最高品質の執事、お売りします
アーノルド家は人身売買で栄えてきた男爵家だ、というと外聞が悪いが実際その通りのことが屋敷で行われている。男爵の財源を支える一大事業だ。
しかしその中身は孤児院で孤児を買い取り、貴族に支えるのに必要な、知識と立ち振る舞いを覚えさせ、他の貴族に高値で譲る、という真っ当で人道的な手法である。
全く新しい人材派遣事業のようなものだ。
最初にこの手法を提案したのはアーノルド家当主の娘、ロザンヌだった。
彼女は新しい知識が何よりも好きな娘だった。幼い頃から親が手をつけられない位に彼女はとても優秀であり、家の書物と言う書物を貪り食うように読み周っていた。
それだけでは飽き足らず、大人たちから作法や立ち振る舞いを学び、自分がどのように立ち回れば自分にとって有利な状況になるかを計算し尽くして自分の立場を築いてきていた。次第に彼女はどんな大人よりも知識を身に付け理知的な思考を持つことができる人物へと成長していく。
そんな彼女にとってもう家の中だけの行動範囲は手狭である。彼女は幼い頃から秘密裏に孤児院に入り込み、そこでたくさんの友人を作っていた。
貴族社会だけではなく平民とも関わることで広い視野で領地を運営できる人間になるでしょう?そう彼女は親を説得し、まだ見ぬ新しい知識を身に付けるために孤児院に入り込んでいた。
そんな彼女を見て、周りの孤児たちも多くを学んだ。彼女に引かれるように知識と技能を身につけていく。
だが、所詮は孤児。身分制度と言うものは残酷である。成人すると孤児たちは娼館や奴隷売買の市に連れて行かれてしまう。彼女にとってそれは許せないことだった。
彼女は大切な友人たちがそのような目に合うことに対して、仕方のないことだとあきらめて目をつぶれるほど寛容な人物ではなかった。
「みんなを幸せにするにはどうしたらいいかしら。そもそも幸せの定義とは何かしら…。辞書には……なになに、幸福、好運、さいわい。運が向くこと、末広がり、とあるけれど。今のみんなの将来は決まりきっていて末広がり、とは言えないわね」
どうしたら孤児院の子供たちに多くの選択肢を与えることができるだろう。彼女は幼く小さな頭で考えた。
弱者は選択肢を多く持たない。だったら強者にのし上がるだけの力を持てばいいのでは?
例えば、自分の主人を掌握できるくらいの。
なんだ!簡単じゃない!
そこからの彼女は行動が早かった。すぐさま、孤児たちに自分の側近たちが持つ諜報術や、護身用術、経済学、身のこなし、貴族の作法、心理学……など数え切れないほどのありとあらゆる能力を身につけさせた。
そして幸運だったのはアーノルド家は諜報術に長けていたということだ。生き残るために情報集め身の振りを考えてきた孤児たちとアーノルド家の諜報術の親和性がとても高かった。みるみるうちに優秀な諜報員が育っていく。
学ぶことで道が開けるのよ、と彼女が甘い言葉で囁けば子供たちは食べ物を大急ぎで口に詰め込むように知識を我先にと身につけていった。
持たぬものが知識を与えられたときの吸収率は、目をみはるものがある。
こんなにみんな出来がいいんだったら、平民ではなく、もういっそ貴族の皆さんにお譲りしてはどうかしら?そうすれば我が家に更なる情報が集まりそうだし。
そんな軽い考えからロザンヌは優秀なものを育て、貴族たちに販売し始めたのだ。諜報が得意なメイド、執事、側仕えとして。
こうして優秀な人材となった孤児たちは、洗練され、貴族に使えるのにふさわしい人材となっていた。あまりにも使い勝手のいい側仕えは、貴族社会でたちまち評判を呼んだ。
何せ彼らは主人が喉から手が出るほど欲して、かつ知り得ない情報をどこからか運んでくるのだから。各貴族家庭に、一人アーノルド家が育て上げた人材が派遣されるようになるまでにそれほど時間はかからなかった。
ここまでの偉業を成し遂げた時、彼女まだは6歳であった。早すぎる才能の開花はたちまち、貴族社会に影響を及ぼした。
