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白猫は不器用騎士様に恋をする 第一部完結!  作者: 春志乃
第4話 貴方の春を願う
14/29

4-2



 復帰して以降、グレースは以前にもまして気合を入れて、真面目に働いていた。

 十五万ペルの給料は、十万は来月分の支払いにとりわけ、残りを家賃などに振り分ければほとんど残らなかった。それでもリゼルが何をしかけてくるか分からないため、少しでも貯金したかった。

 削れるところはぎりぎりまで削ると決めて、グレースは自分の昼と夜の食事を真っ先に削った。たかが黒パン一つ二つの節約だが、何かしていないと不安なのだ。夜も出来る限り繕い物の内職をこなして、わずかながらも稼ぎ続けた。

 食べなければ仕事はできない。それくらいは分かっているので、朝だけはこれまで通り食べている。今までも騎士団では初めての時を除いて食堂は利用していなかったので問題ないし、紅茶は飲んでいる。家では、雑用係は無料で食堂が使えると説明している。


「おはよう」


「おはようございます、グレースさん」


「おはようございます、師団長様、補佐官様」


 エントランスの掃き掃除を終えたところで丁度、鍛錬から戻ってきた二人に声をかけられる。いつも朝礼会議前に、朝の鍛錬にジルベールとノエルは参加しているのだ。


「……顔色があまりよくないが大丈夫か?」


 ジルベールの手が伸びてきたのを、するりとよける。

 頭を撫でられて以来、ジルベールは不意に触れてくることがある。まるで年下の妹を甘やかすような触れ方だ。もちろん嫌ではないけれど、心がむずむずするので困ってしまう。


「少し寝不足なだけです。ご心配をおかけしてすみません」


 昔のように化粧ができれば、白粉や頬紅で血色も誤魔化せるのだが、そんな高価なものを買うことはできない。

 だが、ジルベールやノエルだけではなく、ここの人たちは皆、優しいのでグレースの顔色が悪いと気にかけてくれる。


「今日もお仕事頑張ってください。失礼します」


 グレースはぺこりと頭を下げて箒を手に逃げるという選択をした。二人は何か言いたそうだったが、これ以上、心配はかけたくなかった。

 それに仕事は山積みだ。グレースは三階へ戻って仮眠室を開ける。今日は使った形跡があり、シーツや枕カバーを外して新しいものに交換する。

 雑用係であるグレースには詳しいことは分からないが、何か大きな事件を捜査しているらしく、ジルベールやノエルは連日、仮眠室を使っているようだった。会議室も次から次へと会議が入り、隙を見て掃除するのがなかなかに大変だった。

 その分、二人とも疲れているのか、最近は紅茶にミルクや砂糖を入れて飲んでいるし、報告にくる騎士たちも、グレースにはいつも通りなのだが、どこかまとう空気がピリピリしていた。

 南区の市民の安全を預かる仕事だ。それはきっとグレースには想像しきれない責任や危険が伴っているのだろう。

 グレースは掃除をしたり、備品を補充したり、早く事件が無事に解決するように祈ることぐらいしかできないのが、歯痒かった。

 それでも今、できることをやらなければ、とベッド二台分のシーツと枕カバーをカゴに入れて、グレースは洗濯へと出かけた。

 それから洗濯をしたり、掃除をしたり、備品の補充申請をしに事務局へ行き、隙を見て会議室の掃除をして、と忙しく一日を過ごした。

 いつの間にか午後のお茶の時間が迫っている。執務室に確認に行くと中でペンが文字をつづる音が確かに聞こえたので、給湯室に戻って紅茶の仕度をする。

 トレーにジルベールとノエルの分の紅茶を乗せて執務室に行き、ノックをして許可をもらってから中へと入る。

 だが、中にいたのはジルベールだけだった。最近はよくある。ノエルは補佐官として、関係各所とここを行ったり来たりしていることも多いのだ。留守だったとしても、冷めたものでいいので飲みたいとのことなので、いつも彼の席にカップを置いておく。


「師団長様、お茶の時間です」


 グレースは、ジルベールにカップを差し出す。大きな手が礼を言って、それを受け取る。


「もうそんな時間か。なんだか一日の時間が足りないな……報告書に目を通して、会議に出て、また報告書に向き合って、それの繰り返しだ。もう少し鍛錬をする時間が欲しい。あわよくば見回りに行きたい」


