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12.天使の羽が降ってくる

 ミルドレッドたちが、グレン男爵の館を訪問していた頃、日が沈みだした西の山肌を背景にしながら、パトラッシュを乗せたリムジンが、ピータバロ市へ戻ってきた。


GPSの電波が届く限り、ミルドレッドお嬢様の命令なら、どこにでも参上する心意気の”カーンワイラー家お抱えの運転手”は、専用の携帯電話が鳴ると至福の喜びを感じるようになっていた。


「もう少しでシティ・アカデミアだけど、犬一匹と肖像画だけのために、リムジンを出すとは、うちのお嬢様も太っ腹になったもんだ」


 この運転手は最近では、より遠く、見つけにくい場所へ呼んでもらうことに喜びを感じているようだった。

 ところが、町の中央に入り聖堂美術館通りをリムジンが通り過ぎようとした時に、突然、パトラッシュがくわんと激しく吠えたのだ。


 驚いてブレーキを踏んだ運転手。その隙をついて、中型犬は、肖像画を包んだ袋をくわえて、外へ出て行ってしまった。


 わぉんっ!


「あっ、駄目だったら!」


 キースの馴染みのカフェの前で、リムジンの方を振り返りながら”大丈夫”と、運転手に意思を伝える中型犬。


「仕方ないなぁ。後で叱られるのは私なのに」


 運転手は、無理にパトラッシュを車に乗せることもできず、困り顔でシティ・アカデミアに帰ってゆくのだった。


*  *


 夜になって、イヴァンとミルドレッドも、シティ・アカデミアに戻ってきた。


「キースどころか、パトラッシュも戻ってきてないわ!!」


 アトリエの扉を開けたミルドレッドは、あるじが帰らず、閑散とした部屋の様子に、泣き出しそうな声をあげた。


「そんな声を出すな。運転手が、あの犬は、美術館通りのカフェでリムジンから降りていったと言ってたじゃないか。馴染みの店で餌でももらってゆっくりしてるんだろ」


 開けた窓から入る生ぬるい風が揺らすカーテン。その上にイヴァンの影が小刻みに揺れてる。その足元には、キースが大切にしている”少女の肖像画”が、置いてあった。


 キースにとっては、この肖像画はすっごく大切……


 贋作村フェイクビレッジでこの少女の別の肖像画を見つけた時の青年画家の琥珀色の目の輝きが、ふと頭をよぎる。それが余計にミルドレッドを焦らせた。


「そうだ! もしかしたら、キースはカフェの方にパトラッシュを迎えに行ってるのかも。私、今から行ってみる!」


「おい、もう夜の10時だ。明日にしろよ。あの界隈は治安も悪いし、お前みたいなお嬢様の出歩く時間じゃない」


「明日はプレゼンの準備でロンドンに行かなきゃならないのよ。心配なら、イヴァンが一緒についてきてくれればいいじゃないの」


 ほとんど泣きわめいているような少女にイヴァンは顔をしかめ、カーテンを少し開き、外の様子を伺うように窓の外に目を向けた。


「わがままを言うな。こんな月のない夜には、こちらだって夜の雰囲気に引きずり込まれてしまうかもしれないんだ。命の保証なんてできないぞ」


 ミルドレッドは腑におちない顔をした。そりゃ、数年前には切り裂き魔が出没する事件なんかもあったけど、最近じゃ、そんな物騒な話もめっきり聞かなくなったじゃないの。


「だって、だってね……携帯電話をかけても出ないし、アパートにもいないのよ。いくらなんでもキースがここまで姿を消してしまうなんておかしすぎる」


 どうしても、引き下がろうとしないミルドレッド。ため息を一つ漏らすと、黒いレザースーツに身をつつんだ男は、花柄のワンピースの少女の前に平伏すように膝をおった。そして、ミルドレッドの肩をそっと両の手で包み込んだ。彼女の耳元で囁くように言う。


「こんな静かな夜は、闇にうごめく妖を伴うより、深い眠りを誘う天使の羽の中で眠る方がいいんだよ」

「天使?」

「そう。柔らかな天使の羽が空から降ってくるから」

「天使の羽が……?」


 その時、垣間見たイヴァン・クロウの微笑みがとても柔らかで、ミルドレッドは、頬をピンクに染めてしまった。ふと、ふわりとした感触を肌に感じ目線を上にあげてみる。……と、


 突然、目に映し出された白い光 


 天使の羽?


