10.お約束通りの敵の罠
ちょっと、待ってくれよ! これってお約束通りの“敵の罠”ってやつ?
どさりと落ち込んだ暗闇の中で、キースは手足をバタつかせた。
幸い、落ちた場所は毒ヘビが待ち構えてるとか、剣がてんこ盛りになっている場所ではないようだが……
どこに落とされた? やけに廻りが、がさがさしてる……。
上に行こうともがいても、体はどんどん下へ沈んでゆくばかりだ。鼻につく印刷のインクの臭いに眉をしかめ、やっと目が慣れて、顔にかかる異物を見てみると、
丸められたタブロイド紙に、雑誌、コピー用紙。
これって、紙ゴミ?
まさか、俺、ゴミ箱の中に突き落とされたんじゃ……。
生ゴミの中よりはましな感じもしたが、そのゴミ箱が、大きなエンジン音と共に、突然、移動しはじめたのだ。キースはその時、自分が突き落とされた場所をやっと理解することができた。これって、駅のゴミ収集用のトラックの荷台の中か。それが分れば、向かう先は自ずから知れてくる。ゴミはゴミ処理場に持ってゆくに決ってる。
ってことは、俺……処理場でゴミと一緒に燃やされちまうのか!
目茶目茶にキースは焦った。けれども、身動きがうまくできない場所ではどうすることもできない。
こんなことなら、無理にでもイヴァンを連れてくるんだった。
脳裏に用心棒を依頼した男の姿が浮びはしたが、今頃、そんなことを後悔しても、もう遅いのだ。大混乱する青年画家とゴミを乗せたトラックは、エディンバラの古い町並みを抜けて、工業地帯へと続く道路を経由し、北海へ続くフォース湾への湾岸線を猛スピードで走っていった。
さぁ、どうする? どうするって言ったって、ここを脱出するなんてスパイ映画もどきの技能は俺には備わってないぞ。
焦りすぎて、何もかもが分からなくなってしまったキースの耳元に、その時、潮の満ち引きする音と、甲高いカモメの声が響いてきた。
海? このトラックってゴミ処理場へ向かってるんじゃないのか……。すると、突然、トラックの荷台に明るい日差しが差し込み、それが斜めに傾いたではないか。体が一緒に荷台に納められていた紙ゴミと共に明るい方向へ滑り落ちてゆく。そして、突然、開けた足元には……弾ける波?!
まさか、このトラックってゴミを海へ不法投棄してやがるのか!
ヤバすぎるよ!
俺、捨てられる!! ゴミと一緒に北海の中へ!
* *
海へ不法投棄されてしまった青年画家。その様子を湾岸線のガードレール越しに眺めていた一台のバイクがあった。
黒塗りのkawasaki ゼファー1100。
トラックは、荷台を空にするとそしらぬ様子でエディンバラの方向に走り去ってゆく。
バイクと同色のウェアに身を包んだ男は、沈んでゆく彼の依頼者に冷ややかな灰色の瞳を向けると、面倒臭そうに呟いた。
「やれやれ……用心棒の契約者を変えないとな」
そして、ゼファーを海と反対方向に走らせてゆくのだった。
* *
一方、パジェロの中で、中東の王族に迫られたミルドレッドも、キースに負けないくらいに焦っていた。
もうっ! 乙女の危機に駆けつけてくれる騎士なんて、どこにもいやしない!!
