DV男
サンドラは毎朝、嬉々として教会へ馬車で出かけて行く。
それを苦虫を噛みつぶしたような顔で見送るのはノイルだった。
ノイルの怠け癖は治らず、皆の小言も届かない。
なんたって侯爵弟だからなぁ。あんまり文句も言えないし。
優秀な家令オラルドなんか、「もう屋敷で飼ってるペットとでも思っておけばいいんじゃないですかね」と言う。
オラルドや領地管理の総監督の下で働く忠実なる執事達がいれば仕事は滞りなく進むからだ。
けれどノイルは大人しくもしていなかった。
寒さが厳しくなり雪が降り積もるようになった朝、サンドラは新しく用意した毛布や薪などを馬車に積むように従者に言いつけていた。
以前の彼女とは違い幸薄そうな表情は消え、控えめに微笑む姿は柔らかくていいんじゃないかと思う。
私は玄関まで出て、サンドラに教会や子供達の様子を聞いていた。
トムの暖かいスープと少しでも肉を摂取出来るようになったので風邪を引いて寝込む子供が減ったとサンドラは嬉しそうに言った。
耕した畑では豆や葉類を植えているらしい。
収穫まで二ヶ月、子供達はそれを楽しみにし張り切って交代で世話をしているらしい。
「そう、良かったわ。それで……」
と私が言いかけた時に、荒々しい足音がしてノイルがやってきた。
「サンドラ! 教会へ行くのは許さないと言ったはずだ!」
と、とんちんかんな事を言うので、
「ノイル様、それは何故か理由がありますの?」
と聞くと、ノイルは私を見てふんっと横を向いた。
「あなたには関係ない事です。サンドラは私の婚約者ですから。サンドラの行動は私が管理するのが当然です。私が行くな、と言えば、サンドラはそれに従うべきなのですよ」
と言った。
いくら婚約者でもそんなことまで制限するのはおかしい、と思うのは私に前世の記憶があるからだ。全くの男女平等ではなかったが、女性の地位は向上していた。
けれどここは完璧に男尊女卑の世界で、生まれた時から貴族階級でそれに馴染んでいる人間にはそれが至極当然な事だった。
「私が教会に行ってくださいとサンドラ様にお願いしたのです。サンドラ様は侯爵夫人である私の言葉に重きを置いて下さっただけですわ」
私の言い方がノイルを傷つけたのは確かで、ノイルの顔は真っ赤を通り越して赤黒くなっていた。
だがノイルはふんっと背を向けて去って行ったので、
「さあ、雪が酷くならないうちに行ってちょうだい」
とサンドラを行かせた。
その夜、部屋でおっさんたちと話をしていた私の元へでっかいアラクネがぱっと現れて、サラがぎゃーっと悲鳴を上げてひっくり返った。
「あらあら、どうしたの? あなたがここへ顔を出すなんて」
アラクネは蜘蛛魔獣なので、やはり暗い箇所が好きらしく漆黒の塔に住み着いてからはそこで過ごしている。
たまに魔力を吸収するために顔を出すが、こんな風に急に現れるのは珍しい。
「まー、放っていてもよかったんだけどさー、見ちゃったからさー」
「何?」
「あの侯爵の弟、サンドラを鞭で殴ってたからさ、リリアン様、ああいうの嫌いだろと思ってさ」
「何ですって!!」
「なんやて? 殴った? か弱い女性を殴ったんか? DVやがな!」
とカリンおばちゃんが言った。
異世界なのにDVって言葉あるんだ。
私は大慌てで部屋を飛び出した。
廊下は寒く、薄暗く、そして目指すサンドラの部屋は遠い。
「リリアン様、乗る?」
ヤトが並行して私の走る隣をノロノロ飛んでいる。
「そ、そうね……お願いするわ……」
「失礼しますわ」
ヤトに乗り、サンドラの部屋へ辿り着くと、先回りしていたアラクネがサンドラの前に大きく立ちはだかり、ノイルを威嚇していた。
さすがのノイルもアラクネには手も足も出ないらしく、「ひいいい」と鞭を持ったままで部屋の隅に逃げていた。
「サンドラ様、大丈夫?」
「だ、大丈夫ですわ…リリアン様」
「大丈夫じゃないでしょ! あなた、顔、ミミズ腫れになってるじゃないの!」
私はノイルを睨んだ。
「ひっ」
ノイルは両手で防御するような体勢を取りながらも、
「私が私の婚約者をどうしようが、あなたに何を言われる筋合いはない。あなたこそ、余計な口出しをしないでほしい。そうだろ? サンドラ?」
と言った。
「はい、リリアン様、私が悪いのです。ノイル様を怒らせてしまったのは私がいたらない為でございます。どうかお気遣いなく」
とサンドラは言い、また幸薄そうな顔になっていた。




