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俺のアンドロイド幼馴染、今はただの幼馴染

  

「……だれも見つけにこないな」


 俺、木崎純一きさきじゅんいちはゴロリと転がった。

 草がたくさんある場所のにおいは嫌いじゃない。

 木の穴から見える空にはモコモコと団子みたいな雲が浮かんでいる。

 その雲は病室にいた時に見ていた雲と同じ形で、少しだけ心がチクリとする。


「もうおわったのかな」


 学校の友だちとかくれんぼをしているのだが、だれも来ない。

 出て行っていいのか、それともまだ続いているのか、よくわからなくてここから出られない。

 だれも来ないから終わったのかな……と出て行って捕まると空気がつめたくなる。

 終わっていることに気が付かずにかくれてるのも、アホだとは思う。

 どうしたらいいのか、ぜんぜん分からない。


 正直、友だちと遊ぶのは得意じゃない。

 元気になったし遊びたいとは思うけど、小学校三年生くらいまでずっと病院に入院してたから、遊びに参加する量みたいのがよく分からない。

 どれくらい楽しくしてもいいんだろう。

 この考え方もなんか変な気がするけど、しかたない。

 だって子どもより大人といる時間のが長かった。

 だから大人といるほうがいいんだけど、それは病気だったからで、治った今はそうじゃないと分かってる。

 でも、みんな楽しそうに遊んでいるのに、それを楽しくない空気にしてしまう自分がイヤだ。

 ずっと入院してたから気をつかわれてるし、そんな俺と遊んでも楽しくないと思う。

 だったら始めから「やらない」と言えばいいのに、嫌われるのが怖くて言えない。

 俺はどうしても、俺っていう人間の真ん中に自信がない。

 ぽんこつの心臓だから仕方ない。



 さわさわ……と風が木をゆらす音がして、再び目を閉じた。

 風が鼻にふれてきもちがいい。

 ここは俺のスペシャルな場所だ。



 俺の家は、別荘という長い休みの時だけ人がふえる所にある。

 昔はたくさんの人が来てたらしいけど、俺がひっこしてきた時から人はすくない。

 場所が山の中で、駅もスーパーもすべてが遠いのが問題だと思う。

 夏の間だけ何人か見るけど、ほとんど空家だ。

 かなり歩いた先に団地が何個もあって、友達はみんなそこに住んでいる。

 その団地から家までの山が、俺たち南小学校の遊び場になっている。


 山の中に俺たち子供が10人手をつないでも届かないくらい大きな木があって、そこの穴が俺のかくれ場所だ。

 木に少し登ってからじゃないと入れない穴で、空しか見えない特別な空間だ。

 雪がぜんぜんふらなかった冬が終わって桜もおわった今、この穴にはたっぷりと葉が落ちていて、ふかふかの葉っぱじゅうたんは緑のにおいでめっちゃおちつく。

 安心して転がり眠っていたら、光をうけている目の前が真っ暗になった。

 ん? なんだろう?

 目を開いたら、前にぶら下げたヒモのようにダラリと垂れた黒い束が見えた。

 は? 

 奥に光があってよく見えない。

 目をこらしてしっかり見る。

 するとその黒い束は髪の毛で、真ん中には顔があることが分かった。

 穴の上にペタリとくっついた人が、穴の中にむけて、逆さ向きにこっちをのぞきこんでいた。

 だれが見てるのかよく分からないけど、俺は見つかってしまったようだ。

 目を細めたまま、ふかふかした葉の上から立ち上がって話しかけた。


「ここにいて見つかったの、初めてだ。まだかくれんぼしてたんだ。ていうか……だれ?」

 ぶらさがっていた人が、そのままの状態で口を開く。

「伝説は本当だったんだ」

「でんせつ?」


 俺はその話し方とか、声とかで、俺と同じ小学生じゃないと気が付いた。

 そして女の人だってことも……そう思った瞬間に、女の人は俺の目の前から消えた。

 消えた? え?

 穴から出て周りを見る。いない。落ち着いて穴の中を見てみる。いない。

 まさか……!

 俺は下をみた。

 この木の穴は地面からわりと登った所にあって、俺は一回調子にのって飛び降りたら、一週間くらい足が痛かった。

 でもこの場所は秘密だし、ケガをするとお母さんが大さわぎするので言わなかった。

 下を見てもいない。

 ん? どこにいった?

 すると声がふってきた。


「おお~~夕日が赤い」

「え?」


 女の人はその大きな木の枝に上に立っていた。

 この場所からすごく高い場所。

 絶対立てない場所。

 いや、この木を登るのは無理なんだ。表面はつるつるしていて、つかむ所がまったくない。

 それにヒモとかかける枝も遠すぎる。はしごを持ってきたこともあるけど、つるつるして危なかった。

 口を開けて下から見ていたら女の人は俺のほうを見て言った。


「おいでよ」

「いや、登れないよ」

「怖がりちゃんだな?」


 ま、ったく、もう! と言いながら女の人はピョンピョンと軽く飛び降りてきて、俺の腰をかるく掴んで、またピョンと木の上に上がった。

 その時間、たぶん数秒。

 短すぎて驚く声さえ出せなかった。

 女の人は遠くに見える夕日をゆびさす。

 そこには山の向こうに沈む真っ赤な固まりが見えた。それは右も左も上も下もおなじ形で雲の間で正しく丸になっていた。


「すっごくきれい。この時代の夕日はちゃんと赤くて良いわね」

 

 この時代……?

 俺は横をチラリとみた。

 女の人……さっきは後ろに光があってよく見えなかったけど、今は夕日で見える。

 高校の制服のようなものをきている。でも見た事がない制服だ。まあ高校生じゃないと思うけど。

 というか、俺はなぜかすんなりと今の状態を受け入れていた。

 ぴょんぴょんと軽く飛ぶ力とか、この時代とか……


「人間じゃない……とか?」

「やっぱり君は人間なんだね。道理で軽かったわけだ。名前は?」

「純一」

「私はルイ。アンドロイド2089A-QTversion2.3369。あ、今version2.4になった。よろしくね」

「よろしく」


 ルイは甘くない炭酸みたいにスッキリとほほ笑んで、目を細めた。

 左目の下にはホクロがあって、それがあると、たくさん泣く人だと本で読んだ。

 それに口を動かすと頬にちいさなえくぼができて、アンドロイドなのに良く出来てるなあと普通に思った。

 茶色のかみの毛は夕日にそまってオレンジ色にみえていた。

 前髪をいちごがついたパッチン止めでとめていて、それが大人みたいな笑顔に少し似合わない。

 じろじろ見ていたら、ルイが俺のほうに向かって手をだしてきた。


「ん!」


 俺も手を出した。

 ルイは俺の手をグイと握った。その感触はびっくりするほどちゃんと人の肌だった。

 でも肌の奥のほうに何かものすごく固い確かなものがあって、なるほどアンドロイドだと冷静になってみたりした。

 俺とルイは手を繋いだまま、巨大な木の上で夕日が沈むのをずっと見ていた。

 夕日のショーが終るとルイは俺をヒョイと抱えて、地面に飛び降りた。

 そして何も言わずに去って行こうとするので、俺は思わず声をかけた。


「あの、ルイ! また明日、ここで会えるかな」

「また『明日』?」


 ルイは不思議そうに立ち止った。

 その表情はとても驚いていて、そんなに驚くようなことを言っただろうか……と俺のほうがドキドキしてしまった。

 ルイはゆっくり歩いてきて俺の目の前にきて完全に動きをとめて、俺の顔をじーーっとみた。

 そして何度かまばたきをして


「……なるほど。うん、わかった。また『明日』もここにくる」

「よかった」


 俺はその言葉に安心した。

 そして気が付いた。自分から人を誘ったのは初めてだと。

 人? 人なのかな? 本当にアンドロイドなのかな。

 俺が知ってる限りこの世界にそんなものはないけど、ここにあるからそういうものだのだろう。

 それに、こういう特別な事ひとつくらい、俺にはあってもよいと思う。







「ただいま」

「おかえり、手を洗って」

「はい」


 家に入る前から、お母さんが俺をまっているのが見えていた。

 その影をみたときから心臓がギューッと痛くなるけど、心臓が痛いなんて言ったら、お母さんは真っ青になって俺を病院に運ぶと思う。

 お母さんにいっても分からないと思うけど、病気で痛いのと、こういうときの痛いのは違う。

 でもそれをいったらきっとお母さんは悲しむ。だからぜったいに言わない。

 帰るとすぐに手を洗う。

 そんなことはわかってるんだけど、お母さんがずっと後ろでみてるのがイヤなんだ。

 そして「ほら、親指の上のところが洗えてないわよ」とかいうのだ。

 口答えをすると「お母さんはジュンが心配だから言ってるのに……」と心底かなしそうな顔をする。

 だから俺は何も言わずに従うんだ。

 それがいちばん正しくてみんなイヤな気持ちならない。

 

「おかえり、ジュン」

「お兄ちゃん! おかえり」


 お兄ちゃんが帰ってきて、洗面所にきた。

 だからお母さんが少しはなれる。

 それだけで助かる。

 お兄ちゃんは手を洗いながら俺にきく。


「さっき外で高木くんが探してたけど、会った?」

「いや、会えなかった。かくれんぼしてたんだ。見つからなかったから俺の勝ち。もう終わりでいいと思う」

「そっか。ジュンは森に詳しいもんな」

「見つかる気がしないよ」

「宿題は終わったのか? 分からない所があるなら、早めに見せろよ」

「うーん……分数?」

「持って来いよ」


 俺はげんかんの外に転がしていたランドセルをずるずる持ってきて、計算ドリルとノートを出した。

 実は分数が始まってから算数はさっぱり分からなくなっていたから、お兄ちゃんに教えてもらえると助かる。

 お兄ちゃんは頭が良くてすごい学校に行けそうだったのに、俺の病気でこんな田舎にきて入れなくなった。

 電車の中、お母さんは寝ていたから、こっそりと「こんなことになってごめんなさい」と言ったら「ジュンが病気になってお母さんがジュンのほうに行って助かってる。ごめんな、なるべく助けるから」と言ってくれた。

 お母さんは何かがんばって応援してないとダメな人で、俺が病気になる前はお兄ちゃんを良い学校に入れることをがんばってたらしい。

 頭がいい大学には入れなくなったけど、こっちの高校でたのしそうにしてるし、前より元気なかんじがするからうれしい。

 お父さんはこっちと東京を行ったり来たりしててあんまり会えないけど、帰ってくるときはいつも本を買ってきてくれるから良い。

 宿題を終えて自分の部屋にいこうと階段を上りはじめたら、お母さんがよびとめてきた。


「ジュン、この前ちょっと体が重いって言ってたけど大丈夫なの?」

「……うん、体育の授業でちょっと走ったからかも」

「連絡帳に書く?」

「そうしようかな」


 俺は階段でランドセルをあけて、連絡帳をお母さんに渡した。

 お母さんは「じゃあ明日の朝までに書いておくから、あした絶対持って行くのよ?」とほほ笑んだ。

 そのなんだかうれしそうな顔をみると、心臓がギュッと痛くなる。

 でも、二階にあがって窓をあけて、さっき登った木をみたら気持ちが落ち着いた。

 俺の部屋からも小さくだけど、あの木が見える。

 あすもルイに会える。

 それはとても俺の気持ちをしずかにさせた。

 


 次の日、俺はお母さんが書いた連絡帳をもって学校へいった。

 森の中にある家から学校までは結構遠いし、登校班もない。

 団地のみんなは一緒にいくみたいだけど、俺たち山の中族は、合計しても全学年で10人くらいしかいないので、集まっていくほどでもない。

 俺は早めに家を出て、森をあるくのが好きだ。

 あるくと足元の木がポキンと音をたてたり、鳥がものすごく早口で鳴いたりしてるのを聞くのも楽しい。

 俺は家から離れたことを確認すると、グンと加速して走り出す。

 朝の空気がきもちがいい!

