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【第Ⅲ章~贋作者のテクニック】  1.フェルメールの絵

 ここは、ロンドン郊外の成金画商、グレン男爵の館。


 ”女教師”レイチェルに命令されて、”セレブな小学生”ミルドレッドを伴い、渋々この館を訪れた”ピータバロ・シティ・アカデミアの契約画家”キース・L・ヴァンベルトは、今しがた、やっとそこから解放されたところなのだが……緑の森の中に聳え立つ男爵の館は、キースが想像していたより、はるかに大きく、豪華で、そしてゴテゴテしていた。


「いくら金があるったって、ここまで自己主張が激しいと、見ている方が嫌んなっちまったよ」

「そりゃそうでしょ。この館は、”ジャコウビアン”っていう「悪趣味の時代」と呼ばれるルネサンス時代の建築様式で建てられてる。それが、私には一目で分かったわ。ほら、建物の四隅にある花形の屋根を乗せた塔や、あのゴテゴテした赤煉瓦の外壁、柱頭にほどこされた魔物とか怪獣っぽい彫刻は、持ち主の”力や派手さ”を恥ずかしげもなく来館者に見せつけてる」


「毎度のことだけど、ミリー、お前のポケットってどうでもいい薀蓄が沢山詰まってるよな」


 呆れ顔で、自分に目を向けてくる青年画家キースに、セレブな小学生ミルドレッドは、口を尖らせ、


「どうでもよくないわよ。芸術に関わる仕事をしたいなら、自分の国の建築史くらい勉強しておくのはあたり前! キースのポケットはいつも破れてるんで、絵の具以外は全部出ていっちゃうんでしょ」


 一度、火がつくと、ミリーの説教はなかなか止らない。芸術論とか、美術史とかには、全く興味がない絵描きは、それに、毎回、頭の痛い思いをさせられているのだ。

 

「分かった。分かったよ。でも、今はそんなことより……」


 館を出た時から、ずっと感じていた誰かに監視されているような心地の悪さ。

どう考えても怪しいと、キースが、辺りを見渡した時、がさりと中庭の梢が揺れたのだ。するとその時、


 ”殺!”


そんな言葉が聞こえたと同時に、二人の頭の上をかすめていった鉛の弾!

 

「やばっ、ミリー、逃げろ! こいつら、”東洋マフィア”だ! ここにいちゃ危ない!」

「はぁっ? 何で、突然、マフィアが出てくんのよ!」

「だって、漢字っぽい単語を話してるし、それってどう考えたって、東洋マフィアだろ!」

「たった、それだけ? どーいう思考してんのよ」

「思考の元はグレン男爵だよ! あの男、やっぱり、今まで、相当、胡散臭い商売をしてきたんじゃないのか!」


 とにかく逃げなきゃ命はないと、追っ手のいない場所を目指して彼らは全力疾走する。キースの腕の中には、先ほどまで面会していたグレン男爵から託された2枚の絵画が抱えられていた。駆けながら、キースは声を荒らげた。


「畜生っ! これ、絶対にこの絵のせいだ。だから、俺はこんなことに関わるのは嫌だったのに!」


* *

 それは、2時間ほど前の話。


 べったりと後に撫で付けられた白髪。痩せぎすの体に羽織られた、赤・青・黄の三原色がごちゃごちゃに混じったシャツに金のネックレス。

 館と同じく、出で立ちまで悪趣味なグレン男爵が、本来の画商業以外に、怪しい裏取引で美術品をかき集め、短期間のうちに資産を増やしたことは、レイチェルから聞き取り済みだった。おまけにこの男、著作権が切れた名画のコピーを大量生産している”中国の贋作村”や”中東のギャング”とも通じてるらしい。そんな彼がキースをご指名で会いたいとシティ・アカデミアに打診してきたっていうんだから、胡散臭さは倍増してしまう。


 お決まりの社交辞令を終えた後で、男爵はキースの目の前に1枚の絵を差し出して言った。 


「これは、オランダ随一の画家、フェルメールの晩年の作品“ヴァージナルの前に座る婦人なのだが…」


 ピアノのような楽器ヴァージナルの鍵盤に、そっと手をかけた若い婦人のたおやかなポーズ。こちらを向いた蠱惑的こわくてきな眼差しが、どきどきするほど艶かしい。画面の左下から差す柔らかな光が、青のドレスの襞の上で、見る者を誘うように、ちらちらと輝いている。


