2-1
「まあ、グレース!」
「お姉ちゃん!?」
「ねぇね?」
家族の声にグレースは、深い眠りから一気に目覚める。
思わず飛び起きて、辺りを見回す。ばさ、と毛布が床に落ちる。
「うそ、ごめんなさい、私ったら寝坊……ん?」
視界に入ったすらりとした手足に思わず動きを止める。
まじまじと手や足を見る。細いのは相変わらずだが、やけにすらりと長い。ワンピースが丈も裾も全く足りなくなっていて、今にも破れそうだ。それに昨日までぺったんこだった胸もたわわに膨らんでいる。
もしかして、まさか、とグレースはじわじわと自分に何が起こったかを理解する。
「おめでとう、グレース。大人の仲間入りよ!」
駆け寄ってきたセリーヌにぎゅうっと抱きしめられて、グレースも母を抱きしめ返す。
どうやらグレースの昨夜のあの苦しみは『特異成長』だったようだ。
「お姉ちゃん、ほら!」
ロビンが寝室から母の手鏡を持ってきてくれた。それを受け取り、のぞき込めば母にそっくりな大人の女性がそこに映っていた。特異成長のおかげか、鼻の痣も頬の切り傷も綺麗さっぱりなくなっている。
「私、ようやく『大人』になれたのね……!」
「ええ、そうよ。よかったわ……本当に良かったっ」
「お、お母さん!」
セリーヌがぼろぼろ泣き出して、グレースたちは慌てる。
母が、貧しい暮らしで必要な栄養がとれず、グレースの『特異成長』が全く訪れないことを気に病んでいたのは知っているから、グレースは立ち上がり母を抱きしめる。
昨日まで頭一つ違ったのに、今のグレースは母と変わらない背丈になっている。
「ありがとう、お母さん」
「ううん。お礼を言うのはお母さんのほうよ。いつもありがとう、グレース。本当の本当におめでとう」
うん、と子どもみたいに頷いてセリーヌをぎゅうっと抱きしめ返した。
その時、町の教会の鐘がゴーンとなった。
「いけない、もうそんな時間!?」
セリーヌが慌ててグレースから離れる。
「遅刻しちゃうわ!」
「ねぇね、おなかすいた」
「待ってて、今、朝ごはんの仕度をするから!」
「その前に、グレース。私の服に着替えなさい、その服で行ったら大変よ!」
自分の情けない格好を思い出してあわてて下着が見えそうなスカートのすそを押さえた。
キッチンを母に任せて、寝室に行き、クローゼットを開ける。母の服といってもそれほど枚数があるわけではない。三枚吊るさっていたうちの一枚を取り出してベッドの上に置く。
グレースの服はいずれミシェルが着るのだからと慎重に脱いでいく。
なんとか破らず脱げてほっとしながら、母の服を着ようとして、必要なものがあるのに気づく。
「お母さん。胸当ても借りていいかしら?」
「あ、そうね、そうだわ、もちろんよ」
寝室から廊下に顔を出して尋ねれば、母の返事がすぐに返ってきた。
クローゼットの下段は引き出しになっているので、そこから胸当てを取り出して身に着ける、少しきついが必要なので仕方がない。下着もきついがなんとかなっているので、あとでいらない布で作ろう。
母のワンピースを着てキッチンへと出る。
「なんだか、ねぇねじゃないみたい」
「うん、びっくりする」
ミシェルとロビンがまじまじとグレースを見ながら言った。
「そうね、私もまだ自分自身が知らない人みたいだもの」
随分と低い位置になった二人の頭を撫でれば、ぴょこぴょこと黒と灰色の猫耳が揺れる。
「お母さん、朝ごはんの仕度、ありがとう」
「パンにチーズを挟んだだけよ。ほら、ロビン、急がないと。お母さんもさっき思い出したんだけど、グレースは今日は定休日でしょう?」
「あ、そうだったわ」
すっかり忘れていたが、今日は春の小鳥亭は週に一度の定休日だ。
「なら、朝ごはんはいいかしら。働くときは無理矢理でも食べないともたないけど、なんだかまだ体がだるくて」
「そうね、昨夜、特異成長したばかりだもの。無理はしないほうがいいわ」
セリーヌが頷いた。
それからグレースはお水を飲んで、三人はパンに薄く切ったチーズを挟んだものを朝食として食べ、ロビンは元気よく学校へと出かけて行った。
