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白猫は不器用騎士様に恋をする 第一部完結!  作者: 春志乃
第2話 騎士団の雑用係
6/29

2-2



 家が近くなり、ふと顔を上げると、家の前に誰かがいることに気づいた。

 母が中から顔を出していて、話をしているようだ。


「……女将、さん?」


 そこに立っていたのは、リゼルだった。

 彼女の向こうには、いつも厨房の隅で怯えたような顔で芋の皮をむいていたローもいる。


「あら、帰ってきたわ。丁度良かった」


 リゼルが振り返り、グレースは警戒しながらも彼女から家を守るように母と彼女の間に体を滑り込ませた。


「どうされたんですか?」


「お金の話をしに来たの」


 にっこりと三日月形に細められた目におぞけが走る。


「今まさにお話しようと思っていたところだったの。二度も三度も説明する手間が省けたわ。こんな猫臭いところ、長い時間いられないもの」


「それで何のお話なんですか?」


 グレースは急かすように問いかける。

 話を遮るなんていつもだったら罵声が飛んでくるだろうに、リゼルは「あら、ごめんなさい」と驚いたことに謝罪を口にした。


「ロー」


 リゼルが振り返ると、びくびくしながらローが木箱に入れられた何かを差し出してくる。

 それは、あの日、リゼルがグレースに向かって投げつけてきた花瓶の破片たちだった。


「これが、どうしたんですか?」


「あの日、貴女が割った花瓶よ」


「え?」


 思いがけない言葉にグレースは目を見開く。


「これ、とても貴重なとある有名な陶芸家の作品なの。あたしもびっくりしたわ。おばさんったら寝室の本棚の本に適当に挟んであるのだもの」


 固まるグレースにかまわずリゼルは、懐から一枚の紙を取り出した。

 そこには『鑑定書』と書かれていて、この花瓶の作者名と、この花瓶が間違いなくその作者のものだと書かれていた。


「クラウスの花瓶……まさか」


 母のセリーヌが声を上げた。


「お母さん、知っているの?」


「とても有名な陶芸家よ。もう五十年も昔に亡くなっているけれど、彼の作品はいまだに高値で取引されているの」


 セリーヌがそう説明してくれる。

 五年前までは母は裕福な貿易商の妻で、屋敷を任される女主人だった。多くの来客を相手にするため、そういった家に飾る物の知識を徹底的に学んでいたのを、グレースも知っている。グレースも学院を卒業後により詳しく教えてもらう予定だったのだ。


「それで、これが査定額よ」


 次に渡されたそこには、骨董商の店名と店主の名前が書かれていた。

査定額はなんと『二百四十万ペル』。


「貴女が割ったんだもの、弁償してもらうわよ?」


 リゼルはにっこりと笑った。


「わ、私は割っていません。割ったのは女将さんでしょう? その上、私は破片で頬を切って、それなのに……!」


 声を上げたグレースに、リゼルは暗い赤の口紅が濡れられた厚めの唇をにんまりと引き上げた。


「あたしが割った証拠もないわよねぇ?」


「それは……!」


 あの時、休憩室にはリゼルとグレースしかいなかった。同僚たちは皆仕事中だったからだ。


「別に出るとこに出たっていいけれど、無職の小娘と、社会的に信用のあるあたし、どちらを信じてもらえるかしらねぇ」


 グレースは、開きかけた口を閉じる。


「失礼ですが、娘は物に当たるような子ではありませんし、他人様の花瓶を割るような子でもありません」


 セリーヌがグレースの前に出る。

 セリーヌが、真っ直ぐにグレースを信じてくれた。そのことだけでグレースは、再び背筋をぴんと伸ばすことができる。


「貴女の意見はどうだっていいの。現にこの花瓶は割れていて、弁償をしてもらわないと困るんだもの。ねえ、ロー?」


 ローは、こくこくと頷いた。


「二百四十万、一括でなんてことは言わないわ。月々、十万ペル。それだけでいいの。ローが回収に来るから、渡して頂戴ね」


「どうして私が女将さんの割った花瓶を弁償しなければいけないんですか? 私に払う義務はありません!」


 グレースはきっぱりと告げた。

 すると、またリゼルが笑った。だが、その笑みは今までの嫌な笑みとは違う。体の中心から冷えていくような、恐ろしい笑みだった。


「いいのよ? ローじゃなくて、あたしの知り合いの、取り立てがとーっても上手なお友だちに頼んでも。ただ、彼はちょっと気が短くて、女でも子どもでも、泣きわめいても、容赦しないけれど」


