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真夜中の保線魔術師 〜鉄道インフラを支える裏方たちの極限ドラマ〜|圧倒的リアリティの鉄道お仕事小説  作者: 六井求真


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第34話:亡霊スジの干渉(信号テレメータ)

JWR総合指令所(OCC)の巨大モニターに、再び不穏な胎動が兆していた。 天童部長が鉛筆一本で描き出した奇跡のような運行計画に基づき、鉄路がようやく規則正しい鼓動を取り戻し始めた矢先のことだ。新海航は、自らのコンソールに映し出される異常な波形を凝視し、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

「……ありえない。信号テレメータの応答が、論理破綻を起こしている」

新海の声は、微かに震えていた。 彼の目の前の画面では、本来ならば一本の光の線として流れるはずの列車群の背後に、無数の赤い光点が、まるで蠢く害虫のように湧き出していた。それらは、現実に走っている列車の位置データとは全く無関係な場所に現れては消え、あるいは線路のない空間を猛スピードで滑走している。

「幽霊列車……亡霊スジ(ゴースト・トレイン)か」

新海が吐き捨てるように呟いた。 地震による物理的な衝撃が、沿線に張り巡らされた信号設備の神経系をズタズタに引き裂いていた。信号テレメータ――各拠点の信号機や転轍機の状態を遠隔で監視し、指令所に伝える末端の神経細胞たちが、断線や回路の損傷によって狂ったパケットを吐き出し続けているのだ。

デジタル網の深部で発生したこの情報の氾濫は、復旧したばかりの自動制御システムを容赦なく侵食していった。システムは、存在しない亡霊たちの影に怯え、安全を確保しようとして正常に走っている本物の列車にまで次々と非常ブレーキを掛け始めたのだ。

「全閉塞、停止現示! 信号機が勝手に赤に変わっています! 運転士から悲鳴のような報告が上がっています!」

司令員たちの怒号が飛び交う中、新海はキーボードを叩き、情報の濁流を堰き止めようと試みた。だが、どれだけフィルタリングを掛けても、亡霊たちは次々と新たなアドレスを騙って現れ、システムの論理回路を嘲笑うかのように埋め尽くしていく。

(……このままでは、せっかく繋ぎ止めた鉄路が、情報の重みで自壊する)

新海は、サーバーラックから漂う、過負荷による微かなオゾンの匂いを感じ取った。モニターの赤色が、彼の網膜を灼くように点滅し続ける。

「画面が嘘を吐き始めたら、俺たちは何を信じればいいんだ!」

新海が無線機を掴み、絶叫に近い声を上げた。その相手は、極寒の沿線、信号リレー室の端子台の前に立っているはずの男だった。

「――新海。画面の中だけを見てるから、幽霊に化かされるんだよ」

ノイズ混じりのスピーカーから、門脇隼人の冷静な、しかし地熱のような力強さを秘めた声が返ってきた。

「門脇さん! 今すぐ第4中継地点のテレメータ出力を遮断してください。パケットが干渉して、制御系が完全にパニックを起こしています。論理回路を浄化しないと、本物の列車が事故を起こす!」

「わかってる。……今、その『嘘つき』の首を絞めてやるところだ」

無線機の向こう側で、金属が擦れる鋭い音と、重厚な端子盤が開く音が聞こえた。 新海のモニター上では、亡霊たちが狂ったように踊り続けている。デジタルな空間では、嘘も真実も同じビットの羅列として等価に扱われる。その冷酷な等価性が、今や鉄道という巨大な生命体の息の根を止めようとしていた。

「門脇さん、早く! あと十秒で、システムの保護機能が全線を強制抑止します!」

新海は、プロセッサの処理限界を示す赤いバーを凝視した。 一秒。 二秒。

「……現場の電流は、今も正しく流れている。嘘をついているのは、それを伝える『言葉』だけだ」

門脇の声と同時に、無線機越しに激しいスパークの閃光が弾けるような音が響いた。

物理切断カットオフ、完了!」

その瞬間、新海のコンソールの画面が、一瞬だけ真っ白に反転した。

真っ白に反転した視界が戻ったとき、新海航の目の前には、浄化された静寂が広がっていた。 巨大モニターを埋め尽くしていた数千の赤い亡霊たちは、門脇が物理的な回路を断った瞬間に、文字通り霧散したのだ。残されたのは、現実の鉄路の上に存在する、数少ない本物の列車の光点だけだった。