 

 教室につくと、高木が近づいてきた。

 高木はクラスで一番のお調子者で運動がめっちゃできる。

 一度宿題をおしえてから、俺を遊びにさそってくる。

「なあ、昨日どこにいたんだよ。めっちゃ探したのに。ていうか、ジュンっていつもどこに隠れてるんだよ」

「それを言ったら、かくれんぼにならないだろ?」

「なんだよ、それ!」

 高木はむくれて席に戻って行った。

 同時に先生が入ってきた。

 うしろに女の子が一緒についてきている。

 転校生……? 先生が女の子を紹介する。

 俺はその子を見て頭のなかにハテナマークがおどり出す。

 先生は女の子の横にたって紹介した。


「今日からみんなと一緒に勉強する加藤ルイさんだ」

「ぶっは!!!」


 やっぱりルイだ!! 机につっぷして笑った。

 ルイに似た子だなあと思ってみていたけど、昨日あったルイは高校生みたいな服を着ていたし、身長もおおきかった。

 だけど今まえに立ってるルイの身長は俺と同じくらい小さいし、なによりちゃんと子供の顔になっている。

 でも目の下には泣きほくろ、そして口を動かすと出てくるえくぼ。

 背中まである茶色の髪の毛に前髪をとめているイチゴが付いたパッチン止めも同じだ。

 アンドロイドって、身体のカタチとか簡単に変えられるのかな。

 ものすごく変だけど、ずっと変だからもう気にしない。

 俺はもう笑えてしまう。

 ルイは背をグイと伸ばして言った。


「加藤ルイです。小学生してみることにしました。よろしくお願いします! 席は純一くんの隣がいいです!」

「お~~?!?!」


 ルイが高らかに宣言すると、クラス中が大騒ぎになって、みんなが俺のほうを見た。さっそく高木が立ち上がって叫ぶ。

「ひょっとしてもう彼氏と彼女ですか~~~? ジュンはクラスで一番の陰キャですけど、大丈夫ですか~~~?」

 と騒ぎ立てる。

 ルイは高木のほうを向いてアゴをクイをあげた。

「この前引っ越して来たの。その時に純一くんとは一度会っててね、ちょっとだけ知りあいなの。だから隣の席になりたいと思うけど、それって変なことかな?」

 と真っすぐに言った。

 高木はそう言われると何も返せない。

「変じゃないよ。変なのは高木」

 クラスで一番美人で委員長の浅田さん(たぶん高木は浅田さんが少し好きだ)に冷静に言われて、高木はプイと顔をそむけた。

 ルイは少しだけ考える表情をして、トコトコと高木の方に向かって歩き

「彼氏は大募集中ですよ?」

 とわかりやすくウインクした。

 高木はチラリと浅田さんのほうを見て顔を真っ赤にして

「ばーーーーーーーーーーか!!!」

 と叫んだ。

 するとクラス中が笑って、ルイは一瞬でクラスの中心になった。

 ……すげえ。さすがアンドロイド。たぶん中身は大人だよな。

 高木はああみえてクラスの中心だし、浅田さんは上手にあつかわないと女子がキレる。

 すこしのやり取りで全部わかったのかな。

 みんなが見守るなか、ルイはトコトコの俺の横の席にきて、トコンと座った。

 そして俺のほうに少しだけ身体をよせて、口元をちいさな両手で隠す。

 俺はまわりを気にしながら身体を少しだけルイのほうに寄せた。

 するとルイはちいさく拝むようにくっつけた両手を俺の耳にくっつけた。

 そしてひそひそ声を出す。


「……オトモダチっていうの? やってみたくてきちゃった。純一、私とオトモダチになってくれる?」

「……いいよ、今日から友達」

「やった!」


 ルイは身体を戻して、やっぱり炭酸みたいにすっきりと笑った。

 こんなふうに宣言して友達になるのは初めてだけど、全然いやじゃない。

 むしろものすごくワクワクした。




 小学生に化けた? アンドロイドってどうやって生活するのかなと思って何日か見てたけど、予想以上に普通だった。

 授業をうけて

「ものすごく分かりやすく説明してる! すごい!!」

 と感動していて、担任の田代先生は

「えへへ、ありがとう」

 と嬉しそうに言った。

 アンドロイドだからなのかな? 計算は一発で答えが出てくるけど、面白いことに文章問題が苦手で、すこしひっかけになっている問題だと間違えていた。

 俺は昼休みにルイに文章問題を読む。

「Aのおかしは、中身の重さが前の重さの80gより30%増えている。Bのおかしは、中身の重さが80gより30g増えている。同じねだんのとき、AとBどちらのおかしを買うほうが得か考えよう」

 ルイはいすの後ろに体重をかけて、きいきいさせている。

 それはあたまをぶつから学校で禁止されている。

 俺はいすを後ろから押して戻す。

 ルイは少し考えて俺のほうをみて真顔で答えた。

「もうめんどうだから、どっちも買う」

「昨日も教えた問題だよ?」

「計算式にしてよ~~~」

 ルイはそう言って机に身体を倒して足をパタパタ動かした。

 そして嬉しそうに目を細めた。

「今が一番楽しい。ありがとうジュン」

「……いや、何もしてないけど」

 本当に何もしてないんだけど、そんなこと言われたらうれしくなってしまう。

 ルイは給食を「すごおおおい!」とキレイに食べた。マンガとかで読むアンドロイドは食事とかできないけどルイは大丈夫なんだな。よく分からないけど、最初から分からないことばかりだから、俺は考えるのをやめた。

 そしてルイは五年生にしてはあきらかにピカピカすぎるランドセルをドヤ顔で背負った。

「どう? マスターに買ってもらったの」

「へえ。いいね」

 そう答えながら、マスターっていうのはきっとルイと暮らしている人なんだろうなと思う。

 お父さんでもお母さんでもなくマスター。

 なんかちょっとカッコイイ。

 俺たちは「今日も森で遊ぼう」と話しながら下駄箱に向かった。


「おい」


 視界に突然サッカーボールが飛んできた。

 それをルイは『みてもいないのに左手だけで』すいと受け取った。

 そしてそれを抱えて腰を低くして、反対の腕で俺を後ろにかくした。

 その動きがあまりに忍者とか、そういうのの動きで、俺はびっくりした。

 顔を動かすと、そこには高木がたっていた。


「PK対決しようぜ。俺とお前で」

「なんだ、高木くんか。よく分からないけど、いいよ」


 ルイはサッカーボールをその場で高木に向かって投げつけた。

「え?!」

 高木が叫んだ。

 軽く投げたみたいに見えたのに、サッカーボールは恐ろしいほどの速度で高木のお腹にぶつかった。

 高木は「ぐえええ」とグラウンドに転がった。

 そのときにルイは「?」と転がったボールを拾って一瞬動きを止めた。

 目の動きが完全に止まった。それはものすごく完全に。

 そして立ち上がった。

「……ごめん、まちがって投げたね。けるのにね」

「っ……そうだよ、ばーーーーーーーか!!!」

「先に高木くんが投げるからさー」

「渡しただけだろ!!」

 ふたりはぎゃーぎゃーはなしながら校庭に向かう。

 俺は横で見ていてなんとなく思った。

 ルイはたまに動きが完全に止まる。あれってなんか頭の中で調べたりしてるのかな。

 というか、授業中に何度もみたけど、ズルしてるんだな、笑える。


「まずはルイがキーパーな」

「おけ!」


 ルイがランドセルを投げすてたので、あわててそれを受け取る。

 ぴかぴかの新品すぎて、これを砂だらけにするのはもったいない。

 ルイはキーパーっぽく腰を落として手を大きく広げた。

 わりと短めのスカートをはいているので、大丈夫なのかな? と思ったけど、中にスパッツのようなものをはいているようだ。

 

「……どこでルイに会ったの?」


 ふりむくと横に浅田さんが立っていた。

 いつも取り巻きの女の子たちに囲まれているので、こんなに近くにいるのは初めてかもしれない。

 俺は少しだけ腰から体を遠ざけて距離をとり、ポケットに両手をいれた。

 指先が入ったままのティッシュのゴミに触れた。

 それを指先でいじりながら答える。


「……会ったのは家のちかく」

「じゃあ別荘に住んでるんだ。なるほどね。あの服メロンチャージの新作だもん」

「へえ……」

 

 へえと言いながら俺は「やっぱ怖い」と思っていた。

 着ている服の種類とかわかるの? 女の子って怖い。

 俺にはお兄ちゃんしかいないし、女の子ってぜんぜん分からないけど、サッカーしてる姿を見ながら考えるのがそれなんだ。


「ほいしょ!」

「うわああああ!!!」

 

 ちなみに勝負はちょっとだけ高木が優勢なかんじになっている。

 もちろんルイが上手にやってるんだろうけど……?


「あれえええ?? 絶対にとめたのにいい」

「いえええい、入ったああああ!!」

「手も足も短すぎるう、人間としての設計ミスうう!!」

「ルイは何いってるんだ、いくぞおお」

「こいやああ!!」


 どう見ても同レベルの戦いをしている。

 俺の横で浅田さんがため息をつきながら「男子って本当にバカ」という。

 ルイは男じゃなくて女の子だと思うけど、こうなると「バカ」と言いたい気持ちも分かる。

 浅田さんは「そういえば」と口をひらいた。


「一階にあるカフェにココアが入ったわよ。要望だしたの木崎くんでしょ?」

「あ、そうなんだ。良かった。次の検診で飲むよ」

「退院できてよかったわね」

「浅田病院さまのおかげです」

「ただ君がラッキーだっただけよ。死んでる子たくさんいるもん」

「そう、だね」


 浅田さんは「バカ高木帰るわよーー!!」と高木の服をつかんで歩き始めた。

 「死んでる子はたくさんいる」浅田さんの言葉が痛くて俺はうつむく。

 浅田さんは俺の病気の専門医がいる病院……浅田病院の子だ。

 ひとりっ子で、大切にされている……とお母さんに聞いた。

 病院で会ったこともあるけど、話しかけられたことはなかった。

 話したの初めてだ。

 ルイは俺のほうにかけよってきた。

 

「ランドセルありがとう! サッカーってめちゃくちゃむずかしいね。でも楽しい!」

「……手かげんしたの?」

 俺はなんとなく周りを気にしながら話す。

 だってアンドロイドなんだし、子どもとするサッカーなんてかんたんなのでは?