 本当だぁ……純白の羽が空から降ってくる。羽毛の掛け布団みたいに。


「だから、面倒なことは全部明日にして、もうおやすみ」


 イヴァンが、瞼に軽く口づけると、ミルドレッドは猛烈な眠りに襲われてしまった。


 寝入ってしまったミルドレッド。だが、イヴァンが、彼女を抱え上げようとした時、彼女が、ぱっちりと目を大きく見開いたのだ。漆黒の瞳を煌めかせて少女は言う。


「くすっ、天使の羽だなんて、笑っちゃうわ。こんな夜中に、イヴァン・クロウと歩くなんて、それこそ、餌食ってもんよ。だって、”人殺しが人を殺すな”なんて、おかしな契約をしたもんだから、あなた、きっと血に飢えてる。それにキースのことだって、一体、彼をどこに隠しちゃったのよ」


 イヴァン・クロウはミルドレッドを支えたまま、窓の下の少女の肖像画にぎらりと視線を向け、

「お前、アンナか。懲りもせず、また、このお嬢ちゃんに乗り移ったな。あの青年の行方なんて知らないさ。それに、あの青年画家をあの世につれてゆきたがってるのは、俺じゃなくてお前の方だろ」


 抱きかかえていた少女を床に下すと、先ほどとは打って変わった冷たい眼差しでイヴァンは言う。


「俺が血に飢えてるなんて下世話な言い方はやめてもらおうか。少し過去に飛べば、この町だって、戦火と、迷信と暴力で人々が勝手に殺しあっている時代なんだ。別に獲物に不自由はしないね」


「あなた、キースとの契約を破るつもりなの」

「約束は守ってるぜ。だが、どうやら契約続行も難しくなってきたようだ」

「無責任な話。それに、あなたの話はいつも残酷だわ」


「この世は無責任で残酷なものと相場は決まってる」


 不満げに頬を膨らませた少女。すると、イヴァン・クロウは、少し俯き、赤みががった灰色の瞳を微かに曇らせた。


 だから……僕は天使を待っているんだ。


「え、今、何か言った?」


「別に何も……。俺はもう行く。お前も戯れに人の体に入り込むのはやめて、さっさと、そのお嬢様をベッドに連れて行ってやるんだな」


 その瞬間に、冷たい風が吹き、バイクスーツの男の姿はかき消すように見えなくなってしまった。


「何よ、愛想のない奴! もう少し、色々と話したいことがあったのに!」


 アトリエの天井から一片の白い羽が舞いながら落ちてくる。ミルドレッドの中のアンナは、それが床に落ちる様を見ていたが、


「何にしても、あいつに取られる前にキースを探さなきゃ!」

と、ミルドレッドに入り込んだまま、寝床がある宿舎へと向かうのだった。


*  *


 ぼんやりとした朝がきた。


 こんなことって、ある?


