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9.乙女の危機

 贋作村フェイクビレッジから車で30分ほどの町の駅で、パジェロから降りると、キースは窓越しに運転席のナシルと助手席のミルドレッドに言った。


「ここから列車に乗るんで、パトラッシュのことはよろしく。さすがにこいつを連れて列車には乗れないから。それと、お昼には、そいつにも何か食べさせてやってくれよな」


「はいはい。分かったから、さっさと行けば」


 つんと冷たいそぶりで手を振るお嬢様に、困ったような笑みを浮かべると、キースはパトラッシュをぐいと傍に引き寄せ、


「お前、ナシルを見張ってるんだぞ。ミリーに何かおかしな真似をしやがったら、遠慮なんてしなくていいんだから」


 すると、彼の相棒は”分った”とばかりに、わおんと鳴いた。


 軽く手を振って駅の改札の向こうに消えてゆく青年画家。冷たくあしらったものの、彼の後姿にほのかな不安を感じて、ミルドレッドは表情を曇らせた。そんな気持ちを知ってか知らでか、


「行こうか」


 中東の王族は白々しいくらいに爽やかな笑顔を向けて、パジェロのアクセルを踏みしめるのだった。 


* *


 町の小洒落たレストランで食事を済ませた後で、ナシルとミルドレッドは、再びパジェロに乗り込んだ。お腹いっぱいのパトラッシュは後部座席で眠っている。


「田舎町にしては、立派な店だったけど、あの羊の胃袋に詰めた料理には驚いたよ。ミルドレッドには悪いけど、やっぱりイギリス料理は……僕の口には合わないようだ」


 申し訳なそうに肩をするめるナシルに、生粋のイギリス娘は人の悪い笑みを浮かべ、


「あら、私はけっこう好きだけど、要は慣れよ。まあ、イギリス料理の不味さは世界に知れ渡ってるし。あれはね、”ハギス”っていう、スコットランドの郷土料理なの。茹でた羊の内臓(心臓、肝臓、肺)のミンチ、オート麦、たまねぎ、ハーブを刻み、牛脂とともに羊の胃袋に詰めて蒸したプディング」


「う~ん、郷に入れば郷に従えって言葉もあるけど、あれは、やっぱり駄目だなぁ。僕は、まだ、修行が足りないのかな」


「あはは、気にしないで。イギリス料理の不味さは世界的にも有名なんだから。”ハギス”に関しては、世界の閣僚クラスでも、極めつけな話があるのよ。2005年に当時のフランス大統領がハギスを指して『ひどい料理を食べるような連中は信用がならないということだ』って発言して、イギリスの大衆紙は、これに猛反発。それなのに、当時のイギリスの外務大臣は、『ハギスに関してなら、大統領のご説はごもっとも』と言ってしまって、また大騒動。その上、アメリカの大統領までが、その年に開かれるエディンバラでの会合に『ハギス料理が出されることを懸念している』とジョークのネタにまでしてしまって……逆に考えれば、そこまで話題にされる”ハギス”ってすごい郷土料理だとは思わない?」


 にこりと笑みを浮かべたお嬢さまに、中東の王族は思わず吹き出しそうになり、


「料理はさておき、ミルドレッドの蘊蓄って政治にまで及んでるんだね。君と話してると、本当に楽しいよ。残念だな、キース君とも”ハギス”談義ができるとよかったのに……でも、突然、知り合いと会うだなんて、一体誰なのかな」


「……さぁ」と、ミルドレッドは、白を切ってみせた。彼の行く先は、十中八九、グレン男爵の館だと分っていたけれども、キースと男爵の関係をナシルに気づかれると後が面倒だ。何か別の話題はないかしらと、周りを見渡す。すると、後部座席に置かれた箱が目に入ってきた。


「あれって、もしかして、アトリエから持ってた品物? 中を見てもいい?」


 ナシルが頷くと同時に、箱に手を伸ばしたミルドレッドは、強く眉をしかめた。何故なら、


「これって、キースがハン爺さんのアトリエで見ていた絵じゃないの!」


 それは目下の彼女の天敵 ― あの“可愛い少女の肖像画” ― だったのだから。


「彼が言った売値の10倍だなんて、僕も少し大人げなかったと思ってね、その絵は、キース君にプレゼントするつもりで持ち出してきたんだ。そのモデルってすごく可愛い女の子だし、画家の彼が気に入るのも無理はないよ」