 ルイはランドセルをよいしょと背負いながら

「軌道とか蹴った瞬間にコースとか全部分かるんだけど、風とか微妙な変化で球筋が変化するから、データのままとはいかないわね。あ、今小学生なのー!」

 ルイはペラペラと昨日の女の人みたいに話していたけど、すぐに今日のルイになった。

 俺はそのかわりっぷりに笑ってしまった。

「ね、今日もあそこで遊ぼう? ブランコ作ろうよ」

「楽しそう!」

 俺たちは歩いて帰った。



「これで、どうだ?!」

「きたきた、届いた。あ、でも右側……こっち側のロープが超短い!」

 ちょっとまってね……とルイは思いっきりジャンプというか、ほぼ空を飛んでロープをつかんでおりてきた。

 ほんとうにアンドロイドってすごいな。動きに体重の重さみたいのがないのがすごい。

 でも今度は反対側がめっちゃ短くなってる。というか、最初からロープの長さがすごく短い気がする。

「ちょっとまってて」

 俺は少し離れた場所にある空家の横に置いてあるロープを持ってきた。

 家をなおすためなのか、よく分からないけど二年くらい置きっぱなしになっている太いロープだ。

 それを運んできてルイに渡すと、ルイはそれをもってヒョイヒョイと木の上にのぼって、今度こそ左右おなじようになるようにブランコを作ってくれた。

 高い所にある太い枝から長く伸びた場所にある二人で座れるサイズのブランコ。

 ルイは俺を軽く抱えてそこに乗る。

「うわああ……!」

「いい景色だねーー!!」

 そこからは昨日と同じように真っ赤な夕日が見える。それによくみたら学校のグラウンドも見えた。

 ふたりで「よし、ブランコを動かそう!」と足を動かしてみたんだけど、ブランコは全然動かない。

 やっぱりロープが長すぎたのかもしれない。そう思ったらルイはブランコからヒョイとおりて、ブランコの座る部分をにぎって、その下に身体をブランとさせて、大きく動かした。すると一気にブランコは動き始めた。

「よっと!」

 ルイはクルリと回転して俺の横にすわった。

 その反動でブランコは大きく揺れた。

「こええええ!!」

「きゃはははは!!」

 俺たちは大きなブランコをこいだ。体を前にして世界に飛び出すみたいになると、そのまま空を飛べそうだと思ったし、体をひいてブランコと後ろのほうにいってる時は空気に飲み込まれそうだと思った。飲み込まれて、そこから飛び出すかんじ!

 楽しくて気持ちよくて、本当に空を飛んでるみたいで、俺たちはずっとブランコをこいで遊んだ。

 脱ぎ捨てた靴が地面で俺たちをうらやましそうに見ている。

 はだかの足が夕日に照らされて赤い。

 繋いだ指さきが温かい。



 楽しくて楽しくて、からだ中に葉っぱをつけて息をきらして帰ってきた。

 帰ってきたときに家の中……ドアのすぐ横にお母さんの影をみて、すぐに楽しかった気持ちが小さくなる。

 俺はあわててからだについている葉っぱをたたいて落とすけど、もうおそかったみたいだ。

「体が重たいから体育お休みしてるんじゃないの?」

「うん……」

 お母さんがげんかんのドアをあけて、俺にいう。

「学校の体育がイヤなだけなの? お母さん、基本的な力をつけてほしいから、学校の体育のほうを大切にしてほしいなあ。誰と遊んでるのか知らないけど」

「うん……ごめんなさい」

 俺はしずかにあやまった。

 そしてルイのことをバレないように気を付けようと思った。

 ルイと遊ぶことをお母さんに禁止されてしまったら、きっと俺の気持ちが死ぬ。

 俺はたくさんの人に助けてもらって生きてるのに、生きているより大切なものが、きっと死ぬ。




「え? ジュン、ドッジボールしないの?」

 ルイはきょとんとした顔で俺をみる。

「ジュンは心臓がポンコツだからな~~」

 高木はボールを右手から左手にひょいひょい移動させながら言う。

 俺は「体育は見学」といって体育館前の日陰に座った。

「へー……?」

 ルイは俺のほうを少しだけみて、熱さでゆらゆらしているグラウンドの真ん中に消えた。

 真っ白な光と、ルイが立ったときに見える足元の黒のさかいめが下手なラクガキみたいにぱっきり見える。

 俺の世界と、ルイの世界と、高木たちの世界。


「おらああああ!!」

 高木が思いっきりルイに投げると

「ほほほほほほほ! よゆうですわ!!」

 とルイは笑いながら、その球をうけた。


 もうこれはドッジボールではない。

 高木とルイのボールなげあい大会だ。

 他の子はみんな巻き込まれたくなくて、遠くで見ている。 

 高木はめちゃくちゃ運動神経がいいけど、この学校では高木と同じくらい運動ができる子がいなくて、きっとさみしかったんだろうな……と思うほどに高木とルイはいっしょに遊んでいる。

 俺のカンだけど、ルイは家がある世界で何かすごく体をつかう仕事をしてるんだと思う。

 たまにびっくりするくらい早く正しく動くんだ。

 でも球技は苦手っぽくて見てて面白い。

「ん」

 声がして振り向くと、浅田さんが立っていた。

 手には小さな入れ物……それは日焼け止めだった。

「体育しないなら持ってて」

「わかった」

 俺はそれを受け取った。

 持ち上げると中に何か入っているのか、カチンと固いおとがした。

 浅田さんの二のうでの後ろがすこし白くなっていて、それはきっとこの日焼け止めを塗ったからだと思った。

 完全に塗りきれてなくて、指で伸ばした後みたいに首に白い線ができている。

 見てはいけない気がして、俺は顔をそむけた。

「ねえ」

 日向と日かげのさかいめに立った浅田さんは、ふり向かずに俺に話しかける。

「あなたのお父さんって東京で働いてるの?」

「うん。週末だけ帰ってくる」

「へえ」

 浅田さんは長い髪の毛を後ろでクッと結んで真っ白な太陽の下に出て行った。

 首のうしろは肌色のままで、日焼けしちゃうんじゃないかなって思ったけど、それを口にしたら「きもちわるい」って言われそうで足元の雑草を抜いた。




 5月バカみたいに青い空の日、今日は運動会だ。

 今日のためにクラスのみんなは色んな練習をしてたけど、俺は学年みんなでするダンスしか出ない。

 気を使われて、いちばん前の目立つ所でおどることになっていてはずかしい。

 でもお母さんも、今日のために会社をお休みにしてくれたお父さんもそれをみに来てくれるから、すこし頑張る。

 もうすぐお昼前最後の競技、高学年リレーだ。

 うちのクラスからは高木と浅田さんが出ることになっている。

 ルイは「小学生の体に扱いにめっちゃ慣れないんだけど」と笑っていて、タイムは浅田さんより少しだけ遅かった。 

 午後の日差しがつよくなってきた。

 11時すぎたら学校の中にあるおじいちゃんおばあちゃんたちのための応えん席に入る約束をお母さんとしている。

 フライパンの上みたいに熱いグラウンドをぐるりと歩いて、裏口のほうに回り、体育館横の階段をのぼる。

 するとそこに浅田さんがいた。

 浅田さんは階段のおどり場から下をみている。

 横にならんでみると、下に大人の男の人と、女の人がいる。

 女の人は男の人に甘えて、だきついたりしている。

 うわあ……。こんなのを浅田さんと見るのは恥ずかしい。俺はすぐに離れようとしたら浅田さんが俺の手をぐっと引っ張った。

 浅田さんは下をみたまま言う。

「……あれ、私のお父さん。浮気してるの。あれ、同じ病院の看護師さん。うちには週末しか帰ってこないの」

「ええ……いやだな」

 俺は普通にいってしまう。

 浮気もイヤだし、目の前でそれを見てしまうじょうたいもイヤだ。

 浅田さんはまっすぐ目をそらさないで、二人を見たまま、言葉をはっきりという。

「しかもあの人だけじゃないの。他の人とも浮気してるの。なんなのあの人」

 俺はそのまっすぐさに誘われるように口を開く。

「……いやなことには目をふせるといいよ。逃げるんだ。みないほうがいい……え?」

 気が付いたら横にいた浅田さんが俺にしがみついていた。

 俺はわけが分からなくて全くうごけない。

 そのまま踊り場の壁におしつけられる。

 浅田さんは俺より身長がたかいから、俺は浅田さんに頭を抱え込まれるようになっている。

 俺の頭の上に浅田さんの腕がある。そしてしがみついたまま、頭をぐりぐりしながら言う。

「……ずっとずっと目をふせて見ないふりをしてきたけど、全然終わらないときはどうしたらいいの? 君はどうやって体が自由じゃない地獄で立ってるの?」

 浅田さんは俺の肩をつよく、痛みをかんじるほどしっかりとにぎってきた。

 その強さが俺の心のまんなかをとても冷たくした。

 なんで今の状態を飲み込めてるのかって……? それはきっと……



「お母さんは先に死ぬから、それまでの我慢だから」

「?!」



 浅田さんが顔をぐっとあげて、俺をみた。

 俺はその顔をみて、自分が何を言ったのか、どれくらい本当は自分が我慢してるのか気がついた。

 俺って、お母さんが先に死ぬのを待ってるくらい、お母さんにチェックされてるのがイヤだったのか……?