 カップに口を付けながらジルベールが言った。少し拗ねているように聞こえるのは、きっとグレースの気のせいではない。

 だが、誰だって一日中デスクの前で気を張り詰めていては疲れてしまうだろう。師団長であるジルベールにだって息抜きは必要だ。


「…………今日は顔色が一段と悪くないか?」


「そう、でしょうか。でも元気だから大丈夫ですよ」


 グレースは穏やかに微笑んで見せたのだが、紅茶を飲むジルベールの青い瞳は疑いに満ちていた。


「あの、失礼いたしますね。また後でカップを下げに参ります」


「グレース嬢」


 基本的に彼はグレースを「君」と呼ぶので滅多に名前を呼ばれることはない。久しぶりに呼ばれたそれにびくりと体が強張る。


「そこのソファに座ってくれ。仕事を任せたい」


「お仕事、ですか?」


「ああ、仕事だ」


 仕事だというのならグレースに否やはない。

 素直に応接セットのソファに座る。するとジルベールが一気に紅茶を飲んで空になったカップをデスクに置いて、こちらにやって来た。


「もう少し端によってくれ、それで深く腰掛けるんだ」


 そう言われてグレースはソファの端に座りなおす。


「君は今から、俺の枕役を担ってもらう」


「……はい?」


 時折、彼は突拍子もないことを言い出すが、今日も絶好調に意味が分からなかった。

 だがグレースがその意味を理解するより早く、ジルベールはグレースの隣に座るとなんと、いきなり、ごろんと横になってグレースの膝に頭を乗せてきた。

 俗にいう――膝枕、である。


「し、師団長様!?」


「三十分、休憩だ。寝る」


「あの、でしたら仮眠室に……!」


「君は今、俺の枕だ。枕はしゃべらないぞ」


 そう言われてグレースは口をつぐむ。

 すると仕方ないというように微かに笑みを浮かべたジルベールの手が伸びてきて、グレースの頬を包むように撫でた。

 大きくてごつごつして、あたたかな手だ。


「やはり顔色がよくない。……枕をしている間は、君も少し休め」


「で、ですが……」


 親指の腹で目元を撫でられる。その心地よさにグレースの喉が勝手にゴロゴロと鳴ってしまう。するとその親指は一瞬止まったが、すぐに再び動き出す。


「ふっ、可愛い猫だな」


 低く落ち着いた声に砂糖菓子のような甘さが加わって、あまりに優しい笑顔が膝の上にあるものだから、グレースは頬が熱くなる。それを隠すように彼の手に顔を埋めた。そこ以外に隠せる場所が咄嗟に見つからなかったのだ。

 だがジルベールは、くすくすと小さく笑うとしばらく、そうやってグレースの顔を隠してくれていた。


「……は、早く寝てくださいませ」


 グレースが急かすと大きな手が離れて行く。ジルベールは少し体の向きを変えると「では、寝る」と告げて目を閉じた。

 本当に寝るのかしら、と思っていると間もなく規則正しい寝息が聞こえてきた。寝ているフリかと警戒するが、どこまでも呼吸は穏やかでぐっと重みも増したので本当に寝てしまったようだ。

 よくみればジルベールの目元には隈がある。グレースよりずっと多忙な彼が疲れていないはずがない。眉間にはわずかにしわが残っている。

 グレースは、弟や妹にするようにそっとジルベールの髪を撫でた。黒いつややかな髪は弟の髪より少し硬かった。

 そうやって撫でているとジルベールの眉間のしわがだんだんと消えていく。

 部屋の時計を確認して三十分後に彼を起こす時間を確認し、再び膝の上に視線を戻す。

 男らしく整った顔立ちは横から見ても綺麗だった。グレースの膝の上にあるのが不思議で仕方ないのに、今この貴重な時間に瞬きをするのさえも惜しいと思えた。


「…………ジルベールさま」


 名前を呼んでみる。心の中では何度も呼んだことのある名前を、初めて口にした。心臓がどきどきとうるさい。

 彼が聴覚に優れた獣人族ではなくてよかったと思いながら、グレースは彼の黒い髪を優しく撫で続けた。

 この時間が永遠に続けばいいのにと願った心とは裏腹に溜まった疲労に耐えかねたグレースの体もまた睡眠を求めて、いつの間にか彼に膝を貸したままグレースも眠ってしまったのだった。




「……さん、……ル、……て、ください。グレースさん、ジルベール」


 だんだんとはっきりとしてきた意識が自分の名前を呼んだ瞬間、グレースはぱちりと目を開けた。

 目の前に微笑ましそうに笑うノエルがいた。


「ふふっ、おはようございます。グレースさん」


「お、おはようござ……」


 挨拶の途中でばっと振り返れば、時計は記憶にあるより一時間も進んでいた。


「良く寝ていらっしゃいましたよ。二人とも……というか、ジルベール、ジル、いつまで寝ているんですか」


 絶句するグレースを気にするでもなく、ノエルはジルベールの肩をゆする。だがジルベールはよほどぐっすりと深く眠っているのか起きる気配がない。


「どれくらい寝ているんですか?」


「ええと、すみません、一時間ほど」


 グレースはおどおどしながら答える。ジルベールに枕役を頼まれた時間を差し引いても三十分以上仕事をさぼってしまった。


「……グレースさんは頑張っていますから、たまにはこうして休んだっていいんですよ。前任のおじいさんなんて、それこそ休憩の得意な方で目を離せばさぼってばかりいましたから」


