財布、バニーガール
波戸と瀬川は、びっくりするくらいすぐに和解した。
それどころか、二人はいざこざ以前よりもお互いを容認しているような雰囲気があり、私にはそれが不思議で羨ましかった。
あれだけ派手にやり合っていたのに、男同士だとそんなものなのだろうか。
少し憂鬱になる。
休み時間や放課後に、二人が膝を突き合わしてあれこれと言葉を交わしている姿が見られるようになった。
どうやら波戸は作劇の手伝いをすることになったみたいだ。
「柚木さん、背景のことで話があるんだけど」
そう波戸が話しかけてきたのは、いざこざから二日後の昼休みのことだった。
私たちはお弁当を食べ終えて、いつものように雑談していた。
「もう脚本できたの?」
驚いてつい話に割り込んでしまう。
「いや、完成はまだだけど、目処が付いたから先に準備を進めちゃおうと思って」
「性急だね」
「うん、まあね」
まず間違いなく、時間が押しているせいだろう。
けれど波戸はそのことを明言しなかった。
たぶん瀬川を責めるようなことを言いたくなかったんだと思う。
(いや、考えすぎかな?)
私は彼に対して好意的過ぎる。
波戸は唯に向き直った。
「描いて欲しい背景は三つ。一つ目は遠くに西洋の城が見える構図の絵で、二つ目は城内の廊下、三つ目は礼拝堂。絵のことはよくわからないから、細かいところは全部任せてもいいかな」
「わ、わかった」
唯が緊張した面持ちで頷いた。
「ありがとう。それと、できれば画用紙やペンキを買ってきてもらいんだよね。俺はどの紙が絵に適してるかなんてわかんないし、ペンキも余分に買っちゃったり足りなかったり、いろいろと問題が起きると思うから」
二人はしばらく背景について話し合っていた。
邪魔をしたくなくて、なんとなく私も佳代も黙っていた。
一区切りついたところで、波戸がこちらをちらと見る。
フォローしてやってくれというのだろう。
もともとそのつもりだったから、私は頷いた。
それを認めて彼も頷き返してくる。
波戸はポケットから財布を取り出して、お金を唯に手渡した。
「レシートは絶対に無くさないでね」
「う、うん」
「あ、財布」
佳代が思わず口に出た、というふうに言った。
私は波戸の財布に視線をやり、それから佳代に尋ねる。
「財布がどうかしたの?」
「見つかったのかなと思って」
言いたいことがよくわからなくて、私は波戸の顔を窺った。
彼も困惑している様子だった。
「ほら、波戸くん、一年生のころに財布をなくしたって大騒ぎしたことあるでしょう?」
私もようやく思い出す。
去年の夏頃だっただろうか。
いろんな人に財布を見かけなかったか聞いて回っている波戸の姿が、とても印象に残っている。
あの狼狽のしかたからして、きっと相当な金額が入っていたのだろう。
「そのことか」
波戸は恥ずかしそうに視線をそらした。
手に持った財布をひらひらと振る。
「無事に見つかったよ。というか、この財布が無くしたやつ」
「どこで見つかったの?」と私は尋ねた。
「学校の近くの交番に届けられてたんだ」
当時のことを思い出したのか、波戸は心底安堵するように顔を綻ばせた。
まるで母子の無事を知らされた父親のような表情だった。
不思議と私も嬉しくなる。
「そっか、それはよかったね」
「うん、お札は全部抜かれてたけど」
虚を突かれ一瞬硬直した後、私は噴き出した。
「全然無事じゃないじゃん!」
なんだったんだ、さっきの安堵しきった表情は。
「いやでも、小銭は無事だったし……」
波戸はそんな弁明をした。
「小銭って、いくら?」
「えっと……二百円くらいだったかな?」
「二百円!?」
お腹が痛い。意味がわからない。
「盗まれたお金は?」
佳代が笑いを堪えながら尋ねた。
私は笑いすぎて、喋れそうになかったから助かる。
「一万二千円」
しれっと答える波戸。大金だ。
なおさらさっきの表情の意味がわからなくなる。
佳代ももうだめみたいで、俯いてくつくつと笑っていた。
「わ、わかった」
唯にはまだ少し余裕があるようだ。
「その財布に、思い入れがあるんだ。誕生日に家族に買ってもらったとか」
「いや、中学の時に自分で買ったやつだけど」
「じゃあすごい高級品だとか」
「デパートのセールでニイキュッパ」
「にー、きゅっ、ぱぁ!」と私。
なんだその面白い響きは。
一度ツボに入ると、なんでもおかしく思えてしまう。
ひとしきり笑い、私たちがようやく落ち着きを取り戻した時には、波戸の顔が真っ赤になっていた。
「あ、まだいたんだ」
私ならいたたまれなくて、とっくに退散しているところだ。
目じりにたまった涙を拭う。
「用が済んでないからね」
ぶっきら棒に言ってから、波戸は仕切りなおすように咳払いをした。
「柚木さん」
「は、はいっ」
怒られると思ったのか、唯から笑いの余韻がすっとなくなる。
語気が強くなっていたことに気づいたようで、波戸は反省するように顔をしかめた。
それから一転して穏やかな表情を浮かべ、小動物に敵意がないことを示すような柔らかい声で言った。
「役のことなんだけど」
唯がほっと安堵するのがわかった。
「何かな」
「白ウサギを被り物にしたいと思ってるんだ。柚木さんには申し訳ないけど」
「被り物?」
「うん。声だけを事前に録音して、それに合わせて白ウサギが舞台上で動くようにしたいんだ。プレスコっていうのかな」
「それって、私が被り物をするってこと?」
「それはまた別の人が担当するよ。駄目かな」
唯はぶんぶんぶんと首を振った。
「それでいい。いや、それがいいです。ぜひそれでっ」
熱くなる唯。
よほど舞台に立ちたくないのだろう。
やはり彼女は無理をしていたみたいだ。
「ありがとう。助かるよ」
波戸はそそくさと去っていく。
その背中を見送りながら私は言った。
「恥ずかしがり屋の唯を気遣ったのかな」
「背景に力をいれてほしいんじゃないの?」
「う、うん。舞台に立たなくていいって言われて、すごく気が楽になった」
肩の荷が下りたのか、唯はへなへなと机に突っ伏した。
「なんにせよ、バニーガール姿の唯が見られないのは残念ね」
「そうね。それだけが心残りだわ」
私の冗談に佳代が乗る。
「バニーガールなんて聞いてないよ!」
悲痛な声で叫び、唯は椅子をがたつかせながら立ち上がった。
「前に言ってたでしょ。聞いてなかったの?」
「大きな耳がないせいで、聞き逃しちゃったのかもね」
「そうに違いない。今度プライベートでバニーガールの衣装着せなきゃ」
「賛成」
「も、もうっ」
涙目になる唯。可愛い。
バニーガールの衣装代は私と佳代で折半した。
× × × ×




