第5話 初めての森散策
本格的な夏がくる頃には、アナの小屋生活もすっかり慣れてきた。と言ってもアナはほとんど小屋から出ずに1日が過ぎていく。
シルバが狩りに出かけている間はハリーと遊び、シルバが帰ってきたら夕食にできそうなモンスターを3人で川で洗い、ハリーが皮を剥ぎ、アナが調理する、そしてまたシルバに包まれて目が覚めるまで眠るという生活だった。
もふもふしていたいという欲求しかないアナにとっては何の不満もない生活だった。だが困ったことが起きていた。
「う〜ん……」
『アナ?どうしたの?』
「ハリー、もうね、お塩がないの。やっぱりお塩がかかってた方が美味しいし、どうしようかなぁ。」
『塩って、いつもアナがかけてるこの白いのだよね?僕もこれがかかってる方が好き!
…同じ味のものが採れる場所、僕知ってるよ!』
「本当?近くにあるの?」
『うん!僕の前の巣穴の近くの洞窟でね、舐めたことがあるよ!しょっぱくてびっくりしたから覚えてる!』
「ハリーの巣穴の近くって…行っても大丈夫?」
ハリーが怪我をしていたのは巣穴を襲ってきたモンスターがいたためだった。仲間で一斉に攻撃をし、何とかモンスターは立ち去ったのだが、その戦闘で怪我を負ったハリーは巣穴を離れる仲間たちに置き去りにされてしまっていたのだ。
『大丈夫、僕の家族はアナとシルバだもん。気にしてないよ。何か出てきても、僕がやっつけてあげるよ!』
塩をかけて焼いた肉は、シルバも生で食べるよりも何倍も美味しいと喜んでくれた。太陽はまだ頭の真上。ハリーの体の大きさですぐに行けると言うのならばそう遠くはないのだろう。
そう思ったアナは、ハリーを肩に乗せ、初めて森の中へと足を踏み入れた。
「わっ…!」
『アナ、根っこがいっぱい出てるから気をつけてね。』
「うん。」
庭師に連れられて来た時は馬に乗っていたため分からなかったが、路は整備されておらず至る所に木の根が出っ張り、草木が茂っていた。
「…ハリー、あとどれくらいかな?」
『あとちょっとだよ!頑張って、アナ!』
思いがけずに汗が噴き出てくるほどの運動となってしまった。
1時間ほどハリーの指示に従って進んだだろうか。やっと目的の洞窟が見えてきた。
『あったよ、アナ!あの中にあるよ!』
「やっと着いたのね!よし、行きましょう!」
次からは絶対シルバに連れて来てもらおう、と思いながら、アナはゆっくりと洞窟の中へと入って行った。
「暗いね…ハリーは見える?」
『僕もハッキリは見えないけどね、水の音がして、そこの近くにあったんだよ。』
耳を澄ませると、奥の方からピチョンピチョンと、水が滴る音が聞こえた。
転ばないよう壁に手をつきながらゆっくりと音がする方へと向かって行くと、水が溜まっている場所まで辿り着いた。
「ここ?」
『多分ここだと思う!ここに落ちてた石が同じ味がしたよ!』
アナはうっすらと見える暗闇の中、手探りで落ちている石を拾い、ハリーの言う通りぺろりと舐めてみるとその味はまさしく塩そのものだった。
「…これ、岩塩だ。ハリー、これ塩だよ!私の魔法道具に入れて持って帰ろう!」
『うん!じゃあ僕もひろ…アナ、危ない!!!』
「え?」
ハリーの大声と同時に、後ろから何かが飛んできてアナの頬を掠めた。
「なに、これ…」
『黒蜘蛛だ!アナ、早く逃げて!!』
壁に刺さったものを辿ると、天井に赤い光が8つ点滅していた。
『これでも喰らえ!!!』
ハリーが背中の針に火をつけて投げつけると、張り巡らされていた蜘蛛の糸に引火し、目の前にいた巨大な蜘蛛の姿を浮かび上がらせた。
「ーーーーッ!!!キャ、キャーーーーーー!!!!!!むむむむむ、虫ーーーッ!!!!!!」
アナは前世でも今世でも、虫が大嫌いだった。一瞬にして全身に鳥肌が立ち、アナはすぐにその場から離れようとした。だが、巣穴に侵入してきたアナ達を黒蜘蛛も逃すまいと、ハリーの攻撃に怯みはしたもののすぐに体制を整え襲ってきた。
捕まえようと出口で待ち伏せするかのように立ちはだかった黒蜘蛛のその姿は、外の光で先ほどよりもより鮮明にその不気味なシルエットを浮かび上がらせ、アナはさらにゾッとし、咄嗟に両手をかざしていた。
「待って待って、私本当に虫は無理!消えてーーーーー!!!」
「ギシャーーーーッ!!!!!」
アナが消えろと念じたためか、その手からは火柱が放たれ、黒蜘蛛は抵抗する術もなく一瞬にして炎に包まれ奇声をあげた。
『…アナ!アナってば!もう大丈夫だよ!!火を止めてよ!森が燃えちゃうよ!』
「え、あ。」
蜘蛛の姿を見たくない一心で両目を固くつぶっていたため、ハリーに言われ火を止めた時にはすでにそこには黒蜘蛛だったものと思われるものしか残ってはいなかった。そして黒蜘蛛だけでなく、アナが放った炎は真っ直ぐ一直線に洞窟から数メートル先の木々までも焼き尽くしていた。
「怖かったぁ…!」
アナは洞窟から出ると、その場にしゃがみ込んでしまった。
モンスターに襲われるという経験も初めてだったが、それが自分が最も嫌いな虫の姿をしていたことによって恐怖は倍増した。冷静になると死んでいたかもしれないという恐怖から震えが止まらなかった。
『アナ、ごめんね…。痛い?』
「ハリーのせいじゃないよ。この傷もすぐ治せるから気にしないで。」
『アナッ!!ハリー!何事だ!!!』
焼けてできた道の先からシルバが駆け寄ってきた。
「…シルバ!シルバァァァ!虫が出たのー!!」
シルバを見ると迷子になった子供が親を見つけた時の安心感のような、そんな感情が込み上げてくる。アナはシルバに抱きつくとそのまま泣き出してしまった。
『虫だと?』
『ごめんよ、シルバ。アナが塩が欲しいって言ったから、僕連れてきたんだ。そしたら黒蜘蛛が襲ってきて、アナがやっつけてくれたの。』
『黒蜘蛛か。2人とも怪我はないか?』
「うん…グスッ…ハリーが守ってくれたの。」
『アナがやっつけてくれたんだよ!』
「ハリーが最初に動いてくれなかったら私動けなかったよ。」
『まあ無事なら良い。アナのおかげで小屋までの近道もできたしな。』
シルバがぺろりとアナの頬を舐めると、傷つけられたアナの顔は綺麗に治り、涙も止まった。
『帰るぞ。ほら、2人とも背に乗れ。』
「…ハリーには悪いけど、ここのお塩はやっぱり使いたくないな。」
『怖い思いをさせてごめんね、アナ。僕また見つけてくるよ!』
「うん…。」
こうしてアナの初めての森散策は終わったのだった。