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みにくいおひめさま  作者: れんじょう
『みにくいおひめさま』
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第七話 胸の重石


 ツァーレンは自分の頬に風を感じて目覚めました。

 いつの間にか夜になっていたのか、寝台の横のテーブルにはこうこうと灯が点り、床にゆらゆらと動くやさしい影を作っていました。

 ふと、顔をあげると、近くの椅子に侍女がこくりこくりと寝入る姿が見られ、庭に続く扉のカーテンがふわりとカーテンが膨らんではしぼんでいくのが見えました。


 ―――――わたくしは、なぜここにいるの?侍女もどうして、ここで寝入っているのかしら。


 寝苦しいだろう侍女を起こそうとツァーレンが起き上がろうとしたとの時、昼間のお妃さまとのやり取りが意識の底から浮かんできました。


 ―――――わたくしは、意識を手放してしまったのね。


 外の様子から見るとあれから随分と時間が経ち、お妃さまもすでに自室へと戻られていることが見て取れます。

 ツァーレンは自分がとんでもない失態を犯したことを悟りました。

 するりと寝台を抜け、できるだけ足音を立てずに外に出ると、夜の庭はいつものように静かにツァーレンを迎えます。優しい夜の闇がツァーレンを包み込むと、いつものように迷路の庭を抜けきって小さな東屋までたどり着きました。

 風が樹々にざわめきを与え、それが節になってまるで音楽を奏でているようでした。

 いつもならばツァーレンは迷わず歌を歌うのですが、寝室で寝ている侍女を起こすのではないかと恐れ、歌うことを躊躇わせました。


 ―――――けれどこの胸に(つか)えている感情をどう吐き出せば。


 昼間のお妃さまとのやり取りの中で、婚礼の日取りがすでに決められ、あやふやだと思われた結婚話が確定したこと、そしてその相手が隣国の賢王と謳われた上皇リュシス。ツァーレンの記憶が正しければ御歳五十五歳になるはずのその人が、なぜ自分という存在と事実を知るうえで伴侶にと選ぶのか。それよりも、自分と四十歳近く違う人の元に乞われたとはいえ嫁がなければいけないというのか。

 

 ―――――フロレス。わたくしは、どうしたら。


 ツァーレンは重石を載せたように苦しい胸を押さえて、星が瞬く夜空を見上げました。

 その時、ばさりと間違えようのない音が、ツァーレンの耳に届きました。

 

 ―――――歌っていないというのに、どうして。


 信じられない思いで夜の空を凝視すると、闇の中を優雅に泳ぐように舞う、美しい濡れ羽色の鳥が現れました。その鳥の足にはあのツァーレンの白いハンカチが巻かれたままになっています。

 ツァーレンの胸の重石は、まるでそれが初めから存在しなかったかのようにすぅとなくなりました。それどころかその白いハンカチはフロレスの存在をツァーレンに思い起こさせ、胸が熱くなったのです。

 鴉はツァーレンの元に舞い降ります。

 そして喉の奥でこうと鳴くと、翼を大きく広げ、驚くツァーレンをその翼の中に閉じ込めました。


 『ツァー。私のツァー』


 黒い羽根に包まれて、ツァーレンはここにいるはずのない人の声を聞いたと思いました。

 さわりと黒い羽毛がツァーレンの頬を撫で、鴉の暖かい体温がツァーレンの心を慰みました。それはまるで夢の中のフロレスが鴉となって抱いてくれているようにも思えました。

 しばらくの間、一人と一羽は誰も来ない東屋で葉の擦れる音だけを聞き過ごしておりましたが、やがて鴉は翼から漆黒の羽根を咥えると、いつものようにツァーレンに差し出しました。


 「ありがとうございます」


 ツァーレンはお礼を言うと、そのまま頭を下げ、鴉の小さな額に唇を落としました。

 夢の中の優しい人がいつもツァーレンにしてくれる口づけで得る喜びを、ツァーレンは鴉に与えたかったのです。

 鴉は美しい金色の瞳を大きく開き、そして細めると、ばさりと翼を広げて飛び立ちました。

 いつもならば闇の中に消えていく鴉は、その美しい姿をツァーレンの頭上で名残惜しそうに数回旋回させると、闇に向かって飛び去っていきました。

 ツァーレンは鴉が闇に溶けるまで見送ると、黒い羽根を大切に胸に抱いて寝室へと急ぎます。開いたままの扉から気付かれないようにと忍びながら部屋に入ると、侍女は何も知らずくうくうと眠っておりました。

 その横をそろりと抜けて寝台に戻ると、さも今起きたかのように侍女に声をかけました。


 「わたくしはいったいどうしたの?」


 すると先ほどまで寝入っていた侍女は慌てて起き上がり、ツァーレンのそばまでやってきて、ほっと息を吐きました。


 「ひめさま。ようございました。お起きになられましたか。ひめさまはお妃さまの御前でお倒れになられたのです。どこも打たれてはいないとは思いますが、御典医にお見せしたところ、過労だろうということでしたので、そのまま寝台にお運びした次第です」

 「そう。それは面倒をかけてしまったわね。……お妃さまはなんと」

 「お妃さまにはひめさまがお起きになられたら知らせるようにと申しつかりました。……お知らせにあがってもよろしいですか?」

 「お妃さまには御心配をおかけいたしましたと。こちらからお呼びしたというのに、このようなことになってしまって、大変申し訳ございませんと伝えてください」

 「承りました」


 侍女がさっそくお妃さまの元に向かうのを見送ると、寝台に横になり、枕元に羽根を置きました。

 知らせを受けたお妃さまがやってくるだろうその時に備えて、少しでも心強くありたいと艶やかな羽根に願いを込めて。

 

 

 


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