白猫獣人グレースのこれから
本日2度目の更新です。
誘拐事件から早いもので二週間が経った。
残念なことに依然としてジゼルたちの足取りは掴めておらず、捜査は難航しているようだったが、グレースの日々は平和そのものだった。
「お姉ちゃん、お昼ご飯の時間だよ!」
ひょっこりと顔を出したロビンにグレースは繕い物をする手を止めた。
ここは師団長室の隣、ジルベールとノエルの仮眠室だ。
「気分はどうだ?」
ロビンの後からひょっこりとジルベールも顔を出す。
「また繕い物をしていたのか」
「……手持無沙汰で」
グレースは繕いかけのそれを横へとそっと置いて、ベッドから足を下ろして立ち上がる。
少しふらついてしまったが、もう大分、体は回復してきていた。
「グレース、まだ一人で立ってはだめだとあれほど……っ」
慌てて駆け寄ってきたジルベールに腕を取られ支えるように腰を抱かれた。
「あ、あの、もう大丈夫です」
「君の大丈夫はこの世で最も信用ならない。な、ロビン」
ジルベールの言葉にロビンがうんうんと頷いた。
「ほら、行こう」
そして腰を抱かれたまま、グレースたちは仮眠室を後にする。
昼食は隣の執務室で家族四人と時間が合えばジルベール、ノエルとともにとるのが習慣になっていた。
中へ入るとセリーヌがせっせとテーブルの仕度をし、ミシェルがそれを手伝っていた。ノエルがワゴンから食堂でもらってきてくれた昼食をテーブルに配膳していく。
誘拐事件以来、もともと過保護の気配があったジルベールが本物の過保護になってしまった。入院中と退院後の三日は、ジルベールがいる時は歩かせてもらえず、全てジルベールによる横抱きでの移動を余儀なくされた。
あの日から、グレースは一歩も騎士団の外へは出ていない。医療局を退院してからの一週間、グレースたち家族は仮眠室と給湯室で暮らしていた。
というのもリゼルたちが捕まっていない以上、騎士団の外で暮らすのは危険だとジルベールとノエル、果ては捜査に参加している他の騎士たちにも説得され、母が頷いてしまったからだ。
今は引き続きセリーヌが体調もいいのでミシェルと一緒に雑用係の仕事をこなしてくれていて、ロビンは護衛付きで再び学校に通っている。ちなみに今日は学校がお休みの日だ。
グレースが座り、隣にミシェルを挟んで母が座り、向かいの席にジルベールとノエル。ロビンは一人掛けの椅子に座った。
「では、今ある糧に感謝して」
ジルベールの食前のお祈りの言葉を皮切りに食事が始まる。今日もジルベールとノエルのお皿は山盛りだ。
だが、二人の厚意でグレースたち家族もお腹いっぱいに食べられるようになり、何より、弟妹達の顔色が良く、日に日に毛艶も良くなっているのが分かって、本当に有難い気持ちでいっぱいだ。
まだ病み上がりのグレースは、母が給湯室のキッチンで作ってくれた消化の良い別メニューだが、グレースの好みを知り尽くした母の料理はとても安心するし、日に日に食べられる量も増えていた。
そもそも昼と夜の食事を抜いていたことがバレて、まるで監視されるかのようなこの体制になってしまったのだが。ちなみに朝も夜も時間が合えば、ジルベールとノエルも一緒だ。二人がいない時は、給湯室で家族で食べている。
ロビンが話してくれる学校での出来事や、ミシェルが騎士たちに遊んでもらった話を聞きながら、食事の時間はいつも和やかに過ぎていく。
食後にはセリーヌが紅茶を淹れなおしてくれて、皆で一息つく。
「そうだ。君たちの新しい家の目途が経った」
「オレたちの?」
ロビンがきょとんとして首を傾げる。
「ああ。騎士団正門から出て徒歩三分。一応、名義は俺の家だ」
「師団長様のお家だなんて、申し訳ないです」
セリーヌが慌てて首を横に振った、グレースもうんうんと頷く。
「いや、むしろ住んでくれると助かるというか……」
「怒られたんです、事務局に。家を放置し過ぎだって」
ノエルが苦笑交じりに言った。
「シーツを替えてくれていたグレースさんはご存知かもしれませんが、ほぼほぼ僕もジルベールも仮眠室で暮らしていたようなものでして」
「は、はい。でも、時々はお家に帰られていましたよね?」
「…………あれは、夜勤だ」
「やきん」
「それか急な呼び出し」
苦虫を噛み潰したような顔でジルベールが白状した。
「つまり、お家に帰っていないということですか?」
セリーヌが心配そうに問いかけるとジルベールが深々と頷いた。
「師団長になった際に、ジルベールは寮を追い出されたんですよ」
