立ち稽古、チャンバラ
それから土日を挟んだ三日後の月曜日に、脚本の前半部が出来上がる。
LHRの時間になるやいなや、私たちは本読みをすっと飛ばして立稽古を始めた。
私は何も書かれていない表紙をめくる。
縦書きってだけで本格的だと思えるのだから不思議なものだ。
後で修正することを想定してか、やけに行間が目立つ。
字は全部波戸のもので、読みやすくて助かった。
『アリスは大声で叫ぶ。
「ああもう退屈。何かおもしろいことでもないかしら」
白ウサギが現れ、アリスの前を横断する。
アリスは白ウサギの後を追い、穴に落ちてしまう。』
脚本というより小説のような書き方だ。
といっても私は実際の脚本がどういうものなのか知らないから、もしかしたらこれが正しい書き方なのかもしれないけれど。
なんにせよ、文化祭の劇の脚本にクオリティを求めても仕方がない。
素人が形式を気にしても碌なことにならないし、それは波戸も当然了解しているのだろう。
「ああもう退屈。何かおもしろいことでもないかしら」
私は台詞を読み上げる。
ここではまだ白ウサギの台詞はないようだ。
「ちょっとこれ、お願いしていい?」
そのへんで暇そうにしていた男子に、波戸がどこからか借りてきたウサギの被り物を被ってもらい、目の前を横切ってもらった。
デパートの屋上で風船でも配っていそうなデフォルメされたウサギの被り物は、不思議の国のアリスに出てくる白ウサギとはイメージが違ったけれど、パロディだと考えればなかなか滑稽な表情をしていて相応しい気もする。
私は驚いた演技をして、白ウサギの後を少しだけ追った。
場面が変わるからだろう、かなり余白を残したまま次のページに移る。
『気を失っていたアリスは目を覚まし、周囲を見渡す。
ハートの女王が現れアリスに問いかける。
「あなたは誰?」』
「私の出番ね」
横からのぞき込んでいた佳代が咳払いを一つした。
「あなたは誰?」
「アリス」
私も応じる。
しばらくは佳代と私の――ハートの女王とアリスの掛け合いだ。
「そう、アリスって言うのね」
「ここはどこなの」
「ここは不思議の国よ」
「不思議の国?」
「そうよ。ところで、あなたは見ない顔だけど、この国の住人かしら」
「違うわ」
「誰かに招かれた?」
「それも違う」
「そう、ならあなたは不法入国者ね」
続きには、
『ハートの女王がアリスを指さす。
「この者を捕らえなさい」』
私はページをめくる。
『メイスを持ったトランプ兵が現れる。
アリスは逃げ出し、その後をトランプ兵たちが、
「追え!」
「逃がすな!」
などと叫びながら追いかける。
アリスは城内に逃げ込み、聖剣を手にする。
そしてトランプ兵たちと戦闘を繰り広げる。』
ちらと視線をやると、トランプ兵役の男子五人が、そわそわしながら遠巻きにこちらを眺めていた。
佳代が脚本の指示通り、私を指さしてセリフを口にした。
「この者を捕らえなさい」
「何? 俺たちはどうすればいいの?」
彼らは喜々として近づいてきた。
混ざりたかったのだろう。
私は説明する。
「城内に逃げ込んだアリスが聖剣を手にして、メイスを持ったトランプ兵たちと戦うんだって」
メイスといえば突起のついた鈍器のことだろう。
西洋武器の百科事典で見た。
物騒だな、と内心でひやひやする。
「俺たちの台詞は?」
トランプ兵役の一人、中谷が尋ねてきた。
「アリスとトランプ兵のやりとりはアドリブらしいよ」
「おお、何をしてもいいのか」
その解釈はどうなんだろう?
