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白猫は不器用騎士様に恋をする 第一部完結!  作者: 春志乃
第4話 貴方の春を願う
13/29

4-1


 きちんと薬を服用できたおかげか、母の熱は長引くことはなく三日後にはグレースは無事に仕事に復帰することができた。毎朝、後ろ髪を引かれていたロビンも、今日は元気よく登校していった。

 グレースは、休憩室で持ってきた制服に着替えて、エプロンを身に着け、髪を結んで三角巾をする。

 そして気合を入れて休憩室を出て、いつもの順番で掃除をする。

 朝礼会議が終わったのを見計らい、部屋にもどったジルベールとノエルに会いに三階へと行く。

 こんこんとノックをすれば「どうぞ」とジルベールの声が返事をしてくれた。


「失礼します」


 そう声をかけて中へと入れば、今日もたくさんの書類に囲まれるジルベールがいた。ノエルの姿はない。


「今日から復帰か?」


「はい。その節はご心配とご迷惑をおかけしました」


 グレースは深々と頭を下げる。


「おかげさまで母も回復いたしまして、本日よりまたよろしくお願いいたします。補佐官様にもお礼をと思ったのですが、今日はお休みですか?」


「用事で事務局に行っているだけだ。母君が元気になられたのなら何よりだ」


 ジルベールが穏やかに頷いてくれた。

 グレースはエプロンをぎゅっと握りしめて、ジルベールを見据える。


「それで、あの……お薬代と診察代はおいくら、でしょうか?」


 ジルベールが変なものをかみつぶしたような顔になった。

 今朝、出勤した際に一階の事務局で給料を受け取った。今もポケットに革袋に入れられた一ヶ月分のそれが入っている。


「あれは俺からのお見舞いだと思っておくといい」


「お見舞い?」


「ああ。言っただろう? あの女将に横取りされてしまったお見舞いだ。その代わりに医者をやっただけだ」


 ジルベールは淡々とそう告げた。


「……師団長様、どうかそんなお情けをかけるような真似はおやめください」


 グレースはエプロンを握りしめる手が震えそうになるのを叱咤して、そう告げる。

 ジルベールはグレースがどんなところに住んでいるのか目の当たりにしただろう。治安の悪い地域の狭くて日当たりの悪い我が家。ろくな食べ物のないキッチン。やせ細った弟妹と母。

 頑張っているといってくれたのは、あの頭を撫でてくれた大きな手は同情だったのか、と胸がずきんと痛んだ。

 グレースはジルベールの青い瞳から逃げるように俯いた。荒れた指先が視界に映る。


「同情を全くしなかったといえば嘘になる」


 その一言がぐさりと心に刺さって涙がこぼれそうになるのを唇を噛んでこらえる。


「だが、君は我々第三師団の大切な仲間だ」


「……え」


 思いがけない言葉にゆっくりと顔を上げる。


「だから、医者も手配するし、家まで送った。君だってもし大切な仲間の家族が倒れたら心配するだろう?」


 グレースはその言葉に、少しの間を置いて頷いた。

 ジルベールの家族のことは風の噂でしか知らないが、母親がいるはずだ。もし、ジルベールの母親が倒れたと知らせが来たらグレースは心配する。何かできることはないかと聞くだろう。ジルベールだけではなく、ノエルの家族であっても同じことだ。


「俺はノエルの家族が倒れても同じことをする」


 まるでグレースの思考を拾うようにジルベールが言った。


「ですが……」


 それでもやはり治療費までというのは気が引ける。医者にかかればお金はかかる。それにジャンが出してくれた薬の効き目は抜群で、ああいう薬はとても高価なのを知っている。


「……では、言い方を変えよう。あれは『必要経費』だ」


「…………ひつよう、けいひ?」


 ジルベールの放ったひとことが全くもって理解できず、グレースは間抜けな返事をしてしまった。

 経費とは仕事をするために使用した費用のことだと記憶している。


「君は、君が思っている以上の仕事をしてくれている。その優秀な雑用係が一日でも早く職場に戻れるようにという『必要経費』だ」


 ジルベールはちらりと空っぽの補佐官の席を見た。


「掃除も皆で分担して行っていたんだが、なかなか君のようにはいかなかった。ノエルなんかこの三日、紅茶を毎日爆発させていたし、俺が淹れたものは渋くて飲めなかった」


 それで給湯室はやけに紅茶の香りが強かったのか、とグレースは変なところで納得してしまった。掃除はされていたが、獣人族であるグレースにはその残り香が十分に嗅ぎ取れたのだ。


