6-2
「ジルベール!」
ノエルの鋭い声に愛馬に乗ろうとしたところで顔を上げた。
ふわり、とノエルがジルベールの横に降り立った。
「グレースさんが逃げたってどういうことですか!?」
「説明は後でする、あんな状態で帰ったらまた倒れるに決まって……っ」
「お前が追いかける必要はありません」
ノエルはまたもジルベールを睨みつけて言い切った。
「僕が様子を見て来ます。ジルベールは後処理があるんですから、騎士団にいて下さい」
「いい、俺が自分で」
「だからその必要はありません。彼女は騎士団の雑用係で、お前の恋人でもなければ、婚約者でもない。その身に背負う責任にはお前と彼女とでは雲泥の差があります」
静かな怒りを帯びたノエルの声に馬を連れて来てくれた見習い騎士のライリーや騒ぎを聞きつけ集まっていた他の騎士たちが恐々と様子をうかがっている。
「そもそもなんで彼女は逃げ出したんですか?」
「……目覚めた彼女が帰ると言い出して、俺は家族には説明してあるし、一晩入院するべきだと言ったんだが、彼女は納得しなかった。頑なに帰ると……それで、力ずくで止めようとしたんだが、だったら『キスをしてくれたらいうことを聞く』と言い出して……」
「逃げ出したということは、お前はキスをしなかったんでしょう」
「出来るわけがないだろう? お前の言う通り、俺と彼女は恋人では……っ」
「だったらお前が迎えに行く必要はありません。ライリー」
様子を見守っていたライリーにノエルが声をかけた。
「グレースさんが無事に家に帰れたかどうか確認してきてください」
「は、はい」
「ライリー、行かなくていい。俺が行く」
「いいえ、ライリーで十分です。彼女はただの雑用係ですから」
「いい加減にしろ! なんなんだお前はっ!」
ジルベールはノエルの胸倉を掴んだ。ノエルは平然とジルベールを睨み返した。ライリーが二人の間であわあわしている。
「なんなんだ、はこっちのセリフですよ! この糞鈍感大馬鹿野郎が!」
胸倉を掴み返されたと思ったら物凄い衝撃が頭に走って、頭突きをされたのだと数瞬遅れて理解した。騎士たちが「落ち着いてください、ノエル様!」と声を上げる。
「……っ、何を、するんだ!」
「ライリーが不服だって言うなら、僕が行く。行ってその場で結婚申し込んで来ますよ」
「はっ!?」
突然の求婚宣言に殴り返そうとした拳は行き場を失う。
「そうすれば僕が彼女を迎えにいく正当な理由になりますし、具合が悪いときだって付き添ってあげられますし、なんだったら看病だってできます」
「おまっ、な、何を……っ、そんなのだめに決まっているだろう!」
「何がだめなんですか? 自分で言うのもあれですが、僕はなかなかの優良物件だと思いますが?」
ノエルがはっと鼻で笑った。
だが、確かにノエルは師団長付きの事務官で高給取りだし、見た目だって悪くない。性格だって夫にするには素晴らしいのを幼馴染であるから知っている。
ノエルなら絶対にグレースを幸せにしてくれるだろう。三男で継ぐようなものもないので、彼女の家族を迎え入れて養うことだって可能だ。
でも、だめだと思った。ノエルの横で幸せそうに笑うグレースを想像した瞬間、ジルベールの心臓は止まるかと思った。
「だ、だめだ! お前でも彼女は任せられない!」
「それだけ独占欲丸出しのくせに、どうして気づかないんですか!」
「ど、独占欲……?」
ノエルの口から飛び出した想定外の言葉に動揺する。
独占欲という言葉の意味ぐらいはジルベールだって知っている。
とはいえ、グレースに対して自分がそんな感情を抱いているだなんて、考えたこともなかった。
だが、言われて初めてその言葉を目の当たりにした瞬間、彼女を誰にも任せたくないのも、彼女に群がるスケベゾンビ騎士共を抹殺したかったのも、彼女に頼ってほしかったのも、何もかもその独占欲にまつわるものだと驚くほどすんなり納得ができた。
「……ジルベール。死ぬほど鈍感なお前でも、グレースさんに対してどうして、独占欲丸出しなのか、分かりますよね」
言われた瞬間、ジルベールは一気に顔が熱くなった。
さすがのジルベールだって、それがグレースに対する恋情を糧にしていることに、ようやく気付いた。
