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23.邪悪を祓う銀の銃弾

「眠くて怠くて……何もしたくないんだ」


「だから、さっきからお医者さんを呼びましょうって言ってんのに、何で駄目なのよ! 」


 だって、頭の中で、誰かがしきりに”駄目”って囁いてる。キースはその声に逆らうことができなかった。


「なら、あんたがどんなに嫌でも、私はずっと、ここで、看病してるからねっ! それでも、いいのねっ!」


 階段から落ちたキースは、ベッドに運び込まれて、今回もミルドレッドの世話になってしまっていた。確かに数日前までは、始終付きまとわれるのは閉口した。だが、ここまで具合が悪いと、傍には誰かがいて欲しい。


 俺の場合って、その誰かって幽霊のアンナじゃオカルトすぎるし、やっぱり……この娘なのかな。


 ぼんやりと天井を眺めている青年画家。顔は青く、微かに開いたうつろな瞳には、いつもの琥珀色の光もない。ミルドレッドは、焦るばかりだった。


「キース、ねぇ、本当に大丈夫?」


 彼を心配して顔を覗き込んでくる、半分泣いてるような戸惑ったようなミルドレッドの表情がすごく可愛い。


 こら、俺……カーンワイラー氏に婚約なんて条件を出されたからって、それじゃ、あんまり軽率すぎるぞ。


 纏わりついてくるような甘ったるい感覚を追い払おうと、キースが手を上にあげた時、


「あれ……?」


 彼は、首筋に虫の噛跡のような感触があることに気づいたのだ。

 

 虫の噛跡? いや、違うぞ……これはイヴァンが……。


 唖然と瞳を見開くキース。すると、再び、幽霊の少女 -アンナー の台詞が、頭に浮かび上がってきた。


 ”気をつけて。イヴァン・クロウは闇の眷属なのよ! 油断してると仲間に引きこまれちゃうんだから”


「まさか……な」


 けれども、3年前までは、連続殺人犯 として、 血を見るのが大好き? だった彼。 

 ホテルでのプレゼンの時には、平然と36階に吊るされていたゴンドラから下に飛び降りていったし(未だに謎は未解明)

 おまけに、ナイフを握った時の、あの灰色の瞳に宿る身の凍るような紅の光……


 集約して考えてみると、アンナの言うことは本当なのだろうか。でも、……ってことは、こんな傷をつけられたってことは俺も……すでに?

  

 どきりと心臓の音が速度を速めてゆく。不安になってベッドサイドの相棒に目を向けると、パトラッシュが酷く訝しげに自分の方を見つめている。よせよ……、冗談じゃない。ふと、顔を覗き込んでくるミルドレッドの胸元に視線を移す。そこにキラリと輝いていた銀の十字架クルス


 その聖なる光に気づいた時、キースは、彼女の胸に即座に手を伸ばした。

 お嬢様は、その瞬間、


「キースっ! 何すんの。ちょっ、ちょっと、まだ、お昼よっ。そんなのまだ早いっ」

 ……が、


 握りしめた彼女の首の十字架クルスから手を離すと、


 大丈夫、痛くも痒くもないし、枕越しに見た大鏡にも、自分はちゃんと映ってる。顔色はゾンビみたいだけど……


 ほっとベッドの上に突っ伏した青年画家。ベッドサイドには訳が分からず、超不審げな目で自分を見つめる少女がいた。


「キース、……もしかして、熱まで出てきちゃってるの」


 心配全開のミルドレッドが傍にいることが、今は猛烈に心強い。安心すると、キースは急に喉が渇いてしまった。おかしなもので、一旦、気が緩むと、甘えたい気分がもくもくと湧き上がってくる。


「ミリー、俺、咽喉が乾いた」

「えっ、あっと、お水ね、すぐに持ってくるわ。だから、寝てて。ねっ、ねっ」

「でも、すぐに戻ってきてくれる?」

「は……う、うん。うん!」

 

 ミルドレッドは、想像もしていなかった青年画家の言葉と態度に、瞳を白黒させてしまう。やっぱり、今日のこいつは変。絶対に、熱があるんだ。


「ねぇ、いいの? そんなに頼られると、私、しつこくするわよ。いっぱい、世話をやくわよ」


 弱弱しく、こくんと頷く青年画家。すると、パトラッシュが彼の代わりに、大きな声でくわんと鳴いた。


 がぜん、ミルドレッドは張り切った。


「な、なら、ち、ちょっと、待っててねっ。お水と、それと3階の部屋から”お泊りセット”を持ってくるから!」


 少女がバタバタと廊下を走り、階段を駆け上がってゆく音が聞こえる。


 その足音が戻ってくるのを待ってしまっている自分のことを、キースは本当に変だと思った。


 でも、あの娘が海外に行くまでは、いつも一緒にいたんだよなぁ。


 取り留めのない思考が、頭を行き来して自分自身を惑わすようだった。瀕死の? 青年画家は、お嬢様の帰りを待ちながら、うつらうつらとそんな風に浅い眠りを繰り返すのだった。


