19.イヴァン VS ナシル
「頼む。この爆弾、お前が湖へ捨ててきてくれ!!」
撃たれた足の痛みをこらえ、倒れた自転車の荷台から”危険物”を取り出して上着にくるむ。キースは、それをパトラッシュに向けて差し出した。突然の相棒の申し出に、中型犬はきょとんと目を瞬かせた。
”え……僕がやるの?”と。
……が、次の瞬間、
わぉん!
と、それを咥えると、勇猛果敢に丘を駆けあがって行ったのだ。
「いいぞ! パトラッシュ、そのまま、丘の上から湖へ爆弾を投げ捨てろ!」
パトラッシュは、やるぞっとばかりに、首をぐいんと思い切り後へ回し、それが戻る反動で爆弾の包みを投げ捨てた。同時に、キースは丘の上に身を伏せた。
数秒後には、爆風を巻き上げながら激しい水飛沫が空に舞い上がる!
……はずだった。
ああ、それなのに、
爆弾はパトラッシュの目の前にぽとんと落ちただけだったのだ。
”ごめん……やっぱり、ちょっと難しかった”
くぅんと鳴いて、哀しげに茶色い瞳を向けてくる中型犬。
あああ……やっぱ無理か。パトラッシュが投げるには、湖までは距離がありすぎた。(っていうか、全然、飛んでないじゃんか)けど、もう時間がないよ。
小麦色の髪をかきむしり、どうにか策を絞り出そうとする。けれども、焦りばかりが先立って、何も浮かんでこない。
これで、万事休すか!?
頭を抱えてしまった青年画家の額が、突然、熱くなったのはその時だった。
何だ、これ?
額に描かれた十字に手をあて、はっと、ホテルのゴンドラの上で聞いた”用心棒”の言葉を思い出す。
確かイヴァンは、これは”お守りだ”って……。
その瞬間、凄まじい突風が、ホテルの裏庭の丘へ吹き付けてきたのだ。風は、パトラッシュの体を持ち上げそうな勢いで空気の渦を作り出す。そして、彼の手前に落ちていた”爆弾の包み”をあっという間に空の上に吹き上げた。
宙を飛び、湖に落ちてゆく危険物。
「パトラッシュ、伏せろ!! 今度は本当に爆発するぞ!!」
激しい爆風が湖面を吹き上げ、高くあがった水柱が大粒の雨となって降り注ぎ、慌てて飛び立つ鳥たちの声が、うるさいほどに耳に響く。
少ししてから、キースは水飛沫を手で拭いながら辺りの様子を恐る恐る覗ってみた。
爆風でごっそりと削り取られた湖岸、なぎ倒された木々。風光明媚だった景色は散々なことになっていたが、幸いなことに、彼の相棒はびしょ濡れなだけで元気なようだ。
それにしても、何が起こった? 理由が分らず、再び辺りを見渡してみると、車から降りた黒服の男たちが、もう少しの距離まで近づいてきている。
ヤバイ、マフィアまで無事か。
「逃げるんだ、パトラッシュ!!」
自分も逃げようと、立ち上がろうとする。けれども、撃たれた足の痛みと、出血のせいで眩暈がして、その場を動けない。畜生、けど、まだ、ギブ・アップはできない。ますます酷くなる眩暈に、キースが目をごしごしとこすってみると、
ちょっと……これって……。
彼の目の前のぼやけた景色が、徐々に、形を整えてゆく。
やがて、削り取られた湖岸の上に、鬱蒼とした佇まいの洋館が姿を現した。こんな場所にはありえないはずの建物が……。
やっと、分った。さっきの異常な風の正体が。
「アンナ! あれって、全部、お前の仕業だったんだな!」
爆弾を吹き飛ばしてくれた突風は、あの少女の幽霊が御得意なポルダーガイストだ。そして、この洋館は、あの娘と俺が初めて出会った場所、アンナで霊力で作り出した館で……。すると、どこからか鈴の鳴るような声が響いてきた。
”ご名答、それより、キース! 早く、洋館の中に入らないと、マフィアに撃ち殺されるわよ!”
