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【第Ⅱ章 ~12番目の肖像画】(後編)

 エクソシストのいる教会は、パトラッシュがちゃんと、昨日、その場所をつきとめていてくれていた。

 悪魔祓いーエクソシストーなんて聖職は、とっくの昔になくなってしまっているはずなのに、今では街の下級神父が教会の宣伝のために、やっているだけに違いないと、キースはたどり着いた教会の前で強く眉をひそめた。


 大聖堂とは比べるのも馬鹿らしいような、ちっぽけなボロい教会。祭壇の上には、無造作に悪魔祓いに使えそうなニンニクの花飾りや、聖水や、杭などの禍々しいグッズが置かれている。聖なる場所というより、黒魔術師のアジトみたいな場所。

 オカルト映画の見すぎじゃねえのと、ちっと舌を打ち鳴らす。

「でも、気をつけろよ。あんな奴でもアンナを吹き飛ばしただけの霊力は持ってるんだからな」

 キースは、パトラッシュにそう言うと、大きく1つ深呼吸をした。

 その時、

「誰だ、そこにいるのは?」

 あの神父の声だと、キースは、大急ぎで、懺悔室の中に飛び込み、神妙な声をあげる。

「神父さま、私の話を聞いてくれますか」

「もちろんですとも。悩める子羊よ、ここでは、何の気兼ねも要りません」


 俺が“悩める子羊”かよ。


 ぷっと笑みをもらしてから、格子窓の向こうの自称エクソシストに言う。

「私は先日、町はずれの洋館で神父様とお会いした画家です。あの時は、神父様にひどい事をしてしまいましたが……私は、本当は、あの悪霊から逃れたくてたまらないのです。けれども、逃れようとしても、つい足があの洋館に向かってしまうのです。特に、あの“12番目の肖像画”を目にしてからは……」

「“12番目の肖像画”だって! あの洋館にあった肖像画は、11枚のはずだ。それは、確かなんですか! あなたはそれを見たんですか」

「はい。すごく可愛い少女の絵で……私は、つい、その12番目の肖像画を家に持ち帰ってしまったんです、でも、でもっ、その直後から、私の周りにおかしなことが起こりだした。テーブルが知らぬ間に移動してたり、心なしか、肖像画の少女の髪が少し伸びているような気もして……さすがに怖くて、今日は、その絵をここに持ってきてしまったのです」

「ち、ちょっと待った! それは本当ですか」

「は、はい。もう、自分ではどうしようもなくて、今、ここに」

 アンナの11枚の肖像画を狙っていた業突く張りのエクソシスト。その上に、“12番目の肖像画”の存在までちらつかされては、美味しすぎる話だろう。

 キースは声音に”思わせぶりさ”を倍増させて、

「こんな物をいつまでも持ち続けていると、いつか私は悪霊に憑り殺されてしまいます。だから、私はこの懺悔室の中にこの“悪魔の絵”を置いて、そっと教会から出てゆく事をお許し下さい。後の事は神父さまにお任せします。焼くなり煮るなり、好きにして下さい」

「分かりました! 5分……いや、3分待ってから、私は懺悔室にその“絵”を取りに行きます。後のことは私に任せて、どうぞ、安心してお帰り下さい」


 3分? インスタントラーメンかよ。


 くすりと笑うと、キースは懺悔室から出て行こうとした。……が、ここまで、アンナの肖像画にこだわる神父の不審な態度が気になって仕方がなかった。

「あの神父さま……1つだけ、質問していいですか?」

「……何だね」

「あの洋館にあった、11枚の肖像画って、一体、誰が描いた物なんですか。もしかして……すごく有名な画家だったりして」

「そ、そんな事、私が知っているはずがないでしょう! でも、何故、そんなことを聞くんですか!」


 ちぇっ、しらばっくれやがって。お前がレイチェルとつるんでるのは、お見通しなんだぞ。けど、これ以上は、かえって怪しまれる。


「いえ、ちょっと、無名にしてはいい絵だなぁって……ほら、僕、画家だから色々と分っちゃって。じゃ、この絵の後のことは本当によろしくお願いします」

 懺悔室を後にしたキースは教会から出てゆくフリをしながら、礼拝堂の座席にパトラッシュと身を忍ばせる。その時、ふと机に上に置かれた小さな人形に気がついた。


 何だ、これ?