「それに君が、ここやエントランスに花を活けてくれただろう?」


「は、はい」


 備品室の整理をしていた時に花瓶を見つけて、ジルベールに飾っていいかと確認を取ると許可が出たので、騎士団の庭を管理する庭師からお花をもらって花を飾るようにしたのだ。


「正直、ここは男所帯だからどうだろうかと思ったんだが、案外、あれも好評でな。俺もこれまで花なんて愛でたことはなかったんだが、ふと疲れた時に見るとなんとなく癒されるものだな」


 彼が窓際に置かれた花瓶を振り返る。四日前にグレースが中庭で庭師に分けてもらったスノーヴィオラが柔らかな春の日差しを浴びている。

 スノーヴィオラは、真っ白で、中心がほんのり紫色のスミレの花だ。この国では春を告げる花として有名だ。雪が解ければその下から緑の葉を伸ばし、可憐な花を咲かせるのだ。


「だから、あれはここに優秀な雑用係である君が戻ってくるために『必要な経費』だ。今日からまた頑張ってくれ」


 優しい眼差しに胸がじんわりと温かくなる。スノーヴィオラが告げる春のように、あたたかなものがグレースの胸を満たしていく。

 涙がこぼれるのを誤魔化すようにグレースは、再び深々と頭を下げた。


「……より一層、頑張りますので、こちらこそよろしくお願いいたします」


「ああ。頼む」


 顔を上げたら泣き顔を見られてしまう。だからグレースは俯いたまま「失礼します」と口早に告げて執務室を後にした。

 紅茶が香る給湯室を駆け抜け、休憩室に飛び込みドアを閉めてずるずると座り込む。

 ジルベールの優しさが、グレースを弱くするのに、同時にグレースを何よりも強くしてくれる。弟と妹と母のために立ち向かう力をくれるのだ。

 最初は淡い恋心と憧憬だったのに、今はそれだけでは済まないほど何かがグレースの中で育っている気がして怖くもあった。


「……必要って、言ってくれた……っ」


 顔がにやけるのを止めることもできず、グレースは泣きながら笑った。

 ジルベールは、グレースを、雑用係として必要だと言ってくれた。それだけでなんでも頑張れそうだ。リゼルのことだって二年もじゃない、二年だけ頑張ればいいのだと思えてしまう。

 単純な自分に笑いながらグレースは涙をぬぐって立ち上がる。


「頑張らなきゃ」


 そう自分に言い聞かせて、グレースはより一層、雑用係の仕事を丁寧に大切にこなそうと心に決めたのだった。






「リゼルが、二人?」


 久しぶりに顔を見せたサムの報告にジルベールは、眉をよせた。


「はい。カーヤ騎士と共に確認しました」


 ブルネットの髪の女性騎士が頷く。彼女は劇団員の両親を持ち、化粧が非常に得意で、化粧一つで清純系美少女から妖艶系悪女、年経た老婆、さらには線の細いと限定されてしまうが男性にまで変身できる。さすがに身長は誤魔化せないので、幼い子どもだけは無理だと悔しがっている。


「中心街のアンバー税理士事務所に張り込んだのですが、そちらにもいたんです。ただあれだけ毛嫌いしているのに、そちらでは猫の耳が生えていましたが……」


「やはり猫嫌いか?」


「はい。従業員にも聞き取り調査を行いましたが、グレースさんへの風当たりは相当なものだったそうです。皆、グレースさんではなく女将さんが辞めればよかったのに、と」


「なるほど。グレース嬢にもそれとなく尋ねたんだが、猫というだけで、獅子や虎などの猫系獣人族でさえも嫌っていたらしい。とにかく、猫が関わるものが嫌いなようだ。だが、そんな女が猫耳をはやすと思うか?」


 種族を変えることは不可能ではない。

 専用の魔法薬がある。なりたい種族の一部(基本は髪の毛)を入れることで、容姿はそのままに身体的な特徴、例えば獣人族なら分かりやすい耳と尻尾、エルフ族なら尖った耳などを再現できる。逆に獣人族やエルフ族が人族になることも可能だ。