第三師団には敷地内に独身者向けの寮がある。騎士団に所属する騎士や事務官のための寮で、独身であれば年齢関係なく住めるそうだ。確かノエルもそこに住んでいる。
「師団長という肩書がある以上、家を持て、と。それで家を買ったはいいんですが、ご存知の通り、帰っている暇があるわけもなく」
少しでも彼らのそばで仕事をしていれば、師団長とその補佐官である二人がどれほど多忙かはすぐに知ることができる。
「正直、もう半年は家に帰ってない」
「まあ……あの、泥棒とか大丈夫なのですか?」
セリーヌが心配そうに尋ねる。
「そこは師団長の家と言うことで、この騎士団と同じく防犯関係の魔術陣があれこれ施されていますのでご安心ください」
ノエルがそう説明をしてくれる。
「だが、家の維持をする魔法なんてないから、昨日、様子を見に行ったら雨漏りをしていて最悪だった。まだ最近のものだったようで、被害は少なかったんだが……。すまない、新しい家といったが、まだ住むことはできないんだ」
「大工さんによれば、一週間ほどでなんとかしてくれるそうです。それに一週間後ならグレースさんの体調もより落ち着いていると思いますし」
先日まで住んでいた家は、グレースが入院している間に引き払ってしまったそうだ。もともと然程の荷物もないので、仮眠室と給湯室に置かせてもらっている。
「条件としては、俺が住んでいないとだめだと事務局がうるさいので、俺も一緒に住んでもいいだろうか? 毎日は帰れないとは思うんだが」
「もちろんです。師団長様のお家ですもの」
「ええ。その、多くは払えませんが、もし住まわせて頂けるのならお家賃を」
セリーヌの申し出にジルベールは首を横に振った。
「家賃はいりませんので、すみませんが、家の仕事をお願いできますか? グレースには雑用係の仕事があるので、セリーヌさんを師団長である俺の家政婦として雇用申請すれば、セリーヌさんのご家族も騎士団の福利厚生の適用範囲になるので。もちろん、お給料もお出しします」
「そんなこちらばかりが得をしているような……」
セリーヌが困ったように眉を下げた。
「俺は家に帰れるようになって事務局に怒られずに済むし、皆さんは家を得られる。どちらにも利益があります」
「オレは、師団長様の家が良い」
それまで黙って話を聞いていたロビンが真剣な顔で言った。
「お姉ちゃんが攫われないように、お母さんやミシェルが安心して暮らせるように、安全が保障されているなら、絶対に師団長様の家が良い」
「ロビン……」
グレースは思わず弟に手を伸ばし、ひじ掛けの上に置かれてた小さな手を握りしめた。
「ミシェルも、こわくないおうちがいい」
「ミシェル……」
セリーヌがミシェルをそっと抱き寄せる。妹の小さな手が母の服をぎゅっと握った。
セリーヌから向けられた視線にグレースは頷き返し、ジルベールに顔を戻して口を開いた。
「あの、そのお話、よろしくお願いいたします」
グレースの返答にジルベールとノエルが、ほっと表情を緩めた。
「ありがとう。詳しいことは、とりあえず家の雨漏りが直ってからでいいだろうか?」
「はい、もちろんです」
それから紅茶をもう一杯だけ飲む間に、ロビンが家の間取りなどを聞いて(自分の部屋がもらえると聞いて彼は大喜びだった)、午後、少しだけ様子も見に行く約束もして、賑やかな昼食は終わった。
「では部屋まで送ろう」
そう言ってジルベールが立ち上がり、こちらにやってくる。
「あの、一人でも……」
「だめだ」
助けを求めようにも皆、昼食の片づけに忙しそうだ。グレースはまだ手伝わせてもらえないので一足先に仮眠室に戻るのだが、絶対にジルベールがついてくる。ジルベールがいない時はロビンかミシェルがついてくる。
グレースはジルベールに促されるまま、ベッドに腰を下ろす。
「師団長様、何から何まで、本当にありがとうございます」
グレースはジルベールを見上げて、ここ最近で何度目かも分からぬお礼を口にする。
ジルベールは、ふっと小さく笑ってぽんぽんとグレースの頭を撫でた。
「約束しただろう? 俺が守ると。それにセリーヌさんが雑用係を引き受けてくれて助かっているし、ロビンの送り迎えは騎士たちの争奪戦だ。ミシェルに至っては、子猫ちゃんと呼ばれて女性騎士たちがかわるがわる遊びに来るしな」
「皆さんにもなんとお礼を申し上げれば良いか……」
弟妹を可愛がってもらえるのは本当に嬉しいが、申し訳ない気持ちも同時に抱えてしまう。
衣擦れの音がして頭を撫でていた手が離れ、ジルベールがグレースの足下にしゃがみこんだ。普段、見上げるばかりの彼を見下ろすのは不思議な気持ちになる。