 グレースとセリーヌの顔から血の気が引く。


「貴女の弟、いつも一人で家と学校を往復しているのよねぇ?」


「脅すつもり?」


 セリーヌがぎっとリゼルを睨みつける。


「あらやだ。脅すなんて、ただ取り立て上手のお友だちは、本人が払えないならその家族を潰すことだって厭わないの。彼が取り立てて、最終的に葬儀代で借金が嵩んだり、ね」


 グレースは母の手を握りしめた。冷え切った細い手がぎゅうっと握り返してくれる。


「つ、月に十万ペル、返済したら、その人は来ませんか?」


 グレースの問いかけに、セリーヌの手に力がこもる。しかし母は何も言わなかった。


「ええ、もちろんよ。伯母さんが可愛がっていた店員だもの。きちんとローに払ってくれるなら。だってお友だちは、払いを渋る人専門だもの」


 まるで獲物をいたぶる猫のように猫嫌いのリゼルは目を細める。その歪む口端に狂気が宿っている。


「でも、貴女、今、無職でしょう? それにこんな質素な家じゃ、売る物もなさそうだし」


 リゼルが心底憐れむように言った。


「実はね、新しく酒場を開くの。どう? そこで働いてみない? 月給は二十万ペル。そうすれは借金の返済しながらも生活していけるでしょう?」


「お断りします」


 グレースは悩む間もなくそう返していた。


「あなたのお店でなんか絶対に働かない。まっとうに働いて、毎月十万ペル、払うわ」


 リゼルの下で働くぐらいなら、娼館で働いたほうが何倍もマシだ。

 同情をその顔に浮かべたまま、リゼルは一歩引いた。


「……そう。それは残念ね。でも、払ってくれるなら文句はないわ。じゃあ二週間後にまたローが来るわ。毎月、二十日に払ってね」


 二十日というのは、基本的にどの職業でも給料が出される日だ。


「困ったことがあればローに言ってね。うちの酒場は、いつでも大歓迎だから」


 そう告げるとリゼルは、馬車に乗り込んだ。ローがドアを閉めて御者席に移動して、手綱を握ると馬車はゆっくりと動き出した。

 グレースは、セリーヌに手を引かれて家の中に入る。母が玄関のドアの鍵をかけた。


「……お母さん、ごめんなさい……っ」


 グレースは、母の手を離し、両手で顔を覆ってうなだれる。

 セリーヌはそんな娘に「大丈夫よ」と微笑んで、抱きしめてくれた。


「……お母さんのほうこそ、食堂、首になってしまったの、言い出せなくさせてしまってごめんなさい。お母さんが働けないから、グレースに負担をかけてしまっていたのにね」


 細い手が優しくグレースの背を撫でてくれる。


「……どうして」


 今日は定休日なので、こうして早く帰ってきたが、昨日までは外で時間を潰して、いつも通りの時間に帰宅していた。


「モナおばさんが教えてくれたの」


 モナは近所に住む噂好きのおばさんで、井戸が共用のため、たまに会うことがあった。

 あれだけの騒ぎだったし、リゼルはきっと好き勝手に噂を流しているのだろう。母の耳に入るのは時間の問題だったのだ。


「……リゼルさん、猫が嫌いでずっと目の敵にされていたの。でも、まさかこんなことまでしてくるなんて」


「なら、あの日の怪我も?」


 セリーヌがあの日、花瓶の破片で切ってしまった傷があった頬を撫でた。


「それは、違うわ。本当よ……あの日、スカーフを洗濯したでしょう? 実は忘れ物を届けに店の外に出た時、私の声に振り返った男性の肘が入ってしまったの」


「怪我をさせたのに、その人は行ってしまったの?」


 セリーヌが眉を吊り上げた。

 グレースだって逆の立場で、母や弟妹がそんな目に遭ったら同じことを言うだろう。


「ううん。その男性は必死に謝ってくれて、お医者様も呼ぼうとしてくださって、あのスカーフを私の鼻に当ててくれたわ。でも、店先だったからリゼルさんがお客様に迷惑をかけるなって怒って、私は店の中に逃げたの。皆が心配してくれて休憩室で鼻血が止まるまで休んでいたのだけれど、リゼルさんが来て首を言い渡されたわ。私、せめて紹介状をと食い下がったんだけれど、それで怒ったリゼルさんがあの花瓶を叩きつけて割ったの」