 そういって朗らかに笑ったノエルに、ようやく膝の上のジルベールの意識が浮上してきたようだ。


「……ん、ノエル……?」


「はいはい。僕ですよ、そろそろ起きてくださいね。グレースさんのお膝の居心地がいくら良いからといっても仕事が師団長様を待っていますよ」


 その言葉にジルベールは、顔をこちらに向けた。グレースはどうしていいか分からず、とりあえず微笑んでおいた。するとまたもや大きな手が伸びてきて、ぽんぽんと頭を撫でられる。


「寝すぎたな……」


 そうぼやきながらジルベールが体を起こして、隣に座りなおした。


「何かあったか」


「幸い何もありませんでしたが、お手紙が来ていましたよ」


 ノエルが一通の手紙をジルベールに差し出す。

 グレースは、立ち上がり、空のカップとともに執務室を出て行きたかったのだが、ジルベールに膝を貸していたため、脚がしびれて今は動けそうになかった。


「……ソフィアからか」


 ジルベールがぽつりとつぶやいた名前は、明らかに女性のものだった。ちらりと彼の手元を見れば、それは一目で上等と分かる封筒に入れられていて、蝋封がされていた。

 武骨な手がべりっと封筒を開ける。中身を盗み見る勇気はなくて、グレースは俯いた。

 ジルベールはモテる。それはこうして彼の傍で働きだすよりも前から知っていることだったが、働き出して分かったのは何通もの恋文が毎日のように彼の下に届くことだ。

 掃除をしている時やお茶を出している時、手紙を届けに来てくれた騎士に受け取るのを断っている姿を何度か見たことがあった。中には直接会いに来て、門番に追い返されている女性もいた。

 グレースは、その度にほっとしている自分がいるのを、疎ましく思っていた。

 だが、その「ソフィア」という女性からの手紙をジルベールは受け取っている。

 なんでこんな時に限って足がしびれているのだろう、と自分の運のなさに悲しくなってくる。


「そうか、もうすぐ誕生日か……」


「もうそんな季節ですか」


 ノエルが感慨深そうに告げながら、向かいのソファに腰かけた。


「何を、贈ればいいんだ?」


 便せん片手にジルベールが困ったように頭を掻いた。

 ジルベールには浮いた噂一つないのも有名だった。だから恋人なんていないと勝手に思っていたが、表に出さないだけで大事な方はいたのだ。

 それはそうだろう。容姿だって優れていて、真面目で仕事熱心。少しぶっきらぼうなところもあるけれど、部下はもちろんこんな雑用係も大事にしてくれる優しい人だ。

 こんな素敵な人に恋人がいないほうがおかしい。


「あ、あの、私、そろそろ失礼いたします」


 まだ脚はピリピリしているけれど、歩けないほどではない。気合を入れて立ち上がる。少しよろけてしまったが大丈夫そうだ。


「大丈夫か?」


 だがすぐにジルベールに気づかれて、心配そうに青い瞳がグレースを見上げる。


「大丈夫です。その、脚がちょっとしびれているだけで」


「すまない、俺が一時間も君を枕にしていたせいだな」


「私も三十分で起こすとお約束しましたのに、一緒に寝てしまったので同罪です」


 途端に申し訳なさそうに眉を下げたジルベールにグレースは、ゆるく首を横に振った。


「そうだ、女性のことは同じ女性のほうが詳しいはずです」


 おもむろにノエルが口を開く。


「グレースさんに贈り物について助言をもらってはいかがですか?」


「それは、確かに……」


 ジルベールが名案だと言わんばかりに頷いた。

 ちくちくと胸が痛むのは、きっと気のせいだと思いながらグレースは、再びゆるく首を横に振った。

 もしも、もしもグレースがジルベールの恋人だったら、他意はなかったとしても他の女性が選んだものなんて嫌だ。


「……私には流行なんて分かりませんから。……それに師団長様が心を込めてお選びになったものなら、きっとどんなものでも喜ばれると思います。仕事が残っていますので、失礼いたします」


 グレースは二人に頭を下げて、テーブルの上のトレーを手に取り、二人のデスクの上の空のカップも回収して執務室を後にした。

 給湯室に入り、カップを洗う。

 ジルベールに甘えないようにしなければ、と痺れた脚に決意する。優しい彼は、何かとグレースに甘いが、それに甘えてはいけない。彼の恋人に失礼だ。

 グレースは、恋にうつつを抜かしている暇など、最初からないのだ。とにかく仕事を頑張って家族を養い、自分のせいでできた借金を返さなければいけない。

 それに幼い弟と妹は父が死んでから苦労ばかりさせて、グレースが子供だった頃のような贅沢も娯楽も何も体験させてあげられていない。せめて二人には人並みの幸せを得てほしい。そのためにグレースは頑張るのだ。


「…………もっと、頑張らなきゃ」


 グレースはぽつりとつぶやいて、濡れた手をエプロンでぬぐう。

 幸い、明日は週に一度の休みだ。明日一日で気持ちを切り替えて、雑用係としてまた頑張ろう。そう決意して、洗濯物を取り込みに行くためグレースは給湯室を後にしたのだった。




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