17.俺は人は殺さない
「あの女教師にすべての罪を被ってもらうって? 一体、どうやって!」
プレゼン会場の客は請うような視線をキースに向けた。自信満々の顔をして彼らを見返してくる琥珀色の瞳は若さに溢れている。それを眺めているうちに、なんとなく彼が頼りになりそうな気がしてくるから不思議なものだ。
お先真っ暗の状態におかれた人間は、無意識のうちに明るい方向へ救いの手を伸ばすものなのだ。
「細工は上々。レイチェルに押し付けれそうな物だけを残して、学園の中で裏家業の証拠になりそうな物はすべて生徒たちに処分させた。だから、あんたたちも、マスコミや警察やらが押しかけてくる前に、さっさと家に戻って、まずい物があるなら隠すなり捨てるなり、証拠隠滅に精を出すんだ! 少しぐらいの取りこぼしなら大丈夫。俺が関係筋に交渉して、もしもの時は別方向から圧力をかけてくれるようにって約束を取り付けたから」
「関係筋? 別方向から圧力? また別の犯罪組織か何かか?」
……が、
「犯罪組織だなんてとんでもない。”W・ジェームズ・カーンワイラー”その名を知らぬ者はこの中にはいないだろ。その彼が、後ろ盾になって、この計画を支援してくれるってさ。ただし、あくまでもこれは最後の手段なんだからな」
会場が人々のざわめきに揺れた。カーンワイラー氏といえば、美術界のみならず、イギリスの経済界をも牛耳ってる大富豪じゃないか。こんな若造がどうして、そんな後ろ盾を持ってるんだと。
「だって、カーンワイラー氏って、シティ・アカデミアの生徒のミルドレッド・カーンワイラーの親父さんじゃん。こんな騒動で愛娘の経歴に傷がつくなんて我慢できるわけがないだろ」
呑み込みが早い客が、席を立ち、エレベータの方向へ駆けてゆく。けれども、
「エレベータが動かないぞ!」
「それに、出入口も開かなくなってる!」
あちこちから起こる素っ頓狂な声に、キースは、えっと目を瞬かせた。
「まさか、東洋マフィアがここまで攻めてきたんじゃないだろうな」
実際に、ナシルの手下のマフィアたちが、会場に細工したのを、キースはまだ知らなかった。
一難去ってまた一難、どうすりゃいいんだよと、小麦色の髪をかきむしった時、
「……?」
彼の胸ポケットの携帯電話が突然鳴り響いたではないか。こんな非常時に電話をかけてくるのは……
やっぱり、あれか?
と、眉をしかめる。すると、案の定、
「キース、キース、キース!! 大変、大変、大変よ!!」
その鈴のなるような声に頭を抱えたくなる。
「”キース”も”大変”も一回で分るよ……でアンナ、今回は、何? 俺、今、とっても忙しいんだけど」
幽霊の少女アンナ。彼女は自分の霊気を電波に変えて、何かにつけてキースの携帯に電話をかけてくる。
「忙しいなんて言ってる場合じゃないわよ。あの女の子の中から聴いてたの。そこ、もうすぐ爆発するわよ! あの中東の王族が爆弾を仕掛けたの。あいつが東洋マフィアの親玉だったのよ!」
「……え?」
状況を飲み込めない青年画家に、幽霊の少女は珍しく声を荒らげた。
「ああっ、ボケっとしてないで、”ヴァージナルの前に座る婦人”の裏を覗いてみなさいよ。あと30分もしないうちにドカンとくる爆弾がそこにあるんだからっ!」
* *
プレゼンが行われていた大広間の隣の控え室で、女教師レイチェルは、髪と服の乱れを直しながら、室外から聞こえてくる人々の声に耳を澄ませた。
「今、何時? 何だか騒がしいわね」
彼女の傍で身を起こした長身の男は、脱ぎ捨ててあったバイクジャケットを羽織ると、壁の時計に目を向けた。その視線を追うように上を見上げた女教師は、ぎょっと瞳を見開いて、
「12時40分!? 嘘っ、プレゼン開始から40分も経ってるなんて!」
イヴァン・クロウ……赤みがかった灰色の瞳と黒づくめのレザースーツ、陰鬱な表情が妙に人の心をくすぐる、今までには廻りにいなかったタイプの男。少しぐらいなら遊んでやってもいいかしらと、誘われるままに控え室に入った。……適当にあしらって、後は無視してやるつもりだったのに。
