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11.イヴァン・クロウの正体?

「ナシル、ごめん。今日は一人で帰って」

 彼と目を合わせるのを躊躇しながら、ミルドレッドが言った。


「え、でも、君は、そんな危ない男と一緒に帰るつもり?」


「イヴァンは危なくなんかないわ」


 ナシルは不満そうに唇を開こうとしたが、ここは大人しくパジェロに乗りこんでいった。その後に、

「帰ったら電話おくれよ。あ、それと、この”女の子の肖像画”は、君が持って帰って。僕にはもう必要ないから」と、無造作にキースが欲しがっていた肖像画を窓から差し出した。


*  *


 白煙をあげて白い車が遠のいてゆく。視界からその姿が消えるや否や、ミルドレッドは、イヴァンの腕にすがりつき、

「イヴァン、ここからグレン男爵の館のあるダンバーまで、バイクでぶっ飛ばしてどのくらいかかる?」


「ダンバー? 確か、ここからだと北へ行って……俺一人なら、10分っていいたいけど、お嬢ちゃんと一緒だと30分」


「何で私と一緒だと30分もかかるのよ! 20分で行って!」


 イヴァンは、凄まじい剣幕で迫ってくる少女に苦い笑いを浮かべる。


「でも、何だってそんなに急ぐんだ」


「だって、だって、キースは絶対に、一人でグレン男爵の館に行ったに決まってるんだから! こんなに胡散臭いことが、いっぱいだっていうのに、何も起こらないわけがないじゃない!」


「ふぅん、あの画家が心配なのか」


「何でそんなに落ち着いてんのよ! イヴァンはキースの用心棒なんだから、もっと彼のことを心配なさいよ!」


「まぁな……でも、今頃は、北海あたりに捨てられてたりして」


 実際に、キースはそうなってしまっているのだが。


 意味深な顔をする彼を恨みの目で睨めつける少女に、イヴァンは微笑まずにはいられなかった。……が、上着の裾をつんと引いた中型犬に気づき、


「こいつはどうする? 犬までバイクに乗せるわけにはゆかないぞ」


「大丈夫よ。この肖像画と一緒に、うちのお抱え運転手に任せるから」


 ミルドレッドは携帯電話を取り出して、こともなげに言う。


「ああ、運転手さん、そっちのリムジンに最新式のGPSついてるわよね。今、エディンバラから南へ行った所のドライブインにいるの。こっちの位置を調べてすぐに来て。私はいないけど、パトラッシュに携帯とそれと、ナシルにもらった絵を預けとくから、ちゃんと連れて帰ってね」


 そして、ドライブインのおじさんに、100ポンド紙幣を、適当に握らせると、(100ポンドは約1万3千円)

「おじさん、2時間ほどでうちの運転手がこの犬と絵を取りに向かえにくるから、ちょっと預かってて。ただ、怪我をさせたり、逃がしたり、失くしたりしたらこれ、貴重な犬と絵だから賠償額は高くつくわよ」


「ひえっ、分かりました。お嬢様、気をつけて預かりますよ」


 そして、黒塗りのゼファー1100の化身のようなライダーと花柄ワンピースのお嬢様は、北に向けて大爆走していった。


「何とも不釣合いな二人だな」


 2時間後にやって来た運転手付きの豪華リムジンに、颯爽と乗り込んでゆくパトラッシュを見て、そう言った店主が目を白黒させたのは言うまでもなかった。


*  *


 道中で、ミルドレッドは、大声でイヴァンをけしかける。


「もっと早く! このバイク、中古?! もっと飛ばしても、私、ぜんぜん、怖くなんかないし」


「どこの暴走族の女王様かと思われるぞ。出せば時速300キロはでるが、そんなに出したらお嬢ちゃんの首が吹っ飛んじまう」


 それにしてもと、イヴァンは問うた。


「お前、何で、今更グレン男爵にこだわる。あの男が胡散臭い商売をしてたのは、とうの昔に分かっていたことじゃないか」


「男爵とマフィアの関係をもっと詳しく知りたいの。それと、あの女の子の肖像画!」


「肖像画?」


「グレン男爵の息子のウィリアムをフェルメールの絵から出す代わりに、キースが男爵からもらった女の子の肖像画。贋作村の贋作師のアトリエにもあの女の子の肖像画があったのよ。さっきのがその1枚。あれを見つけたとたんに、キースったら、ぼうっとしちゃって。キースはあの肖像画に拘る理由、それって何?」