 いや、そんなはずないし、そんなつもりなかったんだけど、言葉にするとそれは全然うそじゃなかった。

 俺、そんなこと考えてたんだ……。

「おい、何してるんだ」

 聞こえた声に顔をむけたら、そこには高木がものすごく怖い顔をして立っていた。

 浅田さんは俺からスッ……と離れて、階段をかけおりていった。 

「おい!!」

 高木は浅田さんを追って体育館裏にはしっていく。


 ……ふう、怖い。


 高木に殴られるところだったのでは? 俺は階段をのぼって応えん席に向かったけど、その安心した時間は2秒くらいだった。

 遠くに見える西門から浅田さんと高木が学校を出て行くのが見える。

 そしてアナウンスが聞こえてくる。

『高学年リレーに出場する選手は、入場門に集合してください』


 ……うちのクラスの代表選手、二人とも学校から出ていっちゃったんだけど。


 ぼんやりと外を見ていたら、窓の外にお母さんが見えた。

 そして指示どおり、校内の応えん席に移動した俺をみて、安心した顔を見せる。

 俺の真ん中がちくりと痛む。

 俺は気が付いてしまった。

 全部わかってて全部みてないふりを、気が付かないふりをしてきたけど、チェックされてるのがものすごくイヤなことに。

 お母さんが死んじゃうのをこっそり待つくらいイヤなことに。

 重力を失った人形みたいにイスに座った。

 すると肩に細くて長い指がのった。

 ふりむくとルイが立っていた。

 そしてお母さんのほうをみて炭酸水みたいにすっきりほほ笑んで、俺の耳元に口を近づけて言った。


「死ぬの待つくらいなら、こっちから殺しにいこうよ」

「え……?」


 ルイは俺の手をひっぱって立たせる。

 耳がぼんやりして、まわりの音が遠くになっていくのが分かる。

 聞こえてくるのは自分の心臓の音だけで、世界のけしきがゆっくり見える。

 ただ繋いでいるルイの手のカタチだけはちゃんと分かる。

 温かくて固い。

 目の前でルイの茶色の髪の毛がリボンみたいにふんわりとゆれる。

 俺はルイに手をひかれて校内を走る。

 俺のポンコツな心臓はバクンバクンと大きく動いている。

 ルイは俺の手をひいて入場門に立った。

 そしてハッキリと言った。


「5年2組、高木と浅田がいないので、ルイとジュンが走ります!」

「……え? ジュン、大丈夫なの?」

 田代先生が俺を見る。そりゃ当然だ。だってずっと体育を見学してきたんだもん。

 でも俺は頷いた。

「大丈夫です」

 ルイと手をつないで走りながら、こう答えようともう決めていた。

「……そうか、じゃあ、がんばれ」

 先生は俺をとめなかった。

 むしろハチマキをしっかりと結びなおしてくれた。

 俺のあたまのうしろ、クッとむすばれた固結び。


 リレー選手の入場がはじまると、それをみていた俺たちのクラスがざわめいた。

 「は? なんでルイとジュン?」「ジュン?! あいつ走れるの?!」「高木と浅田はどこいったんだよ?!」

 聞こえないのに全部聞こえてくる。

 俺は目をとじて、ながく息を吐き出して手を固く握った。

 できる。


 リレーが始まった。

 俺は黄色チームで、走る順番は三番目。ルイは二番目だ。

 パーンと軽い音がして、一番目が走り始めた。一番早いのは赤、二番目は青、三番目が黄色だ。

 ルイが受け取って走り出す。ルイの走り方はなんだか面白いんだ。ものすごく低い姿勢で腰もすこしかがめて走る。

 なんか忍者みたい。半分以上を走って、前の青にほとんど並んでいる。

 次に走る人……俺と青チームの人が並べられる。

「ジュン!!」

 ほんのすこしだけ早くルイは俺にバトンを渡した。

 受け取った瞬間に俺は唇をかんだ。全力を出そう。

 その1秒後くらいに青チームがバトンを渡したのを、目のふちっこで見る。

 俺は思いっきり腕をふって走り出す。

 心臓がバクンとおおきく動き出す。 

 なんでだろう。こんな時なのにちゃんと親の席がみえた。

 爆笑しているお兄ちゃん、立ち上がって応援してくれてるお父さん、絶句しているお母さん。

 そうだね、こんなの見たらお母さんが心臓発作で死んじゃうよ。

 でも知ってるよ、死なないんだ。

 実は俺ね、全然つらくないの。心臓、全然もう大丈夫だと思う。

 全力で走っても、声だしても、鬼ごっこしても、かくれんぼしても、全然つらくないんだよ。

 でもつらそうにしてたほうが、お願いしたほうが、お母さんが嬉しそうだから、そうしてただけ。


 でも気が付いた。

 俺、お母さんが死ぬのを待ってくるくらいイヤだったみたい。


 思いっきり息を吸い込んで腕をふって前に出る。

 実は山でたくさん走ったりして遊んでた。だから全然動けるんだ。

 走れる、俺は動けるし、走れる。

 お母さんごめんなさい。嘘つきな俺をゆるしてほしい。

 俺の後ろでバトンを受け取った人なんて全然追いついてこなくて、前を走る赤の人にもう少しでおいつく。

「ジュンがんばれ!!」

 ルイの声が聞こえて、俺はもっと腕を大きくふって走った。

 そしてルイみたいに少しだけ腰を落として太ももを高く上げて……するとまた前の赤チームに近づいた。

 最後のカーブに入るとき、赤チームの人がすこしだけ外に膨らんだのを俺は見逃さない。

 グイと中に入る。そして思いっきり前をみて腕を張る。


 俺はポンコツなんかじゃない!


 俺は完全に赤チームを抜いた。

 そのまま四番目の人にバトンを渡すと、四番目の人は一気に加速して赤チームとの差を広げた。

 息がものすごく激しくて、息が苦しくて、頭がクラクラしてきて、でもものすごく気持ちよくて、俺はふらふらと座り込んだ。

 お尻にふれるグラウンドの熱さとか、頭の上からカンカンに燃やしてくる太陽のまっすぐさとか……すごく気持ちがいい!

「ジュン~~!!」

 俺にルイがとびついてくる。

「おもっ!!!」

 俺は泣くみたいに笑った。

 俺とルイの黄色チームは優勝した。


「おいいいいいい?!?! ジュンどーなんてんのだよ?!?!」

 クラスメイトが俺にとびかかってくる。

 俺は「やってみたらできた」と適当なことを言う。

 適当だけど本当だ。

 顔をあげた瞬間に、見ている世界が右から左に流れて、ほっぺたに痛みが走った。

「何してるの?! 死にたいの?!」

 目の前で泣き叫ぶ人……お母さんだった。

 それに一瞬で分からなかったけど、ほっぺたが痛いから、叩かれたみたいだ。

「母さん、話を聞こうよ」

 お兄ちゃんがお母さんの肩をつかんでいる。

 お父さんもお母さんの腕をつかんで動けないようにしてくれている。

 お母さんはかみつくみたいな顔で俺のことを見ているし、クラスのみんなが俺たち一家を見ているのがわかる。

 俺は口をひらいた。

「……お母さん、ごめん、俺、実はぜんぜん心臓大丈夫っぽい。でも心配すると思って言えなかった。もっとみんなと遊びたいんだけど……いいかな」

 俺をみていたみんながグイと顔を動かしてお母さんを見る。

 お母さんはクラス全員に見られてグッ……と身体を固くした。

 そして

「……ちゃんと検査してからね!!」

 と叫んだ。

 良かったね~~! ジュンめっちゃ足速かったよ~~~! とクラスのみんなが俺を取り囲んでくれる。

 ほっぺたに冷たいものが触れて振り向くと、保冷剤をハンカチで包んだものを浅田さんが持ってきてくれていた。

「あ……」

 俺が何か言おうとすると浅田さんは先に口を開いた。

「……いろいろごめん。私リレーのこと忘れてた」

 後ろには高木もいた。

「リレーの時間を忘れてた。すまん、ジュン。でもめっちゃ速いじゃん! 俺と勝負しようぜ!!」

 と一瞬で開き直った。なんというか……でも俺は少しうれしくてわらった。

「やだやだ、ジュンは私と勝負するんだもん~~~」

 後ろからルイがしがみついてくる。

 ものすごく重い。でも……うれしい。

 わいわいとお昼をたべるために教室に向かう間に、お母さんたちは姿を消していた。

  

 検査の結果も先生曰く「嘘やめたの?」と言われるくらい問題がなくて、俺は安心して遊ぶことにした。

 お母さんは「問題がないならそれでいいのよ」と何もなかったかのように普通だった。

 その後、お兄ちゃんが言ってたけど「夜に小麦粉こねはじめた。大丈夫だろ」らしい。付け加えて「ジュン走るの早くてめっちゃかっこよかったぞ」と言ってくれた。

 そして東京から帰ってきたお父さんのお土産は、いつもの本じゃなくて、ちょっといい運動靴だった。

 俺は新品のそれを抱えて眠るくらい嬉しかった。









「あら。また浅田ちゃんが告白されてるよ」

「もう日常になってきたな」


 俺たちは地元の中学校に進学して二年生になった。

 南小学校と北小学校、両方から生徒があつまって、この第一中学にくるので生徒数はそれなりにいる。

 給食がおわったお昼休み、こっそり持ってきたお菓子でも食べようぜ……と廊下に出たら浅田さんが呼び止められた。

 相手は三年生のちょっとかっこいい先輩だ。

 小学校5年生の時に1つ上の6年生なんて気にならないのに、中2の今、1つ上の中3の先輩が大人っぽく見えるのはなぜだろう。

 6年生相手に「先輩」なんて言葉も使ってなかったのに、中学に入った瞬間から変わる。

 よく分からない。でも先輩は先輩だ。

 浅田さんは二年生になってから身長がぐっと伸びて、顔も体も超大人っぽくなってきて、間違いなくこの中学で一番かわいいと思う。

 でもまあ、性格のキツさにも磨きがかかっていて、俺は一応「友達」の枠にいるけど、今でもけっこうビビってる。

 いつか真顔で殴られる気がする。よく分からないんだけど。 

 ルイは「標準データ通りにしてる!」と言い、いいかんじに身長とかを伸ばして同じ中学に通っている。

 正直セーラー服が似合って、めっちゃ可愛い。

 高木は中学から野球部に入って毎日鍛えてるけど……相変わらず浅田さんを好きなまま、ただ見守っている。

 

「高木いいのお? 浅田ちゃんに彼ぴっぴ出来ちゃうよ? はやく『お前は俺の女だああああ』って告白しなよ」


 ルイはこっちの生活が長くなるにつれ、よく分からない言葉をたくさん覚えた気がする。

 最近は俺の部屋に遊びに来ることもあって、たまに一緒にドラマとか映画を見てるのも大きいのかも知れない。

 高木はチラチラと告白シーンを見ながら小さな声でいう。

「……告白してフラれたら、友達でも居られなくなるのが辛すぎる。距離が遠くなるのは、絶対無理だ」

 俺は高木の横にいって小さな声で言う。

 小学校の時より高木とは仲良くなったと思う。

 なんだかんだいって高木は嘘とかなくて楽なんだ。

「でもさあ、友達のままでいたらさ、浅田さんに彼氏ができたら『おめでとう』って言わなきゃダメなんだぜ」

「は?」

 高木は思いっきりグリンと振り向いた。

 その目は真ん丸で俺とルイは思わず笑ってしまう。

 俺は続ける。

「友達ってのは、本人が嬉しいことにはおめでとうって言える関係だと思うけど。俺は高木に彼女ができたらおめでとうって超言うよ」

「いういう!」

 ルイも楽しそうに声を出す。

 高木はまゆげと思いっきりよせて表情をゆがませる。

「ううーーん……えー? そういうもん? でもそっか、友達なら、そうだよな。うーん……」

 その間に告白タイムは終了したみたいで、浅田さんが廊下からルイを呼ぶ。

「ルイ、図書館つきあってよ」

「しかたないですねえ」

 二人は仲がよくなったみたいで、俺と居ないときは浅田さんといるみたいだ。

 卒業式のあとに初めて自宅に呼ばれた時は「部屋がすっごくいっぱいあった!!」と目を輝かせていた。

 浅田さんもルイの思ったことをそのままいう所が好きらしく、小学校の頃よりは表情が明るい。

 あれ以来一度もグチを聞かされたことはないけど、卒業式には両親そろって来てたし……まあ、大変なんだろうな。

 俺は二人が楽しそうに渡り廊下を歩いて行くのを教室から見ながら思った。

 俺と高木は屋上へ向かう非常階段でポッキーを開けて食べはじめる。

 ここは誰もこない。


「……ジュンはさあ、ルイに彼氏ができても『おめでとう』って言えるのかよ」

 高木はポッキーをパリンと食べて言った。

 俺は自信をもって言う。

「いや、ルイは俺のだから」

「……え、キモ。大丈夫? それ真顔で言って良い言葉?」

 高木はドン引き顔で言う。

 いやいや、ルイはアンドロイドだし、その事を知っているのは俺だけだ。

 だから必然的にルイは俺のだと思ってしまう。それにルイに彼氏とか彼女とかいう考え方があるのだろうか。

 俺は家に遊びにきたりするルイのことをめっちゃ可愛いと思うし、それを見たお兄ちゃんに「彼女? 彼女?」と聞かれて「まあね」くらいは言っている。

 いやでも普通に考えて、一番大切なことを知ってるのは俺だけだから、俺だけのルイだと思う。

 高木はポッキーをポリポリ食べてため息をついた。

「俺はそんな自信ないな。でもさ……」

「あ~~、もう食べてる、ズルい。私もたーべーるーー」

 高木の話をぶったぎってルイが非常階段にきた。

 後ろには浅田さんも見える。

「もう半分ないじゃない」

 そう言って俺の手元からポッキーを10本くらい持って行く。

 ポッキー強盗……。

 すっからかんになったポッキーの袋をにらんでいたら、俺の横にすわっていた高木が立ち上がった。


「あの浅田。俺さ、お前に彼氏ができてもおめでとうって言えないわ。だからちゃんと言う。浅田のことが好きだ。俺が好きだってことを、なんというか、考えてほしい!」

「おお……?」

 

