して小さな2つの目と、その下の顎が発達した口。太い前脚の先に長く伸びた大きな鋭い爪。

 熊だ。

 そこには熊がいた。

 悪いことに、こちらが近づいてくる音に向こうも気づいていたようで、完全にこちらを向いている。

 目が合った。

 戦闘員の姿が異形に見えたか、それともすでに人の肉の味を知っているのか。こちらを見るその視線には、多分に攻撃的なものが感じられる。童謡のような友好的な関係はもちろん、互いに相手を見なかったことにして何事もなく別れるという展開も無理そうだ。

 死んだふりでやり過ごす。――却下。だいたいあれは俗説で、実はたいして効果はないらしい。

 背を向けて逃げる。――論外。むしろ後ろから襲ってくれと言うようなものだ。

 戦う。――ただの人間なら無謀だが、史宏はそうではない。


 史宏は腰に差したナイフを引き抜くと、それを熊の視界に映るように構える。

 腐ってもゾルジョッカーの戦闘員。これでも身体能力は常人の数倍はある。ナイフ1本で熊殺しまでできるかはともかく、痛い目をみせて追い払うくらいは可能だ。

 可能なはず。

 熊ごとき恐れる必要などない。

 図体こそでかいが、迫力や威圧感は組織の怪人にはおよばない。まして、あのヒーロー気取りと対した時とは比べ物にならない。


「…………えっ?」


 そう。あのヒーロー気取り。組織の裏切り者。

 思い出した。

 史宏は仲間の戦闘員や、怪人カイザーレオンと共に研究所内で奴に挑んだ。だが奴の力は圧倒的で――


 意識を失う前の記憶が、どんどん甦ってくる。

 しかし、それに気をとられ、今眼前に対していた熊から注意が逸れてしまったのは失敗だった。

 気づいた時には熊はすぐ前にまで近づいてきていて、その爪の生えた大きな右手が猛烈な勢いで史宏の髑髏のヘルメットに振り下ろされるところだった。


「がッ……!」


 殴られた勢いで、さっきの大樹の幹に背中から叩きつけられた。無防備に頭に衝撃を受けた上、体を強く打ちつけたことで呼吸が止まってしまい、目の前が白くなる。


「や、やば……」


 特に頭への衝撃がまずい。脳震盪を起こしたのか、視界が歪んで気が遠くなる。このまま意識を失うのは致命的なことになりかねない。そうわかってはいても、身体は言うことを聞かない。

 追い討ちをかけるつもりか、再び迫ってくる熊の姿を歪んだ視界の中で最後に見つつ、史宏は意識を手放してしまった。

とりあえず初投稿。

色々見苦しいところが多いでしょうが、ご容赦を。

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