2.砂漠の王子様
ミルドレッドが遊学のために旅立ち、キースに一時的な別れを告げたのは、今日と同じ爽やかな風が吹く6月だった。それから3年。久々に再会した二人は、お互いの姿に目を瞬かせた。
ミルドレッドにとっては、“鬼門”の青年画家の琥珀色の瞳は、以前と変わらぬ引力を放っていた。カフェの椅子に座った姿が、”彼女的”には以前よりキマっているように思えたし、小奇麗になった小麦色の髪がさらさらと風に揺れ、どきどき感が増していた。
そして、ミルドレッド自身はというと……
「おい、誰?」と馴染みの店のマスターがキースの腕をこづく。
「えっと……これが、俺がさっき話してた、セレブな小学生……だった、ミルドレッド」
「ちょ、ちょっと待てよ。ってことは、今、幾つ?」
「ええと、俺が今19で、彼女とは5つ違いだけど、あっちが誕生日が早いから……15歳かな」
「15歳ぃ! 目茶目茶、大人っぽいじゃないか。おまけに美人だ!」
慌てふためくマスターに、ミルドレッドはご満悦な笑みを浮かべる。
だって、3年間もかけて、外側も内側も磨きをかけてきたんだから、そのくらいは驚いてくれなきゃ。
そんな彼女にパトラッシュまでが、くわんくわんと嬉しそうな雄たけびをあげている。満足度が80%くらいに達した時、
「ふふん、背丈も9cmも伸びたのよ。もう、ガキだなんて言わせないんだから」
ミルドレッドは超高飛車な瞳でキースを見やったが、いつまでも視線を外そうとしない彼に少し頬を赤らめ、
「ち、ちょっと、そんなにじろじろ見ないでよ」
すると、青年画家は、はっと気づいて、おずおずと、
「ミリー、お前……」
「なぁに?」
そこはかとない満足感と期待感に胸をわくわくさせながら、ミルドレッドは彼の言葉を待った。“綺麗になったね”なんて、言われちゃったらどうしよう。
……が、
「……太った?」
瞬間的に、カフェのオープンテーブルをちゃぶ台返しにしたい気分で、両手をテーブルの端に添える。
その時、
「ミルドレッド、急がないと、聖堂美術館の館長との約束の時間に間に合わなくなるよ」
パジェロの運転席から、目の前にひるがえった白い布地の眩しさに、キースは再び、目を瞬かせた。
「な、何だ?」
白い足元まであるワンピース? 頭には白のスカーフを被り、それを黒い二重にした輪で留めている。洗濯石鹸のCMにでも出てきそうな真っ白な布の間から垣間見える、浅黒く日焼けした肌と切れ長の瞳。
歳は20代の半ばくらいだろうか、けれども、この出で立ちは、どう見ても、名作劇場で見た映画「アラビアのロレンス」……も着用していた中東の男性の衣装“ディシュダーシャ”だ。
「おいおい、今日のカーニバルには仮装大会の予定はなかったはずだろ」
マスターが、苦い笑いを浮かべる。
「この方は、ナシル・ビン・アッサウド・サウード様。中東の王族の血をひく、拠所なきお生まれの方よ」
キースは、はたと、3年前にこの少女から聞いた冗談みたいな話を思い出した。
そういえば、前に中東の王族にミリーが交際を申し込まれてるって聞いたことがある。こいつって、そいつか。ちらりと視線を向けると、中東の王族はいやに親しげな微笑みをキースに投げかけてきた。
「ミルドレッド、こちらは君の知り合い?」
なかなかの色男だし、スポーツマンっぽくもあり、好男子ぶりも板についている。
けれども、こいつの切れ長の瞳には、どこかしら、冷たいモノを感じてしまう。キースは、何となく虫が好かない奴だと思った。ところが、
「彼が、シティ・アカデミアの契約画家のキース・L・ヴァンベルトよ」
まだ、膨れ面をさらしながら、彼の名を告げたミルドレッド。すると、白ずくめの男は優美な声音で、
「君があの噂のね。それにしても、君って随分、綺麗な瞳をしているんだね。まるで、夕日が落ちて、夜の帳が来る前の砂漠の砂みたいだ」
「……」
そう来るとは思わなかった。キースは、引きの体勢になり、
「おい、ミリー、こいつって、もしかして男女兼用の快楽趣味?」
「まさか、物腰が柔らかいだけよ。でも、ナシルって、”砂漠の王子様”みたいでしょ。そしてね、彼って、シティ・アカデミアが計画している贋作村の1番のスポンサーで、おまけに、聖堂美術館で、今回行われるプロモーションのプロデューサーでもあるのよ」
こそりと耳打ちしてきた少女に、中東の王族までが贋作村にかかわっているのかと、キースは眉をひそめた。
”贋作村”は有名画家の贋作の大量コピーを製造し販売する拠点のことだ。そのプロモーションを由緒ある聖堂美術館で行うこと自体が、もう最悪だ。
そうこうするうちに、大聖堂から正午を告げる鐘の音が響いてきた。
