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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編:神の遊戯と烏の涙

作者: 大久保周

 二日前までうるさいくらいに活気づいていた王都では、胴体よりはるかに発達した羽と左右に飛び出た目を持つ喪服の鳥が上空を飛んでいた。発酵した腐肉が生臭いゼリーのように人骨にしがみつき、半分だけ残った頭部には荒々しい引きつれた痕が残る。倒壊した家屋の下からまろびでる脚先は指の先から真二つに割かれ、引き出たはらわたは首に絡まっていた。中央広場で天秤を掲げる天使像は、幼子の死肉で作られた山頂に逆さ向きに突き立てられ、片腕は周囲を深く満たした血潮の中に浸されている。画家がいれば地獄を描き、詩人がいれば悪夢を歌うだろう。しかし鼓動を鳴らすものはおらず、叫びきった喉笛は切り裂かれていた。


 王都の外もひどいものだ。応戦しようとした兵士たちの亡骸は綿花のように引きちぎられ、死骸の山々の下を這う血河が地平の先まで続いている。臓物の飛び出た死体をありったけ積み重ねた下で、文字通り息をひそめる女がいた。恐怖で見開かれた目からは大粒の涙が零れ落ち、汚泥が塗りたくられた柔い肌を口元に押し当てる。給仕のお仕着せはもはやワンピース型の喪服でしかなく、眉根をひそめて耐え忍んでいた。しかし、いつだって希望は打ち砕かれる。

 怪物というか化け物というか。どちらにせよ彼らが王都を廃した外敵であることに間違いはなかった。脚を一歩進めるたびに死者の肉体はえぐれ、足裏を上げれば触れた死体がバターに載せられたチーズのようにとろけていく。腕と思わしき針金を横なぎにすると、覆いかぶさっていた死骸が飛ばされていた。ああ、澄み渡るほどの快晴。今日がなんでもない日であったなら、服装に見合う行動をするのに最もな日であっただろう。頭部に埋められた血の色が、なんてことはないように見下ろした。

 鼻にまとわりつくような刺激に耐えながら隠れ忍んで逃げてきたのにどうやって死者の群れから探し出したのか。


「死にたく、ない……。生きてたい……」

 震える唇が言葉を紡いでも、ただ真上に凶刃が振り上げられるだけ。生にしがみつく慟哭も、慈愛を誘う愛嬌も、彼らには等しく無用の産物。

 頭上の赤い天使に媚びながら、気づかぬままに失禁してしまう。臀部に言い様のない不快感を感じるも、特定の筋肉が庇護欲を誘うために持ち上がるだけだった。

「たすけて……」

 軽い空砲の音がした。射出元は地面に向かい、分けた片房の髪が落ちた。固く締められたねじを開けるように首を動かし体を見やる。もしや命を見逃してくれたのでは、と希望を感じて。

 ──肩口から下が腹をも巻き込み、大穴が空いている。

 瞬間、奥底から破裂するような熱がせりあがってきた。

「え、ぁ……ぎっ、ぎゃぁぁあああああああああぁぁぁっ!!」

 ない、ない。理解が出来ないまま、痛みと熱さだけが身を焦がす。なにが、どうして。鮮血が溢れて止まらず、五感が触覚に吸い取られたように、臭いが、音が、景色がなくなる。続いて意識が吸い取られるとき、記憶が脳の一端を刺激した。


 色のない雨が降る日だった。快活な王都の裏、ありふれた貧民窟で、砂埃を被るぼろきれで体を守りな空へ大口を向けていた。皮に浮かぶ骨が鼓動のようにぶれて見えたことをよく覚えている。嚥下を幾度も繰り返したとき、身なりのいい男に馬車に乗せられた。パンを渡され、ほかに似たような子供がいることから抵抗せず大人しく揺られる。もうどうにでもしてくれ。浴槽でこれでもかというほどこすられ、窮屈な服を着せられ、一列に並ばされていた。一人椅子に座る男は口を開いた。

