令嬢との婚約を破棄したら、この世の何もかもから「破棄」される運命になりました
「リアーナ・カース! お前との婚約を破棄する!」
俺は夜会にて、目の前の子爵家の令嬢にこう宣言した。
それから俺はリアーナに対し、前もって大義名分として用意した「婚約破棄する理由」を次々述べていく。
しかし、いずれも建前に過ぎない。俺が婚約破棄をした一番の理由、それはリアーナが俺の好みでは全くないということである。
リアーナは黒い髪に黒い瞳を持ち、決して不細工というわけではないが、妙にのっぺりとした顔をしており、悪い意味で「人形」という印象を受ける。昔どこかで見た異国の呪術に使う人形、あれにそっくりなのだ。
こんな薄気味悪い女と結婚するなど、俺はまっぴらだった。
だからこの俺、伯爵家の子息であるタイロン・フォールは、リアーナとの婚約を破棄することに決めた。
さて、俺の婚約破棄宣言に対し、この女はどう出てくるか――
「分かりました。おっしゃる通りにいたします」
リアーナは淡々と了承してくれた。
少しは「お待ち下さい」だとか言ってくれてもいいのに、全く不気味な女だ。
とにかく、これで俺はこいつと結婚しなくてよくなった。本当にほっとしている。社交界には女なんて腐るほどいるんだ。すぐさま女を漁って、もっと美女と結婚してやろう。俺には薔薇色の未来が待っているんだ。
リアーナはその後どこかに消え、俺は枷が外れた気分で、しばし夜会を楽しんだ。
したたかに酔った後、俺は会場である屋敷を後にする。
帰りは馬車で送ってもらうことになる。俺は中年の御者に話しかけた。
「さて帰るとするか。俺の家まで送ってくれ」
「お断りします」
「……は?」
御者が突然とんでもないことを言い出した。
「何言ってんだ、お前!」
「ですから、お断りします。一人でお帰り下さい」
「お帰り下さいって……こっちは金払ったんだぞ! ちゃんと仕事しろよ!」
「確かにそういう契約を交わしました。しかし、その契約を破棄させて頂きます。では失礼します」
御者は馬を走らせ、どこかに行ってしまった。
「ふざけやがって……!」
あの御者、覚えてやがれ。絶対このことを追及して、二度と業界で仕事ができないようにしてやるからな。
他の誰かの馬車に乗せてもらうという手もあるが、みっともなくてそれはやりたくなかった。徒歩で帰れない距離ではないし、俺は歩くことにする。
その間俺は、あの腐れ御者をどういう目にあわせてやるかをずっと考えていた。
酔いが覚めるぐらいの距離を歩いて、ようやく帰宅。
夜会でもそれなりに食事はしたが、歩いたせいでまた腹が減ってきた。
俺は使用人に命じる。
「おい、なんか夜食持ってこい! ついでに酒もな!」
しかし、使用人はこう返してきた。
「お断りします」
俺は呆気に取られる。
「何言ってんだ、お前」
「食事もお酒も出さないと申し上げたのです」
俺の頭が瞬間的に沸騰した。
「ふざけるなよ! お前はこの家に雇われて使用人やってるんだろ! とっとと命令通りにしろよ!」
「ですから、使用人としての役目を破棄します」
「は……?」
「では失礼します」
使用人は俺を置いて、どこかに行ってしまった。
追いかけようとするが、疲れた足でもつれて、俺は転んでしまう。
「くそっ、どいつもこいつも……!」
今日はこれ以上起きていても不快なことが続きそうな気がする。
そんな予感を覚えた俺はとっとと寝ることにした。
明日になったら、御者と使用人は徹底的に糾弾し、その後新しい女探しに没頭してやる、なんてことを考えながら。
***
「タイロン・フォール! お前との親子の縁を破棄する!」
朝起きたら、父上からいきなりこんなことを言われた。
当然俺は反論する。納得できるわけがない。
「ちょっと待ってくれ! どういうことだよ!?」
「どうもこうもない。お前との縁を切る。それだけだ」
母上や他の兄弟にも目をやる。
みんなが俺に冷たい視線を向けている。
「な、なんで……? なんでだよ!?」
「みんな、お前との縁を破棄するそうだ」
「そんな……!」
「というわけで出て行け。もう二度とフォール家の敷居をまたぐでないぞ!」
屈強な衛兵に脇を抱えられ、俺は敷地外に追い出された。
「なんでこんなことに……」
門の外でうなだれてみるも、家族が「冗談だよ、帰っておいで」なんて手を差し伸べてくれることはなかった。
敷地内の庭園を見ると、フォール家のペットである犬のベスが走り回っている。俺も散歩をしたり、ずいぶん可愛がったものである。
「ベス! ベス、おいで!」
しかし、ベスは俺を見るなり睨みつけ、吠えかかってきた。
俺に犬語は分からないが、まるで「お前との飼い主と飼い犬という縁を破棄する!」と言われてるかのようだった。
***
家を追い出されたが、まだそこまで深刻にはなっていなかった。
俺は抜け目なく家から金貨袋を持ち出しており、当座をしのぐぐらいは十分できる。
父上がどういうつもりであんなことを言ったのかは分からないが、長めに見積もっても数日しのげば、向こうから折れてくれるだろう。そう楽観的に考えていた。
そういえば昨日は夜食を食いそびれたし、今朝も何も食べていない。
俺は食料品店に向かった。
店の主人が出てくる。俺は一枚の金貨をちらつかせる。
「俺は腹が減っている。とりあえずこれで買えるだけの食料をくれ」