グレースは少し休んでから、寝室で繕い物をしていたセリーヌとその傍で遊んでいたミシェルに声をかける。
「お母さん、買い物に行ってくるわ。やっぱり服と下着は必要だから」
古着か、なければ安い生地を買ってきて仕立てよう。母のものを借り続けるわけにはいかない。
するとセリーヌがベッドの枕元をごそごそと漁り、小さな布袋を取り出した。
「お母さんのへそくりよ。少なくて申し訳ないけど、これで服や下着を買いなさい」
「大丈夫、私も少しくらい貯めてあるから」
だが母はグレースの手を取り、それを握らせた。
「これは、お祝いでもあるの。何もできないけど、せめてこれくらいはさせてちょうだい」
セリーヌの真剣な眼差しに、グレースは観念してそれを受け取った。
「ありがとう、お母さん」
「いいのよ、おめでとう、グレース」
そういって微笑んだ母に笑みを返し、行ってらっしゃいと手を振るミシェルに見送られて、グレースは我が家を後にした。
頭二つ分くらい大きくなった気がするので、見える世界が少し違うように感じる。
だが、世界の新鮮さを味わっている暇はグレースにはない。グレースがまず最初に向かったのは、商業ギルドだった。服よりも何よりも先に仕事を見つけなければならない。
職場紹介受付のカウンターの列に並び、順番を待つ。
様々な種族が老若男女問わず列をなしている。
「次の方どうぞ」
男性の声に促されて巡ってきた順番にカウンターへ進む。どうぞ、と勧められて椅子に腰かける。
「ええと、お名前と年齢、種族とあれば紹介状を」
「グレースと申します。年齢は二十歳で、種族は白猫の獣人族です。紹介状は、その、持っていなくて……接客業や雑用、なんでもいいんです」
「二十歳……ずっと無職だったんですか? それともなにか事情が?」
男性職員がいぶかしむように眉を寄せた。
王国の成人年齢は十六歳だ。庶民は皆、十六歳になれば働きに出るのが普通だが、女性の中には成人とともに結婚して家庭にはいる人もいる。
「四年ほど、春の小鳥亭で働いていたんです」
「なのに紹介状がない? 少し確認しますね」
ますます男性職員がやりにくそうな顔になり、離席する。奥の方にずらりと並んでいる棚から何かを探しているようだ。そして、戻ってくるとグレースの前に座りなおした。
「はい、確かに春の小鳥亭で四年ほど働いていらっしゃいますね。でも、紹介状は……本当にないんですか?」
四年も働いて紹介状をもらえないというのは、大きな問題を起こしたから辞めたと公言しているようなものなのだ。
「……三か月前に女将さんが代替わりをして、少し、そりが合わなくて」
「とはいっても、商業ギルドとしましては、貴女は一応、うちの管轄で登録されているわけです。そこで、四年働いて紹介状のない貴女に紹介できる仕事はなかなか……。我々は信頼がなければ、成り立ちませんから」
男性職員が言っていることは、至って当たり前のことだ。
グレースは、ドーナのすすめで商業ギルドに登録して春の小鳥亭で働いていた。他の同僚たちだってそうだ。商業ギルドが身分を保証してくれることで、登録者は基本的な信頼を手にすることができる。
グレースが、これから初めて働くというのなら、四年前にそうしたようにギルドに登録後、職業ごとの講習を受けて、仕事先を紹介してもらえただろうが、一度登録したのに紹介状がもらえなかったグレースは、全く信頼がないことになっているのだ。
「あの、皿洗いでも草むしりでもなんでもいいんです」
「そうは言ってもね……少しこちらも求人を調べておきますから、また明日、来ていただけますか?」
「……はい。すみません、ありがとうございます」
グレースは男性職員の申し訳なさそうな顔に頭を下げて席を立つ。
がやがやと人の声が絶えない商業ギルドを出て、とぼとぼと歩いて行く。
古着屋へ行くと、少し繕えば着られる古着のワンピースがあったので三枚ほど買う。胸当てもなんとかサイズが合って、なるべく綺麗なものを探して三枚ほど買った。それと安い布を買って下着とエプロンは自分で作ることにして、この日は家へと戻ったのだった。