「ふざけんなよっ。フェルメールだって? こんなトリックアートまがいの絵がフェルメールのわけがないだろ!」


 キースは呆れたような声をあげた。それもそのはず、男爵が差し出した絵の中には、オリジナルにはない、ヴァージナルの後ろで佇みながら、婦人をじっと見つめている“少年”が描かれていたのだから。


 落ちくぼんだ目をぎらりと輝かせて、グレン男爵は満足げに頷く。


「さすが、シティ・アカデミアの専属画家だけあって、ヴァンベルト君は、瞬時に絵の間違いに気付いたね。だが、この絵は私にとっては、どんな名作にも換え難い絵なんだよ。何故って、……あの絵に描かれている少年……あれは、本物の”私の息子”が絵の中に入り込んでしまってるだから」


 うわぁ、まさか、そうくるとは思わなかった。

 もう、俺は回れ右でもして家に帰ってしまいたい。


「ミルドレッド……行こう」


 キースは傍にいる少女の手をとって、そそくさと出口へ向かおうとする。けれども、男爵に手をがしりと掴まれてしまった。


「待ってくれ! 街外れの神父から聞いたぞ! 去年のクリスマスに君は、幽霊の少女に頼まれて、その肖像画を描いたんだってね! それも、あの神父でもコンタクトを取るのに失敗した気難しい少女の霊の」


「少女の霊……? あの神父? それって、アンナとあの胡散臭いエクソシストことを言ってるのか」


 アンナは、古い洋館に現れた白いタフタのケープと赤のドレスが可愛かった女の子だ(ただし、幽霊)。

 けれども、ミルドレッドに、こんな話を聞かれてしまうのは不味い。


「ええっと、ミリーは、外に出ててっ!」


 キースは、彼女を外に押し出すと、部屋の扉をぴしゃりと閉めた。


「ち、ちょっと、何で私を閉めだすのよっ!」


 どんどんと扉を叩く音。

 後でお嬢様からこっぴどい毒舌攻撃を受けるのは分かっていたが、勇気を振り絞って無視し、キースは声を荒らげる。


「冗談言うなよ。アンナが気難しい霊? あんなに性質のいい幽霊が他にいるもんか!」

 だが、その台詞が、男爵をさらに喜ばすことになってしまったのだ。

「ああ、素晴らしい。やっぱり、君は霊的な力を持っているんだね! 君に頼みあるんだ。どうかその力で私の息子を絵の中から外の世界へ出してやってくれ! この願いが叶ったら、相当な礼はするつもりだ。望むのなら、私は君たちの学園が興味を示している”贋作村”の覇権を譲ってやってもいい!」


 はぁ? こいつ、何言ってんだ?

 

 完全にイカレてると、思うと同時に、館の主の口からこぼれ出た”贋作村”という言葉に、キースは驚いてしまった。


 確か、この男はまだ、シティ・アカデミアの裏家業のことは知らないはずなのに……。


 すると、グレン男爵がにやりと悪辣な笑みを浮かべたのだ。


「私が、ピータバロ・シティ・アカデミアの裏の顔を知らないとでも、思っていたのかい? これでも、私は裏と表と両方の社会に通じている。君だって、それを承知で、私の招きに応じたんじゃないのかね。ならば、取引とゆこうじゃないか。これは、君たちにとっても、決して悪い話ではないと思うが」


「俺に霊感なんてもんはないし、あの学園には何の恩も感じてない! ましてや贋作村なんて興味の対象にもならないよ」


 鋭い眼差しで睨みつけてくる青年画家。


 男爵は、その淀みのない琥珀色の瞳に一瞬、見入ってしまったが、

「なら、この条件なら、どうだろうか」

 と、部屋の片隅に置いてあった額縁を手にとって、それにかかる白布を取り払ったのだ。


 その瞬間、キースは自分の目を疑ってしまった。

「それって、アンナの!」


 男爵が、彼に掲げて見せた1枚の絵。


 クリスマスツリーの下で微笑んでいる、白いケープと赤いドレスの女の子。

 絵の下につけられたタイトルは、“アンナ11歳”


「ま、まさか、それって、本物のアンナの“11番目の肖像画”?!」


 そうか……グレン男爵っていう名前をどこかで聞いたと思っていたら


 幽霊のアンナ……以前に彼女から聞いた、アンナの11枚の肖像画のうちの1枚を持っているっていう画商の名前だったんだ。



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