 突然の告白に俺とルイは口元をおさえて目を輝かせてしまう。

 おめでとうとは言えないと思ったのだろう。

 しかし「好きだってことを考えてほしい」って、なんかカッコイイな。

 横をみるとルイは指と指をからませて、祈るような表情でみている。

 浅田さんは手に10本のポッキーを持ったまま口を開いた。


「ありがとう。高木のことは全然嫌いじゃないし、むしろめっちゃ好きだけど、彼氏彼女って関係になるのは無理。高木は私をちゃんとしって言ってくれてるってわかるから、ちゃんと言うけど、友達じゃなくなるほうがツラいんだけど、どうかな」


 座り込んだ俺をルイは今度は二人して浅田さんを見てしまう。

 さっきの告白は「彼氏とかいらないです」って即切り捨ててたけど、高木に対してはめっちゃちゃんとした態度で「いいじゃん」と思ってしまう。

 高木は

「う~~ん、そうなんだよな。浅田に彼氏が出来たらおめでとうって言えないけど、俺が彼氏になってる絵も浮かばないんだ。でも好きだからな!! これで俺は浅田に彼氏ができても『おめでとう』っていわなくて済むから楽だ!」

 おおお。なんかカッコイイ。カッコいいぞ、高木。

 思わず何度も頷く。

「そうだね、そんなこと言わなくていいよ。気持ちを伝えてくれてありがとう」

 おおおお。なんかいいな。二人ともいいな。

 壮大な告白タイムが終わって、二人は楽しそうにポッキーを食べはじめた。

 高校生、大学生と時間をすすめていったら、この二人の関係はどんどん変化するんだろうな……と思ったら、なんか心の奥のほうがチクリと痛んだ。

 俺とルイは……? 俺とルイはどうなるんだろう。

 俺とルイにはどんな未来がありえるんだろう。



「なんか高木くんと、浅田ちゃん、すごく良かったね。いつか彼ぴっぴと彼女ぴっぴになるかもね~!」

 ルイと俺は一緒に下校を始めた。

 中学校は小学校より更に遠くにあって、俺とルイしか同じ方向じゃないので、いつも二人っきりだ。

 俺はルイに向かって口を開いた。

「あのさ、俺も、ルイのこと好きだよ」

 昼の告白を見てからずっと考えていた。

 はじめてルイに会ったときから、俺はずっとルイが好きだと思う。

 正直好きという気持ちはよく分からないけど、ルイが先輩とかに話しかけられてるのをみるとイヤな気持ちになる。

 ルイは何も悪くないのに「なんで俺以外と話すんだよ」とかまで思う。

 そして気が付くと「俺以外の男と話すルイはバカ」とまで思う。

 だって誰も本当のルイを知らない。俺しか本当のことは知らないんだ。

 俺だけのルイでまちがってないんだ。

 ルイは俺の顔をのぞきこんで言った。


「私もジュンが大好きですよ。毎日大好きを忘れないように記録してますから! もし性欲を処理したいと思うなら、ぜひ言ってください。私は性欲処理も可能なタイプなので対応可能です。私の膣をつかってください。ジュンに合わせてサイズの変更も可能ですからね」


 昔はなんどか使ったんですけど、最近は使ってないので使えるかどうか今度チェックを要請しますね。

 でもマスターに「なんで?」って言われちゃうかもしれませんね。

 そういってルイはいつも通り甘くない炭酸みたいにスッキリとほほ笑んだ。

 セーラー服の胸元のリボンがふんわりとゆれるのを俺はぼんやりと見ていた。


 好きってなんだろう。

 俺はルイになにを求めて、好きって伝えたのだろう。


 好きと、恋と、一緒にいたいって気持ちと、俺だけのって気持ちと、ぜんぶ混ざって何も分からなくなった。

 遊びにいってもいい? と聞かれたけど断って俺は布団にまるまった。




 次の日の土曜日は定期健診で、俺は少しだけ安心した。

 土日はずっとルイとすごしてたんだけど、昨日の今日でよく分からなくなっていた。

 10年以上通い続けている病院と先生たちに囲まれていると、すこし気持ちが楽になってくる。

 最初は一週間に一度だった検診が一か月に一度になり、三か月に一度になって、今は半年に一度だ。

 

「ジュンくん、学校はどうかな? 体はつらくない?」

「……先生って、なんで結婚したんですか?」

「え?!」


 ここ5年ほど俺を担当してくれている男の先生は、若いんだけど先日結婚した。

 めっちゃカッコ良くてモテそうだけど、20年付き合いがある幼馴染と結婚したらしい。

 先生はうーん……と真面目な表情になって考えた。

 

「一緒にいてずっと楽しくて、明日も楽しいといいなと思ったから、かな」

「きれいごと言ってんじゃねええええ~~~~!!!」


 一枚たてただけの壁の向こう側、俺の心臓の写真をこまかくチェックしていた偉い先生が叫んだ。

 いすをジャ~~と移動して顔を出して


「片方がいいと思ってるだけで、反対は何考えてるのかわかんねーぞ! お前は神か!! あ、ジュンくん、心臓きれいだよ。美しい」

 

 偉い先生はジャ~~と椅子を戻して消えて行った。

 俺の心臓をなおしてくれたおじさん先生なんだけど、こっちの先生は先日離婚したと聞いた。

 担当医の先生は苦笑いしながら


「体に問題なし。君の未来は続くから、楽しんで」


 そういってほほ笑んでくれた。

 俺の未来は続く。

 だからこそ。

 だからこそ、何だ?

 何かか俺の中でぐるぐると回っているのを感じる。

 でも何がぐるぐるしてるのか分からない。




 診察を終えてカフェにいくと、浅田さんがモンブランを食べながらジュースを飲んでいた。

 浅田さんは大人っぽいけど、実はこの店の生クリームもりもりのモンブランと甘いオレンジジュースが大好きなんだ。

 数年前に食べているのを偶然見かけてから、隠さなくなった。

 小学校のとき見かけた時はコーヒー飲んででびっくりしたけど、聞いたら「かっこいいから」と答えた。

 でも今はかっこつけるのをやめたようで、美味しそうにモンブランを食べている。

 浅田さんは怖いけど、かわいいところもある。


「検診どうだった?」

「問題なし。お迎えまだなの?」

「ちょっとおそくなるみたい」


 土曜日の午後、浅田さんがいつもここにいる。

 ピアノ教室に通ってるらしいんだけど、車がないといけない場所にあり、病院で働く看護婦のお母さんがきてくれるのをいつも待っている。

 何度か無視して通りすぎたりもしたんだけど、知っているのに知らないふりをするほうがマズい気がして、なるべく来るようにしている。 

 それに検診も半年に一度なので、それくらいの回数なら緊張もしない。

 浅田さんのピアノは超うまくて、来週ある合唱コンクールでもピアノをひく。

 真っ黒で長い髪の毛をしならせながら、ピアノをひく姿は、もう可愛いというよりカッコイイ領域だと俺は思ってる。

 今日もがくふを広げて音を聞きながら指を動かしていたようだ。


「来週の合唱コンクールの曲。発表会でもひくことにしたの」

「へえ」


 俺は買ってきたココアを一口のんで答えた。

 すると浅田さんは自分の右耳からイヤフォンをとって、俺に渡した。

 少しドキドキしたけど、受け取らないほうが悪い気がして、それを耳にいれた。

 生あたたかくて、少し気持ち悪いと思った。

 そこから今日の音楽の授業で練習したモルダウがながれてくる。

 あわせてがくふの上で浅田さんの長い指がリズミカルに動く。俺はそれをぼんやりと見ていた。

 するとパタンと指がとまった。

 ん?

 なんだか俺のほうを見ている気がして……指先から浅田さんの顔のほうに目を動かした。

 やっぱり浅田さんはどうしようもなくまっすぐ俺のほうを見ていた。

 浅田さんの口が動く。

 何かいってるみたいだ。

 でも俺の左耳にはイヤフォンが入っていて、しかもかなり大音量で流れてるから聞こえにくい。

 取ろうとしたら、それを右手で止められた。

 俺の左手の上に、浅田さんの右手が重ねられている。

 生あたたかくて、やっぱり少し気持ち悪いと思った。

 浅田さんの細くて生きてるみたいな指が、俺の指の間にはいってくる。

 上からズルリと中に入るみたいにはいってくる。

 俺は目をすこしだけ細くして、どうしようもない感覚から逃げようと思う。

 それは気持ち悪いと思っていたけど、違っていて、気持ちが良い、だと気が付いたからだ。

 先生の「問題ないよ」と言われた心臓が、ものすごくがんばって主張する。

 お前はいま浅田さんに興奮してるのだと主張する。

 浅田さんはからめていた指を、ズルリと下にずらして、俺の手首をにぎった。

 俺は思いっきり顔をそむけた。

 そんな俺をみて、浅田さんは手首から手をはずして、俺の耳に触れた。

 

「?!」


 俺はおもわず思いっきり体を動かして逃げてしまう。

 浅田さんはもう少しちかづいて俺の耳からイヤフォンをとって自分の耳にいれた。

 そして音楽の再生を止めて、俺のほうをみた。


「ルイとはしてるの?」

「……いや、してない」


 俺は何度も静かに首をふった。

 何をしてるとか言われなくても、とにかくしてない。

 浅田さんは「そ」とだけ短くいって、まだたくさん残っていたモンブランを口に投げ込んで食べた。

 口のまわりが生クリームだらけになったけど、気にせず一気にたべて、オレンジジュースを飲んで去って行った。

 俺の耳のなかにはずっとモルダウの音が残っている。

 浅田さんに触れられて気持ちが良いのと、ルイと明日も一緒にいたい気持ちの差はなんだろう。

 それが一緒にならないと恋人にはなれない気がして、俺はココアを一気にのんだ。

 つめたかった。











「高木すげえ」

「えー?! すごいすごいすごーい!!」

 

 何がなんでも焼き尽くしてやるという強い意思を感じる夏の野球場、俺とルイと浅田さんは高木の試合を見ている。

 応援団が声を張り上げて、吹奏楽部が一糸乱れぬ音楽を奏でる。

 その中にはいって一緒に応援するのはちょっと無理だったので、少し離れた場所で見ている。

 俺たち四人は同じ高校に進学していた。

 俺はただ家から一番ちかいから。

 ルイは俺と一緒がいいから。

 高木は野球の強豪校だから。

 浅田さんは学校に一枠しかない推薦狙いで特進コースに入った。

 

「本当にすごいわね。このプレッシャーで打つのは」

 最初は日焼けするのがマジいやなんだけど……と言ってた浅田さんも、今日は日傘をささないで応援している。

「ボール打つのめっちゃ難しいのに、高木くんすごおおおいいい!!」

 ルイも目をキラキラさせて声援をおくる。

 西高校は地元で一番の強豪校で二年前には春の甲子園にも出ている。

 高木は浅田さんにフラれてから「俺にはもう野球しかねーー!」と宣言して中学で才能を開花させて、今日一年生なのにスタメン4番で、9回裏ヒットを打った。

 そして今試合終了。なんと高木の一発で逆転勝利だ。

 みんなが高木のところに走りこんでいく。

 高木すげぇ……。

 あのお化けみたいな運動神経はダテじゃなかったんだな。

 俺は口をあけて他人事のようにそれをみていた。

 高木は俺たちに気がついて……というより、浅田さんに気が付いて、大きく手をふった。

 浅田さんも立ち上がって大きく手をふって答えた。

 そしてみんなの視線にきがついて、トスンと座って大きな麦わら帽子を深くかぶった。

 わりと高木を好きになってきてる姿をみてるのは、なんだかうれしい。

 高木ってすげぇいいヤツだと思うんだよな。

 そして浅田さんも。


 浅田さんとは検診後、今もたまに会っている。

 あれ以来思いきり触れられることはないけど、たまに話しながら頬や肩に触れられると、正直ドキドキする。

 中学校の時は分からなかった事が今の俺には分かる。

 俺は浅田さんのことを「アンドロイドじゃなくて女の人」だと分かっている。

 ルイとはエッチ出来ないから、性欲を浅田さんにぶつけているのだと思う。

 というか、別にクラスの女子誰に触れられてもドキドキするけど。

 高校一年生なんだから、当たり前だろ!