「座れ」

 一言だけ。意味が理解できたことに恐怖と、喜びを感じた。言葉が理解できた者は三人の女性と会う機会を得て、うち一人が今もなお崇敬するお嬢様であった。

「これにします」

 初めて与えられた言葉は個人を認識し下された評価だった。昨日のように思い出せる十年前のことである。高等学問、マナーや紅茶の入れ方に隣国の言葉まで。多種多様な知識は生きる上で役に立つために朝昼は主の世話を、夜は学問の復習をした。はじめは長時間も起きていることに体が耐えられず、存分に勉強ができるようになったのは二か月は経った頃だった。そばに侍る時間は間違いなく人生の中で最も幸せな瞬間で、しかし、心の底から愛おしい主人とは一日と半日前から会えていない。


「ぁがっ、ぎぃ……!!」

 右腕を下敷きにして倒れたまま、鼻と口からだらしなく体液を流していた。歯を食いしばり、のしかかる重力を引きずる。まだ、あきらめるわけにはいかない。進めているのかも分からないまま、贓物に顔を埋めながら右腕だけでずりずりと動いた。

「おじょさまの、そばに……。もっ、どる。そこを、どけ!」

 影が覆いかぶさり、向けられる銃口。今度は頭蓋を貫こうと額に向けられていたが生きる理由がある限り、心は折れない。

「殺せるものなら、殺してみろ……! 私は何度でも蘇ってお前たちを殺してやる!」

 銃口がはじける。祈りは神に届かず、正確に額を貫いた。

 ように思われた。


 光の玉は視界を覆う赤褐色のベールに着弾。勢いを残したまま、光はしぼんで消え失せた。役目を終えたかのようにベールも光の粒となって消え失せる。

「な、に……?」

 脳が追い付かないまま、低い声が耳朶に届く。

「そこを動くな」

 三連の轟音が後方から鳴り響き、目前に人のものに酷似した断面が落下する。見上げれば心なしか化け物も理解不能の顔をしている気がした。視線の先を確かめようと固まった筋肉をねじり、黒衣のはためきを目に焼き付ける。空にとどまる裾はまさしく血吸いの黒であった。腰から大きく半身を突き出し真正面に伸ばされた左腕と一体になる、名も知らぬ鉛の筒。金属のこすれる音と共に銃身の先半分が下がり、顔を覆う大筒となる。奥に秘められたのは鳳凰がごとく火花を散らす金色。

 獣にあらず。

 機械にあらず。


 生身の体と無骨な鉄屑で真っ向から息の根を狩りに行くのは、間違えようもない只人だった。動き出したのはどちらが先だったのか。足下をえぐり接敵する化け物相手に、逃げはおろか、慄きさえせずに向かい打つ。指が撃鉄に力を乗せた。

 爆音が聞こえ、次には肉片交じりの爆風が吹き荒れた。決着は随分あっけなく、化け物が崩れ落ちて嘘のように凪いだ空気が流れて終いになった。

「たす、かった……?」

 宝玉が割れて色を失っているから、今の状況に対する捉え方は間違っていないだろう。安心して体のこわばりを緩め、横向きに寝転んだ。たすかった。死ななかった。だが安堵を覚えたのは心だけで、肉体は休息を求めて意識を奪おうとする。足指からせりあがってくる悪寒に指は動かず、呼吸さえもが役目を放棄しようとしていた。


「がほっ!」

 咳き込むたびに喉の奥が熱を帯びて血を吐くことすら満足にできない。視界が歪み、無くなった断面に鈍い痛みがはしる。

「生き残ったのに……、生きれない、の?」

 痛みが遠ざかるのは比喩ではないだろう。精神を守るために脳が強制的に神経を断ち切ろうとしていた。ただ、肉体以上に心が痛かった。いやだ。いやだ。そんなのはいやだ。どうして、わたしが。何もしてないのに。どうして。惨めに淘汰される生まれだったのに、幸福を感じたことが罪なのだろうか。すべてに捨てられたのに、差し出された幸運にしがみついたことが悪だったのだろうか。世界を憎んでいたのだから、愛しい人など作らずに死ねばよかったのだろうか。脳によぎる疑問を否定する。片腕に力が入り、ぎりっと歯を噛み締めながら口を開く。