 人形の体にはおかしな呪文のような文字を書いた護符が貼ってある。胡散臭さ満載の悪魔払いを絵にかいたようなグッズにキースは眉をしかめたが、


 もしかしたら、これって、アンナの館に何か関係があるのか。

 

 キースは、その人形をポケットの中にこっそりとしまうのだった。

 やがて、神父がいそいそと、懺悔室にやってきた。その直後、

「行けっ! パトラッシュっ!」

 キースに促された、猛犬? パトラッシュが、懺悔室のエクソシストに向かってスタートダッシュを切った。

「お前は、あの時の番犬っ!」


 わおんっ!


 遠慮なんてしなくていいぞという事前の相棒の言葉に、中型犬は、懺悔室の奥にエクソシストを思い切り突き飛ばす。すると、物陰に潜んでいた、キースが素早く飛出し、その扉をばたんと閉めた。そして、パトラッシュと二人で神父を懺悔室に監禁した。

「騙したな! 出せっ! 出しやがれっ! 神の御使いの私にこんな真似をすると、天罰が下るぞ!」


 聖職者とは思えない品の悪い台詞を吐きながら、エクソシストが叫んでいる。

「パトラッシュ、扉を押さえとけっ、あいつが出てこれないように!」

 周りにあった、出来うる限りの椅子や机を積み上げて、懺悔室の扉の前にバリケードを作り上げる。ドンドンと懺悔室の中から、力任せにたたかれても扉がびくとも動かない事を確認して、キースは、

「まあ、こんなもんかな」と、相棒に微笑みかける。それから、扉とは反対側の懺悔室の格子窓の方から、中のエクソシストに向けて言った。


「残念でした! “12番目の肖像画”はまだ、製作中なんだ。けど、懺悔室の中の袋は、俺からの差し入れだよ。クリスマスが終わったら出してやるけど、それまでは、ワインとチーズでよろしくやっとけ!」


 エクソシストはわけの分からぬままに、足元にあった袋の中身を見る。中にはミルドレッドがキースにもってきたワインとホールチーズが入っていた。

「ふざけやがって!」

「ふざけてなんかいないよ。神父さんにもクリスマス休暇を楽しんでもらおうと思ってさ。自分で食べたいところを我慢してあんたに献上したんだから、有難いと思ってよ。それ、きっと最高級のワインとチーズだぜ。なんてたって、あのセレブなお嬢様が持ってきたんだから」


 もっとも、こいつにはクリスマスを祝おうなんて気持ちはこれっぽっちもないんだろうけどな。


 キースは、苦い笑いを浮かべると、開けた懺悔室の窓をぱたんと閉めた。

「悪霊の下僕っ! よくも騙したな。こんなことをして、ただで済むと思うなよ!」

「何で? 有難いと思ってよ。聖なる夜に、イエス・キリストみたく、最後の晩餐を気取らせてやろうって言うのに」

 パトラッシュに“行こうぜ”と、手招きしてから、キースは懺悔室の窓に向かって、

「メリークリスマス!」

 勝ち誇った声で、そう言った。そして、教会から外に出る時に、玄関の扉に大きく張り紙をした。


“神父は不在。クリスマスの間は、この教会は休業します”


* *


 アンナのいる古い洋館。それがある手前の路地にさしかかった時、

「何だ? 何があったんだ」

 キースは、いつもと違う街の喧騒に眉をしかめた。ざわざわと集まっている野次馬の群れ。パトカーと救急車のけたたましいサイレン音。

 野次馬が言う。

「人殺しだってよ。殺られたのは、中国人らしいけど、咽喉をナイフで一突きだ。……ついに、ロンドンの殺人事件がピータバロ市にも飛び火してきたのかねぇ、怖いこった」


 中国人? 