主人は俺から金貨を受け取ると、こう言った。
「あなたに売れる食料はありません」
俺は困惑した。
「売れる食料はない……って。たくさんあるように見えるけど」
「あなたには売れません」
意味不明な言い草に、当然俺は怒る。
「ふざけんな! だったら金貨返せよ!」
「買い物というのは売る人間と買う人間の契約とも表現できますが、私はその契約を破棄させてもらいます」
またこれか、と思った。しかし、このままで済ますわけにはいかない。俺は食ってかかる。
「破棄する、じゃねえんだよ! だったら金貨返せ!」
「返しません」
「返せぇ!」
「返しません」
日頃から力仕事をしているからなのか、向こうの方が力は強く、俺はあっけなく突き飛ばされてしまう。
「ち、ちくしょう……!」
金貨だけ取って、商品を渡さない。こんなのは間違いなく泥棒である。俺は町を巡回する兵士に訴えることにした。そうすればあの店主は逮捕されるはずだ。
俺は近くを歩いていた兵士に話しかける。
「おい、お前!」
「なんですか?」
「たった今、ある店の主人に金貨を強奪されたんだ! 捕まえてくれ!」
兵士は首を振った。
「お断りします」
「なんでだよ!? 俺は泥棒されたんだぞ!? お前は町の治安を守ることが仕事だろうが!?」
「ええ。ですが、今回はその職務を破棄させて頂こうかと」
また出た。「破棄」だ。
昨夜リアーナとの婚約を破棄したことを思い出す。あの女、妙に落ち着いていたし、まさか俺に何かしたのでは……?
あの女に謝罪なり復縁なりすれば、この状態は解除されるのだろうか。だが、あんな女に下手に出るなどまっぴらだ。
その後もどうにかして、俺は食料を手に入れようとした。
しかし――
「食料を売る役目を破棄します」
「あなたはお客ではありませんので、当レストランには入れません。あなたとの関係を破棄します」
「役割を破棄しましたので、あなたに飲ませる飲み物はありません」
こんなことばかりだ。
そうこうしてるうちにいつの間にか金貨袋も奪われてしまった。これでもう俺は一文無しだ。
さすがにこれでは生きていくのは難しい。背に腹は代えられぬと、俺はリアーナに許しを乞おうと決意する。
一連のこのふざけた流れは、どう考えてもあいつが原因だ。呪術の人形みたいなツラしてるし、本当に呪術めいた力を持っていても不思議じゃない。
俺はリアーナの住む屋敷に急いだ。
しかし、俺は門前払いを食らってしまった。
「リアーナと話をさせてくれ!」
「お嬢様はあなたと会う気はないそうです」
「婚約を破棄したことなら謝るから……撤回するからって伝えてくれ!」
「お引き取り下さい」
「頼むよ! このままじゃ俺は……!」
「お引き取り下さい」
「リアーナ、俺を助けてくれぇっ!」
「お引き取り下さい」
いくら頼んでも叫んでも、門番は「お引き取り下さい」を繰り返すだけ。リアーナに本当に呪術的な力があったとして、こいつ自身その呪いにかけられてるかのような無機質ぶりだった。
俺に残された手段は、もはや一つしかなかった。
俺は教会に向かった。
そう、神頼みだ。
まともに教会を訪ねたら、神父から「神父としての役割を破棄します」などと言われ追い出されたので、こっそりと侵入する。
そして飾られている神の像に、俺は祈りを捧げた。
この窮地から脱するためなら、どんなことでもする。純度100パーセントの祈りだった。
すると、祈りが通じたのか、こんな声が聞こえてきた。
「タイロンよ……」
「は、はいっ!」
なんという厳かな声だろう。これが「神の声」なのか。
「お前の真剣な祈り、この私に届いたぞ」
「ありがとうございます!」
俺は心の中で歓喜した。祈りは神に届いたのだ。これで俺はこの状況から救われる。
――と思ったのも束の間。
「お前の祈りは……破棄する」
「……え」
これ以後、神の声が聞こえることはなかった。
俺は叫んだが、結局そのせいで教会の連中に見つかり、追い出されてしまった。
俺はとうとう神にまで「破棄」されてしまったのだ。
もう体力も気力も残っていない。ふらふらと町をさまよいながら、俺は絶望の叫び声を上げた。
「誰か……誰か、俺を助けてくれ……! 俺を破棄しないでくれぇぇぇぇぇ……!」
***
体が動かない。
お腹が空いた。
病気にもなった。
手足はやせ細り、体じゅう至るところに異常があり、俺は生ける屍のような状態になっている。
ボロボロのはずなのに、意識だけは妙にはっきりしていて、怪我や病による苦痛を絶えず味わうはめになっている。
「だれか……おれを、ころして……」
こうささやいても、社会というものから破棄されてしまった俺の言うことなど誰も聞いていない。耳にした者がいたとしても、無視されるだろう。
俺がなんでこんな状態でも生きていられるかっていうと、多分俺は“死”からも破棄されてしまったのだと思う。
きっとこの世界が終わる時まで、こんな状態で生き続けるんだろうなぁ。なんとなくそんな気がする。
いや、もしかしたら世界が終わっても俺だけはこのまま――
こんなことを考えてると気が狂いそうになる。しかし、狂って楽になることすら許されない。
婚約を破棄した俺は、楽しさや嬉しさ、安らぎといったそういったもの全てから“破棄”されてしまったのだから。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。