その時、わぉんと、後部座席から毛むくじゃらの物体が、彼らの間に飛び込んできたのだ。
「あっ、こら、止めろっ!」
息をつく暇もあたえず、ナシルの頬をなめまわす中型犬。
「パトラッシュ!!」
その犬は、絶体絶命だったお姫様に茶色い瞳を煌かせる。
“パトラッシュ~。あんたって最高の騎士!だわ”
ミルドレッドは、くわんと鳴いた中型犬をぎゅっと抱きしめたくなってしまった。だが、むっつりと座席に身を起こしたナシルを見やり、
「あ、あのっ、私、ちょっと、外、外の空気を吸ってくるねっ」
すると、ナシルは、慌てて外へ飛び出していった少女に、大声で叫んだ。
「ミリー、ごめんっ! もう、こんな馬鹿なまねは二度としないから!」
けれども、振向いたミルドレッドは、どうにか笑みを作りながらも、近くのドライブインに向かって、思い切りダッシュしてしまうのだった。
走りながら、ものすごく反省する。だって、こんな時に百戦錬磨なレイチェルなら、いとも簡単にナシルを手玉に取ってみせるだろうに。あんなにあからさまに拒否するのはマズかったなんて、ますます頭の中は大混乱になるばかりだった。
ミルドレッドがパジェロを出ていった後、車の中の雰囲気は最悪に近い状態になっていた。
「おい、犬公、外に出ろ!」
さすがにこれはまずい。パトラッシュは耳と尻尾をぴんと立て、最大級の警戒体勢で、パジェロの外に出た。
その直後にナシルは、座席のライフルを掴み、目の前の中型犬にがちゃりと照準を合わせた。
くわんっと、大きな鳴き声をあげたパトラッシュに、
「何だよ、その反抗的な声は? あれだけ、俺を小家にしておいて、無事に済むなんて思ってないんだろ。ここでお前を撃ち殺して、死体は崖の下に蹴り落としてやる。ミリーには逃げていったとでも言っておくさ。キース君には悪いけど、それが、おせっかいな相棒を持った報いってもんさ」
がちゃりとセーフティレバーを引いて、銃口を獲物に向ける。この男は東洋マフィアだって平気で撃ち殺した男だ。パトラッシュがどんなに敏捷に彼に飛び掛っても、スーパードッグじゃないんだから、ライフルの弾より早くなんて動けない。絶対絶命の危機……と、その時、
「……!!」
ナシルは右腕に鋭い衝撃を覚えた。見れば、ライフルを握った腕に裂傷ができ血が流れている。
辺りに響くけたたましい空冷4気筒のエンジン音。それを聞いたとたんに、パトラッシュが、飛び跳ねるように、その方向へ駆けていった。
黒塗りのゼファー1100。
「お前か、これを投げたのは」
ナシルの足元に1本のハンティングナイフが落ちていた。
「……お前、聖堂美術館であった男だな。確か……名前はイヴァン・クロウ……けど、何でここに……」
すると、イヴァンは、
「……何故って、俺はその犬の用心棒だからさ。それより、俺の名前を気安く呼ぶのは止めろ。そんな風に声にされると、お前を殺してしまいたくなる」
「何をふざけたことを!!」
その瞬間、中東の王族が放ったライフルの弾がイヴァンの頬を掠めていった。彼の頬を伝う鮮血にナシルは、皮肉な笑いを浮かべ、
「あまり訳の分からない御託を並べると、今度は、お前の頭を派手にぶちぬくぞ」
「へぇ、なら、そうすればいいのに」
そのイヴァンの言葉が彼の苛立ちを最大限に爆発させてしまったのだ。
「目障りだ! 俺の目の前からさっさと消えろ!」
再び、ライフルを向けてきた王族に、イヴァンはせせら笑う。
「撃ってみろよ。その瞬間に、お前はあの世行きだ」
頬をつたわる血を舌でぺろりと舐めた後で、赤みががかった灰色の瞳を王族に向ける。異様なほど暗く冷たい眼差しに、ナシルは一瞬、ライフルの引き金にかけた指の力を緩めてしまうのだった。
その時、
「ナシル、お待たせっ、あれっ、何でここにイヴァンがいるの」
気を取り直して、ドライブインから戻ってきたミルドレッドは、慌ててライフルを後ろに隠したナシルを腑に落ちぬ顔をした。けれども、イヴァンの姿を目にしたとたんに、ほっと表情を和ました。ナシルが畏れたのとは真逆に、イヴァンがいると、彼女は、何となく安心してしまう。
「何故って、俺は用心棒だから、どこにでも現れるのさ」
なっと笑って、傍にいた中型犬の頭をなぜるイヴァン・クロウ。そんな彼に、パトラッシュも最大限の信頼をこめて、わおんと鳴いてみせるのだった。