 浅田さんといると正直イヤな気持ちになることのほうが多い。

 自己顕示欲が強いくせに泣き虫だ。

 俺から触れたりしたら「やっぱり私を好きなんだ」って笑って、でもその1秒後に号泣すると思う。

 なんだか分からないけど、そういう所がある。

 ……絶対に触れたくない。

 はやく高木と付き合ってほしい。

 俺は心底応援している。


「高木すごいね、ほんとすごい。今日はパーティーだね!」

「今日は忙しいだろうから、今度タコパしようか」

「したいしたいーー!!」


 ルイは俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。

 俺とルイは、エッチなしの恋人になった。

 ルイにそう伝えた。エッチはいらない、キスはしたいって。

 そしたらルイはめっちゃ嬉しそうに俺に抱き着いてきたんだ。

 ……可愛すぎるだろ。

 初めてキスするなら、あの木で。俺はそう決めていた。

 ルイの頬に触れて顔を斜めにしたら、ルイはちゃんと目を細めて、俺に顔を近づけてくれた。

 優しく唇に俺の唇を触れさせたら、それはものすごく柔らかくて、でもちゃんと奥に骨がある……他の人とキスしたことないから比較できないけど、それは間違いなく俺の中でキスだった。

 ルイはキスを気に入ったみたいで、気がつくと俺に顔を近づけてくる。 

 毎回毎回「本当にいいのかな?」みたいな顔をして、でも興味深々でキスしてくるんだ。

 もう何度もキスしてるのに、毎回新鮮だ! という表情をして目をキラキラさせてるからたまらない。

 今も「タコパしたいー!」と言ってから、俺のほうをじっとみて顔を近づけてきた。

 キスしてほしいときのルイのくせ。

 俺は優しくキスをした。

 ルイはやっぱり目を「!!」と輝かせて、俺の腕にしがみついてきた。

 そして「えへへ」と目を細めてほほ笑んだ。 

 その笑顔は昔ほどスッキリして甘くないのではなく、柔くて丸い表情で、それをみると俺はめちゃくちゃ嬉しくなった。

 毎日が新鮮にリセットされて、また始まってるみたいで、とても楽しい。

 ルイはアンドロイドで、ずっと死なないのだから、このままずっと一緒にいよう。

 俺はそう決め始めていた。





「……ルイ、その腕、どうしたの?」

「修理が間に合わなかったんです。こっちの世界では骨折という怪我があるでしょ? それに見せることにしたの。変?」

「いや……変じゃないけど……」


 ある日、ルイが三角巾で左腕を包んだ状態で学校にきた。

 ルイ曰く、その上は全くうごかないハリボテで、腕が無い状態で学校に来れないので付けてきたと笑っていた。

 こんなことルイと一緒にいて10年以上だけど、初めてだ。

 俺は今までずっとルイがアンドロイドだとは分かっているけど、どこで寝ているとか、どこからきてるとか、どの時代から来てるとか、全部聞かないままきている。だってそんなの聞いたら……怖いじゃないか。

 もう全部怖いから、目の前にいるルイだけに集中して、笑って、一緒にいた。

 ただ明日も一緒にいたい、それだけ考えてきたけど……。


「なにそれ、大丈夫なの? うちの病院にいいプロテクターあるから来たら?」

「ううん、ちょっと痛いからしてるだけ。一週間くらいで良くなるよー!」

「本当に? 掃除当番変わるわ」

「浅田ちゃん、大好きー!」


 ルイはちゃんと動くほうの右腕で浅田さんにしがみついた。

 どうしようもなく気持ちがザワザワして俺は二人をみることもできない。


 修理が間に合わないって、修理が間に合わないような何かをルイがあっちの世界ではしているんだ。


 ルイは人を守ったり、その延長で人と戦ったりしていると思う。それは10年一緒にいてなんとなく分かる。

 真後ろから誰かが近づくと、恐ろしい速度で音もなく体を翻したりするし、俺を自然と守ろうとする。

 そのために「あ、間違えた、えへへ」と笑うんだけど、目はまだ警戒してる。

 そんなことが今まで何度もあった。

 あとルイは睡眠をとらない。

 中学校の時の修学旅行も来なかったし、一緒に夜をすごしたことがないから分からないけど、俺と別れてからどこか違う世界に帰って、そこで充電のようなことをしているようだ。

 ……実は一度「泊りにいかないか」と言って断られたときに「一度帰って充電しないとダメなの。ごめんね」と断られたのだ。

 だから何時間に一度どこかに帰って充電すれば、永遠に一緒に居られるのだと思っていた。

 どこで充電してるのか、そこはどんな場所なのか、たまに出てくる「マスター」という人が人間なのか……知りたいけど、知りたくないのだ。

 だって知っても何も出来ないし、知ったら俺はたぶん落ち込むと思う。

 だったら何も知らないままでいいと思ってきた。

 でも腕の修理が間に合わないってことは、身体の修理が間に合わないことだって発生する可能性があるってことだ。

 制服をつよく握る。


 ……漠然と。

 永遠に一緒にいられると思っていたんだ。

 普通の恋人たちには別れがあって可哀相だな、夫婦になってもどちらか先に死ぬし……なんて思っていた。

 ルイがいなくなるなんて本気で想定してなくて、その可能性が怖くてしかたない。

 机で頭を抱えていたら、高木がグローブを投げつけてきた。


「キャッチボールしようぜ」

「俺が相手でいいのか?」

「野球部の奴らはマジでやりすぎるから」


 昼休み、お菓子をたべてキャッキャッとしている浅田さんとルイを横目に、俺と高木は教室を出た。

 メインのグラウンドは野球部が練習しているので、俺たちは裏庭に行った。

 高木は俺にボールを投げてくるけど、掌が痛むくらい球が速い。


「いてぇよ!!」

「めっちゃ軽く投げてるじゃん」


 高木は楽しそうに笑う。

 予選のヒットのことを話しながらゆっくりキャッチボールした。

 小学校のリレーで分かったけど、俺はそれなりに足が速くて、中学の時は陸上部に入って走ったりしてみたけど、俺には基礎体力と根性がないらしい。

 運動禁止されてたからやってみただけで、それほど好きでもないようだ。

 今は病院の先生に紹介してもらった体操教室に週に一度通って体力をつける程度だ。

 性格的に細かいみたいで、お母さんが俺に過干渉をやめてから始めたパン作りを手伝ったりしてる。

 もうお母さんはパン作りにハマりすぎて、近くに山を借りて小麦を作り始めていて笑ってしまうが、その小麦粉で作ったパンは驚くほど美味しい。

 俺たち家族はもう手放しで褒めていて、最近は過干渉だったことを謝られたくらいだ。

 勇気を出して良かった。

 そうじゃなかったら、今もずっとお母さんに管理されたまま丸まって死んでいったんだ。

 ルイに、高木に、浅田さんに感謝してる。


「あのさー」

「だからいてーよ!」


 どうやら高木は俺に何か話があるようだ。

 さっきから考えながら球を投げてくるので、どう考えても軽くない球が飛んできて痛い。

 俺は「なんだよ、話があるなら言えよ」と言いながら正真正銘軽く球を投げた。

 高木はパンと球を受け取って「うん……」とグローブで顔を隠して、言った。


「浅田と付き合うなら、俺に気を使わなくていいからな」

「はあ?!」


 今度は軽く飛んできた……というか、力なく飛んできたボールを前の方に移動して、なんとか取った。

 高木にはちゃんと「ルイと付き合ってる」と話してるし、目の前でキスもしてるのに、どうしてそういう話になるのだろう。

 マジあり得ねぇよ! と叫んで球を強くなげた。

 完全に暴投レベルの球だったのに高木はヒョイと軽く取って、グローブから右手、右手からグローブを繰り返した。


「俺はさ、浅田を見てるじゃん。そうするとさ、浅田がジュンを見てるんだよな。好きな人の好きな人って、めっちゃ分かるんだよな」

「あのさあ、実際男と女っぽくなったのは一回だけだぜ。それは高木にも言ったじゃん。俺隠し事きらいだから」


 隠し事は嫌いだ。だから浅田さんが俺に何かをしたときは、全部高木に話してる。

 もちろんルイがアンドロイドって事と、俺たちはエッチはしない関係だってことは言って無いけど、あれだけキスしてたら普通のカップルよりカップルらしいと思う。

 飛んできたボールをとる。

 今度は美しいフォームから放たれた一球で、俺は投げ方が綺麗だなあと思う。

 パシンと気持ちよくボールを受け取って顔をあげると、真顔の高木が立っていた。

 そして口を開く。


「……でもさ、ジュン、たまに浅田を見てるよな」


 高木の言葉に全てを見透かされた気がして、唾を飲む。

 俺はルイのことが本当に誰より好きだ。

 それは絶対言い切れるけど……見てないと言ったらウソになるし、なによりきっと一番近くにいる「女の子」ではあると思う。

 好き嫌い関係なく、魅力も理解してる。

 女の子は柔らかくて触れると気持ちが良さそうだ。

 ルイは違うから。

 そう思って気が付いた。


 ……いや、ルイも女の子だろ。


 脳裏に「私の膣を使ってくださいね」と笑顔で言うルイが思い出す。

 俺は固く唇を噛む。なんだかものすごくイヤなんだ、アンドロイドみたいなことを言われるのが。

 イヤなんだ。

 ルイはエッチしてもいいと言ってるけど、エッチして「本当にルイがアンドロイドだ」と思うのがイヤなんだ。

 俺はずっとずっと、すべての事から逃げてきてるんだ。

 アンドロイドだって分かってるなら、本当に理解してるなら、別に性欲処理させてもらえばいいじゃないか。

 俺たち高校生の性欲なんて、ただたまるからしたいだけだ。

 愛だの恋だの、関係ない。

 いやちがう、関係ある。

 関係あるから俺はずっとルイに何もできなかったんだ。

 触れないというのが、俺の最後の砦だった。


 ルイを人間だと思いたかったんだ。

 