 そう、可愛い。可愛すぎるからムカつくのだ。何でわざわざ、この絵を持ち出してくるのよと、ミルドレッドは運転席を恨めしげに見やった。キースがこの絵を気に入ってるのは、絶対に画家としてじゃないんだから。それに、あいつはすでに、シティ・アカデミアのアトリエに同じ少女の肖像画をもう1枚、持っている。そのことも、ミルドレッドは、気が気でなかった。

 

 肖像画をまじまじと見つめている少女に、運転席の王族は、


「キース君にしても君にしても、随分、その絵にご執心のようだけど……ねぇ、ミリー、その肖像画とは別の絵が箱の中にもう1枚あるだろ。そちらもちょっと見ておくれよ。君の絵を見る審美眼って凄いって噂を聞いたから」


「もう1枚の絵?」


 ミルドレッドはナシルに促されて、箱の中から別の絵を取り出した。


「風景画ね……上手いわ。橋の向こうに見える海の小波や、反射する日の光も柔らかく描けていて技術的にはとても優れている。でも……」


「でも?」


「手法もモチーフも色々な画家の模倣のようで、チープな印象を受けるのよ。この作品にはオリジナリティがないわ。これでは、どんな展覧会に出したとしても入賞は難しいわね」


 すると、運転席の王族が、突然、高笑いをあげたのだ。


「ナシル?」


 腑に落ちない表情のミルドレッドに、


「やっぱり、君って噂通りに手厳しいね。そう、その絵の作者に才能なんてない。僕もそれは認めるよ。でもね、彼だって、昔は自分は才能を信じていたんだ。その夢が砕けた時の気持ちを想像してごらんよ。だから、僕は、キース君を見ていると、心配でたまらなくなってしまうのさ。あの青年は、画家としてよりも贋作師としての才能を伸ばしてやった方が、絶対に辛い思いをしなくて済む。僕が彼を何が何でも贋作村に呼び寄せたいって思うのは、そういう理由からなんだ」


 ナシルの苦くて寂しげな顔。何か変だなと、今までの彼の言葉を頭の中で反芻してから、ミルドレッドは、突然、表情を硬くした。何故って、分ってしまったのだ。


「ナシル、ごめんなさい。私、何も考えずに、ずけずけと、この絵に好き勝手な批評をしてしまって」


 薄く笑みを浮かべた王族に言う。


「この絵を描いた作者って……あなただったのね」


 ミルドレッドは、それと同時に気づいてしまったのだ。


 ナシル・ビン・アッサウド・サウード - 地位もお金もたっぷり手にした王族 -が、- ただの貧乏画家 - キース・L・ヴァンベルトにこれほど拘る理由に。


 ”心配でたまらないなんて、大嘘だわ”


 そんな彼女の心の呟きに気づいたのか、ナシルは眉をひそめた。するとその時、彼の胸元で携帯電話が鳴ったのだ。


「ちょっと、ごめん、取引先からみたいだから」


 パジェロを路肩の木立ちの下へ止めてから、携帯電話に出るナシル。


「そうか、後はそちらに任すから好きなようにしてくれよ……じゃ、また」


 ミルドレッドは、重苦しい話題を変えるチャンスと、話をビジネスの方向に切り替えようとする。


「仕事の話? 何かいい絵が手に入ったとか」


「ああ、すごく欲しい品があったんだけど、取り扱いが難しくってね。だから、破棄することに決めたんだ」


「そうなの? 何ならレイチェルに依頼して上手く取り計らえるようにしてもらいましょうか」


「いや、別にいいよ。1番、欲しかった物はどうやら手に入りそうだから」


 意味深な声音で、飛び切りの笑顔を向けてきたナシルに、ミルドレッドは目を瞬かす。何か様子がおかしい。彼の切れ長の瞳がやけに艶やっぽい。

 すると、ナシルが、助手席のシートを倒して彼女の肩に腕を伸ばしてきたのだ。ミルドレッドの心臓は跳ね上がった。


「ち、ちょっと、待って!!」

「駄目」

「あ、あのね、まだ、お昼、お昼よ!」

「お昼以上のことなんてしないよ」


 笑う王族。

 