 さっき、ミルドレッドがレイチェルが中国のバイヤーとつるんでるって聞いたばかりだが……。

 まさか、殺されたのって……。


 相棒のパトラッシュと目と目をを見交わす。けれども、くわんと小さく鳴いた中型犬に、キースは、

「分ってるって、今は、アンナの所へ行く方が先決だもんな」

 とは言ったものの、何かが心に引っかかっていた。アンナの11枚の肖像画……それを手に入れようと、アンナを祓おうとしているエクソシスト……レイチェルと中国人のバイヤー。咽喉をナイフで一突きの殺人事件……。


 偶然にしては、血生臭いことが集まりすぎてる。


 けれども、枯れた蔦がびっしりと蔓延っている洋館の入り口に立った瞬間、キースの背中には、先ほどとは違った悪寒が走った。

 ぴりぴりと空気が張り詰めて、空の遠くから雷鳴のような、ごろごろいう音が響いてくる。横にいるパトラッシュに不安げに目を向け、小さくため息をつく。

「あいつ、相当、怒ってるんじゃないのか。教会で思いのほか、時間をとりすぎたから」

 手には、ここにくる途中の店で買ってきた、クリスマスケーキを持っていた。でも、こんなもんでアンナの機嫌をとれるはずもない。

 時間は午後6時を回っていた。きっと、昨日、別れてから、ずうっと俺たちを待っていたんだ。でも、怒っていようが、相手が幽霊であろうが、俺だって画家のはしくれだ。もう肖像画を描くと決めたんだから、後には引かない。

「入るぞ……パトラッシュ」

 覚悟を決めて、扉を開けた。その瞬間、


 部屋をぐるぐると飛び回る椅子と机、ちぎれんばかりに、窓でなびくカーテン。これって、まさかあの心霊現象― ポルターガイストってやつ? 自分に向かって飛んできた花瓶を紙一重の所でかわしながら、キースは叫んだ。


「アンナ、いるんだろ? 遅くなって、ごめん……でも、ちゃんと絵は描くから! だから、この狂った部屋どうにかしてくれっ」


 描きかけの肖像画を掲げあげながら、館の中へ入っていった。割れた花瓶のガラスの欠片が、顔の横をかすめてゆく。

「アンナ、止めてくれよ! 俺は、お前と喧嘩するためじゃなくって、肖像画を仕上げに来ただけなんだから!」

 それでも、突風は止まらない。頭に向かって飛んできた燭台の蝋燭をキースがぎりぎりで避けた時、


 “だって、だって駄目なのよ。止めたいと思っても、あのエクソシストの”結界“に、私の霊力がアレルギーを起こしちゃって、どうにも止まらないのよ!”

 

 どこからともなく、泣き出しそうな幽霊の少女の声が響いてきたのだ。


 結界にアレルギーを起こすって?


 知らなかった……幽霊のポルターガイストが、アレルギーで悪化するなんて……。

 そうこうするうちにも、キースの頭には様々な家財道具が飛んでくる。青年画家は物凄く焦った。その時、彼のポケットをパトラッシュが強く引っ張ったのだ。

「パトラッシュ?」

 キースの脳裏に、エクソシストの教会から持ってきた品のことが浮かび上がったのは、その瞬間だった。


 そうだ、この人形……

 まさか、これって、アンナの館に結界を張るためのエクソシストの悪魔祓いグッズ? 


 何だか嘘っぽいと思いながらも、キースは、ええっと、こういう場合は効果を解除できる呪文を唱えればいいのかと、瞬、悩む。けど、あの神父の言ってた台詞で、俺が知ってるのって、


「悪霊、退散!」


 その台詞の直後に、青年画家は即、後悔した。


“キースの馬鹿っ、私は悪霊じゃないって言ってるのに!”

 

 また、花瓶が一個、青年画家に向けて飛んできたからだ。それをよけながら、キースは弱り切る。あの神父が言ってた他の台詞……台詞、ええい、なら、これでどうだ!


「父と子と聖霊の名において、父なる神へ信仰の告白をせよ! 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、神である主を愛せよ!」


 すると、ぴたりと風がやんだのだ。

 やがて、キースとパトラッシュの目の前に白いドレスに赤い上着を着た小さな少女が姿を現した。

 本当に冗談みたいだと思いながらも、青年画家はほっと胸をなでおろす。 はぁと床に座り込んでしまった一人と一匹に幽霊の少女は言った。

「本当にクリスマスが終わるまでに、肖像画を描いてくれるの? 本気なの?」

「そのつもりがなかったら、こんな危ない場所にまた来るもんか!」


* *

 アンナを埃だらけのクリスマスツリーの前に座らせ、キースはキャンパスに向かった。前に描かれた11枚の肖像画は、どれもこれも、このクリスマスツリーを前にして描かれている。