 俺はふらふらと座り込んだ。

 横に高木がくる。


「……ごめん、俺絶対浅田はない。ルイが……ルイがめちゃくちゃ好きなんだ」

「それも話したかったんだけどさ、この前驚かせようと思って掃除道具入れの中にいてさ、ば~~~って出て行ったら、本気で回し蹴りされたんだよ。俺、かっとんだもん。マジで2mくらい飛んだよ。ええ?! と思ったらもう目の前にいてさ、俺の首の骨を一瞬で押さえたの。俺のこと殺すつもりだったと思う。なんなのアイツ。ヤバくね?」

「いやいや、お前高校生にもなって掃除道具入れに隠れてるの止めろよ、普通に驚くだろ」

「俺さ、ルイの驚いた顔とか見た事なくて。ただ驚くかな~と思って昔から色々してるんだけど、そのたびに殺されかけてるわ」

「イタズラをやめろよ!」

「一回くらい『もう~驚いたなあ~』って反応みたいだけなんだけど。ていうかあれを好きとかお前相当な変態だぞ。ベッドで首でも絞められてね? だから普通のエッチしそうな浅田狙ってるんだろ」

「ばーーーーーか」

「それは俺の得意のセリフなんだけど?!」

「ばーーーーーーーーーーか」


 言いながら泣けてきた。

 バカは俺だ。

 本当にバカだった。

 永遠に一緒にいたいと思いながら、アンドロイドだと認めないなんて、俺はバカだった。

 永遠に一緒にいたいから、俺はルイがアンドロイドだと受け入れる。

 ちゃんと話をしよう。聞きたいことは沢山あるんだ。

 ただ、目を背けてきただけ。

 







 心を決めた次の日。

 俺はいつも通り待ち合わせ場所で待っていた。

 小学校の時からずっとこの公園の入り口にあるベンチだ。俺の家とルイと初めてあった木の中間地点にある。

 近くのカフェの人がお花をたくさん植えていて、今時期はヤマボウシやラベンダーが咲く。

 そのカフェにも何度かルイと入ったことがあって、そこの店員さんが教えてくれたんだ。

 花の名前なんて全く知らなかったけど、何度も店にはいって、そのたびに花は繰り返すから、覚えてきた。

 去年もここでラベンダーを見た。今日学校が終わったら、話そう。

 俺は決めた。

 でもいつもの時間になってもルイが来ない。

 心臓がバクバクと脈をうつ。今まで待ち合わせ場所にルイが来なかったことなんて無いのだ。

 そんなはずはない。俺は時間ギリギリまで待った。

 でも来なくて、ひとりで学校に向かって歩き始めた。


「ルイが休み?」

「鉄人も体調不良になるのか」


 浅田さんも高木も超驚いた。

 そりゃそうだ、小学校の時から一日も休んでないのだから。

 学校が終わって、すぐに木に向かった。

 俺はずっとルイがどこに住んでるのかとか聞かなかった。

 聞いたら答えてくれても、答えてくれなくても「アンドロイド」だと思ってしまうからだと思う。

 でも今ならちゃんと向き合える。俺はアンドロイドのルイとずっと一緒にいきていきたいから。

 ルイは来る。ここに来る。

 出会いはここ、だからここで待ってればルイは絶対にくる。

 くるんだ。

 俺は木の穴から空を見上げた。


「……きれいな雲だな」


 完全に気持ちは小学生に戻っていた。 

 たったひとりで木の穴の中から空をみている時間。

 もう身体は大きくて高校生になっていて、それでも何も聞かずにここでルイを待ってるだけ。

 10年間なにも変わってない。ちがう変えたくなかったんだ。

 俺は膝を抱えて丸くなって木の穴で眠った。

 ここにいればルイに会える。俺はあの時の奇跡を今も信じてる。

 

 寒くて目が覚めた。真っ暗で時間を確認したら21時をすぎていた。

 周りを見るが、当然ルイはいない。居た気配もない。

 ホーホー……とフクロウの声が聞こえる。俺は穴から出て家に帰った。

 お兄ちゃんは数年前に少し離れた場所に就職して家にいない。

 お母さんはパンが好評で駅前のカフェに置かせてもらう話が進んでいて、最近はそのカフェを深夜まで手伝っている。

 お父さんは家の問題(主にお母さんの過干渉)がなくなってから、安心して東京で仕事に励んでる。

 俺はひとりでお風呂をいれて頭のさきっぽまで沈んだ。

 どうしようもなくひとりだった。

 お湯のなかに頭まで沈めて、泣いた。



 次の朝。早起きして木に向かった。

 でもルイはいない。

 聞こえてくるのは鳥のさえずりだけだ。

 少し待ったが、学校を休むと親に連絡がいって面倒になると分かっていた。

 今の自由を自ら手放すことはできない。信用されてるから自由なんだ。

 過干渉されていたころの辛さが大きすぎて、あの頃には絶対戻りたくない。

 俺はカバンを持った。そしてふと思った。この木は関係なくて、ルイはもういつもの場所で待ってるかも知れない。

 そう考えたらそんな気がして、息を切らせて待ち合わせ場所にいった。

 でもルイはいない。

 俺は脱力してベンチに座った。

 朝露でぬれていて、ズボンがべしょりと濡れた。

 一日は「たまたま」と思いこめたけど、二日目は違うだろう。

 もう会えないのか。

 俺は首からせりあがってくる巨大な波を押さえつけて、唇を噛んだ。

 ルイにもう会えないのか。 

 その時、森のほうから沢山の鳥たちが飛び立つのが見えた。


 数秒後、ズン……ッと遠くから音が聞こえた。


 それは聞いたことがないタイプの音で、事故とかじゃない。

 言うなれば大きなものがズレたような音だ。地震が起きる瞬間のような……。

 ハッとして立ち上がり、走り始めた。

 音がしたのは木がある方向だ。聞いたことがない音、振動、そして来ないルイ、何の関係もなくていい、ただ確かめたい。

 走ると太ももの裏に濡れたズボンがへばりつくてくる。革靴では走りにくくて、俺はそれを脱ぎ捨てた。

 すぐにアスファルトから土になると知っているからだ。

 靴下も脱いで、土の上を走る。朝露に濡れた葉が跳ね返って俺を濡らす。

 気にせずに突き進む。足先に感じる土の感覚と枝の太さと冷たさと湿った感触がなつかしい。

 ルイと木に登って遊んでた時はいつも靴を脱いでいたのを思い出す。

 夕日に照らされた頬と、ルイの小さな足。

 そしてすっきりとほほ笑む笑顔。


「っ……!」

 俺は加速した。

 そこで何か起きてるのか、わからないけど、ただ信じる気持ちだけでひたすら走った。


 走れば走るほど、ズン……という揺れが近づいてきて、速度が落ちた。

 そして異変に気が付く。

 見えてきた木が大きく振動しているように見えたのだ。そして木の周辺だけ異常に暗い。

 今は早朝なのに、木に向かって走れば走るほど、夜に飲み込まれていくように景色が暗くなっていく。

 何かおきてることは分かる。理解が追い付かない。

 まってくれ、まってくれ!!

 何も分からないけど、俺は全力で走った。思い出し始めていた、小学校の時のリレーを。

 腕を大きくふって、腰を低くして、進むんだ。


「なんだこれ……」


 1時間くらい前に見た木とは別物になっていて、俺は言葉を失った。

『大きな木が震えながら地面の中に消えていこうとしていた』のだ。大きく振動しながら、暗闇の穴に飲み込まれていく。

 木は木の色だけじゃない、どす黒い血管が張り巡らされた心臓のように紫や赤色の管が見える。

 脈打つ木は、たった一筋の光さえ見えない闇の中に飲み込まれていく。 

 嘘だろ、木が沈んでいく。俺とルイの場所。

 心臓がバクバクと音を立てるが見ていることしかできない。


「?!」


 暗闇の穴の中、一瞬だけ何かが見えた。

 茶色の血管のようなものに飲み込まれそうになりながら、必死に動かす白い手……あれは!

 俺は思いっきり飛びこんで、沈んでいく木の穴に向かって腕を伸ばす。

 闇に触れると一気に重くなり、ずるるるっ……と、右腕から地面に引きずりこまれるのが分かった。

 身体が潰される、痛い、苦しい、息ができなくなる。

 でも目を開いて、指の位置を確認する。

 見える、まだ見えてる。

 指先、少しだけ先っぽ、もう少し、もう少しなんだ。本当にもう少しでその小さな指先にたどり着く。

 いつも繋いでいた手。細くてきれいな指先、好きで好きで、いつも見てたからわかる。

 あれは絶対に……


「ルイ!!」


 叫べたのか、叫べてないのか分からない。

 あの手をずっと繋いできた、あの指、温かくて柔らかい指先、俺の頬に触れてくれた、あの指先に手が、届いた。

 その瞬間に無音になった。

 何も聞こえない世界。








 何もない部屋で目が覚めた。広さは10畳ほどだろうか。窓ひとつなくて、小さなライトがついている。

 身体を動かすと背中から何かが外れた感覚があった。右を向くと無機質なノートとペンが見えた。

 その表紙をみると、何か文字が書いてある。

 『俺』はノートを見る。

 そこには「ルイの記憶。まず起きたらこれを見てね!」と書いてあった。

 ノートを開くと文字が沢山書いてある……座って読み始めた。

『おはよう、ルイ。何が何だか分からないわよね、あなたはマスターを守る仕事と、もうひとつ楽しみを持ってるのよ、これを全部読んでね』

 ルイはペラリとノートを開く。

 そこにはルイの文字が並んでいた。


①『出会いは時を超えられると有名な木で。ジュンくんに会ったよ。たぶんどっか違う次元か過去の子。とても可愛くて一緒に遊んだの。一緒に真っ赤な夕日をみたよ。その世界の夕日は真っ赤で本当に美しいの!』


  そこにはルイの文字が並んでいた。

  横に絵も添えてある。悪いけど、すごく下手だ。少し笑ってしまう。これが俺か。


②『私は小学生ってのを始めたわ。マスターに頼んでランドセルっていう鞄を買って貰ったわ。ものすごく非効率的だけど、そういうものみたいよ。それを持って。体のサイズは身長115.体重32.サイズは全部これに変更していってね』


  忘れない! と大きく書かれた文字。ああ、この文字を知っている、ルイの文字だ。学校で見た事ある文字。


③『小学校でジュンと友達になったわ。友達よ、友達。毎日遊びができるの。仕事じゃないのよ、遊びよ? 何がなんだか分からないなら大丈夫、いつも通りランドセルを持って身長変更をして、木に向かうの。そこから公園に移動してベンチでジュンを待ちましょう』