 ただし、魔法薬なので効果は永遠ではなく、精々、三時間程度。それにこの種族変種魔法薬は非常に調合が難しく、材料も貴重なため、とても高価な魔法薬だ。一般庶民が手を出せる代物ではない。たった三時間分でも立場上割ともらっていると自覚しているジルベールの給料の内、半年分が飛ぶほどだ。

 魔法薬は、強大な魔力を持っている魔術師だけが作れる特別な薬だ。そういう人々は魔術ギルドに所属していて、一日の内に作れる本数も作れる種類なども詳細に決められている。魔力の枯渇を防ぐために、手厚く保護されている存在なのだ。

 それをリゼルが毎日毎日使えるわけがない。それに魔法薬には色々と制約がある。魔法使いが特別に作る薬には、強い副作用がある。心身の不調を伴うのだ。

 だが、リゼルは毎日元気に夜遊びをして、従業員を叱り飛ばしているそうだし、税理士のリゼルも真面目に勤めているらしいのだから、魔法薬の線は薄そうだ。


「やはり、どちらかのリゼルは『偽物』という線が濃厚だな」


「はい。……でもおそらく、偽物なのは春の小鳥亭の女将・リゼルだと思うんです」


 サムは戸惑いながらも、断言した。


「なぜ、そう思う?」


「実は私、グレースさんに変装して税理士のリゼルに会いに行ったんです」


 カーヤが言った。

 彼女の変装は魔法薬ではないが、その技術は見事なものなのだ。


「カツラを被って、耳は変装用のものをつけて、目の色はいつもの魔法で」


 カーヤは魔術師になれるほどではないが、一般人よりは魔力があり、それを幻影魔法に全振りしている。といっても本当に少量なので髪の色は変えられないが、瞳の色と瞳孔の形だけ変えることができる。


「昼休憩に出てきたリゼルに、わざとぶつかってみたんですが、ただ慌てるだけでした。むしろ転んでしまった私を心から心配して、何かあったら連絡してほしいと名刺まで頂きました」


 カーヤが懐から出したそれをジルベールのデスクに置いた。

 そこには事務所名とリゼルの名前が書かれていた。


「猫がどうのこうのと言われなかったか?」


「いえ、一切。ちなみに色は変えて、別の猫獣人姿で春の小鳥亭に行くと、たまたま起きてきたあの人にすごい顔をされました」


「では別人だとして、女将のリゼルは誰なんですか?」


「それが分からないんです……」


 サムとカーヤが申し訳なさそうに言った。


「商業ギルドへ確認しましたが、前任のドーナ――彼女の伯母にあたる女性から委任状をもらい、正式に受理されていますし、魔力検査による本人確認も済んでいるんです」


 本人確認は魔力を使う。

 魔力というものは、基本的にすべての人間が持っている。ジルベールもノエルもグレースも目の前のサムやカーヤもだ。

 だが、それを魔法として使えるほどの魔力を持つものは極稀で、一般人が持つ魔力は精々小指の爪ほどの量と言われている。

 だが、生まれた時に出生届を出す時についでに指の先を針で刺して一滴ほど専用の魔道具に吸収させれば、そのわずかな魔力だけでも十分に個人を判別することができる大変便利な仕組みが確立されているのだ。

 魔力量が少ないため、血液という直接的なものを魔道具に吸収させる必要があるが、それ以降は手を翳すだけで判別できるようになる。


「なかなか厄介なことになって来ましたねぇ」


 ノエルが眉間に皺を寄せながらつぶやいた。


「商業ギルドで不正をした人がいるということでしょうか」


 サムが言った。


「だろうな。なあ、リゼルには親兄弟姉妹はいないのか? あ、ドーナという伯母がいるか……」


「彼女のご両親は健在でシャウア地区で代々古書店を営んでいるそうです。リゼルには兄がいますが、兄夫婦がそのお店を引き継いでいるようですね。リゼル本人には夫がいて、こちらはパン屋です。彼の実家が元々パン屋で十年ほど前に支店という形で独立しています。舅は既に女神様の庭に行ってしまったようですが、姑は健在でリゼルの夫は次男。その兄の長男夫妻が継いだパン屋を手伝っています。リゼル夫妻には娘と息子がいて、娘は既に結婚しており、一歳の娘がいます。息子は祖母宅に居候しながら本店で修行中の身だそうです」


