再開
「アラクネ、ついてくるのはいいけど、絶対に人間を囓っちゃ駄目よ? 人間を傷つけたら私はあなたを成敗するわよ? あなたが私に力を貸してくれるなら、魔法玉をたくさん作ってあげるわ」
「分かってるよ!」
肩の上のアラクネは言ったが、どこまで本気で分かってるんだか。
「アラクネ、リリアン様に偉そうに言うな!」
とヤトが振り返りながら言った。
「そうやで、アラクネはん、リリちゃんは聖魔法も使えるし、秘められた魔素も凄い。ついて来たいんやったら、リリちゃんにちゃんとテイムしてもらいーな。ちゃんと眷属になって、仲間とか他種族との関わりとか、そういうのを学ぶんやで」
とおっさんが言った。多分、次兄のドゴンおっさん。
「分かったよ。リリアン様、よろしく」
とちっちゃいアラクネがぺこっと頭を下げた。
ちなみに、ちっちゃいアラクネは普通の赤い蜘蛛で、顔は人間じゃなかった。
「あんたにはわしらも聞きたい事あるしな」
と多分、デゴンおっさんが言った。
「あら、何?」
と私が言うと、
「「死霊王の事や」」
と二人のおっさんがハモった。
侯爵家の庭にヤトが着地した瞬間、ばたばたと屋敷の中から黒服の執事やメイド達が出迎えにやってきた。
「あら、最初とはずいぶん扱いが違うじゃない」
ヤトからよっこいしょ、と降り、礼にヤトに魔法玉をあげると嬉しそうにそれを抱えてどこかへ飛んで行ってしまった。
「リリアン」
と低く渋い声がして、見覚えのある侯爵がこちらへ歩いて来た。
さすがに兜も鎧も着用せず、普通に貴族のような刺繍の入った上等の上着にシャツを着ていた。とても精悍な整った上品な顔なのに、どうしてこの人の素顔が醜いオーク顔だって噂になったんだろう?
「侯爵様、ずいぶんとお久しぶりのように思いますわ」
私は軽く会釈をした。
「ああ、話は聞いた。メイドを助けに行ったとか? 助かったのか?」
「ええ」
「侯爵様、お初にお目にかかります。私、、リリアン様のレディース・メイドを勤めさせていただきます、サラと申します。この度は奥様を危険な事に巻き込んでしまい申し訳ありません」
気丈にもサラが私の後方、一歩退いた場所で深々と頭をさげた。
「盗賊にあったのは災難だったな。無事でよかった」
と侯爵が言った。
「ガイラス様、サラを休ませてよろしいですか? 馬車を急襲されて、怖い思いをしたと思いますので」
「ああ、そうしてくれ。君は大丈夫なのか?」
「はい、着替えをすましてすぐにお話をさせていただきに伺いますわ」
「分かった。居間で待つ」
そう言って侯爵は踵を返し、屋敷の中へ戻って行った。
「奥様」
と声をかけてきたのは侍女頭のセレンだった。
この人の顔を見るのも久しぶりだ。
「サラ、疲れたでしょう? 部屋に戻ってベッドへ入りなさい。二、三日はきちんと休みなさいね」
私はセレンには構わず歩きだした。
「奥様、代わりに私がお世話をさせていただきます」
とセレンが食い下がるのを邪魔には思ったが、サラを休ませる為にもその申し出を承諾する事にした。
「いいわ。セレンだったわね。あなたにお世話をしてもらいましょうか。クラリスとレイモンドはどうしたの? 出迎えにも来ないじゃない?」
足を止めてセレンを振り返ると、セレンはガタガタと身体を震わせて、
「と、投獄されましてございます」
と言った。
「はぁ? そこまで言いつけてないわよ?」
「侯爵様のお言いつけでございます」
「ふーん」
そこで、ケッケッケと声がしたと思ったら、肩に留まっていた蜘蛛のアラクネが、ぴょーんと飛び上がった。
「聞こえる、聞こえる! 絶望と悲しみに突き落とされた人間の悲哀が! あの塔だ! ひっひっひ、いいわねぇ。あんな暗くて素敵な塔があるなんて、このあたしの住み処にぴったりだわ! いいでしょ。リリアン様!」
と言った。
「あ、ちょっと!」
と言ったが、アラクネはぴよーんと遠くに見える塔の方へ飛んで行ってしまった。
「もう~~」
リリアンがアラクネの飛んで行った方を見ていると、
「奥様……あれは……」
「あー、見えた? 蜘蛛、蜘蛛なんだけど、蜘蛛って益虫でしょ。きっと塔に巣くってるハエとかとってくれるんじゃないかな……多分」
部屋へ戻って手と顔を洗って着替える。
アラクネの屋敷で蜘蛛の巣と埃でドレスも汚れいる。
湯浴みをしたいくらいだけど、侯爵を待たせているので着替えだけしてすぐに居間へと向かった。
侯爵は窓際に立って外を眺めていた。
「お待たせしました。ガイラス様」
そう言いながら入って行くと侯爵は振り返った。
侯爵の肩の上におっさんが乗っていて、私と一緒に戻ってきた二人のおっさんが飛んで行き、手を取り合って無事を喜んでいる。
椅子を勧められ、向かい合って座るとセレンがお茶を運んで来た。
侯爵にも若い執事が何人か、私にもセレンともう一人メイドが側に控えていたが、侯爵は全員を部屋から下がらせ、ようやく話が始まった。
「リリアン、私の方こそ領地へ来るのが遅くなった。結婚と爵位継承を機に騎士団を引退するつもりが、隣国から発生した死霊王問題に奔走していた。死霊王は近在の村を襲い、村人をグールにしながら移動している。今や我が国グランリーズだけの問題ではなくなっているんだ。そこへ我が領地に死霊王と戦ったアイスドラゴンが出たという知らせを受けて急いで来たんだが……」
とそこで侯爵は言葉を切った。
「?」
「雪の妖精……のような声がして、死霊王の穢れを受けたアイスドラゴンを討伐してはいけないと忠告を受けた。ドラゴンを殺すと、死霊王の穢れがそのまま我が領地に放たれると。ゆくゆくは国全体が犠牲になるだろう、と」
「そうですか……では大事にならずにすんで良かったですわね」
「ああ、そこでちょっと不思議な予言というか……を聞いた」
「予言ですか」
「ああ、その、私に女難の相が出ていると」
私はお茶を飲もうとしていたので、ちょっと噴き出した。