「っ、しなない。私まだ、いきていたいのぉっ!」


 見開かれた瞳の、神経のさらに奥。脳髄をうごめくかすかな光が、心臓が破裂するほどに鼓動させる。血液に乗って熱量が駆け回り、焼けそうなほどに全身に力が入った。

 血を溢れさせながら体勢を立て直し空を向けば、憎らしいほど晴れやかな青が見下ろしていた。

「生を強く望み……覚醒を果たしたか」

 立ち上がろうとした手負いの獣の前に立ちふさがるものがいた。ぎらついた視線を受け止め、冷ややかな瞳で見下ろす。

「なぜ、そうまでして生きたいと臨む?」

 見飽きたとでも言わんばかりの光のない金色は、感情のともらない機械のようだ。

「いきる、りゆうは……」

 どうして生きるのか。思考することを求められたのは生きてきた中で二度目だった。

「わたしが、いきる理由なんて、ない。でも、それでもっ! いきる価値なんて、ないようなせかいでも……!」

 人一人が持つ幸福の総量は、願いの密度は、運命の確率はそう重くはない。命だっていつかは尽きてあざ笑うように太陽は上り、月は落ちる。今だって血液が枯れるまでは秒読みなくせして、灼熱が移り変わろうとしていた。

「お嬢様が笑える場所を作ることが、わたしにあたえられた命令だから!」

 この世にあるすべてを積み重ねれば対価にふさわしくはなるはずなのだ。自身に触れた手のぬくもりが、やわらかな笑顔が、軽やかな声が望んだ願いをかなえるために、願って与えられた生きる指針。たった一つ定められた願いのための願望機。

 拳銃を持つ指先が震えた。

「っそうか」


 揺れる瞳はどこか遠くを見て残酷に現実を告げる。

「だが、そのままでは……体が力に耐えきれずに死ぬぞ」

 目に入る腕は内側から太り、触れただけで透明な液体をばらまきそうだった。せりあがる感情の波に押されて、縋りつく駄々をこねる子供は散々にかぶりを振った。

「しなない。しなないっ! わたしは、まだ、会えてないのに! お嬢様にあえてないのに!! まだ、しなないっ!!」

 抵抗しようにも体から金色の炎が燃え上がる。全身を包むまで時間はかからず自身の肉だけを狙い、神経を焦がした。未来を求めて絶叫し縋りつく力すらも奪われて、瞳に映ったのは、血の流れない片腕だった。

「……ぁ」


 あれが、ほしい。たくさんの力で道を開けるあの体が。

「まて、何をする気だ!」

 声をなくし、右腕で這いずりながら移動する様はどこから見ても異常だろう。二歩未満の位置に落ちていたのに、一生をかけるほどの時がかかっていた。地に落ちた贓物とともに、固い人肉を口に含む。

「……っおい!」

 制止の声はすでに耳に入っていなかった。視界も色を失い、頭部から垂れる血液が瞳を濡らす。奪われた腕と腹を補完するに足りる量かと考える暇もなく、ただ貪った。

「あがっ、あ、ぁああ……!」

 叫びながら、再び獲物を喰らう。下品な音を鳴らして怒号のように叫びを繰り返し、手にした食料が無くなる頃には……肉体は、人としての体をなしていなかった。

「ぁがっ、がぁぁああああ!!!!」

 叫び続ける体は細かな爆発とともに弾けると開いた各部の内側へ栄養が押し入り、より強靭に進化していく。一定時間経つとさらに強く弾け、より頑丈に。人らしくなったのは月が頂点に達するかという時間だった。


「ぁ、……」

 金貨が浮かぶ鬱屈とした空は生き残ったことを責めているのかもしれない。長年の眠りから覚めた感想だ。記憶もケーキのように甘いものから顔がつぶれるコーヒーまで途切れることなくそろっていた。

「腕がある」

 両腕を空に向けて伸ばす。吹き飛んだはずのはずの左腕は他人の腕をくっつけたように傷も毛もない不気味なほどの真白さを保っていた。服だけは戻ってこなかったのがまこと遺憾だが、いまさら羞恥心などが目覚めるはずもなく、肌を撫でていく感触が気持ち悪いなというほどだった。いったいこの体はどうなっているんだ。脚を高く上げて飛び上がるように起き上がると、思った以上に軽いからだが前に向かって倒れていく。