 埃まみれで、ボロボロで昔の見る影もないツリーだが、そこは想像力にモノをいわせて、同じようなタッチで、他の物とイメージを変えないように描かなければならない。

 絵筆を握り、アンナの顔を見つめて思わずつぶやく。

「顔色が悪いなあ」

「仕方ないでしょ、幽霊なんだから」

 蒼ざめた少女の表情に、そりゃそうだと、少し考えてから絵筆を動かし、肖像画の頬に淡いピンクをおいてみる。すると、とたんに肖像画の中に華やいだ空気が広がりだした。


 へえ、やっぱり可愛い


 小リスみたいな大きな瞳の少女が、こちらを見てる。キースはちょっと、その絵の中のアンナの姿に魅せられてしまった。


 生きている時はさぞや、愛らしい少女だったんだろうなあ。


「何? 何で、うるうるしてるの?」

 アンナが首を傾げながらキャンパスの傍にやってきた。自分の絵をじっと見つめている。すると、ぽろぽろ涙を流し始めた。

「ど、どうしたんだよ? 泣く事なんて何もないだろ」

 俺の描いた絵が下手だからとか、さっきのアレルギーがまた出てきたとか、そういうんじゃないよな。キースは、少しうろたえながら、アンナの顔を覗き込んだ。

「生きてる頃を思い出した。パパがいて、ママがいてクリスマスには暖かい暖炉が燃えてて……でも、今は誰もいなくて、私の手はこんなに冷たくて……」

 なす術もなく見つめるだけのキース。すると、いきなり、アンナが自分の腕の中に飛び込んできた。驚いて彼女を支えたもの何だか、哀しくってたまらなくなってしまった。


 冷たすぎるよこの子の体。


 いくら幽霊だって、震えながら泣いている小さな女の子を突き放す事なんてできるもんか。ふうっと一つ、息を吐き、キースは思い立ったように両手でそっとアンナを包み込んだ。


 もう、いっか。ずっと、こうしていても……今日はクリスマスイブだもんな。


 キースは、そっと目を閉じた。そして、アンナは、うふと、はにかんだような笑顔を頬に浮かべた。


* *

 12月25日、クリスマスの朝

 

 何か風邪気味だ。それに、ふらふらする。


 鼻をすすりながらキースは、キャンパスに向かい続けていた。朝の光を嫌ってか、アンナの姿は辺りには見えない。パトラッシュは相変わらず、彼の傍に寝そべっている。


 昨日は、あのまま、眠っちまったもんなあ。絵は描けなかったし、そういや、クリスマスケーキを食べるのも忘れてる。とはいっても、肖像画はあと少しで完成のところまできていた。最後の一筆を入れた時、キースは

「出来たっ!」と、いつにない大声をあげてしまった。ところが、

「アンナ、出来たぞ。出てこいよっ」


 何回呼んでも返事がない。何でだよ、あんなに待っていた肖像画なのに……。


 俺の絵に文句でも、あるのかと館の大広間に飾ってある11枚の肖像画をじっと見つめてみる。それでも、さっぱり分からない。やっぱり、この絵でも、気に入らなかったとか……。

 それにしても、気分が悪い。何だか体まで熱くなってきた。おまけにひどい眩暈がする。部屋の壁にかけてある鏡にふと目をやると、顔が凄く蒼白い。


 “キース、顔色が悪いわよ。何だか蒼ざめてる感じ”


 ミルドレッドに言われた言葉を思い出し、ぞくりと背筋に冷たいモノが走る。

そういえば、悉くアンナの気に召さなかった今までの彼女の肖像画は、どこへいったんだ? そして、それを描いた画家たちは……?


