16.ミルドレッドの誘拐
ミルドレッドは、ホテルの中庭を足早に歩いてゆく王族 ― ナシル ― に不平と不満と抗議の篭った目を向けた。中庭を探索しようだなんて誘ったくせに、彼はルネサンス風の庭園も、豪奢な彫刻にも、まったく目もくれずに、駐車場に向かおうとしているのだ。
「だって、プレゼンなんてつまらないじゃないか。後はレイチェル女史に任せて、僕たちは、このまま、ドライブと洒落込もうよ」
「で、でもねっ、プロデューサーが会場にいないとやっぱり、まずいんじゃないの!」
ミルドレッドが、ナシルの腕を強く引っ張る。……と、その時、彼の携帯電話がけたたましく鳴り始めたのだ。ナシルは即座に携帯電話を取り出すと、
「キース君が? ははっ、そりゃ面白い。面白すぎるよ」
笑いが止まらぬ様子の彼に、ミルドレッドはますます不安になり、
「キース? 彼がどうしたの。一体、何をやったの」
そんな少女に意味深な流し目を送りはしたものの、中東の王族は質問には答えず、無理矢理に駐車場へと彼女の手を引っ張るのだった。
「どこへ行くの、キースがどうしたの? 嫌よ! 私はここを離れたくない!」
すると、
「今、会場から電話が入ったんだが、キース君、プレゼンの客の前で派手に、贋作村の存在とシティ・アカデミアの裏稼業のことを世間にぶちまけたって宣言したらしいぞ。おまけに、それを餌に今、客たちを脅迫中らしい」
「……脅迫?」
「助けて欲しけりゃ、シティ・アカデミアの主導権を全部、俺によこせって」
やったわねと、気分が高揚すると同時に、ミルドレッドは当の本人に会いたくてたまらなくなってしまった。だが、頬を紅潮させて、手を振りほどこうとする少女の手を中東の王族は強く握りしめ、離そうとしてくれないのだ。
「なぁるほど。だんだん、君らの繋がりが読めてきた。セレブな特待生のミルドレッド・カーンワイラーと専属画家のキース・L・ヴァンベルトは、ずっとこの日のために、タッグを組んできたってわけか。小ずるいレイチェル女史をはめて、ピータバロ・シティ・アカデミアを乗っ取る。そうでもなけりゃ、あんたみたいなお嬢様が、身分違いも甚だしい、あんな貧乏画家を相手にするわけないものな。けれども、ここはもう危険なんだよ。何でって、このホテルはもうすぐ派手に爆発するんだから」
「えっ? ナシル、今、何て言ったの」
状況を把握できず、ぽかんと漆黒の瞳を向けてくるミルドレッド。中東の王族は、それにご満悦な笑みを浮かべ、
「爆発するんだよ。僕がしかけた爆弾で。それも、30分後に」
それでも、まだ、ミルドレッドは、目の前の男の言葉が理解できなかった。
ナシルが爆弾? この人って、贋作村とシティ・アカデミアのスポンサーでしょ。ここでホテルを爆発させたからって何得?
冷たく固い感触を彼女が背中に感じたのは、その時だった。
「ほらほら、さっさと車に乗らないと、俺たちまで爆発に巻き込まれるだろ。俺は、自分が仕掛けた爆弾で死んじまうなんて自虐的なマネはしたくないんだよ」
「ナシル……?」
彼の常備品……のライフルの銃口がミルドレッドの背中に向けられていた。
このライフルには、いつも民族衣装のどこに入れてるんだろうと疑問を持ってしまうが、それはさておき、言葉遣いまで荒っぽくなって、いつもと全然違うじゃないのと、お嬢様は、再び、拠無き王族に視線を向けた。切れ長の瞳が嫌な光を放っている。すると彼女の脳裏に聖堂美術館で、爆弾事件が起きた時に、彼が東洋マフィアを撃ち殺した時の残酷な瞳の色が浮かんできたのだ。
爆弾……ナシルが仕掛けたって……?
「ナシル、まさか、あの時、聖堂美術館を爆破したのって?」
すると、邪心に満ちた口元を彼は歪めて、
「ご名答。ちょっと、あんたたちを脅してやるつもりでやったのに、姿を見られるなんて。あのマフィアを撃ち殺したのは、いわば口封じってところかな。どうせだから、もっと詳しいことを教えてやろうか。シティ・アカデミアが経営に入り込んでくる前に、贋作村をしきってきたのは、”俺”だったのさ。中東の王族? 嘘はついていないぜ。俺の国は一夫多妻制だ。そのいくつにも別れた王族の家系図の末に俺の名前が載っているのは確かなんだから。とはいえ、家は落ちぶれていた。その上、画家になるにも俺には才能がなかった。自分の生まれと無能さに嫌気がさして、やけになっていたところを、俺の絵の知識をかって拾ってくれたのが、東洋マフィアだったんだ。今まで、俺の絵を散々に批評しやがった画商を騙して贋作を法外な値段で売りつけるのは楽しかったよ。中国の贋作村は俺にとっちゃパラダイスだったんだ。そんな至福の場所をシティ・アカデミアが奪いやがった」
「ナシルはもともと、東洋にあった贋作村の元締め……だから、あなたって贋作師のハン爺さんや贋作についてもやたらに詳しかったのね……おまけにキースの才能に嫉妬したあなたは、彼を成功させたくないばかりに贋作師に貶めようとした。待って! ということは……」
ミルドレッドは一瞬、口を閉ざしてから、
「……まさか、ハン爺さんもあなたが殺したの!」
ナシルにそれには首を横に振り、
「止めてくれよ。あんな老いぼれを殺してそれこそ、何得だよ。けど、あの贋作師、レイチェル女史の口車に乗せられて、イギリスに帰るなんて言いやがるから、ちょっとライフルで脅したら、心臓麻痺であの世行きさ」
「……何よ……それ」
その一瞬だけ、ミルドレッドの口元から漏れた彼女と違った声。それはすぐに元に戻ってしまったのだけれど。
「それより早くこの建物から離れようぜ。あんただって、コンクリートの下敷きなんてまっぴらだろ」
「ち、ちょっと、待ってよ! あなた、一体どこへ爆弾をしかけたの? こんな都会の真ん中で爆発事件なんて起こしたら、大惨事になるってこと分かってないの!」
正体を現した中東の王族は、小気味良さ気な笑みを浮かべて言った。
「大惨事……才能あるキース君なら、その場面をどんな彩色の絵にしあげるんだろうね。主色は砕かれた建物のダークグレイかい? それとも、飛び散り酸化した血のワインレッドだろうか。それが永遠に見れなくなるのは残念だけど。可愛いミルドレッド、君にだけは教えてあげるよ。爆弾はね、贋作村のお披露目に一番、相応しい場所に仕掛けてあるんだよ。まさに、何億円もの絵が炎と爆風で木端微塵になる場所に」
「フェルメールの真作ね! あんた、レイチェルが客に見せるために会場に持ってきた本物の”ヴァージナルの前に座る婦人”に爆弾をしかけたのね!!」
キースはナシルが言うような恐ろしげな絵は絶対に描かないし、それに、この世に30作余りしか残っていないフェルメールの真作(売れば1600万ポンド(約30億))!……いや、値段なんかじゃない……けど)に平気で爆弾を仕掛けるなんて、やっぱり、こいつは真の芸術家なんかじゃない。そうは思っても、ライフルの銃口を向けられたままでは何の抵抗もできず、ミルドレッドは、押し込まれるままに、パジェロの助手席に乗せられてしまうのだった。