「……驚いた」

 地に足を付けてから振り返ると、そこには一人が立っていた。全身真っ黒で大きく開いた目だけが金色。金の瞳は魔法使いの証だったか。しかし着用しているのはローブではなくコートと全身を覆う機能的なスーツで、背中には大剣がかけられていた。

 ところどころ赤黒いものがこびりついているのがアンバランスで……もしかしなくても掴んだ時についた、血液だろう。

 コートを外しながら近寄り、体にかけられた。足首にひっつく裾が不快だったが風の感触よりはましだと大人しく袖を通す。幾度か口をつぐみ、意を決して口を開いた。

「人がワルキューレを喰らうのを見るのは初めてだ」

「わるきゅーれ?」


 両手を持ち上げ、懇願するように言を告げる。

「……お前がほしい。生きる理由は問わない。ただ、俺のそばで生きていてくれないか」

 人の話を聞かない人だった。態度からして上流階級に違いない。かすかな疑問が浮かぶが、今は選択肢を選べる立場になく沈殿する遺物の瞳を見つめ返した。

「……行きます」

 言外に言葉を潜めて頷くと体験を肩にかけて背中を向ける。全身が黒いからいるのかいないのかわからないようで、思わず腕を引くと低い声で「なんだ」と返ってくる。無言で両手を広げ、抱え上げられるのを待った。


「あなたの、」

 歩き始めてから続いた無言を遮った。やはり一言で返答をした相手の力強さを感じつつ、離れていく王都を見た。

「あなたの名前はなんですか? 性別を偽る理由は?」

 体を見るだけではわからないが、抱き上げられればいやでも気づくふくらみを彼女は忘れていたようだった。脚に当たるホルスターが歩くたびにこすれている。一瞬崩れた鉄仮面は森の手前に向かって手を振るとこの世のすべてよりはるかにどうでもよさそうに、向かってくる相手を見た。

「名はルドラ・レーン。王位につくために、女は捨てた」

 国王というものが何か程度の知識はあったが、特に興味はなかった。ただ、抱えられた少女は金色が美しいと思った。

「そうなんですね」


 地面に下ろされるのと女性が到着したのはほぼ同時だった。サイズの合わない服で転びながら駆け寄り、隣の、おそらくはいま最も序列が高いであろう男の頭を叩いた。

「ちょっとぉおおおお!? なに一人で飛び出してんの!? せめて声かけてから出てよね!!」

 肩下まである髪を適当に麻紐で結び、何の耐久もないところどころ千切れたパンツを身に着けていた。立たれた頬を撫でる男に怒涛の口撃を加えている間、あたりを見回す。人死には少なく、ただ動物すらも見当たらない不気味な空気が流れていた。

「こんにちは!」

 どこから湧いてきたのかゴマを鼻に振りかけたこげ茶の男が声をかけてきた。上背は高くなく、背伸びをすれば届く程度だ。警戒心とともにいずこかに捨ててきたのだろうが、それにしてもよくしゃべるところも含めて世話を焼く女に似ていた。

「……兄妹?」

「そっすよ! あれが姉、俺は弟!! お嬢さんは家族はいるんすか?」

「家族はいない。主が一人」

 にこにこと声をかける相手は適度に相手をしておくべきだと知ったのは物心つく前だったと思いだす。だからと言って優しいわけではなかったけれど。そうこうしているうちに姉とやらは標的を変えたらしく、弟の隣に来て同じセリフを口にした。

「こんにちは!」

「あなたが、姉?」

 弟よりも学があるようで、わざと挨拶をしなかったことに対して目を丸くした。

「こんにちはって言われたら、こんにちはって返すんだよ。そうでないと寂しいじゃない」

 何がさみしいのだろうか。

「……こんにちは」

「うん、こんにちは!」


 疑問に思っても権力者には逆らわないことが生きる秘訣だ。恥もプライドの持ち合わせていないので、首を垂れるには問題の発生しようがなかった。

「とりあえず着替えをするべきかな。どろどろの服は嫌だよね」

 なればこそ、謝罪とともに前が開かれても抵抗はなく、顔を赤くする様を大人しく見学し鼻血を垂らして後ろを向くほどには魅力的な体なのだなと認識する。

「な、なん、でっ、」

 慌てて服を合わせる姉もそれなりに驚いたらしく赤面を隠しきれていなかった。

「メイドではないのですか」

 王とともにあるというからメイドかと思ったが、しかしそれにしても生娘みたいな反応をするとは思いにくい。貴族のそば仕えだって見慣れているものを見れない人材など王族は登用しないはずだった。