その後多くの元孤児のアーノルド家の諜報員たちは時に希有な情報集め、ときにはその情報で主人を脅しつつ、自分にとって過ごしやすい環境を作り出し幸せに暮らすことに成功していた。
ここまでのシナリオは全てロザンヌの思い通りだった。しかし彼女には大きな誤算があった。
16歳に成長したロザンヌの手元には、1人の売れ残りの執事がいる。
「ねえルミール、あなたはいつになったら売られていくのかしら?」
「私を買うことのできる主人が現れた時でしょうか?」
買うことができる、か。とんだ皮肉だ。
この男、ルミールは何事もできすぎる。非常に優秀であったロザンヌを軽々と飛び越えてしまうくらいには。
さらにはアーノルド家の内部の情報まで握っているので、売りに出したくても売りに出せないのだ。
こんな非売品価格の男ができるとは思っていなかったのに、いくら悔やんでも悔みきれない。ロザンヌはため息をつくことしかできなかった。
ルミールみなと同じ時期に学び始めたにもかかわらず、知識を吸収するスピードは倍以上早く、瞬く間に取り込んでしまう。何かにつき動かされるように、学べる全てを学び自分の知識にしていく彼を途中までは、誇らしく思っていたがなんだか雲行きが怪しい。
ルミールは何か明確な目的があるような動きをしている。目標がある事は好ましいがその目標が何であるのかが、全く見当がつかないところが恐ろしい。一体なんのために自分を高めているのだろう。
何かにつき動かされ自分を遥か高いレベルにまで押し上げていく。もはや優秀であったロザンヌにもの彼がどのレベルに達しているのか分からなくなっていた。
彼の恐ろしいところは情報収集能力に長けているところである。ロザンヌは自分の周りのものに情報収集方法を教えるように頼んだが、蓄積してきた能力で教えられていない手法をどうやら編み出しているようである。
そのため教えていないことまで知っている。
本妻の子供として育てられているロザンヌの弟が、実は妾の子供である、というアーノルド家のトップシークレットな事実をルミールが当たり前のように知っていた時には肝を冷やした。
「この家は姫様のものなのですから、姫様が管理すれば良いのです」
ルミールは涼やかな笑顔でさも当たり前のように言い放つ。しかしロザンヌは、自分が正当な後継者だという事実は知っていたが、それを押し切るようなことはしたくなかった。
彼女は彼女なりに自分の弟を可愛がっていたし、この家の後継者にもふさわしい人物だと思っていたからだ。
しかし、ルミールはそうは思わない。彼はロザンヌの邪魔になるものは消してしまえばいい、という極端な思考の持ち主だった。怖いくらいに顔が整っているルミールのにっこりと笑う様子は、ユリの花が開くように美しかった。
「必要であれば、弟君を私が証拠が残らないように処分いたしますよ?」
「そんなこと必要ではありません!」
「そうですか、残念です。姫様が今後この家に根付くためにに必要ない人物を処分できないなんて」
なんて過激な思考なの!ロザンヌは顔を真っ青にしていた。
「わたくしはこの家を継ぐものではありません。きっとお父様はどこかの家に私をお嫁に出すでしょう」
貴族の女性が他の家に嫁ぐのは至極当たり前のことだとロザンヌは理解していた。
当主が下す決定に異を唱えるほど愚かな人間ではないと自認していた。
「そうですか……。ふむ。ではいっそ姫様を王にするなんていかがでしょう?」
「王!?」
あまりにも突飛な提案にロザンヌは思わず目をひん剥く。
「はい姫様。この国の王ございます。
……姫様のこの国の王が所有することのできる叡智の王冠の存在はご存知ですね?」
叡智の王冠、それはこの国の王を象徴である。手に入れなければ王として認められない。
「前王が死去してから見つかっていないと言うこの国の秘宝ですね。不思議な王冠で持ち主が死ぬと姿を消し、新たな王が王として相応しければ存在を表す不思議な王冠です」