* *


 深夜0時50分。


 この日、空には厚い灰色の雲が蔓延り、7月の始めにしては薄ら寒い夜だった。

 月も星もない暗い背景に、ロンドン塔が不気味な佇まいを浮かび上がらせている。かつての要塞であり数々の政治犯の幽閉、処刑が行われたこの『女王陛下の宮殿にして要塞』は、首都、ロンドンを流れるテムズ川の岸辺にあり、昼間は観光客で賑わう対岸にあるヨットハーバーもさすがにこの時間には人通りが少なかった。


 しんと静まり返った夜のしじまにけたたましいバイク音が響いたとたんに、黒いカラスが墨を飛ばすように空に舞い上がった。


 漆黒のゼファー1100。


 その車体と同色のレザースーツに身をかためたライダーは、ヨットハーバーに立つ妖艶な美女を見据えて、微かに笑う。


「意外だな。てっきり遅れてくるかと思っていたのに」


「ビジネスに遅刻は厳禁。約束は午前1時。鉄則は10分前と決っているわ」


 女教師  ― レイチェル ― の言葉に、バイクのライダー  ― イヴァン・クロウー ― は灰色の瞳を鮮やかに煌かせた。


*  *


  カーンワイラー家の壁掛け時計が、部屋に1つ大きく鳴り響いた時、キースは、はっと目を覚ました。


「今っ、何時!」


 ベッドサイドで転寝していたミルドレッドは、寝ぼけ眼だ。


「……もう、深夜よ。午前1時」

 

 1時?! イヴァンがあの女教師、レイチェルと、会うって約束した時間だ。とたんに、キースの瞳に鮮明な琥珀色の光が戻ってきた。がばっとベッドから身を起こす。それと同時に、ベッドの下で眠っていたパトラッシュもぱちりと目を覚ました。


「いててっ、いや、足なんて痛がってる場合じゃない。ミリー、すぐに携帯でリムジンを呼んでっ。そして、ロンドン搭のヨットハーバーまで俺を連れて行って!」


 大急ぎで上着を羽織り、ベッドサイドの杖を手に取る。


「ちょっと、こんな時間にどこへ行く気っ! もしかして階段で落ちた時に頭も打ったの? キースは具合が悪いんだから、もう少し寝てなさいっ」


 けれども、そんなミルドレッドを手で制し、


「もう、治った! 畜生、間に合わないかもしれない。イヴァンが危ないんだ。だから早く、リムジンを出してっ!!」


*  *


 バイクから降りたイヴァン・クロウと女教師レイチェルが対峙するヨットハーバー。辺りには月明かりもささず、蒼白いLEDライトの街燈の灯だけがちらちらと揺れている。

 背後に見える宵闇の中のロンドン塔は、ホワイトタワーの別名が滑稽なほど鬱蒼とした佇まいに思われた。

 もともとの漆喰の白壁が剥がれ落ちた跡から、得体の知れぬ灰色の影が染み出たような寂寥感のある風景は、数々の幽閉、処刑を繰り返してきたイギリス王室の血塗られた歴史を物語っているようにも見えた。


 人目を避けて、連続殺人犯との待ち合わせ時間をこんな深夜に指定したのは、間違いではなかったか。咽喉を締められたようなカラスの鳴き声が辺りに響き渡った時、レイチェルは、知らず知らずのうちにぶるりと身を震わせた。


「そんなに怖がるなよ。ロンドン塔のカラスは、アーサー王の生まれ変わり。英雄の変わり身の声なのに」


 漆黒のゼファー1100を背にして、イヴァンが笑う。


 だが、ふと、心もとなそうなレイチェルの視線の先の高速船上で、ライフルを構える似非王族のナシルと、その後ろに隠れている胡散臭いエクソシストの牧師を見つけて、肩をすくめた。


「なるほどな、小物同志が結束したってわけか。……で、こんな場所に俺を呼び出して、一体、何をやろうっていうんだ」


「来たらただじゃ済まないことくらい分ってたんじゃないの。つくづく、あなたって、馬鹿か、余程、血なまぐさいことが好きな男なのね」


「血の匂いがすると、身がうづくもんでね」


 レイチェルは、イヴァンの鮮やかな笑みに、頬を微かに赤くした。だが、心にかかる蜘蛛の巣をはらうように顔をぶるんと振るうと、彼の胸元に寄り添うように近づいていった、後ろを気遣いながら小声で囁く。