「そりゃあルドラとは幼馴染と言っていいような関係だけどメイドじゃないよ!」

「俺ら武器屋の子供っすよ!? 上流階級のお嬢さんてみんなこうなんすか!?」

 律儀に背を向ける相手は体を丸め、その場にうずくまった。固い手に腕を引かれ、森の中へと入っていく。近くで見れば気づく程度に偽造された家が待ち構えていた。ちぎられた草木を手で除けるとざらついてひんやりとしている材質が指を迎えた。

「こっちだよ~」

 おかしなことに上部から侵入するようで、ならば地下に通じているのかというとそんなことはない。思った以上に狭い室内だった。

 手渡された服はお世辞にもきれいだの清潔さもなかったが、かすかなふくらみの当て布を無きにしても驚くほどサイズが合った。体形が似ているようだった。着替えを済ませえたところで二人が室内に入る。あっという間に暑苦しい空間が出来上がり、刺激臭があるわけではないのに鼻をつまんだ。

「帰るぞ」

 王様がつぶやいた一言に顔を上げると、安心させるようにご褒美を待つ子供が口角を大きく上げた。

 腹の底に響かせるような地響きが体を揺らし、外を確認しようと目を走らせるが、窓は開いていないのではなく存在していなかった。

「戦車という。世界大戦時の遺物だ」

 世界大戦とは、はるか昔に起こった戦争の傷跡だ。世界規模で存在する遺跡から遺物が出てくることから通称名として呼ばれていた。銃も遺物の一つだった。解析され、その実態が顕わになるものが増えたが、いまだに量産することが出来ないものばかりで、基地に向かっている乗り物も開発には至っていないのだという。


 運転席に座る華奢なからだは、両腕に力を入れてハンドルを握っていた。彼らの親が戦車の研究をしていたらしく、幼馴染というよりも時代の王の配下と言えた。振動で口元に落ちる髪くずをふうぅと飛ばした。

「ところで、自己紹介をしてなかったすね」

 車内の空気を入れ替えるように自己紹介が始まった。と言っても簡単なもので、姉をスールといい、弟をフレールと言った。祖父が付けたのだと胸を張る間も王様は武器を抱えて微動だにしなかった。そっくりな顔で自身らを双子なのだと言う。双子は忌みの象徴である。故に生まれたら片方を王に差し出す決まりだった。直前になってやってきた母の姉の子供としてスールは一歳年を偽ることになった。家族を好ましく思う姿には反吐が出るような嫌悪感を抱くものの、自身の主への思いと類似するのかと考えるとなぜか涙が出そうだった。

「リヤン」

 わたしのなまえ。静まったときに口ずさめば小鳥のような主の姿が脳裏に浮かぶ。愛しい人。軽やかなあなた。名前をくれた主。過去に思いを馳せるなか頬を緩ませた人がいた。

「キレイな名前っすね」

「たしかどこかの言葉で絆って意味だったはずだよ。名付け親は君を大切に思っていたんだね」

 他人の名前を自分のことのように喜び、あとは誰も言葉を発さなかった。口にする話題もなかったし、急に揺れが激しくなったので口を開いたら舌を噛みそうだったからだ。なんとなく手を動かし、目を閉じた。脳裏に浮かぶのは最後に見た格好だけ。つばの広い帽子をかぶり、レースの少ない藍のワンピースを着ていた。細い指を前で組み合わせ、風がなびくとほどいてつばを抑えていた。覚えがある限り見送りに来たのはあの一度だけで、落ち着いて考えると国が崩壊することを知っていたのだろうと思われる。

 もういらなくなったのか、逃がしてくれたのか。足指をぐっと縮めて可能性をいくら浮かばせても答えは出ず、意思を知るには会わなければならない。人類が滅びることが願いならばそばで支える心づもりだったのに。瞳をうっすら開くと何より手前に見えるのは乱れた髪先だった。