「王子達は今それを血眼になって探していらっしゃいますよね。わたくしの耳にもそのくらい届いておりますし、存じ上げております」
その王冠の存在は大々的には明かされていないがロザンヌは自前の情報網でその存在を知っている。まさかルミールがその存在を知っているとは思わなかったが。
……いや自分よりも優秀なルミールがそれを知っているのは当たり前のことか。どちらにせよその情報網の広さと深さにロザンヌは頭を痛めた。
「私が調べたところによるとその叡智の王冠という秘宝は、この国を収めるだけの知識と聖魔術師による、具現化の魔法であることがわかりました。あの王冠は現物として存在をしていないのです。作られた魔術具であって、その条件を満たせばだれでも作ることができることが判明いたしました」
ルミールはとんでもないことを軽々と言い放つ。
「そんなの国家機密じゃない!」
「そうですね。トップシークレットでございますね」
深まったルミールの笑顔にロザンヌは嫌な予感しかしない。
なんだかどんどん冷や汗が出てくる気がした。その予想は見事的中した。
「それを実際に作ったものがこちらの王冠ございます」
まるで3分クッキングのごとく目の前に現れたのは、紛れもなく本物の叡智の王冠だった。
ロザンヌは思わず息を飲む。こんな恐ろしいことがあってたまるか。男爵家の令嬢ごときががこの手にとってはならない秘宝が目の前に存在するなんて。
「さあこれを被ればあなたが次の王ですよ」
「被るわけないでしょ!王族に対して不敬だわ!」
そういうルミールはキョトンとした顔でこちらを見てくる。叡智の王冠を手にすることのできない王子たちが愚図なのであって、自分の手の者を使って王冠を手にした姫様が正当な王の資格を持つものなのではないか、という謎理論を繰り出してくる。
「とにかく、わたくしは王になどなるつもりはございません」
ぜえぜえ息をあげてと宣言すると、姫様はこの情報がいらないのですか、残念です。と本当に残念そうにルミエールは言う。
「では私を買ったものが次の王ですね。果たしてこの国に私を購入してくださる貴族の方がいらっしゃるでしょうか?」
「はあ!?そんな物騒なもの買う人物がこの国にいると思って?」
「ふふふ、今のこの情勢ではいないでしょうねえ」
ルミールはうれしそうに微笑んでいる。王族の争いごとに進んで巻き込まれたがる酔狂な貴族はいない。
「でも王族に買われれる、という選択肢もあなたにはあるでしょう?」
「おやおや、姫様は自分の教育の範囲をご存知ないのでしょうか?」
一瞬、どういう意味かわからなかったが、ルミールはちゃんと説明を加えてくれる。
「私はあくまで貴族に仕えるための教育を施された執事です。王族の方に仕えるなんて恐れ多い。あまりの恐れの多さに、王子の一人や二人、殺してしまいそうです」
こいつはやる。
絶対にやる。
ロザンヌにはその確信が持ててしまった。ルミールはそれをできるだけの知識と技量を持っている。なんなら証拠を残さず始末することだってできる筈だ。
それがたとえ王族だとしても。
そんな彼が証拠を残すと言っている。これはロザンヌへの遠回しの脅しだろう。王族を殺す人間を輩出した男爵家はすぐさま取り潰しになってしまう。
もうダメだこんな国の機密情報まで知っているルミールを売りに出せない。売りに出したらこの国が揺らいでしまう。
危険だ、危険すぎる。
ロザンヌは今までルミールの何も見ていなかったことに気づく。その危うさに彼女はやっと気づいたが何もかもが遅すぎる。ロザンヌはもうどうすればいいかわからなかった。
不思議でたまらない。どうしてこんなにルミールは力を求めるのだろう、一体何のために。
「どうしてルミールはそんなに情報を集めるの?」
「おかしなことを姫様はおっしゃるのですね、情報収集術を私に教えてくださったのは姫様ではないですか」
「それにしても限度があると思うのです。あなたは何かのために情報集める技を磨き最高の執事になろうとしている。私にはその動機がわからなくて。あなたがとても怖いのです」