 まさか、みんな、憑り殺されてしまったとか……。


 すると、頭の中に昨日聞いた、洋館の周りで起こった血なまぐさい殺人事件が浮かび上がってきた。あれも、もしかしたら……。

 

 いや、あり得ない! アンナが悪霊のわけがない。


 その時、パトラッシュがくわんと強く鳴いて、埃だらけのクリスマスツリーの下へ走っていった。

「パトラッシュ?」

 この声に誘われるように、クリスマスツリーの下に歩いて行ったキース。そのとたんに天井がぐるりとまわった。


 駄目だ……本当に熱っぽい。


 思わず、その場に膝をつき、手を床につけて四つんばいになった時、埃にまみれて落ちている人形に気がついた。


 これ、昨日、エクソシストの教会から持ってきた人形だ……。


 それを拾い上げてから、ふと、もう一度、壁に掛けられた11枚の肖像画に目をやると、


 クリスマスツリーの飾りが……


「これか! そうだ、きっと、これを忘れていたんだ」

 具合が悪いなんて言ってらんない! 急いで、キャンパスに向かうと、もう一度、絵筆をそれに向けて動かした。11枚の肖像画の背景にいつもあったクリスマスツリー、そこにいつも飾られていた、この人形。

「アンナ、出て来いよ。出てきて、これを見てくれよ。“12番目の肖像画”がやっと、完成したんだ」

 キースがそう言い終わるか終わらないかのうちに、小さな少女の幽霊が彼の前に姿を現した。

「そう、あのエクソシストが持って行ってしまった、その人形は私の大のお気に入りだったの。キースはそれを取り戻してくれた上に、今までの画家が、誰も描いてくれなかったその人形をクリスマスツリーに描いてくれたわ。ありがとう、それに気付いてくれて」


 ……でもね、でも、本当はそれだけじゃなかったの。このお兄さんはちっとも分かっちゃいないみたいだけど。


 にこりと微笑むアンナに向けて、キースは無言で描きあげた肖像画を差し出した。

「これ壁に掛けていい?」

 少女の問いに、何だか寂しいような気分でうなづく。何故なら、この先の展開が少し見えてきてしまったから。


 アンナの後姿が薄れてゆく。


 壁に掛けられた12番目の肖像画に向かいながら、少女は一度だけ、キースの方を振り向いた。

「あのね、もう一つだけ、私のお願いを聞いてくれる?」

「……もう一つだけって?」

「この館にかけられた11枚の肖像画は、実は幻なの。本物は1枚1枚が別にされて、収集家たちに売りさばかれて……けれど、その1枚はロンドン郊外のグレンって男爵の館にあるらしいの。……あのエクソシストにしても、もしかしたら、私の肖像画を不法に売り飛ばそうとする者たちが、沢山いるのかもしれない。そんな事に大事な肖像画を使われるのは、絶対に嫌! だから、探して。そして、集めて。私は12枚の肖像画をあなたに持っていて欲しい。それが、私の最後の願い!」

 キースは、ややこしい事になりそうな展開に眉をしかめる。けれども、これだけは聞いておかねばと思い、

「……アンナ、あの中国人を殺ったのってお前?」

「は? 何のこと」


 ぽかんと口をあけた少女の表情がめちゃめちゃに可愛い。そうだよな、どう考えたって、この娘がそんな事をするはずがない。それにしても……


 肖像画を描いたら、こんな幽霊とは、きれいさっぱり、おさらばしようと思っていたのに、最後のお願いなんて言われてしまったら、断る事もできないじゃないか。


「分かった……」

 キースはもっとこの少女と話をしていたいと思ったが、みるみるうちに薄れてゆくアンナの姿に、もうその時間はない事を悟ってしまった。本当にお別れの時が来てしまったのだ。何だか泣いちゃいそうだ。少し翳った彼の琥珀色の瞳。すると、幽霊の少女は、

「あの……もう一つだけ、お願いしていい?」


 おぃ! さっきのが最後のお願いじゃなかったのかよ。


 盛り上がっていた青年画家は、彼女の言葉に拍子抜けしてしまった。

「えっと……とりあえず、言ってみて」

「……あの、キス……」

「キス?」

「あっ、あっ、もちろん、頬にでいいからっ!」

 そう言ってから、アンナは、少し後悔した。この際だから、頬なんて制約はつかけなかった方が良かったかもしれない。

 けれども、琥珀色の瞳の青年は、はにかんだようなアンナの表情に少し心を奪われて、

「眠り姫は王子さまのキスで眼を覚ますんだっけ? けれども、幽霊の女の子は、売れない画家のキスで永遠に眠りにつくのか。本当にそんなんでいいの? 俺は王子様には程遠いけど」

