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白猫は不器用騎士様に恋をする 第一部完結!  作者: 春志乃
第1話 幸運で不運な日
4/29

1-3


「あんた、クビよ、クビ。明日からもう来なくていいわ」


 休憩室に戻ってきたリゼルの第一声はそれだった。

 鼻血が止まって、そろそろ片付けくらいは手伝えそうだとグレースが立ち上がると同時に休憩室のドアが開き、リゼルが開口一番、告げたのだ。


「ま、待ってください……そんないきなり……っ!」


「騎士様に、それもよりにもよって南区を護ってくださっている第三師団の師団長様にご迷惑をおかけして、あたしの面目丸つぶれよ! せっかく来てくださったのに、あんたみたいな猫臭くて小汚い娘がいたら二度と来てくれないじゃないか!」


 もしジルベールたちが二度と来ないというのなら、それは彼らが食事中、ハエのようにうるさかったリゼルのせいだと思ったが、グレースは家族のために頭を下げた。


「もっと、もっと頑張ります! だからクビだけは……!」


「クビったらクビよ! 早く出て行ってちょうだい!」


 リゼルが、部屋の片隅に置かれていた花瓶を手に取り、思いっきり投げつけて来る。さすがにあれに当たっては洒落にならない、とグレースは慌ててそれを避けた。

 ガッシャンと甲高い音を立てて、花瓶が砕け散った頬に破片がかすめてぴりりとした痛みが走る。

 この粉々に砕け散った休憩室の花瓶もドーナの時代は「お花は癒しを与えてくれるんだよ」といつも華美ではないが、近所の花屋で買った季節の花が飾られていた。

 まさか花瓶を投げられると思っていなかったグレースは、驚きと恐怖に呆然とリゼルを見上げる。リゼルはそれも気に食わないのか、苛立たしげに舌打ちをした。


「汚い雌猫風情を三か月も置いてやっただけありがたいと思いなさい!」


 ぐいっと髪をわしづかみにされて引っ張られる。あまりの痛みに涙がにじむ。

 そのまま裏の勝手口から、グレースは放り出された。


「きゃっ!」


「何が、きゃっ、よ。その媚びるような悲鳴も気持ち悪いったらありゃしない!」


 地面に転がったグレースにリゼルが鼻で笑った。

 彼女の背後で同僚たちが心配そうにこちらを見ている。


「お、女将さん、だったらせめて紹介状をください……っ。私、ここで四年も働いて……」


「あたしの代では、たった三ヶ月よ? 紹介状は、半年以上働かないとねぇ? それにあんたみたいに仕事もまともにできない、男に媚びを売るしか能のない汚い雌猫に紹介状なんて書けるわけがないじゃない! やだやだ、身の程も弁えられないんだから!」


 きゃらきゃらと笑いながら、リゼルは「二度と顔を見せるんじゃないわよ!」と吐き捨てるように告げて、店の中へと戻っていった。

 すぐにチェルシーを筆頭に同僚たちが駆け寄って来る。


「グレース……」


「……ごめんね、大丈夫よ」


 泣きそうな顔をしている彼女たちに笑みを返して、グレースはチェルシーの手を借りて立ち上がる。


「お店に入ると怒られそうだから……申し訳ないのだけれど、私の荷物をお願いできる?」


「うん、待ってて」


 チェルシーが頷いて中へと戻る。他の同僚がその間にグレースの服の砂をはらってくれる。

 グレースは、ずきずきと痛む鼻と打ち付けた腰を持て余しながら、チェルシーが帰って来るのを待つ。他の同僚たちは、中から「早く仕事に戻りなさい!」と叫ぶリゼルに、グレースに別れを告げながら戻っていく。

 するとチェルシーとともに厨房のコックまでやってきた。コックは、大きな籐のカゴを持っている。


「グレース、これ」


「ありがとう」


 差し出された小さな肩掛けカバンを受け取り、握ったままだったジルベールのスカーフを押し込んだ。


「これは選別だ。大丈夫、俺たちは怒られたってどうってことないから」


 カゴ一杯に料理が小鍋や紙袋に入れられていた。絶対にあまりの食材ではないリンゴや野菜まで入っている。


「でも……」


「今までグレースは一生懸命働いてたよ。その対価だ」


「そうよ、グレースはうちで一番の働き者だったわ」


 チェルシーがこくこくとうなずいた。


「…………ありがとう」


「小鍋とかカゴとかは、裏口に置いておいてくれ。中には入らないほうがいい」


「ええ。……今までありがとう、皆によろしくね」


 グレースはずしりと重いカゴを受け取って、微笑んだ。二人は泣きそうな顔をしている。


「またね」


 そう告げてグレースは二人に背を向け、歩き出す。

 振り返ることはできなくて、最後は少し駆け足になりながら角を曲がった。


「……痛い、な」


 鼻が痛いのか、打ち付けた腰が痛いのか、それともぴりぴりと痛む頬なのか、これからの生活に頭が痛いのか、憧れの人に醜態をさらして胸が痛いのか、どこが痛いのかも分からぬまま、グレースはとぼとぼと家路をたどるのだった。