 あの日、紹介状など求めなければと思ったが、きっとリゼルは何かしらの難癖をつけてきたに違いなかった。


「……正直なところ、粉々でお母さんには、あれが本当にクラウスの花瓶かは分からなかったわ。でも、鑑定書を発行していたピューパ骨董店は、有名な骨董商なの。そもそも鑑定書は、資格を持った鑑定士だけが発行できる公文書。鑑定書のサインや押印は、本物のように見えた。我が家にもいくつか彼――マリウス鑑定士が鑑定してくれたものがあったから」


 セリーヌが表情を曇らせる。


「あの人が花瓶を割ったって証明できればいいんだけれど……」


 伺うような視線にグレースは首を横に振った。


「あの時、休憩室には私とあの人しかいなかった。もしかしたら、ローがどこかにいたかもしれないけれど、ローはあの人のものだから」


 グレースは息を一つ吐き出して、努めて明るい表情を浮かべた。


「大丈夫。私が招いたことだもの。きちんと私が解決するわ。……実は次の仕事も決まりそうなの。もしかしたら住み込みになってしまうかもしれないけれど、ちゃんと商業ギルドに斡旋してもらう家政婦の仕事よ」


「グレース……」


「住み込みである分、お給料ももらえるもの。二年半だけ頑張ればいいの。大丈夫よ、お母さん」


「お母さんも働くわ。貴女ばかりに苦労はかけられないもの」


「だめよ。倒れたらどうするの?」


 グレースは慌てて首を横に振った。


「言ったでしょ。自分で招いたことだもの。自分で解決するわ。それに家族を養うのは、私の仕事よ。お母さんがミシェルとロビンの面倒を見てくれないと困っちゃう」


 グレースは眉を下げた。


「ずっと『特異成長』が起こらなくて不思議だったけれど、きっと女神様はその時を知ってらしたのね。『大人』になったおかげで、職業の選択だって増えたもの」


 女神様は、こうなることを予期していて、お金が稼げるようにグレースを成長させてくれたのだ。


「そういえば、ミシェルは?」


「運よく、お昼寝しているの」


「そう、良かった。ねえ、お母さん。いつもお父さんが言ってたでしょ? 『冬は必ず終わりを告げて、春が来る。どんな困難だって、乗り越えられる』って。だから、今回だって大丈夫。家事の負担はかけちゃうかもしれないけれど、私頑張るから」


「……グレース、ひとりで頑張らないで。お母さんも内職しかできないけど、頑張るから」


「皆がいるから頑張れるの。だから大丈夫よ」


 グレースはそう告げて笑った。

 事実、グレースは家族がいるから父が亡くなってからの五年、頑張ってこられた。それはきっと母も弟も妹も同じだ。愛する家族がいるからこそ、頑張ってこられたし、これからだって頑張れる。


「……でも、辛い時は辛いって、ちゃんと言ってね」


 母が再びグレースの頬を撫でた。グレースは、いつものようにゴロゴロと喉を鳴らしてその手に甘える。


「あ、そうだわ。このスカーフ、綺麗になったわよ」


 ひとしきりグレースを甘やかしてくれた後、セリーヌがリビングに行き、戻って来ると紙袋を渡してくれる。どうしても血のシミが落ちなくて洗濯屋に頼んだのだ。


「ありがとう、引き取りに行ってくれたのね」


「私じゃなくてロビンに頼んだんだけれどね」


 グレースは中身を取り出す。本当に真っ白で綺麗な姿になっていて、ほっと胸を撫でおろす。


「お母さん、心配だから今日は学校が終わる時間にロビンを迎えに行ってくるわ」


「ええ、お願い。……あら、ミシェルが起きたみたい。様子を見て来るわ」


 セリーヌの猫耳がぴくぴくと揺れる。グレースにもミシェルの「ままぁ?」と寝ぼけた小さな声が確かに聞こえた。

 ひとりになった廊下で、グレースはスカーフに視線を落とす。


「返しに行かなくちゃ……こういうのって門番の人とかに渡したらいいのかしら……?」


 最後に一目くらい、会えるかしら。あんな醜態を見られて恥ずかしいから、遠目からでもいいから、ほんの一目、彼を見られたら、頑張れる気がした。


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