「黒がすきよ。あなたのような艶やかなものは特に」

 東国から取り寄せた茶器を持っているときの言葉だ。東は濡れ烏の髪色が多いという話から侍女の髪色に発展していた。尊敬している人に褒められた髪色は同じ暗色でも光に透かせば青みがかかって、自身としてもたいそう気に入っていた。しかしすでに面影はない。透明に近い白の髪は光を反射すると虹に輝き、身を隠しても見つかる派手な髪色に変わる。あの人は白が嫌いだった。変わり果てたこの身を、初めて会った時と同様に慈しんで愛でてくれるだろうか。

 一段と大きく揺れ、外に向けて出入り口が開かれた。いの一番に抜け出したフレールを追い、リヤンも外へ顔を出す。王都よりかは幾分落ち着いた死体の山が出迎え、ハエが飛び回る道を抜けると倒壊間近の木造家屋が影を引きずって顔を見せた。人気のないリビングから食料置き場と兼用のキッチンへ向かい、壁においてある食器棚の手前へ膝を折る。四度爪先をぶつけると甲高い声が聞こえた。まだ丸みの多い声質でどこかたどたどしい。

「ほんだなの本の数は?」

「赤いポムの果実が七個分」


 扉を開けるためのコードは随分とかわいらしい問答で、下にいるのは幼子ばかりだろう。しかしながら予想とは裏腹に重々しく開かれた扉からはくすんだ金髪と鋭い眼光の男が顔をのぞかせた。視線をあたりにさまよわせ、リヤンとかち合うと三白眼の端を吊り上げて歴戦の兵士のような声を出す。

「お前は誰だ」

 誰と聞かれても返答に値する答えを持ち合わせてはいなかった。おそらくはどこの家の貴族だと問いたいのだろうが、そもそも貴族の生まれではないし主であるお嬢様の家名も知らない。なればこそ返答はせず隣に視線を移すほかなかった。解が返らないことは警戒心を強め、首を狙って向けられた冷たい鉄片は薄皮一枚を剝いだ。こぼれるように目を見開くそばかすの青年はどちらの味方をしようか各々の顔を見比べ、かといって未だ車内に残る二人を呼びに行くわけにもいかずに意味のなさない口を開閉している。

「何をしている」

 殺し合いでも始まりそうな時分を割ったのは大剣を携えた男装の王だった。相も変わらずなにものをも映していない瞳に見つめられ、地下の青年は尖ったカトラリーを降ろした。

「これは誰ですか」

 しかしながら身元不明なものを中に入れることには多大な抵抗があり、視線を人とは思えないような少女に固定したまま問うた。少女の名前だけを告げた主に訝しげな視線を向け、再び少女を見やる。何か言いたそうではあったが大人しく室内へもぐり、リヤンもまた遅れて到着したスールとともに中へと降りた。貯蔵庫にしては広く、廊下も個室もある衛生的な施設だった。水源と太陽がそろえば生活空間として及第点をもらえるほどで、村全体に及ぶといっても過言ではない内部は老人と女性と子供が多くを占めていた。階段横に立つたれ目気味の少女が問答をした相手のようだ。

「来い」

 周囲に目を光らせていると、この場における身元保証人の背中が小さくなっていく。向かった個室はよそと違い分厚く仕切られていて中に入ったのは三人だけだった。後ろからは扉が閉められた音が聞こえ、椅子の三脚ある椅子のうち二つが埋まった。二対の視線を受けて上等なものだろう木造に大人しく腰かけた。


「で、これは誰ですか主」

 従う主より先に口を開いた男は血の気が多いようで、腰のホルスターに手を添えている。リヤンは素足を揺らしながら目前の女の顔を見、指先を絡ませた。

「戦場で覚醒したから拾ってきた。俺の秘密を知っていてお嬢様とやらに仕えていた」

 以降の会話は不要とばかりに目を伏せ、空気の震えは呼吸のみとなる。致し方なしとどちらともなく顔を見やれば、大変不服そうな顔で問いが投げられた。

「お前の主の名は何か」

「ノワールと呼ぶように教えられました。家名は定かではありません」

 従者は眉根をひそめ、主上は瞳を開く。リヤンは続けて口を開いた。

「スラム街で男が幾人かの子供を拾いました。言葉のわかるものだけが屋敷で仕え、私はたまたまお嬢様の専属となりました。名前も知恵もお嬢様からいただき、男とは以降会っていません」