「そのリゼルの娘が成り代わっているのでは? 似ている親子はいくらでもいるでしょう」


 ノエルの問いにカーヤが首を横に振った。


「それが、税理士のリゼルは黒猫系獣人族、夫と娘は蛇系の獣人族で、息子は父方の祖父に似て穴熊系獣人族、と獣人族一家ではあるのですが、種族はバラバラなんです」


 一家で種族がばらばらというのは割とよくある話だ。人族同士で結婚しても祖先に獣人族がいれば、子どもが獣人族として生まれてくることもよくある。


「ただ、リゼルの両親の戸籍には、リゼルと兄以外、娘がもうひとりいたと記載があるのですが、除籍手続きがされていて氏名などは確認できませんでした」


「除籍、ですか?」


 ノエルがわずかに目を瞠る。

 除籍とはその名の通り、籍を除かれることを意味する。勘当され家を追い出された場合などに家族や本人からの申請で行われ、家族の戸籍には性別と存在したぐらいの情報しかなくなってしまうのだ。


「それで私たちはさらにリゼルとその一家の周辺を調べた結果、リゼルには姉妹が、それも双子の妹がいたことが分かったんです」


「なるほど、双子か。それなら顔が同じ理由になるな」


「はい。ですので近々、税理士のリゼルに一度、接触し、聴取に応じてもらえるよう交渉しようかと」


「ああ、そうだな。税理士のリゼルは善良な女性のようだし」


「……師団長それと、まだ理由や目的などは分からないのですが……」


 サムがそう切り出す。ジルベールは、目で先を促した。


「女将のリゼルのほうが、グレースさんに接触しているんです」


「グレース嬢から、彼女は見舞いには来ていないと、いや、違うか。俺が君たちに捜査を命じたのは、彼女がここへ勤め始めてからだ」


「はい。女将のリゼルがグレースさんと接触したのは、今月の十七日のことです」


「十七日と言えば……」


 ノエルが日誌を確認する。


「グレースさんのお母さんが倒れた日で、グレースさんが早退した日ですね」


「そうなんですね。退勤の時間には早いとは思っていたんですが……」


「それであの女とグレース嬢はなんの話を?」


「そこまでは……ですが、グレースさんはリゼルさんにお金を、おそらく十万ペルほど渡していました」


「なぜ?」


「ですから今日来たんです。師団長にグレースさんに関する捜査許可を頂きたく」


「実は深夜帯、リゼルは出かけるのですが治安の悪い酒場で、特別室へ必ず案内されているんです。そこに出入りしている男が少々怪しい噂のある金貸しで」


「……グレース嬢が何らかの犯罪に巻き込まれているかもしれない、と」


 二人は神妙な顔で頷いた。


「……あるいは、グルか。こちらの情報を渡しているのは考えられませんか?」


 サムがこちらを伺うように言った。

 立場ある人間として、治安を守る騎士として、様々な角度で物事を見なければいけないのは分かっている。分かってはいるが、ジルベールには家族のために真面目に働くグレースが犯罪に加担しているようには思えなかった。それに引っかかる部分もある。


「だが、グルなら何故、彼女が金を渡すんだ?」


「そう、ですね。例えばグレースさんが、うちの捜査資料とかなんらかの情報を盗んだとすれば、お金を払うのはリゼル側では?」


 ノエルがジルベールの疑問に重ねるように言った。


「僕もカーヤも、正直なところグレースさんは、食堂での聞き取り調査内容からしても、巻き込まれている側だとは思っているんですが、師団長たちから見て、怪しいところはないですか?」


「ないな。真面目に働いている。前任の爺さんのようにさぼっている姿を見たこともない」


「資料室は鍵がかかっていますし、執務室も僕らがいない時は施錠しています。どちらも僕かジルベールの魔力無しでは鍵は開閉できませんしね」


 ジルベールとノエルの回答にサムとカーヤは、表情を緩めた。

 人を疑うのは辛いことだ。それが善良だと信じている相手ならなおのこと。


「やはり巻き込まれている、という線で捜査をしていきたいと思います」


「ああ、頼む。俺たちもそれとなく話を聞いてみることにするよ」


「よろしくお願いします。それでは」


 サムとカーヤは一礼すると執務室を出て行った。


「なんだか本当にきな臭いな……女将は一体、何者なんだ?」


「はい。一体、何がどうなっているのか、ローという男性も気になりますし」


 ノエルが難しい顔で顎を撫でている。


「どの事件もなかなか解決しそうにないな……」


 ジルベールがそう吐き出した言葉にノエルも疲れた顔で頷くのだった。



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