「お、俺は……グレース嬢が、好き、なのか」
思わず部下たちを見ると部下たちは一斉に頷いた。ライリーですら、ぶんぶんと首を縦に振っている。
「何も持たないと決めた親友が、大事だと思う相手なら、俺もお前を見送りますが?」
ふっとノエルが優しく笑った。
「…………彼女を迎えに行きたい。俺の大事な、人だから……」
心なしか部下たちの視線が生温かい。
「はい。では留守は僕が預かりま……」
ノエルの言葉が不自然に途切れた。
ノエルとライリーそして、獣人族の部下たちが一斉に空に顔を向けた。ジルベールたちも彼らの視線の先を追うように空を見上げる。
真っ暗な夜空には何もない。
「どうした?」
「静かに」
ノエルがまるで睨むように空を見つめる。ただならぬ緊張が走り、ジルベールも周囲を警戒する。
「……たすけて、助けて、師団長様!」
その声が確かにジルベールの耳にも聞こえた時、空に影が見えた。
それはよろめきながらもこちらへやって来る。
「ロビン!」
ジルベールは思わず駆け出して手を伸ばした。
グレースの弟であるロビンが鷹系と思われる獣人族の腕から飛び降りて、ジルベールの腕の中に飛び込んでくる。
鷹系の獣人族の男性は、随分と高齢のようで、へろへろと地面に着地し、他の騎士たちが慌てて駆け寄る。
「師団長様、たすけて、たすけて……お姉ちゃんがっ!」
「落ち着け、ロビン、グレースがどうしたんだ? 泣いていたら分からない」
ジルベールはロビンを抱きしめて、背中をさすってあやす。
すると地面にうつぶせのまま転がる爺さんが口を開いた。
「セリーヌ、の、話じゃ、グレースが、さらわれた、と。女将のリゼル、といえば、わかると……」
はぁはぁと荒い呼吸を繰り返しなら爺さんが言った。
「なんだと!? ロビン、そうなのか!?」
ロビンは泣きながら、何度も頷いた。
「し、知らない男の人が、お姉ちゃんを、お嫁さんにするって……っ、連れてちゃった……っ。それで、隣に住んでるゴメスおじいちゃんに、頼んで、連れてきてもらって、助けて、師団長様っ!」
「ああ、絶対に助けるから大丈夫だ。ライリー、ロビンを頼む」
一度、ロビンを強く抱きしめてから、ライリーに託す。
「ロビン、グレースはどちらの方角に?」
「家から、騎士団と、反対の、ほうっ」
「分かりました。僕が先に行きます! ニック、ついてきてください」
ノエルが翼を広げて飛び立ち、その背に隼系獣人族の騎士が続く。
「サム、カーヤ、お前たちはグレースの家族を保護してくれ! 母親とまだ五歳の妹がいる」
「はっ! カーヤ、俺が馬車の用意をして追いかける」
「分かった。先に行く」
サムとカーヤはそう言いながら厩舎のほうに駆けて行く。
ジルベールも馬に跨った。
「俺も先に行く。五名、後から来てくれ! ロビン、絶対に大丈夫だから待ってろよ!」
そうロビンに告げてジルベールは馬の手綱を握りしめて駆け出した。
「間に合え、間に合ってくれ!」
祈るように囁きながら、ジルベールは夜の町を疾駆する。
「師団長!」
宵闇からノエルと一緒に行ったはずのニックが降りて来て、ジルベールの横を並走する形で飛行する。
「グレースさんを乗せていると思われる馬車を発見しました! ノエル事務官が追跡しています! 俺についてきてください!」
「分かった!」
ジルベールはニックの背に続くように愛馬を走らせる。
商店街を抜け、住宅街に入り、グレースの家の前を通り過ぎる。
「どうして馬車の行き先が分かる!?」
迷いなく進むニックに問いかける。
「馬車の特定はノエル補佐官が。ジゼルの香水の臭いをおっています。俺はその馬車からする血の臭いです! あ、グレースさんのじゃないです! でも、馬車に乗る誰かの血の臭いです!」
顔色を変えたジルベールにニックが慌てて付け足した。
「馬車の?」
「はい。誰が乗っているのか、誰が怪我をしているのかまでは分からないんですが……あ、あそこです!」
ニックが指さした先にノエルの姿があり、その少し先に馬車があった。
「ニック、後から数名来る。連れて来てくれ!」
「はいっ!」
ニックが高く浮上し、来た道を引き返していく。