 お昼程度のことだって、私には大問題なのっ。

 絶体絶命の状態に、ミルドレッドは焦りまくった。


 これは、逃げれないかもー。

 キースの馬鹿! 一人でなんかで帰るもんだからっ。


 こんな時には、颯爽とヒロインを助けにくるのが、主人公ヒーローってものなのだ。けれども、どう贔屓目に見ても、そんな展開にはなりそうもなく、お嬢様は心の中で声を荒らげた。


 キース・L・ヴァンベルト! 乙女の危機だっていうのに、何であんたはここにいないのよっ。


* *


 一方、ヒロイン(ミルドレッド)の危機など気づきもしないで、スコットランドの首都、エディンバラの中心駅、ウェーバリー駅まで列車を乗り継いできたキースは、構内の時刻表と睨み合っていた。


「この駅に来たのって、何年ぶりだろう。えっと、グレン男爵の館に行くには、ファーストスコットレイルに乗るんだっけ」


 複数の鉄道会社が乗り入れている、この駅は以前よりも路線が複雑になっていて、かなり分かりにくかった。谷底にあるホームの南に見えるエディンバラ城から続く町並みは、以前と同じ古い景観のままだったが、北側は、開発されて比較的新しい造りに様変わりしていた。


 ようやく目的地への列車を見つけて、それに乗り込もうとした時、


「キース、ちょっと待てよ」


不意に後ろから肩に手をかけられて、振り返った彼は目を瞬かせ、


「マスター!? でも、何で?」


 驚くのも無理はなかった。こんな場所に居るはずのない、いつも馴染みにしている聖堂美術館通りのカフェのマスターが、そこに立っていたのだから。


「露店の仲間が大変な情報を持ってきたんだ。マフィア絡みの話なんで、俺は一刻も早くお前に知らせようと、列車を乗り継いでやってきたんだよ」


「マフィア絡みって、もしかして、昨日、奴らが聖堂美術館を爆発させた件? けど、よく俺のいる場所が分ったな」


「あのお嬢ちゃんが俺の携帯に電話をかけてきたんだ。お前が心配だから、一緒に着いて行ってくれないかって。この駅で待ってれば、きっと捕まえれると思ってね」


 顎鬚を微妙に歪めて笑う男。……が、


 何でミルドレッドがマスターの携帯番号を知ってるんだ? それに、ピータバロ市からここまでは列車で3時間以上はかかるっていうのに……。


 けれども、

「そんなことより、昨日、あのお嬢ちゃんが連れてた、ナシルとかいう王族! あいつはとんでもない食わせ者だぞ」


「ナシル? 別に改めて言われなくても、あの男が食わせ者なことぐらいは、すぐに分かるけど」


 キースの口元を馴染みのマスターは、しっと押さえて制止する。


「そんなに声をたてるなよ。ちょっとここじゃ話がヤバいんだ。だから、違う場所に移動しよう」


 有無を言わさず、腕を引いて歩き出した男に逆らうこともできず、


「一体、どこへ行くんだよ」

「もっと落ち着いて話のできる場所」

「だって、これって駅の裏じゃないか」

「裏の方がいいんだよ。人目がなくて済む」

「いくら人目がない方がいいって言ったって……」 


 連れて来られた工事中の建物は、鉄骨で作った足場が作りかけの建物に掛けられているような場所で、ゆっくり話ができるとは思えなかった。後方から、列車の発車音が聞こえてくる。


 ……ここって駅の構内からもう出てしまってるんじゃないのかと、キースは訝しげな顔をした。すると、馴染みの男は、


「ごめんな。でも、こんな話をしているところをマフィアに見られでもしたら、俺だって危ないんだ。その階段の上に扉があるだろ。その向こうの部屋なら安全だから」


「扉?」


 狐に化かされたような気分のままで階段を上がり、キースは、その扉を開く。けれども、


「え?」


 開けた扉の向こうには、鉄骨の骨組みが見えるだけだ。


「……部屋なんてないじゃん」


 その瞬間、

 どんっと背中を強い力で突き飛ばされた。


「……!!」


 これって、ヤバいっ!!


 驚く間もなく、キースは扉の下の工事現場へ落ちていった。 


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