 昨日の夜にアトリエで、イヴァンと話をしていたまでは覚えているのに、知らぬうちに自分のベッドにいたなんて。

 ミルドレッドは、首をかしげながら、シティ・アカデミアの正門で白いパジェロを待っていた。

 今日は、贋作村のプレゼンの準備でロンドンまで行かねばならなかった。その前に聖堂美術館通りのカフェで、朝食でもとろうよと、王族のナシル・ビン・アッサウド・サウードから誘いの電話がかかってきたからだ。


 イヴァンはいつの間にか姿を消してしまったし、ナシルだって、あんなきわどい事があったすぐ次の日に、また迫ってくるほど、(まさかね……)女の子に飢えてるってわけじゃないだろう。それに、行方不明のキースの行き先で心当たりがあるのは、あの古びたカフェくらいしかなかったのだ。


 しばらくすると、白いパジェロから手を振る、女の子に不自由なんて全然してなさそうな涼しげなイケメンの王族 ― ナシル ― の姿が見えてきた。


「キース君が帰ってないんだって? プレゼンの準備で、先にロンドンへ行ってるんじゃないのか。得意客へのお土産の贋作を、手配するとかいってたから」


 車中で爽やかな笑顔を見せる王族の出で立ちは、今日も民族衣装ではなくて、Tシャツにブレザーをひっかけているラフなスタイルだった。淡いパープルのフレアスカートにオフホワイトのカーディガンをはおったミルドレッドは、お愛想程度の笑顔を作る。だが、心の中は沈みこんでいた。


 美術館通りの露店の古びたカフェに降り立った二人は、どう見ても、お似合いのカップルにしか見えなかったのだが……


「パトラッシュ!!」


 店の奥から尾を振りながら飛び出してきた中型犬の元気な姿に、お嬢様はようやく笑みを浮かべる。


 けれども、

「やっぱり、キースはここにも来てないの。電話もないの?」


 ……一体、どこへ行っちゃったのよ。


 わおんと、一声たててから、パトラッシュが店の中へ走りこんでゆく。それについて行こうとしたミルドレッドを


「ちょっと、どこへ行くの。朝食の用意ができたよ」

 と、ベーコンエッグとコーヒーのよい香りを運んできたマスターは、ぐいと腕をつかんで、有無を言わさず、テーブル席に引きもどすのだった。



「ところで、お嬢ちゃんは15歳って聞いたけど、本当かい。えらく大人っぽく見えるねぇ。おまけに美人だ。連れはいい男の上に、中東の王族っていうんだから、キースみたいな若造を気にしなくてもいいんじゃないの」


 席についたミルドレッドとナシルに、髭面のマスターが愛想良く話しかけてくる。


「べ、別にキースなんか、気にしてないわ。でも、連絡がとれないと、プレゼンの準備ができないでしょ。それだけなのよ……あんな貧乏画家なんて、私は、全然、全然、本当に全然っ、興味ないんですからねっ」


 マスターは意味深に笑う。

「けどさ、キースってあれでも、露店商時代は女の子に人気があったんだよ。彼、目当てに絵を買いにくる子もけっこういたりして」


 すると、ナシルは興味津々で、

「へぇ、意外とすみにおけないな。確かに彼の琥珀色の瞳は、魅力的だよ。なら、今までに浮いた話の1つや2つはあったんじゃないのか」


「それが、あいつって、まるでそういうことには疎くて……あ、でも、何年か前のクリスマスイブに、すごく可愛い女の子と古い洋館で一晩過ごしたんだって、自慢げに言ってたな」


 ちらりと反応を探るように、マスターはミルドレッドの顔を見る。


 古い洋館で一晩ですって!


 R15+……いや、R18指定くらいの映像が、危うく脳裏をめぐりそうになる。


 駄目、駄目っ、私の馬鹿っ。お嬢様は慌てて、首をぶるんとふり、


「そ、その女の子って、アンナって名前なんでしょ。携帯で二人が話してたの聞いたことがあるもん。けど、もの好きもいいところね。あんな無神経な奴とクリスマスイブを一緒に過ごす女の子がいたなんて!」


「アンナ? そういえば……」


 カフェの隅に置いてあった、少女の肖像画を指差し、ナシルが言う。


「さっきから気になってたんだが、何でその絵がここにあるんだい。その絵って、僕がキース君にプレゼントした肖像画だよね。確か”アンナ10歳”ってタイトルの」


「ああ、昨日、パトラッシュが持ってきたんだが……もしかして貴重な絵だったのかい」

 だが、マスターの言葉にナシルは、

「残念ながら、その絵は名もない贋作師が自分の娘を描いただけの作品だ。彼はイギリスの巨匠画家、ターナーの隠し子だって吹聴してたけど、それも見栄から出た嘘だったんだろうな」


 ”贋作師”が自分の娘を描いただけの作品?