「さあ、今度はあいつが可愛い女の子の絵にとりつかれちまったんじゃないのか」


 淡々と答えるライダーを、冗談じゃないわと、ミルドレッドは上目使いに見る。


 そういえば、前に、この男もあの少女の肖像画を見たがってた。みんな、そろってロリコン? そんなことはないわよね。


 そうするうちに、黒塗りのバイクは、深い森の中にある館の敷地に入っていった。


* *


 グレン男爵の館は、以前、ロンドンの郊外に構えていた酔狂なデザインの豪邸とはうって変わって、閑静で緑豊かな森に囲まれて建っていた。

 質素な門構えを見ても、生活ができるだけの資産を残して、全部の財産を放棄したというのは、まるきり、嘘ではなかったようだと、ミルドレッドは一応、感心した。

 広間へ案内されながら、イヴァンに言う。


「何たって、絵の中の婦人に固執して出てこなかった息子を、キースの腕前を発揮して、外の世界にもどしてやったんですからね。恩人の頼みとあっちゃ、邪険にするわけにはゆかないでしょ」


* * 

 息子のウィリアムと姿を現したグレン男爵は、大人っぽくなったミルドレッドに目を輝かした。


「これが、あの時の小さなお嬢さんとは! 綺麗になられて、もう立派な淑女レディですな」


 ミルドレッドは、すっかり、田舎風な叔父さん風に成りを変えてしまった男爵を見て、

「グレン男爵は随分と牧歌的に……、いや、えっと、ウィリアムの方はずいぶん背が伸びたのね。見違えちゃったわ」


 3年ぶりの再会を喜び合う中にも、グレン男爵は見知らぬ黒ジャケットの男に、即、油断のない視線を向けた。もともとは裏世界にどっぷりつかっていた男なのだ。怪しい雰囲気には反応が早い。


「そちらの方は?」


「イヴァン・クロウ。私のガードマン兼、彼氏みたいなもん。一人じゃ心細いんで一緒についてきてもらったのよ」


 グレン男爵は、意外そうな顔をした。


「おや、君の彼氏ってあのキース君じゃなかったのかい。そういえば、彼はどうしてる? 時々、展覧会で彼の絵を見るよ。贋作以外でも、大変な才能を発揮してるじゃないか」


「えっ、キースって、こちらに来てないの」


「おや? そんな話は聞いたこともないが」


 一瞬、言葉に詰まってしまったミルドレッド。ウィリアムに視線を向けても、彼は小さく首を横に振るだけなのだ。


 キースはここには来ていない……。なら、どこへ行っちゃたのよ。


 泣き出しそうな顔をした少女に気づくと、今度は、グレン男爵の方が、彼女とイヴァンに席をすすめながら質問してきた。


「……で、今日は何を知りたくて、ここに来たんだい。どうせ、シティ・アカデミアが計画した贋作村フェイク・ビレッジに、東洋マフィアが絡んできてとかいう話なのは想像がつくけど」


 紅茶を運んできたウィリアムから、カップを受け取り、ミルドレッドが、言う。


「ありがとう。ウィリアムが入れてくれるなんて、メイドさんを使ってないのね。それはそうと、贋作村の経営権は法的にも正式にグレン男爵からシティ・アカデミアに譲渡されたものなのでしょ。それなのに、何で何時までも、マフィアが襲ってくるのよ」


「そりゃ、法的にはきちんとしていても、贋作村からの上がりをピンハネしていたマフィアの下っ端にとっちゃ、恨み真髄だろうな。特にそのチンピラたちをまとめてた元受は、ひどい損害なんじゃないのか。よほどの安全対策をしないと、この襲撃はしばらくは治まらないと思うが」


 人の悪い笑みを浮かべるグレン男爵。そんな事情をすべて知っていて、シティ・アカデミアに贋作村の覇権を譲り渡したのかと思うと、契約を彼と交わしたレイチェルって、つくづく馬鹿な女。ミルドレッドは眉をしかめる。


「どうぞ」


 グレン男爵とミルドレッドが、あやれこれやとマフィア談義を続けている間にウィリアムは、イヴァンに紅茶を差し出しながら、じろりと彼の顔を見つめた。


「何だ? 俺の顔に何かついてるか」


「あ……ごめんなさい。あなた、以前にシティ・アカデミアのアトリエで会った人だなと思って。ほら、偽物のフェルメールの絵の中の僕に気づいて、“本物のフェルメールはもっといいぞ”って話かけてきた人だよね」