  そしてベンチに座ってある俺とルイの絵が書いてあった。

 ……下手すぎる、絵が下手すぎて、胸が掴まれるように痛い。


 それは延々と。

 俺たちの出会いから、ずっとずっと細かいことが書き込まれていた。

 ルイはそれを静かに全部読んでから動き始めた。

 そして木に向かい、そこから出て俺との待ち合わせ場所、ベンチに向かった。

 小学生の俺がくる。

 自分を外側から見るのは新鮮だ。


 これはルイの『記憶』だ。

 俺は今ルイの『記憶』の中にいる。


 ルイは学校を終えるとすぐに日記を書き始める。

 今日のことを詳しく書く。延々とニコニコしながら楽しそうに書く。

 そして文字のような何かが視界に表示された。それを見るとルイはペンを置いて立ち上がった。

 文字のような何かを俺は読めなかった。ものすごく速度で『俺』の中に流れ込んでくるのがわかるだけだった。

 ルイは身体を大人のサイズに変更して、反対側のドアから出て真っ暗な道……トンネルのような場所を駆け抜けていった。

 地下通路みたいな場所だ。正直俺には真っ暗すぎて何も見えないけど、ルイの視点はグングンと動く。

 本当に長い間トンネルのような場所を抜けて、明るい場所に出ると、そこは何もない荒野のような場所だった。

 視界が反転して、空が地面になる。目の前に何か黒い物体が現れてルイを襲ったのだ。

 ルイはそいつと戦い、倒した。そして店のような場所にいき、箱を受け取ってまた地下通路を走った。


「マスター、置いておきます」

「ご苦労様」


 ドアの前にルイはその箱のようなものを置いて、また何もない部屋に戻った。

 そして視界は暗転した。 

 これがルイの世界。

 目覚めるとまたルイは日記を読み始める。

 ①から順番にずっとずっと。

 

 ひょっとして、ひょっとしてだけど。

 ルイ自身には『記憶』がないのだろうか。そうじゃないと毎回これを読む必要がない。

 思い出せば思い出すほど、それは確信に変わって行く。

 俺とキスするとき、いつも「初めてみたいに新鮮な反応をするのは、いつも初めてだったからではないか?」

 充電するたびにリセットされて、記憶を持てないのでは?

 毎日これを読んで俺のことをインプットしてから来てくれていたのでは?

 


「そうだよ」



 声がして振り向くと、ルイが立っていた。

 俺は走り寄り、抱き寄せようとするが、それはホログラムのように透明で触れられない。

 でもルイは俺の触れられるようで、俺のことを優しく抱き寄せてくれた。

 感覚だけは伝わってくる。ああ、ルイだ。

 ルイは俺の頬にスリ……と頬をすり寄せて口を開いた。


「ここにジュンがいるのが新鮮。……もう全部話すね」

 俺は首を一センチくらい動かし頷いた。

「私たちアンドロイドは毎日指示されたことをしているだけだから、ずっと『記憶』という観念を知らなかったの。ある日、マスターからお使いの最中に、偶然あの木に触れて、私はジュンに会ったの。そしてジュンは私に言ってくれたでしょ。『また明日』って。明日なんて知らない言葉だった。その場で調べて知ったの、人間には記憶というものがあって、毎日それを紡いで生きて行くって。え、すてきって思ったの。それってその日ジュンとみた真っ赤な夕日を覚えていられるってことでしょう? 私はノートにペンでその日あったことを書き始めたの。そして毎朝起きる私に『記憶』を渡した。次の日、目をさました私がジュンのことを思い出せるように、ジュンの所に行けるように。ジュンに会いたかったから。ジュンと約束したから」

「……ルイに会いたかったんだ、だから俺、はじめて『約束』をしたんだよ」


 俺はルイに触れられない。

 でもルイが目の前にいて、俺を抱きしめてくれているは分かる。

 ルイ、ルイ。

 ルイは俺の頬にふれて優しくほほ笑んだ。


「記憶を持って初めて『昨日の続きが明日』だと知ったの。毎日日記を読んで、また増やして。この日記には私とジュンの日々が詰まってるの」

 ルイは大切そうに日記を抱きしめた。

 それは10年間書き続けて、へろへろになっていた。

 ルイはそれを愛おしそうに抱きよせる。

「……これからも毎日増やそうよ。明日も明日も書き足そう」

 俺はルイの肩をつかもうとするが、触れられない。

 ルイは全てを受け入れた表情で顔をあげた。

「今のマスターが私との契約を切ったの。新型が出たので、私はリセットが決まりました。つまりもう会えません」

「っ……そんなの……」

 ルイは日記を抱きしめて言う。

「厄介ですね。記憶が無かったら、リセットなんて怖くないのに。私はどうしよもなく怖くて逃げ出して木にきました。そして今、ジュンに会えています」

「このまま逃げようよ、こっちの世界にくればいい、俺がなんとかするから」

 ルイは静かに首をふった。

「時間で電池が切れるように作られているのです。完全に電池が切れると、カタチを保てなくなります。そんな姿、ジュンに見せたくない」

 ルイは力なく首をふる。

 俺は溢れる涙を止める事ができない。

 ルイは続ける。

「毎日日記を読み返してからきてました。本当かなって疑いながら。本当にこんな幸せな日々があるのかなって。でも来るたびに『本当』で驚きました。そして毎日思うんです、ジュンと居る日々が素晴らしいと。記憶は、気持ちは、危ないですね。私は私の記憶を消す人を殺してしまいたい衝動と戦っています。殺したい、私の記憶を消そうとしている人たちを。でもそれじゃ、本当に私自体が抹消されて終わるんです。そんなのこの気持ちがもったいない、記憶が、私とジュンの記憶が、日々がもったいない。一緒に暮らした日々まで消されてしまう。そんなの耐えられない。私が消えてしまう」

 ルイの目から大粒の涙が流れ出した。

 拭きたい。

 この涙を俺が拭きたい。

 触れたい、触れられない。

 ルイは俺の手を握った。

「大好きですよ、ジュン。明日も明日も明日も明日も明日も明日も、一緒がよかったです」

 そういって、俺の手を自分の頬にスリッ……とした時に、ルイは消えた。

 深夜に音もなく雪が降ってきているようにルイの声だけがおりてきて、俺のなかに降り積もる。

  

 私はこの膨大な記録を報告することにしました。

 時をこえるこの木の存在と共に。

 誰もこの存在に気が付いていませんでした。

 そして今、記憶を持つアンドロイドが作られ始めています。

 私の事案は、未来の研究に生かされるでしょう。

 私はもう消えるのですが、正直に伝えたので、一つだけセカイがワガママを聞いてくれることになりました。


 ジュンの中に永遠に残ることが許されたのです。

 ジュンの記憶をすこしだけ触りますね。


「ルイ……?」


 何もない空間から無数の管のようなものが身体に触れているのがわかる。

 ものすごく気持ち悪い。同時に俺の頬を包む感覚がある。これはルイ、ルイの手だ。

 いつも俺の頬に触れていたルイの手。指先。

 握り返したくて、手を動かしたいけど触れられない。


 初めてあった時にした握手、その小さな手。

 保護者席から俺を立たせてくれた力づよい手。

 リレーで走った後に俺の手を握って立たせてくれた手。

 振り向くと、つんと触れてくれた指先。

 横になっているとゆっくりと絡ませてきた甘い温かさ。

 俺の顔をみて、ゆっくりと唇に触れてくる、撫でるような優しい動き。

 


「ルイ……!!」

 俺は叫ぶ。

「さようならジュン」


 ずっと一緒だよ。

 明日も明日も明日も明日も明日も明日も、私を思い出してくれると、それは永遠。

 アンドロイド、最高のご褒美だよ。

 ずっとずっと覚えててね。

 明日も明日も明日も明日も、思い出してね。

 分かったよ、明日も明日も明日も明日も、毎日好きだから、覚えてるから、ルイを忘れないから、お願いだ、消えないでくれ。

 目の前でルイがほほ笑んでいるのが見えないけど分かる。

 頬を引き寄せられて、オデコが触れるのがわかる。


「何も持たず、そのまま消えて行くはずだった私が、何か持って消えることが出来るなら、それは幸せなことなのではないですか? 私の中にはジュンを好きだって気持ちが毎日ありましたよ。それは消えません。幸せでした。ありがとう」


 叫んで叫んで叫んでルイの名を叫んで、音のような空間に包まれて俺は何かに投げ出された。

 一気に落ちて行くのを感じる。落ちる、落ちる、落ちる……!!!!

 寸前でクンッ……と停まった。

 そして何も聞こえない世界に死んだように着地した。

 俺の頬を冷たい涙が落ちていって生きてるのだと知った。

 

 
















「浅田、高木おめでとう」

「ありがとうーー!」


 今日は20年友達やってる浅田さんと高木の結婚式だ。

 結婚するんだと高木に聞いた時に悲鳴をあげた。マジでそんなことありえるのかよ!

 タキシードを着ている高木は、今も社会人野球を続けているので、身体ががっちりしていて似合っている。

「ルイにも来てほしかったな」

「いや、あいつならきっと天国から見てるよ」

「そうだよな、無敵だもんな」

 俺は幼馴染でずっと恋人だったルイを『海外旅行にいった時の不幸な事故』で亡くしてから、ずっと一人だ。

 ずっとずっと好きだった子だから、他に彼女を作るなんて考えられなくて、仕事に没頭してる。

 でもこうして親友同士が結婚してくれたんだから、今日は最高にハッピーな日だ。


「浅田ちゃん、めっちゃ可愛い~~~!」

「そんな男でいいんですかー?」

「バカねえ、こいつが最高なのよ」


 浅田さんは同級生につっこまれて、にっこりとほほ笑んで答えた。

 シンプルなウエディングドレスがとても似合ってる。

 地元の病院を継いで女医になった浅田さんは目を輝かせて脳外で働いている。

 疲れる仕事だと思うけど、高木みたいに底抜けに明るいのが家にいたら、楽だろうな……と思うんだ。

 みんなの拍手を聞きながら思う。

 でもやっぱり……隣にルイがいたら最高なのに。

 でもルイはきっと天国で祝福してるだろうな、あの柔らかくて甘い笑顔で。








「さてと、どうかな」


 俺はスーツのネクタイを緩めていつもの椅子に座った。

 日曜日の研究室は誰もいなくて、俺はひとりで演算をかけておいたコンピューターの画面を見る。

 作業は終わっていた。頼む、起動してくれ。

 もうこれで200回以上失敗してる。

 でも今日は高木と浅田さんの結婚式だぞ、頼む!

 キーを入力すると、プログラムは動き始めた。


「……動いた」


 俺はルイがいなくなってから、なぜかAI……ロボットに興味を持って開発の仕事をしている。

 そんなの全然興味がなかったのに。よく分からない。

 まだただのプログラムだ。でも一番最初の面倒なところはクリアできた。

 やった……! 諦めないで続けて良かった。

 俺はデータを保存する。 

 名前は最初から決めていた。


「君はルイだ。アンドロイドA-001」

 入力すると

「はい、ジュン。よろしくお願いします」

 と返ってきた。


 亡くしてしまった恋人の名前を仕事で開発するアンドロイドにつけるのは間違っているかもしれない。

 でも元々一番の親友で幼馴染だったから、これから長い時間をすごして開発していくなら慣れた名前がいい。

 ルイ、今日から君は俺のアンドロイド幼馴染だ。

 






終わり







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― 新着の感想 ―
[良い点] 好き
[一言] せつなくて、残酷で、夢があって優しくて。 いろんな方向に考えが広がっていく 懐の深いお話、素敵でした。
[一言] うっ…(´;ω;`)
感想一覧
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