人生の50%は運命。残りの50%は自分の決断や選択次第。という話。
人生の、50%は運命。残りの、50%は自分の決断や、行動次第。
何故なら、事の善悪を見届ける、知識は、誰にでも存在しているから。
神は、アダムとイブを創造したとき、自分の判断で、善悪を、知る道を、選んだ。
しかし、人間は、神に嫉妬し、食べてはならない、善悪の実を噛じり、罪が入った。
人間は、罪悪感に苛まれ、人のせいにする事によって、その罪を逃れてきた。
これが、キリスト教における、罪の歴史である。
自分の罪を、キリストのせいにするか?ひとのせいにするか?考えものである。
みんな、誰しも罪人である。
それを人のせいにして、言い逃れするか?黙ってキリストの救いを得るかは、自由である。
しかし、どちらの道を選んでも、自立という道は、選べない。
人間は弱いものである。
神という助けなしに、自立できるものではない。
自分の救いを神に祈るか、力に頼るかは自由である。
しかし、神は、そんなあなたを見捨てはしない。
何故なら、私達には、私達の知らない、世界があるからである。
終わり。