 こくんと何度も頷いた少女に、柔らかな笑みを浮かべる。そして、キースはアンナの頬に軽くキスをした。


「ありがとう。ほんとうに……」


 消えてゆく。


 メリークリスマス


 鈴のようなその声と姿が完全に消えてしまった時、


 やっぱり、最後はこういう事かよ。


 何もない荒地の中に、キースとパトラッシュはぽつんと、座り込んでいた。彼らの前に残されていた物は、食べそこねのクリスマスケーキと、自分が描いた12番目の肖像画。それ以外は、幽霊のアンナの姿も、あの古い洋館でさえもその場所には何も残ってはいなかった。はぁと息を吐き、キースはつまらなそうにクリスマスケーキの入った箱に手を伸ばした。


 幽霊でも、別に良かったのに。


 それは、寒い12月の空気の中に消え入りそうな声だった。けれども、白い息をはずませると、にこりと笑い、キースは傍らにいたパトラッシュに言った。

「よぅし、家に帰って、一人と一匹でケーキでも食うか!」


* *

 クリスマスの街を歩く、キースとパトラッシュ。大聖堂からは、高らかな聖歌隊の賛美歌が響いてくる。

「レイチェルに言われた絵の模写を終えてないけど、もう、今日は帰ってゆっくりするか? やっぱり風邪をひいたみたいで、気分がよくないや」

 けれども、くしゅんと鼻をすすりパトラッシュの頭をなぜた時に、キースはふとその場に立ち止まって、耳をすませた。街角から絹のような繊細な旋律が響いてきたからだ。


 歌……? 


 高々と鳴り響く賛美歌の間を縫って聞こえてくる、物憂げな声の方に目を向ける。すると、聖堂美術館通りの階段に座って、歌を口ずさんでいる若い男の姿が視線に入って来た。


 黒いレザージャケットとブーツ。丹精な顔にかかる亜麻色の髪。


 わずかな人々に囲まれて、その男は天使の歌を歌っていた。


  ここからは空が見える 

  君の瞳に似た青い空

  ミカエル

  君の瞳だよ ミカエル


  でも夜は眠れないんだ

  いつか絞首台の上に上ることを思うと。


  僕は君を待っている

  だから愛して 僕を愛して


  ミカエル


                    (by M.polnareff)


「ストリートミュージシャンか何かか……?」

 けど、クリスマスにしては哀しげな歌だ……それに、あの男って、どこかで見たことがあるぞ。

 聖なる夜の清らかな空気が、その男のいる場所だけ、暗く重い。

 キースは、彼のいる場所へ歩いて行こうとする。けれども、その時、大聖堂から午後のミサを告げる鐘の音が響いてきたのだ。


 いけねぇ、あいつの事を忘れてた。


 突然、教会の懺悔室に閉じ込めたエクソシストの事を思い出し、キースは、ポケットをごそごそと探った。通りで寄付金集めをしていたボーイスカウトの少年に5ポンドを差し出して言う。

「街外れの教会で神父さまが助けを待ってる。俺が行ってあげたいけど、ちょっと忙しいんだ。クリスマスの奉仕してんだろ? その5ポンドで有料奉仕だ、さっさと行ってやれよ」

「えー、嫌だよ。街外れの教会って、あの怪しいエクソシストの教会……」

 だが、ボーイスカウトの少年が、そう言い終わる前に、キースとパトラッシュは、お役ご免と、その場から、そそくさと逃げ出してしまっていた。

「ちぇ……、仕方ないなあ」

 少年が、手に握らされた5ポンドに目をやり、所在なさげに教会に向けて歩いてゆく。

 ちらちらと、雪が降ってきた。天使の羽のようにふわりふわりと舞い降りてくる純白の輝きに、若い画家は琥珀色の瞳を輝かせた。


「クリスマスが過ぎれば、すぐ大晦日だ。そして、新年がやってくる」


 雪の結晶に彩られた空に湧き上がる大聖堂からの鐘の音は、これまでのどのクリスマスの夜よりも、美しく荘厳に青年画家の耳に響いてきた。先ほどの男のことなど、すっかり忘れて、キースは、横を歩く中型犬に目をやり、にこりと微笑んだ。

「色々あると思うけど、来年もよろしくなっ。パトラッシュ」


 その答えに、彼の相棒は、くわんっと元気に一声、鳴いた。



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