けれども、今となっては微睡むようなぼんやりとした感覚を残して、時間だけが過ぎ去ってしまっているのだ。レイチェルは、薄ら笑いを浮かべるイヴァンをきつい瞳で睨めつけた。
「イヴァン・クロウ! あなた、最初からこうなる事を目論んで、私を引き止めたのね」
「俺の誘いに簡単にのってきた、あんたが、今更、よくそんなことが言えるもんだ」
こんな男の誘惑にのって時間を忘れてしまうなんて……絶対にありえないはずなのに。百戦錬磨の女教師は、唇を噛みしめた。けれども、
「つくづく節操のない女」
吐き捨てるようなその言い草に、
「何よ。殺人犯が偉そうに! ちゃんと調べはついているのよ。4年前にこの界隈を騒がせた連続殺人犯! 警察に通報してやるわ。このイギリスには死刑制度はないけれど、あんたなんて時代が時代なら吊るし首よ!」
その瞬間に、レイチェルの首筋に鋭いハンティングナイフの刃が突き付けられた。ぎらりと瞳を光らせた切り裂き犯が重低音な声でぽつりと呟く。
「……無駄だよ。もう、俺は一度絞首刑になった男だ」
よく意味が分からない彼の言葉と超危険な状況に、女教師は、顔をひきつらせ、
「ち、ちょっと、待ってよ。い、言い過ぎたわ。ね、あなた、確か画商だったわね……贋作村の経営陣に入らない? 最高の条件で契約をするわ。だから……」
直後に、レイチェルが首筋に感じた鋭い痛み、あてがわれたナイフを伝った鮮血が一筋下へと流れてゆく。イヴァン・クロウは、ぺろりとその紅を舌で舐めあげると、まずいと即座に床に吐き出した。
ハンティングナイフの刃の銀色に彼の瞳の灰色が同化して見える。鮮血を舐めた舌はその血の色より紅い。女教師は、彼の醸し出す尋常とはかけ離れた雰囲気にぞくりと身を震わせた。
快楽殺人者……ううん、そんな病んだだけの犯罪者じゃない。この男の闇はもっと深くて暗い。
あのエクソシストの神父は言っていた……イヴァン・クロウは闇の眷属。この世とは別の異形の者……?
怯えた瞳で、自分を見据える女教師。すると、
「……」
イヴァンは、軽く息を吐き、
「最低な女でも俺は人は殺さない。それが契約主との約束だから」
と、ナイフをブーツに装着した鞘にしまったのだ。そして、床へ、へたりこんでしまった女を残して無言で控え室から出て行った。
そんな彼の姿を、ホテルの柱の影から、びくつきながら眺めていた黒い影があった。プレゼンに参加していたエクソシストの神父。イヴァンが遠ざかってゆくのを見極めると、彼は大慌てで控え室のドアを開き、
「レイチェル女史、大変だ。早く逃げろ! あの画家の小僧が、他の客と共謀して、あんたをシティ・アカデミアから追い出そうとしているぞ!」
大声でまくしたてながら、女教師を急き立てるのだった。
* *
女教師を控え室に残して、プレゼン会場へ向かったイヴァン・クロウは、黒い箱を抱えてあたふたと駆けてくるキースの姿に苦い笑いを浮かべた。一見、平和そうに見える彼の契約者の運命の輪は、どう足掻いてもトラブルのある方向に進んでゆくらしい。
「その箱は何だ? プレゼンジャックは上手くいったのか」
「イヴァン! 涼しい顔してる場合じゃないよ。こ、これっ、爆弾! ナシルが仕掛けたんだ。おまけに爆発まであと15分! どうにかしなきゃ、ここは火の海だ」
「ナシル? あの中東の王族が?」
灰色の瞳を鈍く輝かせたイヴァンは、
「持ってて拙いなら、窓から外に投げ捨てろよ」
「そんなに、さらっと言うのは止めてくれよ。ここの窓は開かない設計なの! それに、窓から捨てたりしたら、外が大惨事になっちまう」
「なら、裏山の湖にでも捨てるんだな」
「裏山の湖なんて……」
どう贔屓目に見ても真剣さのない用心棒の態度に、絶体絶命の青年画家は眉根を寄せる。……が、
……ちょっと待てよ、この最高級のホテルは、都心にあるが裏には巨大な庭をもっている。その湖に爆弾を捨てれば、被害は最小限に留まる。せいぜい、湖の魚が、焼き魚になって吹っ飛ぶくらいだ。これは……
イケる!
