第二話 お妃さまと縁談と
礼儀に反して前触れもなく、お妃さまはツァーレンの部屋にやってきました。
国王の寵愛を一身に浴びているお妃さまは、しっとりと艶のある濡れ羽色した見事な黒髪を高く結いあげ、翡翠色の瞳にはきらきらと美しい金が散らばり、それはそれは豪奢という言葉がふさわしい容姿をされておりました。もちろんそれらを最も美しく見せるためにドレスのラインはシンプルに、けれどもよくよく見てみれば布そのものに絵を織り込んであり、センスの良さをうかがわせました。
お妃さまが部屋に一歩入っただけで、ツァーレンのものである部屋はお妃さまが主となりました。
「姫。ひさしいの」
「はい。お妃さまにもお変わりなく」
「そなたは相変わらず……まあ、それはよい。妾の前でその帽子をはずすでない」
ツァーレンを見るその瞳には嫌悪がありありと浮かんでいました。
テーブルを挟んで腰をかけてもツァーレンをまっすぐ見ようとはしません。
―――それほどまでに醜いの?
ツァーレンはお妃さまが訪ねてくるたびに己の醜さを他人の目から見せつけられて悲しくなりました。
それでも部屋の女主らしく、お妃さまにお茶を勧め、焼いたお菓子を差し出しました。
お妃さまはお茶を口に含むと、不愉快そうに眉をひそめてかりゃりとカップをもどしました。
「お口に合いませんでしたか?」
「そなたの侍女は満足に茶も淹れることができぬようじゃ。まあそれでもそなたに仕えてくれる物珍しい者であるから、重宝しておるだろうがな」
「……申し訳ございません。また新しいお茶を用意させますので」
「よい。別にここまで茶を飲みに来たわけではないからな」
ぱんぱんと手を叩き、外に控えていた女官からあるものを受け取ると、それをツァーレンの前に差し出しました。
長方形の箱の中に何かがはいっているようでしたが、ツァーレンはなぜお妃さまがこれを自分に下さるのかととても不思議な気持ちで見ていました。
今までお妃さまがツァーレンに何か物を授けたことなど一度もなかったからです。
「……これは?」
「中を見てみよ。そなたの縁談相手じゃ」
「縁談、ですか」
縁談という言葉がどういう意味なのか分かってはいましたが、己の醜さを十分理解しているツァーレンでしたので、まさか自分に縁談話が来るとは思えませんでした。
それにツァーレンという存在自体を王宮は隠していたはずです。それなのにどうして縁談が来るのかわかりませんでした。
おそるおそる箱を開けて中の肖像画を取り出すと、そこに描かれていたのは真っ黒な人影だけでした。
驚くツァーレンを、くつくつとお妃さまはさも面白そうに喉を鳴らして見ておりました。
「あ……あの、お妃さま。失礼とは存じますが、これは肖像画ではないのでは?」
「ほんにそなたは失礼じゃ。妾は縁談相手だと申したであろう。言葉をきちんと受け取らぬとはとんだ不作法よの」
「申し訳、ございません」
「そのように卑屈になるではない。それでなくとも帽子が無ければ侍女の前ですらでてこれぬ身であろうに」
「かさねがさね、申し訳ございません」
ツァーレンは逃げ出したくなりました。
部屋を出ることすら叶わないツァーレンに逃げ込むところなどどこにもないにもかかわらず、お妃さまを前にするとどうしてもわが身がどれほど賤しいのか思い知らされるからです。
自分のことは本当のことだからまだいいとして、優しい侍女のことを悪く言われるのも自分に仕えてくれているせいだと思うと、侍女にも申し訳なく思いました。
「さて、その肖像画の人物はそなたのことがことのほか気にいられたとみえて、すぐさま嫁いでほしいという文までいただいた。そなたにはもちろん嫁してもらうが異存などあるまい?」
お妃さまは春の風景が描かれた美しい扇子をぴしゃんと閉じてツァーレンにその扇を向けました。
目の前に扇の先が突きつけられ、ツァーレンは慄きましたが、お妃さまはさらに詰め寄ってツァーレンの顔を隠している布をひらりと払いました。
「……っ!?」
「相変わらずよのぉ。逃げれば済むとでも思っておるのか?そのような風貌でなおまともな婚儀ができるというのに、何をためらっておるのか理解に苦しむわ」
「……すい……」
「ああ、もうよいわ。別にそなたを苛めているわけでもないというのにすぐそう卑屈になられてはこちらが悪者扱いされるであろう?それは妾の性分にあわぬしの」
お妃さまは扇子を広げて口元を隠しました。
隠す前に見えた口元は薄く笑っているように見えました。
「王もこの話を進めておる。もうすぐ婚儀の日も決まるであろう。そなたはいまだかつてこの城から出たこともない姫であるから、人と接する機会もなかったであろう?そのようななりで人前に出るということがどれほど恥をさらすか理解しやれ。もう少し身なりを整えるがよい。このままでは王が恥をかく。時間はまだあるゆえ、少しは自身を磨きやれ」
お妃さまは話し終わると一瞬でもこの部屋にいたくはないとばかりにツァーレンを見ることなく部屋から出て行きました。もちろんそのあとには外で待機していた女官や侍女が行列を作って仰々しくお妃さまの後をついていきました。
残されたツァーレンはただ呆然とその後ろ姿を見送りました。
お妃さまがこの部屋に来るときは必ずと言っていいほど心が荒れ狂いますが、今日ほど心が乱されたことはありません。
当たり前のように結婚を迫り、それを喜べと言われても、ツァーレンには思ってもいないことをいきなり振られただけで感情がついていきません。
テーブルの上には真っ黒な人物の肖像画が今起きたことが事実だと告げていました。
―――わたくしが、結婚?
一生この部屋から出ることはないと思っていたツァーレンだっただけに、その話はまるで夢物語のようでした。