なんか、よくない気がする。
「とりあえず、アリスとトランプ兵の立ち回りは後にして、先に台詞だけ確認しよう」
場面が変わり、次のページへ。
『トランプ兵を一組倒した後、白ウサギが再び現れる。』
今度は白ウサギにも台詞があるようだった。
「唯を呼んでくる」
佳代に声をかけ、私は教室を出た。
唯は教室から少し離れた渡り廊下で、つぎはぎした大きな画用紙に半ば乗りかかりながら背景の下絵を描いていた。
二枚目と三枚目の下絵はすでに描き終わり、今取り掛かっているのは一枚目の背景だ。
どうやら土日の間に構図を決めたようだった。
それは森の中の、川のほとりの絵だった。
川原には周りの木々よりも二回りほど大きな巨木が豊な葉を茂らせていた。
遠くには壮麗な西洋のお城が見える。
どうやら佳境を迎えているようで、彼女は傍らに立つ私に気づかなかった。
他にも何人か見物人が居たが、それも気にしている様子はない。
いつもは人に注目されることを嫌うのに、すごい集中力だ。
私は踵を返した。
教室に戻ると、佳代が私の背後に視線をやり、小さく首を傾げる。
「唯は?」
「集中してたから、話しかけられなかった」
「そう。まあ唯は舞台に立つわけじゃないから、私たちと一緒に稽古する必要はないかもしれないわね」
「うん。だから佳代、代役お願い」
「別にいいけど」
佳代は私が手渡した脚本に視線を落とし、顔をしかめた。
「……これを、私が読むの?」
「アリスと白ウサギの掛け合いだから、私が代役するわけにもいかないし」
「でも」
「無理なら、やっぱり唯を呼んでくるけど?」
佳代はしばらく迷っていたが、やがて覚悟を決めたようだ。
「わかった。やるわ」
唯の邪魔をしたくないのだろう。
佳代ならそう言うと思った。
私はふとした気まぐれから、スマホを少し離れた机の上に置いた。
「有子、何してるの? やるわよ」
「ああ、うん。今いく」
佳代は何度か深呼吸をしてから、白ウサギの台詞を口にする。
「ぼ、僕はっ、ただの通りすがりだぴょん! そこのトランプ兵たちとは、なんの関係もないぴょん。だから斬らないでほしいぴょん!」
ぴょん。
何とも可愛らしい響きだった。
佳代は中途半端にやる方が恥ずかしいと判断したようで、全力だった。
耳まで真っ赤になっている。
これじゃあ赤うさぎだ。
「わ、笑わないでよ」
「笑ってないって」
「肩、震えてるわよ」
私は大きく息を吸い平静を装う。
そして佳代の持つ脚本に視線をやった。
「小腹がすいたわね」
「き、気のせいだぴょん! 食べてもおいしくないぴょん!」
「ところで、ハートの女王を見なかったかしら」
「女王様ならあっちに行ったぴょん!」
佳代は脚本の指示に従い適当な方向を指さした。
「そんなに簡単にばらしてもいいの?」
「い、いいんだぴょん! あいつはいつも僕をいじめてくるんだぴょん! むしろやられてしまえだぴょん!」
「そう、なら女王の元まで案内してくれるかしら」
「それは……」
「だめなの?」
「わ、わかったぴょん! 僕についてくるんだぴょん!」
続きには、
『アリスは白ウサギと行動を共にする。
トランプ兵が何度も現れ、アリスと戦闘を繰り広げる。』
できている脚本はそこまでだった。つまり、佳代の恥もここで終わりだ。
「さすが」
私は肩で息をする佳代に賛辞と惜しみのない拍手を贈る。
つられてトランプ兵役の男子たちもぱちぱちと手の平を鳴らした。
「いいから、そういうの本当にいらないから」
佳代は顔を真っ赤にしたまま虫をはらうような仕草をした。
私は少し離れた机に近づくと、筆箱に立てかけていたスマホを手に取り録画を停止した。
すぐに音量を抑えて再生してみる。
『有子、何してるの? やるわよ』
『ああ、うん。今いく』
よかった。
ばっちり撮れてた。
「どうしたの?」
いつの間にか背後に来ていた佳代が私の肩越しにスマホを覗いた。
「あ、いや、別に」
慌てて停止しようとしたけれど、手元が狂ってうまくできない。
『ぼ、僕はっ、ただの通りすがりだぴょん! そこのトランプ兵たちとは、なんの関係もないぴょん。だから斬らないで――』停止。
「……有子、あなた」
「ご、ごめん。悪気と悪意しかないの」
「全部あるじゃない」
スマホを奪われた。
「思い出っ、思い出だからっ」
「いらないわ、こんな思い出。記憶からも消したいくらいよ」
「……唯にあとで見せようと思ってたのに」
動画を削除しようとしていた佳代の手がぴたりと止まる。
「どういうこと?」
「佳代が唯のために体を張ったよって報告するの」
「別に感謝されたくてやったわけじゃないわ」
「でも唯はきっと『ありがとう』って言うと思うよ。頬を染めながら上目づかいで」
佳代は眉間に皺を寄せて押し黙ってしまう。
葛藤しているのだろう。
唯の上目づかいの威力は私も知っていた。
身長差の大きい佳代はなおのことだろう。
佳代は苦渋の決断を下すように、動画を削除することなくスマホを返してくれた。
「こういうのも、青春の一ページだと私は思うわ」
「佳代のそういうところ大好きだよ」
私はスマホをポケットにしまう。
「おーい、次は」
男子が声をかけてくる。
「次はまた、アリスとトランプ兵たちの戦闘。トランプ兵たちは衣装を変えて何度も登場するみたい」
「それもアドリブ?」
「うん」
「その後は?」
「できてるのはそこまでだよ」
男子たちが満足気に頷く。