「ナシル、こんな小汚いカフェで道草なんか食っていないで、もう、私たちは行きましょ。聖堂美術館の館長と約束をしてあるのよ。こんな場所のB級グルメなんて、比べ物になんないくらい美味しいランチをね」
キースに向かって、舌を出しながら、パジェロに乗り込もうとするミルドレッドの後を、王族が慌てて追いかける。
運転席でエンジンをふかしながら、ナシルは、心残りな表情で古いカフェの青年を見やった。助手席の少女のご機嫌斜めの理由が分らず、とりあえず、愛想笑いを浮かべて言う。
「彼が、ミリーが以前に僕に話してくれたすごく腕がいいっていう画家なんだね。残念だな、もう少し、色々と話がしたかったのに」
「話をしたって、得るものなんか何もないわ。あいつは、ただの無神経な“貧・乏・画・家”よ!」
* *
聖堂美術館。
それは、ピータバロ市でも一番歴史が古く、権威ある美術館だ。ルネサンス様式の厳かな造りのファサードを抜けると、目玉の作品が置かれている大展示室があり、そこを中心に、各テーマ毎に細かく展示室が分かれている。
ランチを終えた後に、ミルドレッドは、中東の王族 ― ナシル・ビン・アッサウド・サウード ― を案内しながら、聖堂美術館の館内を巡っていた。
「ここ、聖堂美術館は、シティ・アカデミアと提携していることもあって、私たち、生徒は、展示室や資料室にフリーパスで入れるのは、もちろんのこと、優秀な作品を定期的に展示してもらえるのも特典の1つなのよ」
「若手画家にとっては、権威ある美術館に作品が展示されるっていうのは、大きなチャンスだからね。おまけに、フリーパスか? それも、君たちの学園にしてみては、好都合ってわけだ」
意味深な笑みを浮かべて、ナシルは言う。
「……例えば、真作と贋作をすり替える場合などにも」
セレブな15歳の少女は、しぃっと口元に指をたてて、悪戯っぽく目で彼を制した。すると、
「大丈夫だよ。何を言ったって、ここには誰もいやしない。今日は、カーニバルの方に人を取られて、美術館は開店休業みたいなもんじゃないか。……で、こういうことをやっても」
ぐいと腕を引き寄せられ、ミルドレッドは、一瞬、ぎょっと、ナシルに向けて黒い瞳を瞬かせた。彼のほどよく日に焼けた顔が口元に近づいてくる。
ち、ちょっと待ってよ。砂漠の王子様と荘厳な聖堂美術館でキス!?
「あっ、そ、それで、あの絵がねっ」
ミルドレッドは、爆発しそうな胸の鼓動を押さえ込んで、するりとナシルの腕をすり抜けた。思わず、先ほどカフェでやりあった青年画家の顔が目に浮かぶ。
そりゃ、シチューエーションは悪かないけど、私、やっぱり、ファーストキスは、この人とじゃヤなの。
そんな少女を中東の王族は、不満とも戸惑いとも言えぬ複雑な表情をして見やったが、
「え、えっと、……でも、贋作のすり替えに関しては聖堂美術館は大のお得意様だから、ここの所蔵の絵にはなるべく手をださないように、学園は遠慮してるのよ。……で、その例外があの絵ってわけ」
そういって、ミルドレッドは、大展示室を出てすぐの展示室に飾ってある一枚の絵を指差した。
柔らかなタッチの下町のカフェテリアを描いた風景画。
「あの絵が? ってことは、あそこに展示してある絵は、君たちにすり替えられた贋作ってこと?」
「ううん、違うのよ。私たちが盗った絵も確かにとても価値がある絵だったんだけど、あれはね、その絵を盗んだ替わりに、私がちょっと悪戯心を出して、あそこに置いてった別の画家の風景画なの。当時は、誰の絵かってすごく世間は騒いだけど、次第に評判が高まってしまって、4年たった今でも、誰の絵かは知られないままに、あそこに展示されているのよ」
ナシルは、展示室の一角に掛けられた、その絵の傍まで歩み寄り、ほぉっと小さく感嘆の声をあげた。
「僕だって、だてに何年も絵の勉強をしてきたわけではないからね、これは間違いなくいい絵だと断言できるよ。ミリー、さっき悪戯心で絵を入れ替えたって言ってたね、なら、君は、この絵の作者を知ってるのかい」
少女は誇らしげに、こくんと頷いた。
「この絵は、さっき、美術館通りのカフェで会った青年画家が描いたものなの。レイチェルがシティ・アカデミアの専属画家にするくらいですもの、彼ってああ見えても、けっこう才能があると私も思うわ」
「あのカフェの青年画家が描いたって? でも……」
と、ナシルは納得がいかない表情をした。
「でも、何」
「……彼の描いたフェルメールの贋作をナショナルギャラリーで見たよ。”ヴァージナルの前に座る婦人”の。やっぱり、あれと比べてみると、彼は……名前は何だったかな? 贋作師としての方が腕は良さそうだ。この風景画はいい絵だが、粗野というか、品性は全く感じられないからね。ほら、君も言ってたじゃないか、”彼は、ただの売れない貧乏画家だって」