「うわぁ、すげえ。ごちそうだ!」


「すごい、すごーい!」


「ふふっ、いっぱい食べてね」


 弟妹が嬉しそうにはしゃぐ姿にグレースは目を細める。


「でも、大丈夫? グレース。痣になってるわ、ほっぺも切れて……可哀想に」


 セリーヌの細い指がグレースの鼻に触れた。ずきんと痛んで肩が跳ねた。セリーヌが慌てて指を引っ込める。


「お姉ちゃん、大丈夫?」


「ねぇね、いたいの? だいじょうぶ?」


「大丈夫。寝れば治るわ。それよりうっかり棚に鼻をぶつけた私の恥ずかしい記憶を食べちゃってよ。もう本当に恥ずかしかったのよ」


 怪我をしたことは隠せなかったので、突然、倒れてきた棚に鼻をぶつけたことにした。かなり鼻血が出て、それを憐れんで、コックが特別に料理を持たせてくれたのだと彼らには言ってある。


「今日は私だってたくさん食べるわよ」


 リンゴと野菜、いくらかのパンは残してあるが、このたくさんの料理は早く食べなければ傷んでしまう。我が家には冷蔵魔道具なんてないのだ。


「ほら、お母さん、挨拶をして」


 母を促し、グレースは手を合わせる。弟妹達も待ちきれない様子で手を合わせた。

 セリーヌは子どもたちの姿に「仕方がないわね」と苦笑しながら手を合わせた。


「女神様、与えられた糧に感謝します」


 母の言葉を復唱し、夕食が始まる。

 久しぶりに食べる春の小鳥亭の料理は、どれもこれも美味しかった。

 四年間の楽しかったことや、辛かったこと、面白いお客様や、困ったお客様、先代女将の優しい笑顔、同僚たちとの他愛のない話。

 一口食べるごとに思い出が溢れて、こみ上げそうになる何かをグレースは料理とともに飲み込んだ。

 弟妹たちに負けじと食べて、四人は久々にお腹いっぱい、食事を楽しむことができた。


「あー、美味しかった!」


「おなかいっぱーい」


「本当にね、やっぱり春の小鳥亭のごはんは美味しいわね」


 にこにこしている家族にグレースも自然と笑みが浮かぶ。

 明日からを思うと胃も頭も痛いけれど、それでもこの笑顔を護るためならグレースは、いくらでも頑張れる。


「さ、片づけましょう?」


 そう声をかけてテーブルの上の空っぽになった皿や小鍋を片していく。

 わいわいがやがや片づけをして、母と弟妹のためにお湯を沸かして、彼らが髪を洗ったり体を拭いたりするのを手助けする。


「お姉ちゃんは。お湯を使わないの?」


「ええ。ぶつけた時に鼻血が出たから、今日はやめておくわ。髪を洗う時に下を向いたらなんだかまた出そうだし」


 お湯を捨てながらグレースは弟に告げる。

 熱を持っている鼻はなにか、ほんの少しのきっかけがあれば、また鼻血が出そうな気配がある。お湯がもったいないが今夜は仕方ない。体だけは拭けたのだから、幸運だ。


「今日は、早く寝なさいね」


 セリーヌが優しく頭を撫でてくれるのに、いつものように喉をごろごろと鳴らす。


「はい、お母さん」


「いい子ね、おやすみ、グレース」


 セリーヌはグレースの額にキスをして、グレースも母と弟妹におやすみなさいのキスをしてキッチンから見送る。

 キッチンの片隅の桶をのぞき込む。


「綺麗になるといいけど……」


 中にはシミ落としの薬と一緒にジルベールのスカーフが入っている。どうか綺麗になりますようにと拝んでからキッチンを後にする。

 リビングに行き、ソファに腰かける。


「……なんとかなる、そうでしょう、お父さん」


『もちろんだ、グレース。冬は必ず終わりを告げて、春が来る。どんな困難だって、乗り越えられるよ。僕の可愛いグレース』


 優しくて温かった父の声を懸命に思い出して、グレースはソファに寝ころんだ。

 今日のような幸運で不幸な日ぐらい、なにもせずに寝てしまおう。

 それにあれこれありすぎたからか、体中が重だるくて、少し熱っぽいのだ。風邪なんて引いている暇はないし、さっさと寝て、さっさと治さなければ、とグレースは毛布を手繰り寄せて丸くなる。

 だが、目を閉じて間もなく、どくん、と心臓が大きく跳ねて目を開く。


「な、なに……苦しい……っ」


 心臓がどっくんどっくんと大げさなほど脈を打ち、まるで全身が締め付けられるような痛みにグレースは呻く。家族を呼ぼうにも、声が出ない。ぐぅうっと体を丸め、痛みが去るのを耐える。

 だが、あまりの激痛にグレースの意識はあっけなく失われてしまったのだった。



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