 今までの生を表したときの量の少なさに驚きだけを感じていた。主従は顔を見合わせ処遇を決めかねているようだった。


「家紋は、剣に寄り添う蛇だったか」

 首肯。それは確かにノワールの使う封蝋に違いなかった。家紋は家を表すもの。剣は王家の象徴で、蛇は知識と医療を示すのだという。つまるところ主は王家の血族であるということで、此度の反乱の首謀者と予想される家の者だとか。しかし、家と個人は別物だ。家名が敵でも主が敵とは限らない。正面に歩み寄る王女は迷子の子供の顔をして手を取った。戦場での様子と比べてひどく頼りなさげだった。

「主が恋しいか」

「命を捨てていいと思えるほどには」

 即答を厭うのか、手に込められた力の入りようは一層強くなる。だがしかし一度拾い上げられた命だ。あの日死んだようなものなのだ。故に命を所持するのは自身ではない。

「では、主が悪事に加担していたら、俺の敵だったらどうする」

「その時に決めます。今はノワール様にお会いしたいので」

 気の毒な王女よ。まだ華奢な肩を重厚なコートで隠すほどに期待を背負い、性を偽ってでも滅びた国を救いたいのか。もはや価値などないだろうに、そうあることを求められたのだろうか。同情はする、生きがいをなくせば迷子にもなろう。しかしそれでも、声をかけられたあの日からリヤンはノワールの忠実な配下だった。魂から崇敬し、差し出された手のひらの温かみを忘れられなかった。

 主に殺せと言われたらどんな敵でも殺そう。最愛の貴女のために。たとえそれが下賤な獣に縋ってくる相手でも。

「では、それまで。真意を確かめるまではノワール嬢は敵対者ではないとして扱おう。リヤン、君に倣って」


 この血にまみれた世界で笑えるというのなら。他者の体液を浴びることを至上の幸とするならば。仲間とやらも、世界やらも混沌に陥れることを厭わない。至高の血筋がどこの誰とも知れない相手にひざまずき、愛を乞うのはひどく滑稽だった。

「お前の主を説得すればリヤンもついて来るのだろう? ならば、すべきことは敵対ではない」

 だけれど、もし納得いかない状態に苛まれているのならば。与えられた不幸以上の幸福を、幸運をその身に渡しましょう。

「だからリヤン。その力を俺のために奮ってくれ」

 性別を偽る王が下唇を噛んだ。鉄錆の匂いがあたりに充満し、月光を浴びた惨劇を思い返した。あの激しい火花はどこにもなく、それゆえに与える隙などは最後の紅茶の一滴さえも分け与えられなかった。だから今、貴女の嫌う男が拾われる前のぼろきれに見えたことをお許しください。

 どの縁も今はまだ交わらぬ糸なれど、複雑に絡み合うのはそう遠くない未来の話であるようで。

 どこかで烏が甲高く泣いた。


                        了

 あとがき

 読了感謝でした。友人曰くこの世界観を作る私は鬼だそうです。こちらは個人同人誌企画「百合×終末世界」のために「死にかけメイドは男装女王の隣で再誕する」を書き直したものです。テーマは「神の飽きによる人類滅亡計画」でした。

 書いておいてなんですが、神様ってのはたぶん創作者で人間はキャラクターなんだろうな。私たち創作者はたとえ人を殺すとしても最後まで慈しみを持ってその死を抱えて生くべきだと思います。まあ性癖が主人公の自殺を止められなかった周りのやつらの絶望なので、人が死ぬのはしょうがないと思うんです。許してください。

 共闘するタイプの百合を書きたかったんですけど難しいですね。でもなかなか好みな感じに書けました。いつかキャラクターたちに殺されるんでしょうか、私。


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隣に貴女がいるならば、私はいつまでも輝きます
― 新着の感想 ―
[良い点] スゴイ世界観! 圧倒されました [気になる点] 続き! 短編だから良いのかな? ……悩む! [一言] ジブリを真っ黒にしたような世界ですね(^_^;)
感想一覧
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