「忙しくて、言う暇がなかったんだが、妹から返事が来たんだ」
そう言ってジルベールがポケットから取り出した手紙を受け取る。中を、と言われて中身を取り出すと、可愛らしい花柄のカードが一枚入っていた。
『おにいさま ぷれぜんと、ありがとうございました。かわいくて、ふわふわして、とってもうれしかったです』
幼い文字が一生懸命、兄へのお礼をつづっていた。
「ふふっ、可愛らしいですね」
「ああ。君がメッセージカードを提案してくれた時、あまりに馴染みのないものだったのだが、こうしてもらえると確かに嬉しいものだな」
ジルベールは優しい眼差しをグレースの手の中のカードに向けていた。
「それもこれも君がカードについて教えてくれたおかげだ」
「いえ」
ジルベールの役に立てたことが嬉しくて、グレースはなんとかにやけそうになる頬を押し留め、大事なカードが汚れないようにカードを封筒の中に戻し、ジルベールに返す。
ジルベールはそれをしまうと、今度は懐から何か小さな箱を取り出した。
「そ、その、これはお礼だ」
「お礼?」
お礼をしなければいけないのは、面倒ばかりかけているグレースのほうなのに、どうしてジルベールがグレースにお礼を、と首を傾げる。
「妹への贈り物のあれこれを手助けしてくれたお礼だ。開けてみてくれ」
「ですが、私はお礼をもらえるようなことは。選んだのはミシェルですし……」
「いいから開けてみてくれ」
やけに切羽詰まった顔で言われて、グレースはおずおずと手のひらにちょこんと乗るプレゼントの包装を解く。青いリボンをほどいて、綺麗な黄色の包み紙をほどけば、小さな箱が出てきて、蓋を開ける。
「まあ……!」
それは陶器製の小物入れのようだった。綺麗なスノーヴィオラの絵が蓋に書かれていて、箱から取り出して手のひらに乗せる。
「軟膏だ。ミシェルに相談したら、グレースの手を気にしているようだったから」
「まあ、あの子が……」
ミシェルに相談ということは、妹さんへの誕生日を買い求めた日、グレースがロビンに法律書についての説明をしていた時だろう。
「よ、容器を選んだのは俺だ」
少し慌てたようにジルベールが付け足す。
グレースは「そうなのですね」と返事をしながら、スノーヴィオラの描かれた蓋を開ける。中にはほのかな若草色の軟膏が入っていた。爽やかなハーブの良い香りがする。
「塗ってみてもいいですか?」
「あ、ああ……その、よければ、俺が」
いうが早いかジルベールはグレースが頷く前に軟膏を容器ごとグレースの手から借りると少し指ですくって、容器を枕元に置いた。
「手を」
「はい」
グレースは素直に荒れた手を差し出した。ジルベールの過保護が止まらないなぁ、と少し困ってしまうが、大きく武骨な手は、まるでガラス細工にでも触れるかのようにグレースの手に軟膏を塗りこんでくれた。
ジルベールの手のぬくもりが直接伝わって来て、なんだか落ち着かない気持ちになって来る。
ジルベールはとても真剣な顔でグレースの手に軟膏を塗りこんでくれている。
「グレース」
「はい」
軟膏を塗り終えた手はまだジルベールの大きな手の中だ。
「君は、とても頑張り屋だ」
「あ、ありがとう、ございます?」
突然の言葉にグレースは瞬きを一つ、二つ、繰り返す。
ジルベールの青い瞳は怖いくらい真剣にグレースを見つめていて、握られたままの両手は少し痛いくらいだ。
「とても気が利くし、掃除も上手だし、紅茶を淹れるのもとびきり上手だ。他国の言語にも精通していてすごいと思うし、何より、家族思いの君はとても、あの、とても、その、すすす、す、すて、んんっ、素晴らしいと、思う……っ!」
「は、はい」
突然、盛大に褒められてグレースは喜びに戸惑いながらも返事をする。
「君は、俺があれこれすることに恐縮しているかもしれないが……っ、そ、それは必要のないことで……君は、グレースは俺にとって、その、俺の……っ」
グレースは真っ赤な顔のジルベールにだんだんと心配になってきた。いつも堂々としている彼がどもっているのも、額に冷や汗がにじんでいるのも、もしや体調不良のせいなのでは、と思えてきた。
「師団長様、失礼いたします」
よいしょ、となんとか片手を抜き取り、ジルベールの額に触れた。
「やっぱり! お熱があります!」
触れた額は火傷をしそうなほどに熱かった。
「大変、すぐに横になってくださいませ」
「ち、ちがっ、熱なんか」
