第1話 特別出張大サービス
アナスタシアが小屋と呼ばれる、もう何年人が来たかも分からないその建物に足を踏み入れると、案の定部屋の中は埃まみれだった。
机と椅子はある。フライパンやお皿もある。ベッドはない。お風呂もトイレもない。でも仮にもここは一応人が泊まれる設備になっているはず…。
アナスタシアが小屋の外を見て回ると、奥から水の音が聞こえた。小屋から数メートル離れたところに川があった。
なるほどここの水を使うのね。
アナスタシアはふむふむと頷きながら再び小屋へ戻り、窓を開け椅子の埃を払い、よじ登るように座った。
「う〜ん、掃除をするのは面倒だなぁ。でも埃っぽい。…まぁとりあえず、なんとかなるよね。」
グゥゥゥ…
こんな時でもお腹は正直だ。そう言えば今日は朝から選定の儀式に連れて行かれ、そのまま追い出されたから何も食べていない。
困ったアナスタシアはミカエルが何かをポケットに入れてくれたことを思い出し、ポケットに手を突っ込んだ。出て来たのは真ん中に赤い小さな石がハマっている指輪だった。
「なぁんだ、食べ物じゃないのね。綺麗だけど、これじゃお腹は膨れないわ。」
アナスタシアは指輪をポケットに仕舞い、庭に出ると暖かい場所を探し出してはそこに寝転んだ。
「寝ればお腹が空いてるのも忘れちゃうわ…。」
私の特技はいつでもどこでもすぐに眠れること。
孤児院でも自慢げに話していたアナスタシアは言葉通りすぐにスヤスヤと寝息を立て始めた。
しかし夜が来ると流石の眠り姫も寒さで目を覚ました。
「さ、寒い…夜の森ってこんなに寒いのね。これじゃあ眠れないわ。」
仕方なく埃まみれの小屋に戻り、唯一の持ち物であるボロボロの人形を抱きしめながら部屋の隅で朝が来るのを待ちながら再び目を閉じた。
こんな生活をしていたら体調を崩す。誰もが容易に考えられるリスクだった。
まだ5歳になったばかりの幼いアナスタシアは翌日部屋に差し込んできた光で目を覚ましても、身体が思うように動かなくなっていた。
「あれ…?」
息が苦しい。寒いのに、熱い。
ゲホゲホと咳が止まらず、水を飲みたくても川まで自力で歩かなければならない。
ああ、私また死ぬのね。
「こらこら、今回は諦めが良すぎるなぁ。仕方ない、特別だよ。」
意識が朦朧とする中、身体がふわりと浮かび上がり、誰かに抱きしめられた。誰?と尋ねたくても声が出せず、そのまま暖かい光に身を任せるように目を閉じた。
次にアナスタシアが目を開けると、あれほど汚かった部屋の埃は全て取り除かれ、部屋の中には美味しそうな香りが立ち込めていた。見知らぬ人が鼻歌を歌いながら鍋で何かを煮ているようだ。
グゥゥゥゥゥ…
「おや、目が覚めたかな?」
挨拶よりも先に盛大に鳴ったお腹に流石のアナスタシアも羞恥心を抱き、かかっていた毛布に顔を埋めた。
すると毛布から
「主、何か食べられそうか?」
と声がするので埋めた顔をバッと離し、音の方に顔を向けた。
「おっきなわんちゃん…。」
「我は犬ではない!誇り高きフェンリルだ!」
「ふふふ、アナスタシア、体調はどう?大丈夫そうならとりあえず食事にしよう。話はその後だ。」
「大丈夫です…いただきます。」
埃まみれだったテーブルも新品のように輝いて見える。
見知らぬ人が作ったものを口にするのは良くないと思いつつも、今にもお腹と背中がくっついてしまいそうなアナスタシアにとって、彼が何者なのか等そんなことはどうでも良かった。真っ白いスープ皿に盛られたミルク粥をあっという間に平げ、「もっと食べたいか」と尋ねられれば思いきり頭を縦に振り、気付けば小鍋1つ分を平らげていた。
「お腹が空いていたんだね。初めて作ったけど美味しかったようで何より。」
「…ご馳走様でした。えっと、私はアナスタシア。貴方は?」
「私は君たちの呼び名で言うならば神様だ。覚えていないかも知れないけど、君と会うのはこれで二度目になるんだよ。最も正確に言えば一度目は君ではないのだけれど。」
食後にと淹れてくれた紅茶を片手に飲みながら、長い銀色の髪が陽の光に当たってキラキラと輝くその姿はまるで絵画のようだった。
「助けていただき有り難うございました。あの、神様はどうして私を助けてくれたんですか?」
「そうだね、君は私を覚えているかい?」
「え…すみません、覚えていないです。」
「だよね。」
質問に質問で返さないで欲しい。悪い人には感じないが、要領を得ない発言に眉間に皺が寄ってしまう。
「ごめんごめん。意地悪しているわけではないんだよ。君は他の人よりも前世の記憶が残っているようだったから思い出したりするかなと思って聞いてみたんだ。でも無理だよね、私がそう言う風にしたんだから。
では、5歳の君に質問だ。神様とはどこで会える?」
「…神殿?神様によっては神社や教会?でもこれは実際に会えるわけではなくて、お祈りしているだけだから、天国とか?」
「ふふふ。あはははははっ!」
真面目に答えたのに何故急に笑い出すのか。
眉間に皺が寄るだけでなく、自然と唇も尖り始める。
「いや、やっぱり君は特別だよ。」
「何がですか?」
「今日君は侯爵領の神殿に行き、加護が授けられたかどうか神官に見てもらっただろう。君のいた孤児院も教会が運営している。でもね、ジンジャってなんだい?」
「えっ、神社は…あれ、私どこで神社を見たんだろう。」
尋ねられたから頭に浮かんだ言葉を口にしただけだった。だが神様の言う通り、この世界で神社という言葉を聞いたことも見たこともない。
「それは君の前世の記憶だ。おかしいと思ったことはないかい?君は習ったわけでもないのにスラスラと敬語を使って話している。大人が言った内容を理解できている。」
これも神様の言う通り。孤児院にいた時から、言葉を覚えるのも誰よりも早く、誰が使っていたわけでもなくスラスラと大人のように話すことができた。院長からも、シスターからも子供らしくないと気味悪がられ、元々話すことが面倒だったのもあり、どんどん口数は減っていったのだ。
「私はこの星フェルメルテリアと君が前にいた地球の2つを管理している。本来であれば私が惑星に住んでいる何かと関わることはしないのだけど、君の前世が面白かったから気に留めていたんだ。丁度今日は私からのお告げをする日だったしね。
面白い加護を授けたからどんな反応をするかなと見ていたんだけど、まさか追い出されちゃうとはね。人間のすることは予想しづらいね。
せっかくオリジナルの加護を授けたのに使わずに死んでしまうのはもったいないと思ったから、今回は特別出張大サービス!私神直々に君の看護をしてあげたのさ。」
「…ありがとうございます。その、私の前世って」
「気になる?」
いくらアナスタシアが無頓着な人間だとしても、そこまで言われて気にならない方がどうかしている。
コクンと頷くと、神様はタブレット端末のようなものを取り出し「地球人の発想が好きなんだ」と呟きながら『佐藤 勝子の一生』という動画を流し始めた。