Ⅱ、ダンジョンを作る前に
「ねえ、何時になったらダンジョンを展開するのかしら? 」
後ろから飛び切りの美女が問いかけてくる。
もちろんリリンだ。
「ん?ダンジョンをしっかり経営していくのはまだまだ先だね」
俺は今あの悪魔の巣窟を無事脱出し、地上―人間が住む街に滞在していた。
もちろん傷一つついていなかった。
あの場で説明された事は納得できるものではなかったし、横暴もいいところだったが、力のない俺が何を言おうとも捻じ伏せられるのはわかりきった事だ。
俺ももう人間ではないと言われたが、あんな化け物と同じにされたら困る。
サイでさえ、歯が立たなかった上、そのサイすら軽くあしらうガイスなんて問題外過ぎる。
どうやら、人魔である俺の力……魔王としての力が発揮されるのはダンジョンを展開し、己の核を設置してからだそうだ。
「人間の街に滞在するなんてあなた本当にどうしようもないわね。あなたはもう人間ではないのよ。ダンジョンを展開しなければ確かにわかりにくいわ。でも勇者やハイクラス―見込みのあるミドルクラスにはばれるわよ。早く人目のつかないところで、少しづつ力を蓄えていかなきゃ死ぬわよ」
「わかってるよ。だから準備してるんだ。サイにもね」
そう、俺はダンジョンを展開する為にこの街にいるのだ。
自殺を待っているわけでもないし、見つからないとタカをくくっているわけでもない。
リリンには内緒で、日中は肌や角で悪魔だとばれる為、宿に籠りきりのサイを躍らせ……もとい、頼み込んで夜中に大きな岩を運びこんでもらった事もある。
「そんな顔しないで。俺と君の契約はしっかり守る。誰からも見放された君の誇りは汚さないから、俺を信じて力を貸してほしいな」
「……わかったわ。でもこれだけは聞かせて。いつダンジョンを展開するの? 」
リリンの真剣な赤い眼差しを受ける。
そこには濁りが一点もない。
悪魔なのに、純粋と言うしかない眼。
凛として歩くだけで周りの男どもの視線を浴びる美貌。
大いに嫉妬の視線が俺には飛んでくるため、困る事この上ないが、真摯に答えてあげるしかないだろう。
「わかったよ。ダンジョンの展開はもう出来ているんだ。部屋はまだ1つだし、核も置いていないけど」
「えっ。どこにですの……?まさか!!」
「そう。この街さ」
ニヤッとして彼女の推測に肯定してやると、唯でさえ大きな目がもっと広がる。
それでも美貌は少しも失わない。
驚きである。彼女はサキュバスなのだろうか?
世の男どもは彼女にかかればあっという間に骨抜きだろう。
実際に、少しここに滞在しただけで、結構な数の男に求婚されているらしい。一掃しているが。
あれでいて上にまだ2人の姉がいるとは。
彼女の姉が敵にならない事を祈ろう。
「一体何を考えているの。こんな大きい街でダンジョンを展開するだなんて、正気の沙汰じゃないわ。あっという間に見つかって、攻略されるわよ。普通は小さな村の近くに展開し、露見する前に少しづつ大きく、強くダンジョンを拡大していくものなのに。あれだけ説明したじゃないの」
「わかってるさ、でも俺は人魔なんだろ?人魔はダンジョンを攻略されやすいって君も言ってたじゃないか。だから、準備をしているわけだし、核をまだ置いていないのさ」
「……もう知らないわ。あなた付きなのが本当に間違いだったわ。お父様の命令でなければ、こんな気苦労しなくて済んだのに」
「まぁまぁ、そんなこと言わないでさ、後少しで潜るからさ、俺だって元人間。本格的にダンジョンに核を置いたら、もう地上には出られないんだろ?だから後少しくらい地上を満喫させてくれよ。夜には遂に始めるからさ」
精一杯の言葉でそう訴えると、リリンは一息だけついて、縦に首を一回だけ振った。
俺はそれを見て、悪魔なのに優しいところもあるのだなぁと感じつつ。
「リリンも優しいところあるんだね。この世界に来て、初めて優しくされた気がするよ」
「フンッ。悪魔にほめ言葉は罵倒と同じなんだからやめてよね」
「あはは、あんまり大きい声で、悪魔なんて言わない方がいいよ。ここは大きな街なんだからさ」
素直な気持ちからの誉め言葉に、少し先を歩き始めていたリリンはピタリと立止まり、振り向いた途端のお叱りに俺はニヤニヤとしながら、追い越した。
お叱りでも、その頬が僅かに染まったのは見逃すはずもなかった。
さて、その後は特に問題もなく地上を満喫した。
なにせ異世界である。
IQが高かろうが、ひ弱だろうが、もう人間ではなくなっていても、全く知らない御伽噺のような気持ちなのであるから、楽しくないわけがない。
先はまだまだ霧の中だが、今を楽しんだ。
そんな俺を逃げ出さないように監視という名目で、着いてきていたリリンも呆れながらではあるが、楽しんでいたように思う。
あっという間に、幕が降りた空は紺から黒へと姿を変えて、覗いているのは星と月だけだ。
「さぁ、満喫したことだし、サイを呼んでダンジョンを作りに行こうか」
俺はリリンにそう言うと、覚悟を決めたリリンが静かに頷いた。