「絵の中のお前に? さあ……そんなオカルトみたいな話に覚えは俺にはないが」


 淡々と答えて、紅茶をすするイヴァン・クロウ。腑に落ちない表情で彼にもう1度、視線を向けたウィリアムは、イヴァン・クロウの後にあった大鏡を見て、ぎょっと、青い瞳を大きく見開いた。


 ミルドレッドとグレン男爵の話は続く。


「もう1つ、聞いてもいいですか。”ナシル・ビン・アッサウド・サウード”グレン男爵は、この男を知ってますか」


「何だ、その長ったらしい名前は? 中東の王族か何かかね」


「……ってことは知らないんですね。彼は、こちらの贋作村フェイクビレッジの最大のスポンサーなんだけど、普段の柔らかい物腰とは違って、平気でマフィアを撃ち殺したり、……突然、私に迫ってきたり……何だか変なのよ」


「はぁ? 知らん、知らん、そんな変態じみた男のことは。あのレイチェル嬢も相変らずだな。そんな胡散臭いスポンサーを探してくるとは。それに、もう、わしは美術界からは引退した男だからね。あまり危ない話には係わり合いたくないんだよ」


「そうですか……」


 だが、レイチェルたちが、贋作村のプレゼンテーションをもう1度、ロンドンで開くと、ミルドレッドから聞くと、グレン男爵は、気が気でなくなってしまった。他人ごとのような顔をしていても、自分が譲渡した贋作村のプロジェクトで、シティ・アカデミアに失敗してもらっては困ると考えていたからだ。


「分りました。グレン男爵とウィリアムが元気で、こんなにのんびりと過ごせてるって分っただけでも、今日は来て良かったわ。……でも、帰る前にもう1つだけ、質問!」


「な、何だね。急に身構えて」


 男爵は、突然、強面の顔をした少女にびくりと身を縮ませる。


「あの“少女の肖像画”とキースとの関係よ! 何で、キースはあの肖像画にこだわるの。少女っていったって、あれは、30年も40年も前に描かれた絵なのに」


 すると、グレン男爵は、人の悪い笑いを浮かべていった。


「それは、あの青年キースか、町のエクソシストに聞いた方が良いかもしれんな。ちょっと、話が面倒になってくるから」


「町のって、あの怪しいエクソシスト? やっぱりオカルトもどきの話なの。キースがあの女の子にとりつかれてるって話なら、聞きたくもないんだけど」


「まあ、普通じゃちょっと考えられない話だからね。しかし、今、ここで、私たちの話を聞いても、何も得るものはないと思うよ。なら、早く帰った方がいいんじゃないかね。もしかしたら、キース君の方が君たちより早く、シティ・アカデミアに戻っているかもしれないし」


 そう言われてみれば、そんな気もして、ミルドレッドは一刻も早く、シティ・アカデミアに帰りたくなってしまった。


「ありがとう! とりあえず、今日は帰ります。けど、また、力になってもらうことがあるかもしれないので、その時はよろしく!」


 イヴァンを急かすと、そそくさと、男爵親子に別れを告げ、館を出て行ってしまったミルドレッド。


*  *


「何とまぁ、忙しいお嬢さんだ」

と、親子は呆れ顔で彼らの後姿を見送ったが、


「ねぇ、パパ……、オカルトって信じる?」


「何だい、ウィリアム、急に? そんなものって言いたいところだが、実際……お前がフェルメールの絵に入り込んでいたのを見てしまったからねぇ、信じないわけにはゆかないだろ」


「なら、パパ……これから僕の言うことも信じてくれるよね」


 いやに真剣な眼差しの息子を男爵は訝しげに見やる。


「あの黒いジャケットのイヴァンって男……僕は以前に、シティ・アカデミアのアトリエで、あの男に会ったことがあるんだ。あいつは、フェルメールの贋作の中に入り込んでしまった僕に、平然と話しかけてきた。他の人間が誰も気づかなかった時にだよ……それに、さっき、僕が紅茶を運んで行った時、あいつは、あいつの姿は大鏡に……」


「大鏡?」


「広間のテーブルの後にある鏡だよ」


「それがどうかしたのか」


「……映ってなかったんだ。鏡にあの男の姿が。映っているのはただ、宙に浮く紅茶のカップばかりで……」


 一瞬、グレン男爵は言葉を失ったかのように、広間の大鏡に目をやった。もう1度、ウィリアムを目を合わす。けれども、直後に電話を手にとり、


「すぐ、あのエクソシストに連絡を! キース君が姿を消したり、あの曰くつきの少女の肖像画にしても、何か悪いことが起こる前触れかもしれない


 

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