おやおや、それは心外ですね。とルミールは呟く。
「怖がる必要はございません姫様。私はあなたのために最高の執事を目指しているのでございますよ」
私のため?その言葉の真意がロザンヌにはわからなかった。自分はそこまで契約者としての責務をルミールに押し付けたつもりはなかったからだ。
ルミールは優しい笑みで言葉を続ける。
「姫様は私に幸せになることを教えてくださいました。なのに姫様自身はその身を軽んじられることを良しとされる。そんなこと私には到底許せたものではありません。
私は姫様がきちんとご自分の采配を生かせる環境、しいては幸せでいられる環境で暮らす手伝いがしたいのでございます。それが私の希望であり願いです。
その願いが叶うまで地の果てまで追いかけても見守らせていただきます。」
誰がこんな怖い見守りサービスを開発したのだろうか、ロザンヌは頭を悩ませたが、それは自分自身であることを認めたくなかった。
怖い。ルミールが怖い。
ロザンヌは自分にここまで執着する人間がいることを知らなかった。
そうだ!人材派遣事業はアーノルド家の事業なのだから、この家を出たら、ルミールの所有権はアーノルド家になるのでは!?私は早くお嫁に行けばいいのでは?そう閃き、気を取り戻して、ルミールをきっと睨む。
しかし、当のルミールは穏やかな笑みを浮かべていた。まるでロザンヌの言いたいことはとっくに理解しているようにも見えた。
「こちらに一枚の契約書がございます」
そこにあったのはルミールの所有権について書かれた1枚の契約書だった。そこにはでかでかとルミールの所有権はロザンヌが有するとの記載がある。なんと言うことだ。ロザンヌはどこへ行ってもルミールが買われない限り彼から逃れることはできないのだ。
しかしその契約書にサインした記憶がロザンヌにはない。
さて、あんな契約書にサインしたのはいつだったのだろう。もしかしたらルミールが偽装したのかもしれないが、その隙を作ったのはロザンヌなのだ。
「私が買われるまで、いつまでも一緒ですよ。姫様」
この男を手元におかなければならないなんてなんて恐ろしいことだろう。
いつ爆発するかわからない爆弾を自分の手元で持っておかなければならないような気分だ。普通、その行く末を見守りたいからと言う理由で主人にそんなに執着するだろうか。
「どうして私にこんなに執着するんだろう」
小声で言うと聞こえていたようで、ルミールはあきれたようにロザンヌの顔見る。
「姫様はどうして私がここまでするのか、その本当の理由に検討もつかないのですか?」
「全く判りません。そこに至るまでの原因というか、なぜここまで私に執着するのかがわからないのですよ」
ロザンヌは純真無垢な瞳でルミールを見る。なんと機微に疎いのだろう。ルミールは呆れた顔でロザンヌをみる。
至極単純な話である。ルミールはロザンヌに恋情を抱いているのである。ロザンヌが笑えば心が熱くなり、ロザンヌが悲しめば自分まで悲しくなる。
そんな自分の揺れ動く感情はロザンヌには理解していただけないだろうとルミールは考えている。でもそれでも彼はよかった。
彼女のもとにいるのは自分だけ。誰よりも優秀で、誰よりもロザンヌの役に立てれば良い。自分を救ってくれた女神のようなロザンヌのもとにいて、一生過ごせるのであればルミールにとってこれ以上幸福な事は無いのだ。そのためだったらどんなことでも彼はするだろう。
「姫様はまだお子ちゃまですね」
ルミールはロザンナにいつまでも子供でいてほしいと思った。その方がいつまでもロザンヌのそばにいられるからである。自分の存在に頭を悩ませるロザンヌは大変美しい。
「そうして私の在庫処分に一生頭を悩ませていれば良いのですよ」
ルミールは最高の笑顔で言い放った。
買い取られない執事と、持ち主の令嬢のやりとりは今日も続いていく。
「誰かこの執事、買い取ってよー!」