少女の声に、キースは慌てて、近くに駆けてきたパトラッシュに手を伸ばした。足は痛んだが、彼の助けを借りれば何とか歩けそうだった。そう、今は謎を解くより、逃げる方が先なのだ。
這う這うの体で古い洋館に逃げ込んだ彼ら。すると、玄関の扉がぎいと軋んだ音をたてて勝手に閉まった。そのエンタランスホールにぐるりと飾られた絵が、キースとパトラッシュを異世界に誘う。
少女の11枚の肖像画。
その1枚1枚が、彼女がこの世に生きていた11年間の証。
”イヴァン・クロウが彼の血でつけたその額の十字は、冥界の住民を引き寄せる印章。霊体の私はそれを道標にキースがどこにいても駆けつけれる”
再び、聞こえてきた少女の声に、青年画家は”なるほど”と、合点が言ったように額の十字に手を当てた。
まてよ……、何でイヴァンがそんなことをするんだ? それに冥界の住民を引き寄せるって、それって、アンナ以外の幽霊だって呼び寄せてしまうんじゃないのか。
その時、玄関の扉を外から叩く激しい音が響いてきた。東洋マフィアか? すると、また、どこからかアンナの声が聞こえてきた。
”キース”
弾傷を負った青年画家は、その声のする方向に耳を傾ける。すると、
”出て行って”
その体温よりも冷たそうな幽霊の少女の声音が、彼にそう言った。
* *
セレブなお嬢さまを拉致った中東の王族。
そして、彼らを追う元連続殺人犯。
グリニッジハイロードを爆走したパジェロが、カーブを曲がって、船着き場へ逃げ込もうとした時、
波止場の運航船の待合所に耳をつんざく轟音が鳴り響いた。
その場にいた人々は、入り口のドアをぶち抜いて疾走してきたバイクに、心臓が口から飛び出そうなほど驚いた。
車体も黒ならば、ライダーも黒。飛び散るガラスもなぎ倒された看板も、完全に無視して、それは、血飛沫と砂煙をまき散らしながら、対岸の船着き場へ飛び出してゆく。
黒いボティに書かれた文字はKAWASAKI ZR1100。
その場にいた誰かが唖然と呟く。
「カワサキのゼファーが、飛び込んできた。けど、ありゃ、西風どころか、暴風だ」
* *
「ほら、とっとと、降りて、あの高速船に乗るんだ!」
いやよ! 高速船なんかに乗ったが最後、わけのわからない国に売り飛ばされてしまうに決まってる!
船着き場でナシルにライフルで脅され、嫌々ながらにパジェロを下りたミルドレッドは、絶体絶命の淵に追いやられていた。だが、その時、
待合室のドアを粉砕して、目の前に黒塗りのバイクが飛び出してきたのだ。
「イヴァン! イヴァン・クロウ!!」
どんなに無法に待合室を破壊したとしても、どんなに危険な瞳をしていても、この時の彼はミルドレッドにとって、黒馬に乗った騎士みたいに思えてしまうのだった。
* *
「待合所をぶち抜いてまで、追ってくるとは、ふざけた野郎だ!」
目の前に飛び出してきたバイクに、ナシルは、手にしたライフルを即座に向けた。
中東の王族がまとった白の民族衣装が風になびく。漆黒のゼファーがその手前でエンジンを切り、つかの間の静けさが辺りに広がった。
純白の白と闇色の黒。相反する2つの色が対峙した。
こんな時は黒が”悪”と決まってる。
けれども、ナシルが纏ったディスターシャの布地の上に、風で飛ばれたイヴァンの血の色が赤く映える様は、白が鮮やかに見えすぎて、なんだか怖かった。反対に、イヴァンの黒いバイクスーツに滲む紅は、暗いレザーの色調がそれを隠してくれて、ミルドレッドを安堵させるのだった。
「余計な手出しは無用。撃たれたくなければ、さっさと手を引け!」
けれども、黒づくめのライダーは向けられたライフルにも怖気着く様子を見せない。
「イヴァン、気をつけて! こいつはマフィアの元締め。王族っていったって、とんだはみ出し者なのよ」
「へぇ、似非王子ってところか、確かに優雅に絵画を見ている姿より、ライフルを持っている姿の方がそいつには似合ってるな」
イヴァン・クロウはバイクから降りると、赤みがかった灰色の瞳に侮蔑の色を交えてナシルを挑発する。
「撃ってみろよ。それがお前の専売特許。唯一、自慢できる技なんだろ」
「何だと!」
すると、かっとなったナシルが、ライフルの引き金を引いたのだ。黒煙と共に吹き上がる血飛沫。
しかし……
「……まったく、血が溢れすぎて今日は休む暇もない。これじゃ、俺だって我慢する気になれない」
撃たれた胸を押さえはするが、目の前の男は倒れるどころか、うすら笑いさえ浮かべている。
「い、一体、何の絡繰りだ? 俺にはさっぱり訳が分からない」
恐れをなして、後ずさりするナシル。そんな彼を目で岸に追い詰め、イヴァンは、ブーツに装着した鞘からハンティングナイフを取り出した。
……尋常じゃない。こいつは危険すぎる!
再び、引き金の指を引く。また、引く。
それでも、目の前の男は倒れようとしない。それどころが、あははと、声をあげて笑いながら、上目づかいに彼を睨めつけてくるのだ。
「な、何でだ……?」
すると、イヴァンは、
「そっちの攻撃はそれで終わりか。なら、次は俺の番だな」
ハンティングナイフを手にしたまま、ナシルの方へ歩み寄ってきた。灰色の瞳に煌めいた紅の光に体を拘束されたように、ナシルは、その場を動けない。
何でだ……何で、こいつは生きている?