 その時、ミルドレッドの体がびくんと硬直した。


 固まってしまった少女。


「ミリー、どうしたの? そろそろ、出発しないと、遅くなる時間なんだけど。キース君を探すのは、ほどほどにしてもう行かないか」


「……」


「ミリー?」


「え? あ……そうね」


 ぱちぱちと目を瞬かせると、ミルドレッドは、再び、元の調子を取戻し、

「言っときますけどね、私はキースなんて、もともと、どうでも良かったんだから! ここにはパトラッシュを迎えに来ただけ。だから行きましょ、遅くなるんでしょ。ほら、パトラッシュも早く、車に乗って!」


 まだ、カフェに滞在していたそうな中型犬を無理矢理、パジェロに押し込んで、自分も助手席に乗り込むのだった。


*  *


 去ってゆく白いパジェロを見送りながら、

「あの娘は、5年後は絶世の美女になるだろうけど、気が強すぎるよ。キースも大変な娘に見込まれたもんだなぁ」


 マスターは苦い笑いを浮かべながら、テーブルを片付けにかかった。


 しかし、あの中東の王族ってぇのも、どうも胡散臭い感じがしてならないな。


 そんな風に彼が眉根を寄せた時、店の奥の壁と床がガタガタを音をたてだした。

 すると、


「……もう、行った? ……みたい?」


 店の奥から小麦色の髪の青年が、おずおずと顔を出したのだ。


「おい、まだ、寝てろよ! その風邪、こじらすとやっかいだぞ」


 不満げな琥珀色の瞳を青年はマスターに向ける。

「風邪をひかせたくないんなら、何で俺が海に落とされる前に助けてくれなかったんだよ」


「だってよ、マフィアのことを裏ネットで色々と探ってたら、シティ・アカデミアの専属画家”キース・L・ヴァンベルトを名指しで始末しろって依頼が飛んでるじゃないか。大急ぎで奴らに成り代わって現場へ行ったはいいが、命令をへたに変更するのも怪しまれるだろ。仕方なかったんだ。一旦、海に捨てさせて、後で助けるしか、いい方法がなかったんだよ」


 これまで謎だったマスターの過去。助けてもらったことを機に、それを聞いた今では、スコットランドにいるグレン男爵に助力を頼むより、彼に手助けしてもらう方がずっと事は上手くゆくとキースは思った。

 それは別として、北海の水は物凄く冷たかったんだと、大きなくしゃみを何度もしながら、マスターに非難の目を向けるのだった。

 ティッシュの箱を抱えながら言う。


「それはそうと、マスター、俺たちで練り直した計画のことだけど……贋作村から届いた贋作、ちゃんと言った通りの場所に届けてくれた?」


「それはもうバッチリ。贋作村のプレゼン当日が楽しみだぜ」


「そう、なら、あとはシティ・アカデミア側に手回しをすれば完璧だな。それと……大スポンサーにも会ってこなくっちゃ」


 これが一番の難関なんだと、青年画家は顔をしかめた。気は乗らなかった。できれば彼には会いたくなかった。

 

「なぁ、キースよ、これが上手くゆけば、手には入れれなくても、シティ・アカデミアをぶっ潰すことくらいはできるかもな。久しぶりの大仕事で血がたぎるぜ」


 けれども、マスターは、キースの憂鬱など、どこ吹く風のようで、大の乗り気で、力強くこぶしを強く握ってみせるのだった。



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