あれから一週間、グレースは商業ギルドに通っているのだが、仕事は見つからない。
まず幼い弟妹と体の弱い母がいるので、通いでなければならない。そして治安が悪化する夜はできるだけ避けたい。
そうなるとなかなか職場が見つからない。
住み込みの家政婦の仕事や夜の酒場の給仕の仕事ぐらいしか、紹介状のないグレースには紹介できませんよ、と男性職員は呆れたように言う。
だが、男性職員の紹介してくれる住み込みの家政婦関係の雇用主は、すべて独身の男性だ。もちろんまともな男性だって中にはいるだろうが、そこには確かな安全はないように感じられる。
「あの、せめて……雇用主が女性とか、ご家族、とか……」
「少し調べましたけど、貴女、第三師団師団長様相手に問題を起こしたそうですね……」
「そ、それは……っ!」
「職場への聞き取り調査で、貴女の前雇用主が教えてくれたのです。わざと師団長様にぶつかって怪我をして、治療費をせびろうとしたとか」
「まさか! 女神様に誓って、そのようなことは……っ!」
グレースは慌てて首を横に振った。
だが、男性職員は「リゼルさんは、貴女より社会的信用がある方です」とそっけなく告げる。
「貴女の雇用主であったリゼルさんは、アンバー税理士事務所で長年、税理士として働いてこられた方です。事務所での評判も高く、そもそも貴女とは信用の度合いに雲泥の差があるんです。我々商業ギルドが、どちらを信用すべきかは、貴女でも分かりますね?」
その言葉にグレースは頷かざるを得なかった。
「一度、うちの登録を解除して、別を当たられてはいかがですか?」
言外に「これ以上、紹介できる仕事はない」と言われて、グレースはもう何も言えず、ただ頭を下げて席を立ち、ギルドを後にした。
とぼとぼと自宅への道を辿る。
「そこの白猫のおねーさん」
ぽんと肩を叩かれて振り返れば、鼠系の獣人族と思われる若い男性がいた。へらへら笑いながらも、その薄黄色の目は値踏みするようにグレースを見ている。
グレースは、瞬時にこの男が女衒――娼館に女を紹介したり、最悪、売り飛ばしたりする職業――だと勘づく。
「なーんかここ数日、商業ギルドに行っては落ち込んで帰って来るねぇ」
どうやらどこかで目を付けられていたらしいと体が強張る。
「仕事、探してんでしょ」
「……あの」
「いいよいいよ、事情なんてどうでもさ。おねーさん、めちゃくちゃ美人だし、魅惑的な体つきだ」
すっと細められた薄黄色の目にグレースは胸を隠すように体を少し斜めに向けた。
「俺ね、まあお察しの通り娼館に女性を紹介する仕事してんの。でもさ、ほかの奴らと違って強引なことはしねえよ? 鼠ってのは弱ぇし、おねーさん、鼠の天敵だし?」
男はケラケラと笑った。
「でも、おねーさん困ってるみたいだからさ。もし、夜の仕事すんなら、俺に連絡ちょうだいよ。まっとうなお店、紹介してやるからさ。俺、酒場にはめちゃくちゃ詳しいから、一緒に飲むだけでも大歓迎。ちなみに最近の行きつけは、赤銅亭だよ」
赤銅亭は春の小鳥亭からも近い酒場だ。酒場らしく夜しか営業はしていないため、グレースは近寄ったことも行ったこともない。
「俺、夜は大体そこにいるからさ、どーしてもどーにもならなくなったら、連絡ちょうだいよ」
そういって男は「いい知らせを待ってるよ」と軽い口調で言って、去って行った。
グレースは、ほっと息を吐き出して再び歩き出す。
ああいう誘いを受けるのは、この一週間で五度目だ。変な話、今の鼠の男の勧誘が一番まともだった。あとはもっと強引で、気持ち悪かった。
でも、とグレースは唇を噛みしめる。
どこにも雇ってもらえないのなら、この身一つしかないグレースは、そういうところで働くことも考えなければいけない。
弟はまだ幼いけれど、賢く責任感の強い子だ。きっと母と妹を護ってくれる。
覚悟を決めなければいけない時が来た、それだけのことなのだと自分に言い聞かせながらグレースは自宅を目指すのだった。