「こちらです、ほら、立てますか? 補佐官様を呼んできましょうか?」
グレースはベッドから降りてジルベールを立たせようとひっぱるがジルベールはびくともしない。こうなったらノエルを呼んできたほうがいいかもしれない、といよいよ心配が頂点に達しようとした時、すっとジルベールが立ち上がった。
見下ろしていた顔が、いつも通り、見上げる場所に戻った。
グレースの手を掴んでいた手が離れ、かわりにがしりと両肩を掴まれた。
「君はっ、グレースは、俺の、俺の大事な……――雑用係だ!」
「まあ、ありがとうございます、師団長様!」
思いがけなくも、嬉しい言葉にグレースは顔を綻ばせた。
「あ、いや、ちが……!」
「……違うのですか?」
一瞬で膨れ上がった喜びがはじけそうになる。しょんと耳と尻尾が目に見えて下がってしまった。
「違わない! 本当だ! 君は俺の大事な雑用係だ! 違うと言ったのは、本当は、君は俺の大事な白猫の雑用係と言うつもりだったのを間違えたからだ!」
するとジルベールが首を縦に振ったり、横に振ったりしながら慌てたように言った。
グレースは自分の頭の上にぴょこんと生えている猫耳に触れる。
「ふふっ、ありがとうございます。白猫であることは、母譲りの証で、私の自慢なのです」
「うん……」
「さあ、師団長様、私、ノエル様を呼んできますから、とりあえず私のベッドで寝ていてくださいね」
グレースは肩にあったジルベールの手を取り、ベッドに座らせる。きっと熱が上がってきたのだろう。ジルベールはまるで燃え尽きた後のようにベッドに力なく腰掛けた。
「すぐに呼んできますから」
ジルベールの肩に撫でるように触れてから、グレースは仮眠室を出る。
するとそこにはにこにこしているロビンと、ロビンの頭に突っ伏すノエルがいた。
「丁度良かった。補佐官様。師団長様、お熱があるみたいで……補佐官様?」
「ぐふっ、ふ、ふふっ、いえ、あの、んんっ、ロビンくんの冗談が面白くて」
ロビンの頭に突っ伏したままノエルが言った。よほど面白い冗談だったのか、ノエルは笑い過ぎてぶるぶる震えている。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんは絶対、そのままでいてね」
「え? ええ……ロビンは冗談が上手なのね」
にこにこしているロビンにグレースもつられて笑みを浮かべる。
「感謝して尊敬していることと、それを許すことは違う問題だとオレは思うんだ」
「なんの話?」
「こっちの話。それよりお姉ちゃん、午後、ジャン先生が様子を見せに来てって言ってたよ。歩けるようなら、運動も兼ねて来てって。お母さんは忙しいからオレが付き添ってあげる」
「そうなの? そうだわ、ついでにジャン先生に師団長様のご様子を伝えないと」
「じゃあ、すぐに行こう。お姉ちゃん、はい!」
差し出された小さな手を取る。ノエルが咳ばらいをしながらロビンから離れたが、彼の頬はまだぴくぴくしていた。
「とりあえず、ジルのことは面倒をみておくので、グレースさんはしっかり診察を受けて来てくださいね」
「分かりました。ジャン先生にもしっかりお伝えしてきます」
グレースは使命感を胸にロビンに手を引かれながら、医療局へと急ぐ。
少しだけ、本当に少しだけ、告白でもされるのかと思ってしまった。
「……馬鹿ね、そんなことあるわけないじゃない」
ジルベールにつられた丘、ほんの少し熱を持つ頬を手の甲で押さえれば、爽やかなハーブの良い香りが鼻先をかすめた。
「お姉ちゃん? どうしたの?」
ぶつぶつ言う姉をロビンが見上げて首を傾げる。
「お母さんに頼んで、師団長様の夕食は私と同じものがいいかしらと思って。お熱があるときは消化が良いもののほうがいいわよね……」
「お姉ちゃん、本当にずっとそのままでいてね」
機嫌の良いロビンによく分からないが「分かったわ」と頷きながら、グレースはジルベールが告白に失敗して盛大に落ち込み、ノエルが指さして笑っているのも知らず、医療局へと向かうのだった。
おわり
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
感想、評価、ブクマ、いいね、励みになっております。
まだまだグレースとジルベールの物語は続いていきますので、
よろしければ今後の糧に感想、レビュー、評価、頂けますと嬉しいです。
お付き合いくださり、ありがとうございました。
また次のお話でお会いできること、楽しみにしております。
ありがとうございました。




