18.ぶっちぎりのKAWASAKIバイク vs リミッター越えの三菱RV車
白いパジェロを追って、漆黒のゼファーがクィーンズロードを爆走してゆく。普段でも、乗用車が歩行者を轢きかねない運転で有名なロンドンだが、この2台の走りっぷりは、それどころじゃなかった。
交通規則などまるで無視したパジェロは、他の車の間をフルスピードのまますり抜け、映画のカーチェイスさながらのテクニックで南西に逃げてゆく。その後を追うゼファーも負けず劣らずの暴走ぶりで、道ゆく人たちの視界からあっという間に消えてしまう。
「イヴァン、イヴァン、私、ここー!! 早く、早く、助けにきてっ!」
パジェロの助手席から後方席に身を乗り出し、ミルドレッドが大声で叫ぶ。それを聞きながらナシルはちっと唇を鳴らす。こんなことなら、口にガムテープでも張り付けてやるんだったと後悔したが、今は運転に忙しくてそれどころじゃない。
ぶっちぎりで飛ばすKAWASAKIのバイクと、リミッター越えで逃げる三菱のRV車ってどっちが性能がいいのかしら。なんて、考えている場合じゃないのだが、ミルドレッドの思考は興奮しすぎて、おかしな方向へ飛び散ってしまっている。パジェロの後方に、わらわらと黒塗りの車が出てきたのは、その時だった。
「東洋マフィア! ちょっと、ナシルっ、助っ人を呼ぶなんて、ルール違反よ! 何でイヴァンと1対1で勝負しないのっ!」
訳のわからぬルールを、勝手に決めてしまっているお嬢様に、中東の王族は横目で呆れた視線を向けた。
「殺し合いの世界にルールなんてあるものか。お前、ちょっと黙ってろ!」
「何よっ、一人じゃ何もできないくせにっ!」
その後の沈黙に、ミルドレッドは、しまったと口を噤む。
「グリニッジの波止場に高速船を待たせてあるんだ。それに乗り込んだ後は、生意気な口は一切、利けないようにしてやるから覚悟しとけよ」
ナシルの言いっぷりには、王族の優雅さなんて、まるでなかった。
嫌ぁぁ、高速船なんかに乗せられたら、それこそ人身御供にされてしまうわ!
囚われのお嬢様は、叫びたい気持ちをぐっと堪え、心の中で漆黒のゼファーに出来うる限りのエールを送る。
”イヴァン、早く追いついてよ! こんな生っ白いパジェロに負けたりなんかしたら、承知しないんだから!”
* *
お嬢様の心の叫びが聞こえたのか、漆黒のゼファーは、行く手を阻むように、前方の道路から溢れ出てきたマフィアの車にもスピードを落とす気配を見せない。ぐんぐんと迫ってくる命知らずのバイクに、ナシルの手下たちは、憤り半分、怖さ半分で銃口を向ける。
「撃て、撃て! どうせ奴は堅気じゃない。蜂の巣にして道路に放り出してしまえ!」
「絶対に取り逃がすな! ここでぶっ潰せ!」
手にした短機関銃や、ピストルが派手に火を噴く。一般道、そっちのけの銃撃戦。それなのに……
「……何でだ」
バイクの軌道を縦横無尽に蛇行させながら、ゼファーの乗り手は、弾道を悉く避けてゆく。マフィアは同乗している仲間に、摩訶不思議な表情を向け、
「いや、一発くらいは当たってるだろ? だって、さっき、あいつの服に穴が……」
その瞬間、彼らの腕や手に鋭い痛みが走り、ロンドンの青い空に真っ赤な血飛沫が飛び散った。
「ぎゃあっ!」
思わず、手にした銃器を下に落とす。すると、
「俺は殺さない。だが、出血多量で死ぬのは、お前らの勝手だ」
はは……と、絞り込むような低音の笑い声に背筋が寒くなる。
切られた痛さよりも、自分たちの車の脇を猛スピードで通過していった、イヴァン・クロウの瞳の紅色の輝きと愉悦に満ちた表情に怯え、下っ端のマフィアたちは、一気に戦意を失ってしまった。彼が手にしたハンティングナイフから帯を引く血の色が怖かった。
「俺たちは嫌だ……あんな奴を相手にして死ぬのはご免だ」
潮が引くように逃げてゆく黒塗りの車を嘲笑いながら、漆黒のゼファーは前方に逃走してゆくパジェロを追いかける。
やがて、先の方向にテムズ川の波止場が見えてきた。ナシルとミルドレッドを乗せたパジェロは、そこへ向かうグリニッジハイロードのカーブでくるりと方向を変え、建物の影に入り込んでしまった。
「あの王族、波止場から船に乗る気だな」
マフィアご自慢の高速船に乗られてしまえば、さすがのイヴァンも手が出せない。こんなことなら、あの画家に、彼との契約者をミルドレッドに正式に変更すると宣言させておけばよかったと、ちっと口の中で舌を鳴らすと、イヴァン・クロウは、ゼファーを方向転換し、そのまま、傍の建物に突っ込んでいった。
* *
キース・L・ヴァンベルトは、今にも爆発しそうな時限爆弾を前かごに入れたまま、自転車のペダルを懸命に漕いでいた。ホテルの裏の湖までは、けっこうな傾斜のある坂道だ。ペダルの回転数はすでに彼が出来うる限界を越えているような気がしたが、ナシルがしかけた時限爆弾の爆発時間が近づいてくる。おまけにマフィアの黒服の車までが後から追いかけてくるのだ。
「パトラッシュ、急げ!! もう時間がないぞ」
あと、3分? いや、2分? もう、残り時間が何分かなんて分らなくなってしまったけれど、とにかく、どんなに息が切れたって、止まれないことだけは確かなんだ。……が、
「……!!」
鋭い銃声が響いた瞬間、キースは、右の太ももあたりに、焼けつくような痛みを感じた。そして、自転車ごと丘の斜面に倒れこんでしまったのだ。
わぉん! と帆走していたパトラッシュが、相棒に駆け寄る。
「畜生! 足を撃たれた……」
キースの足から血が流れ出していた。湖まではあと少しの距離なのに、痛みと痺れで体が動かない。
どうしたらいいんだ……このままじゃ、一巻の終わりだ。
はたと傍で心配げに見つめるパトラッシュの方を見る。すると、キースは、請うような声音で彼の相棒に、
「パトラッシュ、頼む。あの爆弾、お前が湖へ捨ててきてくれ!!」
そう言った。