「あいつの態度があんまりなもんで、つい、ひどいことを言っちゃったけど、キースは贋作師なんかで終わる画家じゃないわ!」
思わず声を荒らげてしまってから、ミルドレッドは、はっと口を噤んだ。中東の王族は一瞬、鼻白んだ顔をしたが、
「ああ、そういえば、思い出した。彼の名前って、”キース・L・ヴァンベルト”っていったっけ? ごめん、ごめん。僕が悪かったよ。誰だって、自分が”誇り”にしている学園の人間のことは良く思われたいものだ。だから、機嫌を直して他の絵の説明も聞かせてくれよ。例えば……ほら、あそこにある宗教画なんて、どう?」
相変わらずのソフトな笑顔は変わらなかった。けれども、ナシルの言葉に、そこはかとなく皮肉な抑揚を感じて、ミルドレッドは、キースの名前を彼に教えてしまったことに、少し不安を覚えてしまった。
場の雰囲気を変えようと、つとめて明るい声で少女は、絵の説明を続ける。
「これは聖ミカエルの肖像画。作者も年代もわからないけれど、戦火を逃れた教会にたった1枚だけ残った絵で、観客にはとても人気がある作品なの。哀しくて優しくて、見る者を魅了する力がこの絵にはあるわ」
聖ミカエルの肖像画の厳かな表情を見ているうちに、ミルドレッドの脳裏には、3年前にぱったりと姿を見せなくなったという、”イヴァン・クロウ”の姿が浮かび上がってきた。あの当時、チャイニーズ・マフィアの襲撃やら、何かにつけて彼女とキースを助けてくれた謎の人物。
彼はこのミカエルの肖像画を後ろにすると、天使みたいに優しく微笑んだのだ。けれども、黒のバイクスーツに身を包み、同色のゼファー1100を飛ばす彼からは、背徳の香りがぷんぷん漂っていた。同じソフトな笑顔でも、白の衣装を翻した煌びやかな王族のナシルとは、まったくの正反対の位置にいるように思えた。
また、押し黙ってしまったミルドレッドに気を使ってか、中東の王族は、
「ねぇ、もしかしたら、さっきのことを怒ってるの? なら、謝るから機嫌を直してくれよ」
「えっ、違うの。そうじゃなくて……」
「なら、何がそんなに君の機嫌を損ねたんだ。まさか、あの青年画家のこと?」
ミルドレッドは口を噤む。すると、ナシルは、
「君は、あの画家が贋作師で終わる男じゃないって言ってたけど、贋作師っていうのも捨てたもんじゃないと、僕は思っているんだ。何故なら、今の絵画の価値っていうのは、絵、そのものよりも、ブランド力が大切だからだよ。とるに足らない作品でも、それにゴッホのサインが入っているだけで、価値は数百倍にも上がる。どんなに価値ある作品だって、画家に名がなけりゃ、今の美術界はそれには目もくれない。優秀な贋作師っていうのは、そんな不条理な世界を嗤える、僕にとっての魔法使いみたいなもんなんだ。彼らは絵筆という魔法の杖で奇跡を起す。そして、彼らの作った作品は、最初は贋作でも、それが真作として美術館の壁に掛けられている期間が長ければ長いほど、真作としての価値を高めてゆく。ああ、楽しみだなぁ。贋作村を客に披露する日が、僕は待ち遠しいよ。馬鹿な収集家を騙すのは、どんなに楽しいだろう。奴らは、本当の芸術が分かっていないんだ。それが、僕がシティ・アカデミアからのスポンサーの依頼にこたえた理由でもあるんだからね」
熱を帯びた様子でまくしたてるナシルの表情を見ているうちに、ミルドレッドは、首をかしげ、どうにも我慢ができなくなってしまった。
「贋作なんて結局は2番手でしかないわ。多くの贋作師は自分が認められないことへの復讐か、阿漕な金儲けのために作品を作りだしているのよ。彼らの絵筆が魔法使いの杖なんて、とんでもないわ。それは、ただの詐欺師のアイテムにすぎないわ!」
一瞬、中東の王族の顔が引きつるのをミルドレッドは、目にしてしまったが、これだけは、引くわけにはゆかないと漆黒の瞳を真っ直ぐに彼に向けた。
「じゃ……何で、お前は、贋作村なんかに関わってるんだよ……」
聖堂美術館の展示室の天井が、吹き飛んだのは、その瞬間だった。
「な、何っ!」
ミルドレッドは、同時に起こった凄まじい爆音で、頭の中が真っ白になってしまった。……が、
「ミリー!! 逃げるんだ!」
血相変えて飛び込んできた見知った青年が指差す方向に、咄嗟に視線を向けた。
頭の上に、瓦礫とともに、超豪華なシャンデリアが天井から落ちてくる。ミルドレッドは、高速で瞳を瞬かせた。
「はあっっ!!?」
もしかして、私、串刺しっ?
あのシャンデリアのガラスで?!