「……消えた。システムのパニックが、収まっていく」

新海の声が、静まり返った指令所に漏れた。 サーバーラックから漂うオゾンの匂いは、情報の激流が堰き止められた後の、嵐の過ぎ去ったような虚脱感を伴っていた。だが、戦いはまだ終わっていない。新海はすぐさまキーボードを叩き、サーバー側の論理回路に最後の楔を打ち込んだ。

「門脇さん、今です! パケットフィルタリング同期、最終フェーズ開始!」

新海の指先が、目に見えない論理の糸を紡ぎ直す。 損傷したテレメータから流れ込んでいた狂ったビットの残滓を、プログラムという名の「清めの水」で洗い流していく。それは、情報の選別という名の、冷徹かつ精密な儀式だった。

一方、数百キロ離れた闇の底では、門脇隼人が焦げた端子盤の前で立ち尽くしていた。 彼が回路を断った際に放たれた青白いスパークは、リレー室の壁を一瞬だけ鋭く照らし出し、彼の網膜に焼き付いている。

「……新海、画面はどうだ。亡霊どもは、大人しく引き下がったか」

門脇の声には、極限の緊張を乗り越えた者だけが持つ、深い疲労と安堵が混じっていた。

「はい。システムは正常なパケットだけを認識し始めました。……門脇さん、ありがとうございます。もしあなたが現場で『嘘の源』を断ち切ってくれなければ、私の論理は、情報のゴミ溜めに埋もれて死ぬところでした」

新海は、モニターに浮かび上がる美しい運行図表ダイヤグラムを見つめた。 そこには、天童が鉛筆で引いた「スジ」が、デジタルの光となって正しく投影されている。 嘘を暴き、真実を取り戻す。 そのために必要だったのは、高度なアルゴリズムでも、超高速の演算能力でもなかった。現場の端子台の前で、火花を恐れずに手を伸ばした一人の男の「指先」だったのだ。

……画面が嘘を吐き始めたら、俺たちは何を信じればいいのか。

新海は、その問いに対する答えを、今、自分の震える手の中に感じていた。 デジタルの世界は、物理的な世界の影に過ぎない。影が歪んだとき、それを直すためには、影を弄るのではなく、実体そのものに触れなければならない。 情報の「選別」とは、冷酷な排除ではなく、現場にある「真実」を救い出すための愛(慈悲)なのだ。

「門脇さん。……今、こちらでシステムの論理回路を完全に浄化しました。もう、幽霊に化かされることはありません」

「そうか。……なら、次は本物の列車の面倒を見てやれ。一番列車が、あんたの引いたスジを待ってるぜ」

門脇の無線が切れる。 新海は、コンソールの横に置かれた、天童の4Bの鉛筆に目をやった。 デジタルとアナログ。 論理と実体。 それらが、地震という名の崩壊を経て、今、かつてない強固な「絆」として結びつこうとしていた。

浄化にかかった時間は、わずか十秒。 だがその十秒は、不確定な未来を再び「安全」という名の確信へと書き換える、神聖な時間だった。 新海は、青く輝くモニターに向き直り、力強くキーを叩いた。

「全線、信号現示正常! 亡霊スジの干渉、排除完了! ……運転再開、継続せよ!」

彼の独白は、もはや管理者の冷たい言葉ではない。 情報空間の混線を断ち切り、正しいことわりを取り戻した「調和の魔術師」としての、静かな、しかし確かな宣言だった。 指令所の窓の外では、朝の光が情報の海を照らし出し、真実の鉄路をどこまでも真っ直ぐに浮き彫りにしていた。

(第34話・完)



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