初めての涙
どれくらい見つめ合ったのだろう……。
月は遥か遠くに昇っていた。
青年は零れる小さな粒を拭って不思議そうな顔をした。
そう、この山神様と恐れられ崇められてる青年は‘‘涙‘‘と言うものを知らなかったからだ。
「山神様、そろそろ降りられては?
今日は見上げてばかりで疲れてしまいました。
同じ目線で話したいです。」
サチも涙を流していた。
二人はきっと同じことを思っただろう。
なんて幻想的で、美しく、そして儚い方なんだろうと……。
青年は空を飛ぶ勢いでサチのところへ舞い降りる。
「サチと申します。山神様はなんで泣いているのです?」
「泣くとはなんだ?目から零れる水はなんだ?
今まで感じたことのないモノが溢れてしまう……」
サチは思ったのだ……。
この山神様は感情と言うものを知らないのだろうと。
喜怒哀楽が欠けてると……。
「人は感情と言うものが揺れ動いたときに涙と言うものを流すんですよ?
きっとそれを初めて経験したんですよ。」
「これが、感情……涙……。」
青年はその涙を琥珀色の瞳いっぱいに溜めてポロポロとたくさん零していく。
視界が涙で歪む。
サチはそっと青年の頬を優しく触る。
サチの手に流れるその涙は我々人間と同じ温かさで、恐れられてた山神様はただの人間にさえ思えてくる。
今にも消えてしまいそうな儚い青年――。
「俺には今までこんな事がなかった……。
何百年もの間ずっとだ……。」
そう、この青年は気付いたらこの山にいて成長も止まったまま鎮座していたのだ。
いつの日か人々は山神様信仰を始め、恐れ崇められ勝手に供物を供えるようになったのだ。
村で天災、疫病が流行れば人柱を立て供物と共に人の子を置いていく。
けれど青年には何も能力が無ければ妖の類や神ですらない。
人ですらないこの山神様と呼ばれた青年は何百年も木々に覆われ、動物と暮らしていたのだ。
そんなサチは胸が苦しくなった。
ずっと独りぼっちでいたことが悲しかったのだ。
「貴方様はずっと堪えてらしたのですね……。」
青年の頬に触れてる手が悲しみで溢れ震えた。
「時には子供が迷い込んで一緒に遊んでいたが、その子供は皆俺のことを忘れてしまう。
人と話して触れたのは何十年ぶりだろうか……。」
村長が言っていた言葉を思い出した。
子供の頃は見えてても大人になるにつれ段々と記憶が薄れて、終いには消え去る――。
「それに俺は神でもなければ人でもない。何故か鳥居の先には行けない……。
そうしてずっとここで時を過ごしてきたんだ。」
青年はこれが悲しい、寂しいという感情なんだとようやくわかった瞬間だった。
「なんて悲しいお方……。
辛かったでしょう、寂しかったでしょう。」
サチは泣く青年に優しく問いかける。
青年はその言葉で胸の奥にいる何かが大きく脈を打った……。
「私は捧げられた身、命尽きるまで貴方のそばに居たい」
サチの本能がそう告げる。
同情ではなく、この繊細で今にでも壊れてしまいそうな青年にたくさんの愛情を捧げたいと思ったからだ。
そしてそっと抱きしめた。
「これが人の温もりですよ。」
サチが青年を抱きしめた瞬間、大きな風が吹いた。
青年の胸の奥にいる「何か」がじわじわと流れてくる。
その「何か」がサチにも渦巻いていく……。
とても重くて苦しい……。
まるで大きい蔦に巻かれてるこの感覚――。
その瞬間サチの脳内に誰かの声が囁きだした。