ジルベールはさらに速度を上げて追いかける。
「そこの馬車、止まれ! 止まりなさい!」
ノエルが声を張り上げているが、馬車は止まる気配は微塵も見せない。
「グレース! グレース!」
ジルベールは彼女の名前を呼びながら馬車に追いつく。
「ジル! 強行突破です! ドア、開けますよ!」
「分かった!」
ジルベールは馬車から少し離れる。ノエルが馬車に並行して飛行し、そして、馬車のドアのガラス部分に拳を突き入れ、中に腕を突っ込んで鍵を開け、ドアを開け放った。そして、獣人族らしく腕力に物を言わせて、ドアを毟り取った。
ジルベールは、吹っ飛んできたドアを愛馬を操り避ける。
「ああ、よかった! いました! いきますよ、ジルベール!」
「来い!」
ノエルがむんずとグレースを掴んでジルベールに放り投げた。ジルベールは彼女を馬上で危なげなく抱き止める。
「グレース、良かった……っ!」
間違いなくグレースだ、と片腕で彼女を抱きしめる。すると固く目を閉じていたグレースがゆっくりと瞼を持ち上げた。
美しい紫の瞳が驚きに揺れる。
「し、しだんちょうさま?」
「そうだ、師団長様だ。事情は後で聞く!」
グレースに微笑みかけ、ジルベールは馬車の中に顔を向けた。
そこにいたのは、ジゼルと、そして、目玉がやけにぎょろりとした不気味な男だった。
男は顔を真っ赤にして「グレースを返せ!」と叫び、腕を伸ばしてくるがジルベールは馬車から距離を取る。
「お、お気をつけください、あっちのひとは、ま、魔術師です」
グレースの言葉にジルベールは一気に距離を取った。絶対にグレースを渡してなるものかと抱きよせる腕になおのこと、力がこもる。
「ノエル! 距離を取れ! 魔術師だ!」
火の玉が魔術師だという男の手から生み出され、飛んでくるのを馬を操り避ける。
「人間への魔法攻撃は禁止でしょうが!」
ノエルが御者席の男――おそらく、ローだ。を引きずり降ろそうとするが、馬車から顔を出した魔術師に邪魔される。
「師団長様、あ、あれを!」
グレースが指さした先、庶民街の小さな広場に薄青く光る魔法陣が浮かび上がっていた。
「ノエル! 転移陣だ! 離れろ!」
ジルベールも手綱を引き、馬の速度をなんとか落とす。ノエルが舌打ちをして掴んでいたローの襟首を離して、上空に逃げていく。
ほんの数秒後、転移陣が光り、馬車はすっと溶けるように消えた。
ゆっくりと愛馬が広場に侵入し、徐々に歩調を緩めて止まる。はぁはぁと馬の荒い呼吸を聞きながら辺りを見回すが、夜遅い時間帯というのもあって人影はない。
「師団長!」
馬の蹄の音が聞こえて顔を向ければ、部下たちがそれぞれ馬に跨り駆け寄って来る。
「良かった、グレースさんは保護できたんですね!」
腕の中でグレースは目を白黒させている。
「ああ。ニック、魔術師ギルドに急ぎ飛んでくれ。転移陣を使用して逃げられた。俺たちじゃ魔法の後は追えないからな」
「分かりました」
ニックが翼を広げて再び飛び立つ。
「お前たちは現場の保全を頼む。俺は一度、グレースを騎士団に送り届けて来る」
「分かりました!」
「ノエル、お前は」
「僕がここでの責任者になります。応援に一隊、ここへ来るように言ってください」
「分かった。では俺は一度、騎士団に戻る」
「あ、あの、師団長様、母と弟と妹は……っ」
すがるような眼差しにジルベールはできるだけ安心させられるようにと微笑んだ。
「大丈夫。こちらで保護している」
「そう、ですか……よかっ……た……」
ふっとグレースの体から力が抜け、紫色の瞳が瞼の下に隠されてしまった。
「グレース!」
「気を失っただけです。まだ病み上がりですし、早急に騎士団に連れ帰ってください」
ノエルに声をかけられ、ジルベールは「すまない」と冷静さを欠いたことを謝り、グレースを抱えなおした。
「ロープを結びますよ」
「ああ、頼む」
意識がない人間を馬で連れて行くのは大変だ。ノエルがロープを取り出して、ジルベールとグレースが離れないように縛ってくれた。
「では、行って来る」
「はい、行ってらっしゃい」
ノエルに見送られながら、ジルベールは騎士団へと急ぎ、馬を走らせたのだった。