「ねぇ、内緒の話があるの。私と組まない? あんな似非王族や胡散臭い牧師と組むより、あなたの方が数倍、役に立ちそうだわ」

「ふぅん、そうきたか。なら、あそこで、びくびくとこちらを覗いている二人はどうするんだ」

「あら、その気になったら、あなたが殺してくれるんじゃないの」


 白々と言う女教師。けれども、イヴァンに即座に首を振り、


「悪いが、その気には、一生かかっても、ならないだろうな」

「そう。残念」


 その瞬間、レイチェルはイヴァンの首筋に手を回し、そっと、その唇に唇を重ねた。


「これで、もうお別れだなんて」


 一瞬、頭の中に羽の中に浮かぶような高揚感を覚える。……だが、その快感が命とりになることをこの女教師は、以前の経験から熟知していた。心が囚われないうちに、レイチェルは、身を翻して、イヴァン傍から横に飛びのいた。

 その瞬間に、中東の王族のライフルの銃口が火を吹いたのだ。弾は、イヴァンの頭に向かって一直線に飛んでいった。

 だが、大きく後に仰け反っただけで、眉間に弾を受けても、彼はその場には倒れない。


「くそっ!」


 こんな男がいてたまるもんか。イヴァンの頭部から飛び散った血飛沫が、街燈の灯の中に飛び散る。けれども、傷ついた瞬間に、その傷は修復されて元に戻ってしまう。オカルト映画を見てるんじゃないんだぞ。


「くそっ、くそっ!!」


 レイチェルの背後からナシルはライフルを狂ったように連発した。

 さすがに衝撃は激しく、片手で顔を覆ったまま、イヴァンは、指の隙間から、いい加減にしろと言いたげに、女教師を凝視した。


「や、やっぱり、エクソシストの言ったことは本当だったのね。イヴァン・クロウは闇の眷属。鉛の弾では奴を殺すことはできないって」


 胸元から震えながら、取り出した武器。それを構えたレイチェルに、イヴァンは、小気味よさげな声で笑った。


「なるほど、”銀の弾”に”銀のピストル”か……《《邪悪を祓う聖なる銃弾》》。用意周到ってわけだな。なら、次に狙うのは頭ではなくて、この心臓だ」


 左の胸に手をあて、撃てよと灰色の瞳で語りかける。レイチェルは一瞬、後ずさりしたが、徐々に紅みを帯びてくる彼の瞳の色に怯え、


「消えて! ここは、あなたがいるべき場所じゃない!」


 ついには銀のピストルの引き金を引いた。


 突風が空へ吹き抜けてゆく。女教師は、髪を上に巻き上げる砂嵐に唖然と目を瞬かせ、その場に銀のピストルを落とした。


 信じられない、こんな男がこの世に存在していたなんて……。


 ぱさりと地面におちた一握りの砂粒……消えた漆黒のライダーの残滓に、心を締め付けられるような寂しさを感じる。


「さよなら、イヴァン・クロウ。……あんたは、けっこう、いい線いってたわ」


 引き金をひいた右手の、震えが、まだ止まらない。くるりと港に背を向けた女教師は、足早に波止場へ降りてゆくと、先に逃げ込んで顔を蒼くしている中東の王族と、似非神父に冷ややかな一瞥を送り、そこに待っていた高速船に乗り込んでいった。


*  *


 リムジンを飛ばし、ヨットハーバーにキースたちが着いたのは、午前2時に近い時間で、辺りには、人気はまるでなく、テムズ川からの冷たい風が吹きつけてくるばかりだった。

 撃たれた足が歩く度にズキズキと痛む。けれども、この時、キースが心に感じていた痛みに比べると、そんな物はないに等しかった


 ヨットハーバーに残されていたのは、漆黒のゼファー1100と、銀のピストル。


 そのちょうど間あたりに灯る街燈の灯に煌く光を見つけ、青年画家は足をひきずりながら、そこへ歩み寄っていった。膝を冷たいアスファルトに付け、唖然と目を見開く。


 銀の弾……。


「イヴァン、イヴァンっ!」


 叫んでみても、その声は深夜のヨットハーバーに響くだけで、彼の姿はどこにもない。何が起こったのか、よくは分らなかった。ただ、大切なものを失ってしまったという、喪失感が全身を駆け抜けていった。


「お前、罠と分ってて、何で、レイチェルの呼び出しなんかに応じたんだよ!」


 がくりと首をうなだれた青年画家の元へ少女と相棒の中型犬が歩み寄ってくる。

 目を潤ませて、銀の弾を拾い上げるキースに、ミルドレッドは声をかけることができず、パトラッシュが相棒を気遣って、くわんと小さく吠えるばかりだった。


「俺、まだ、お前にあのミカエルの肖像画を渡してなかったのに……」


 もう少しで約束を守れそうだったのに。


 どんなに名を呼んでも、イヴァンの返事は返ってこなかった。ただ、ロンドン塔に住み着くカラスが寂しげな声をあげ、暗い空に舞い上がるばかりだった。



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