彼の用心棒を真っ直ぐに見つめて問うた。
「けど、どうしたらいいんだ? この階はエレベータも使えないし、出入口の扉もすべてロックされちまってるんだ」
少しも澱みのない琥珀色の瞳が、暗い裏世界に浸された灰色の瞳と対峙する。イヴァン・クロウは静かに微笑み、傍にあった1枚ガラスの大窓を親指でくいと示した。外で作業していた窓拭きの作業用ゴンドラが、上に昇ってくる。
「え? まさか、あれで下に降りろって言うんじゃ……でも、窓、開かないし」
いきなり拳を振り上げて、イヴァンが窓ガラスを叩き割ったのは、その瞬間だった。窓ガラスが砕け、黒い皮手袋の手から鮮血が飛び散る。その紅に染まった手で、目玉が飛び出しそうに驚いた顔の窓拭き職人の胸倉をつかみ、フロアに引き込むと、
「ほら、さっさと乗れよ」
割れて窓枠に残ったガラスを無碍に足で蹴り落として、ゴンドラに乗り込むのだった。キースは、慌ててその後に続いたものの
「イヴァン、手、手…血、血……」
手から滴る鮮血に眉一つ動かすでもなく、レザースーツに身を固めた男は、平然とゴンドラの上に立って下を眺めている。
ちょっと、ちょっと……普通なら痛くて落ち着いてなんていられないだろ?
……が、
「パジェロが逃げてゆく。あのお嬢ちゃんも一緒じゃないのか」
キースは、はっと階下を見下ろした。36階からの景色は、普段なら高所恐怖症の彼には目も眩みそうな景色だ。だが、この時ばかりは、ホテルから猛スピードで遠ざかってゆく白い車の姿がぶれることなく、くっきりと視界に飛び込んできた。
「畜生、ナシルの野郎! 爆弾を置き土産に、ミリーを拉致しやがった!」
どうにも抑えきれない怒りが胸に湧き上がってくる。あんな悪党にミルドレッドを渡してたまるか。血馴れしているのか、手に酷い傷を負っていてもイヴァンは涼しい顔をしている。それを見据えて、キースは言った。
「イヴァン、バイクなんだろ? あのパジェロを追いかけて。僕はこの爆弾を湖に捨てにゆく。だから、早く!」
「あっちに行っていいのか。俺は”お前の”用心棒なんだろ」
「ああっ、そんなの、どっちだっていいんだっ。俺にはパトラッシュだっている。イヴァンは、ミリーを取り戻してくれれば、それでいいの!」
いつになく声を荒らげた青年画家の剣幕に、かつての連続殺人犯はくすりと笑みを漏らした。ガラスの破片で傷ついた自分の指先を彼の額に持ってゆくと、鮮血でそこに小さな十字を描く。
「なら、これは、お守りだ」
じゃあなとゴンドラを乗り越え、外へ飛び降りたイヴァンに、「頼んだぞ!」と、キースは絶大なエールを送る。額に描かれた十字が、何となく熱い。
これ、何だ? お守り?
……と、その時、
「え? ……ええっ!!?」
彼はとんでもないことに気づいてしまったのだ。
「ち、ちょっと、ここ、36階!!」
確かにイヴァンは、今、飛び降りたよな……でも、まさか、まさか、そんなことって……。
慌てふためいて階下を覗き込んだキースの視界に映る、逃走してゆく白いパジェロ。そして、その跡を追って爆走するバイク、漆黒のゼファー1100。
何が一体どうなって、こうなってるんだ?
「えっと、えと……ああっ、とりあえず、深く考えるのは後だっ」
ゴンドラから地上に降り立った相棒の元にパトラッシュが駆け寄ってくる。近くに停めてあった自転車に飛び乗ると爆弾を荷台に放り込み、キースは叫んだ。
「裏山の湖に行くぞ! 走れ、パトラッシュ!」
彼らの後を追って、ナシルの手下の東洋マフィアが下に降りてきた。大急ぎで車に乗り込んだ敵を振り切り、キースとパトラッシュは湖にたどり着くことができるのか。
時限爆弾爆発の時間まで、あと10分! ……いや、もう10分もないっていうのに。




