トム
また石の階段を長々と下っていき、今度は地下牢へ行くと長い間、使われなかった様子の蜘蛛の巣で一杯のほこりっぽい部屋がいくつもあった。
朽ちた木のドアの鍵を開け、ドアを開けると、レイモンド、クラリス、そして……話の序盤に出てきたコックの……ええと……名前すら覚えてない……あ、トムだ、の三人がいた。
トムとクラリスは寄り添って手を繋いでおり、レイモンドは酷くプライドを傷つけられたような憮然とした顔だった。
仮にも侯爵家の家令を勤めていた人間が地下牢て、そりゃ苦虫を噛みしめたような顔になるわな。
「侯爵様、私は先代様の頃よりこれまでウエールズ侯爵家にこの身を捧げて仕えてまいりました! それですのに、この仕打ち……あまりにも惨いではありませんか」
飛びつくようにレイモンドが侯爵に訴え始めた。
「お前はノイルを侯爵と認めたのだろう? では私に用はないはず。だがノイルは私に忠誠を誓い、サンドラと共にこの地に尽くすと言ったぞ」
「侯爵様……」
「レイモンド、私が来る前にお前がそれを諭し、学ばせるべきではなかったか? 先代が厳しい方だったのは知っている。だがお前はノイルを導くべきだった。お前がした事はただの怠け者の貴族を一人育てただけだ。長い年月と莫大な金を使ってな!」
「侯爵様……私は処分されるのでございますか……」
とレイモンドは跪いて弱々しく言った。
「それ以外に何かあるか? お前はその立場を良い事に、横領もしていたようだな。呼び寄せた新しい家令がここ数日でお前の悪事をすぐに暴いてくれたぞ」
「……あ、ああ」
レイモンドは観念したように床に崩れ落ちた。
「侯爵家から罪人がでるなど外聞の悪い! お前は先代の気に入りだったものな。口が上手く、横領されてるとも知らず、あの父上が気に入っていた。戦場では何人もの敵をこの手で切り裂いたが、お前を切るなど我が刀が穢れる! だが官憲に突き出すのもはばかれる。忌々しい! そういえば、リリアン、君のドラゴンは肉が好きらしいな」
「そうですわ。サラを助けるのにずいぶんと力を使いましたから、きっと腹ぺこですね。それに蜘蛛魔獣のアラクネも、こちらへお邪魔してません?」
「……あ、ああ、お許しください。ガイラス様……リリアン様……どうか……」
ぶっちゃけ、さすがに死神将軍と呼ばれるだけある。
ただ言葉を発しているだけ、侯爵には魔素なんかないはずなのに、言葉の一つ一つに冷気が纏う。心が氷るような冷たい言葉と見下げるその瞳。これは効くわ。
思わず、すんません! 私がやりました! って言いたくなる。
私の声に反応したのか、天井からツイーとアラクネが降りてきた。
下半身は蜘蛛で上半身は人間。でかい。
しかもボインボインなおっぱいを惜しげもなくさらし、顔はすこぶる美魔女だ。
「あらぁ。侯爵様ぁ? いい男ねえぇ。餌を貰えるの? 嬉しい」
「ほう、これが蜘蛛魔獣のアラクネ? 恐ろしいがなんと美しい!」
侯爵は感心してアラクネを見ている。
それを見たレイモンドがぎゃーと叫んで泡をふいてひっくり返ってしまった。
侯爵は私の方へ振り返り、
「そっちのメイドはどうする? リリアン、君に任せよう」
と言った。
私はクラリスを見た。
クラリスとトムはしっかりと身を寄せて手を握りあっている。
だけど、クラリスの目はしっかりと私を睨みつけていた。
駄目だな、こりゃ。
「ガイラス様、このような場所にご足労ありがとうございました。どうぞ一足お先にお戻りになってくださいな。アラクネ、あなたは侯爵様と一緒に行ってご用を聞いてちょうだい」
そう言うと、如才のない侯爵は少し笑ってうなずき、アラクネは小さい赤蜘蛛になってぴょんと侯爵の肩に乗った。
「分かった。では昼食は一緒に。グレン、リリアンを頼むぞ」
「はっ」
侯爵のお付きの騎士は生真面目に敬礼をし、私の背後にぴたっと張り付いた。
「さて、クラリス、あなたが私を嫌いなのは分かりました。でもそれが何故だか分からないわ。私はあなたに何もしていないと思うのだけど? 侯爵夫人が私かサンドラでメイドのあなたにそんなに違いがある? 特別良いお給金を貰っていたの?」
「別に」
とクラリスがやる気なさげに答えた。
「じゃあ、何なの?」
「別にって言ってるじゃん。サンドラ様が嫌ってたからさ。ちょっと意地悪してやったら泣いて帰るだろうって。サンドラ様が侯爵夫人になりたいのに、あんたが来たらなれないからってさ」
コックのトムはというと、クラリスの手を握ったままで何も言わない。
前世の記憶が残る影響か、私はそう良い人間ではない。
何もかも許して愛してなんて出来る人間ではない。
それでもクラリスとトムが悔い改めれば許し、今後もここで働きたいのであればそれでもよかったのだが。
「あー、無理だわ、これ、言葉は通じるけど話が通じない人間てほんと無理。。異世界に来てまでこんな人間がいるなんてね。ほんとマジ腹立つわぁ。アラクネやドラゴンの方がまだ理性的に話が通じるなんて驚きだわぁ。いや、まあ、魔獣だって話の通じないのはいるだろうけどさ。同じ人間で、話が通じない、反省もしない。え、バカなの? バカなんでしょうね?」
と言うと、クラリスは「何だって!」と立ち上がったが、
「あ、もういいです。あんたと話してたら、こっちまでバカが移りそうだから、黙ってちょうだい。それにしてもこんなメイドに悪態ついてもちっともすっきりもしない。まだサンドラに嫌味を言う方がましね。侯爵様の温情でサンドラは許されたけど、やっぱり許すの止めてもらおうかしら。サンドラは追い出して路頭にでも迷えばいいんだわ。そうしましょう。あんたも一緒に追い出してやるから仲良く暮らせばいいわ」
と言って私は二人に背を向けた。
「ま、まって下さい!」
と言ったのはトムだった。
「俺達はいいんです! 追い出されても仕方がない! どうやったって生きていける。でもサンドラ様は無理だ! お屋敷から追い出されたら……」
「はぁ? それが私に何の関係が?」
「お願いします! サンドラ様だけは……」
トムはがばっと床に伏して頭を下げた。
「私は侯爵様にお願いすればお前達を切り刻んでいただけるのよ? それに肉を食べるドラゴンも蜘蛛魔獣も私の眷属なのよ? お前達はそれほどの事をしたのよ? 追放だけですんで感謝してもらいたいくらいだわ?」
「俺達はいいんです! 切って捨てられても仕方ないです。でも、サンドラ様は……お願いします!」
「そう? でもあなたが思うほど、あなたのお連れさんはそうは思ってないみたいよ?」
クラリスは最初の場所から微動だにしていなかったが、わずかに手が震えていた。
「クラリス! 奥様に謝れ、サンドラ様が追い出されてしまうぞ! クラリス!」
「あ……す、すみま」
「止めて! 謝罪なんていらないわ。あなたも心にもない事を言うの辛いでしょう」
私は二人に背を向けて牢屋を出た。
グレン騎士が戸を閉めた後、中からクラリスを罵倒するトムの声が聞こえてきた。