怯える彼の表情を楽しむように、イヴァンは、その左の胸にナイフの切っ先を押し付けた。じきに真っ白な民族衣装の胸に紅い色が滲みでてきた。
「……首をかき切るより、たまには、心臓を一突きっていうのも、おもしろいかもな」
その切っ先に力をこめようとする。
「や、止めろっ!! 止めてくれっ」
だが、そんな王族の叫び声と同時に、イヴァンを力任せに突き飛ばして二人の間に入り込んできた者がいたのだ。
「ミルドレッド! 有難い! 俺を助けてくれるんだな」
けれども、自分の手からライフルを奪いとって、仁王立ちしたお嬢さまに、ナシルは眉をひそめた。
「ミリー!? どういうつもりだ? そのライフルを返せ! でなきゃ、あいつの頭を撃て! あの男の目を見てみろよ。あいつは人を殺すのなんて、何とも思っちゃいない。殺さなきゃ、こっちが殺られる!」
「駄目!! ナシルもイヴァンも殺し合わないで! キースとの約束を忘れたの? 人を殺すなって、彼は言ってたでしょ」
そんな台詞を言うくせに、ライフルの銃口をあいつにではなく、俺に向けてくる……おい、どういうわけだ?
ミルドレッドに、中東の王族は焦り、
「止めろっ、俺を狙うな。それに、俺はあの小僧と、そんな約束はしてないぞ!」
「ああっ、もうっ、そんな小っちゃい事に拘ってるから、あんたは道をはずすのよっ。誰も絵の才能を認めてくれなかったから、贋作村の元締めになったって? それが失敗したら、逆恨みで爆弾? ふざけんじゃないわよ。それに、さっきはよくもイヴァンを撃ってくれたわね。私だって、ライフルくらい扱えるんだから、いざとなったら一発おみまいするわよっ。だから、そこの高速船に乗ってさっさと何処かへ行っちゃって! そして、二度と、私たちの前に現れないで!!」
がちゃりとライフルの引き金に指をかけたお嬢様に、ナシルは顔を蒼くした。
「ま、待てっ!」
「待たないわよっ!」
とたんにミルドレッドの持ったライフルから弾が飛び出し、ナシルが立った波止場の縁を打ち砕いた。
殺すなと他人には命じるくせに、自分はそれか。言ってることが滅茶苦茶だ。下手をすると、この娘が一番、手に負えない。
「畜生、覚えてろよ!」
定番の捨て台詞を残して、海に飛び込む民族衣装の男。着衣泳するには動きにくすぎるその姿を見つけて、波止場にスタンバイしていた高速船があたふたと近づいてくる。
そして、彼らは超高速でグリニッジの港を出て行った。川岸にお嬢様と傷だらけの騎士を残して。
散々な姿のイヴァンに目をやり、ミルドレッドは悲壮な顔をして、手にしたライフルを下に落とした。うるうると瞳を潤しながら言う。
「ごめんね。そんな姿にしちゃって。でも、あいつを脅すにしても、ナイフはやりすぎだったわ。それと撃たれても平気だなんて、どういうこと? 最新式の防弾チョッキでも着込んでたの?」
「……まぁ、そんなとこかな。それにしても、相変らず元気なお嬢ちゃんだ。でも……」
”礼を言わないとな。寸でのところで契約主との約束を破らずにすんだ”
そう耳元に囁いてきたイヴァンの表情に、少女は思わず頬をピンクに染めた。
騎士というより、柔らかな天使の微笑。
そう、これが、私の知ってるイヴァン・クロウ。どんなに血にまみれていても、そんなの本当の彼じゃないわ。
だが、その時突然、ミルドレッドの脳裏に忘れちゃならない青年の顔が浮かび上がったのだ。
「あっ……キースはっ!? キースはどうなっちゃったの!」
「あいつか? あいつは爆弾を湖に捨てに行った」
「爆弾! そうだった! イヴァン、それが分かってて、何で放ってきたのよ、早くホテルに戻って! キースを手伝って!」
「お嬢ちゃんを助けろっていうのが、契約者からの依頼だったからな。それに、今更、手伝うたって、あの爆弾、とっくに爆発してんじゃないのか」
「ああっ、こっちのことはいいから、早く戻って! 今日はうちのお抱え運転手がロンドンに来てるから、私はそれに迎えにきてもらうから」
カーンワイラー家のお抱え運転者は、GPSを駆使して、お嬢様がどこにいても瞬時にその現場へ駆けつける特技を持っているのだ。
バイクのエンジン噴かせながら、イヴァンはやれやれと息をつき、
「行けと言ったり、戻れと言ったり、人使いの荒い奴らだな」
次の瞬間、ジェット機まがいに走り去るゼファー。砂煙の向こうにあっという間に消えてしまった黒いマシンにミルドレッドはきょとんと眼を瞬かせた。
え、いくらなんでも速すぎるでしょ……。
そういえば、さっき、撃たれてた傷も消えてたような……。ああっ、何考えてんのよ。変な事で悩むのは後っ、今はとにかく、キースが無事なのを確認しなきゃ。
ぶるんと一つ頭を振ると、ミルドレッドは大急ぎで携帯電話をポケットからとりだし、それに命令した。
「運転手さん? 場所は分かってるでしょ。超高速で迎えに来て! 赤信号? こんな時は、信号なんて無視するためについてんのよ!」