トランプ兵役の一人である佐々木が近づいてきて「はい」と私に棒状の何かを差し出してきた。
反射的に受け取る。
それは丸められた新聞紙だった。
「何これ?」
「聖剣(仮)」
なんとも頼りない聖剣だ。
トランプ兵役の男子たちの手にも同じく丸められた新聞紙が握られていた。
待っている間に量産していたようだ。
彼らのそれはメイス(仮)なのだろう。
「よっしゃ、勝負勝負!」
中谷がメイス(仮)を振り回しながら、はしゃいだ声を出す。
本当はもう何回か台詞を確認したかったんだけど、すでにやる気になっている男子たちを見ていると、それを言い出せなかった。
(なんで男子って、こういうのが好きなのだろ……)
私は嘆息し、仕方なく彼らと向き合った。
「じゃあ、アリスとトランプ兵たちの戦闘の稽古ね」
殺陣、というと少し大げさな気がする。
要はチャンバラだ。
「じゃあいくよ」
彼らに一歩近づいて、軽く聖剣(仮)を振るう。
中谷はそれを半身になりかわし「おらぁ!」と叫びながら私の頭頂部にメイス(仮)を叩きつけた。
パアァン! と風船が割れるような音とともに頭に衝撃が走る。
地味に痛い。
抗議する間もなく、中谷の背後からスイッチするように松坂が躍り出てきた。
彼は野球のスイングのようにメイス(仮)を振るった。
服の上からだからか、音は少し控えめだったけれど、痛みは大して変わらなかった。
腹部が地味に痛い。
「怯んだぞ!」
「今だ!」
「であえであえ!」
活気づいた男子たちに囲まれ袋叩きにされた。
応戦を試みたが、攻撃を受けながらだと腕を振り回すのが精いっぱいで、まるで抵抗になっていなかった。
トランプ兵たちは聖剣を持ったアリスに一方的にやられるはずなのに……彼らはそれを理解していなかったみたいだ。
説明しようと顔をあげた瞬間、ひときわ大きな音が教室に響いた。
左の頬に鋭い痛み。
攻撃の手がぴたりと止まり、しんと静まり返る。
男子の誰かが、唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。
私は殴られた左の頬にそっと触れる。
それから顔をあげ、にっこりと微笑んだ。
すると男子たちが、ほっと肩の力を抜く。
その隙をつくように、一番近くにいた男子の鳩尾を渾身の力を込めて殴った。
もちろん拳でだ。
「うぐぅっ」
男子は呻き声をあげて膝から崩れ落ちる。
犠牲者は佐々木だった。
彼が顔を叩いた犯人なのかはわからないけれど、それはどうでもいいことだった。
なぜなら、
「全員殺す」
「ひ、一人やられたぞ!」
「怯むな! か、敵討ちだ!」
「であえであえ!」
それから私は男子たちと死闘を繰り広げた。
彼らはメイス(仮)での攻撃のみで、私は聖剣(仮)を振り回しながら時折、パンチやキックを繰り出した。
そのハンデが人数差と腕力の差を埋めて拮抗し、戦いは熾烈さを極めた。
次第にギャラリーが集まってきて盛り上る。
「何してるの?」
十分ほどが経過し、全員体力が尽きて睨みあいの膠着状態に陥ったころ、そんな呆れた声が聞こえてきた。
視線をやると、波戸がギャラリーに混じって、こちらを怪訝そうに眺めていた。
私は質問に答える。
「……殺し合い?」
「殺し合ってたのっ!?」
「違えよ、稽古だ稽古。アリスとトランプ兵の戦闘の」
中谷がすぐに否定した。
ああ、そうだった。
忘れていた。
「いや稽古って、トランプ兵はアリスに蹴散らされるんだよ。一方的に、ぐああって感じで」
「でも脚本にはそんなこと書いてないじゃん」
中谷の言葉に、波戸はばつが悪そうに言い淀んだ。
「それは、こっちも脚本を書くの初めてだから、説明がたりなかったんだよ。物語上、トランプ兵はさくっとやられてもらわないと困るって。その後も何度も再登場するんだし」
「でもおかしくね? 五対一でこっちが一方的にやられるなんてありえないだろ」
「アリスは聖剣を持ってるんだよ」
「はっ、こんな聖剣(笑)がなんだってんだよ」
「おい、人の聖剣を笑うな。謎の愛着心が湧いてきたところなんだぞ」
私は聖剣(お気に入り)を中谷に向けて掲げた。
聖剣はくたりと折れて床を指した。
「文句を言うなよ」
そう口を挟んだのは、瀬川だった。
彼はいつの間にか波戸の隣に立っていた。
「クラスの出し物なんだから、ちゃんと指示に従えって」
中谷が何か反論しようとしていたが、その前に瀬川が周囲を見回しながら「脚本貸して」と言った。
瀬川は佳代から手渡された脚本を開き、そこに何かを書き加え始める。
「これで文句ないだろ」
瀬川が示威するように中谷に脚本を突きつける。
トランプ兵が初登場するページの余白に、癖の強い字でこう書かれていた。
『トランプ兵はアリスに一方的に派手にやられる。』
グッジョブだ、と私は心の中で親指を立てる。
なんだかお調子者の彼らしくない。
正直、見直した。
そんな私の感心をよそに、彼は不満そうにしているトランプ兵役の男子たちに向かってこう続けた。
「藤村を袋叩きにするなら、稽古とは別でやれ。それなら文句ねえから」
「おい、ふざけんなっ」
見直したばかりなのに……。
隣ではトランプ兵役の男子たちが、
「その手があったか」
と納得していた。
その後、トランプ兵役の男子たちが暇を見つけてはチャンバラを仕掛けてきて、その度に死闘を繰り広げる羽目になった。
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