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9・おうちに赤ちゃんが待っているんです!(クラウスの絶望)

 コリンナを追いかけて村を出たが、神獣の速度に追いつけるはずがない。

 空樽から出るのに思いのほか時間がかかったので、神獣の姿すら目にすることができなかった。

 森の中、クラウスは呆然と立ち尽くす。


「赤ちゃん? 赤ちゃん……コリンナに?」


 呟きながら地面に膝をつく。


「いや待て。落ち着くんだ、私。赤ん坊はひとりでは作れない。つまりそれはコリンナが私以外の男と……あぁーっ!」


 悲痛な叫びを上げて、クラウスは地面を叩いた。

 毎日酒を飲んでいたのは仕事が終わった後だ。

 もう皇太子ではないものの、皇子としての公務は果たしているし騎士団に混じって体を鍛えるのも仕事の一部だ。魔術学園のころよりも逞しくなった拳が地面を抉る。


 初代皇帝の血を引くクラウスは直観的で天才的な魔術の才能も受け継いでいた。

 無意識に放った魔術が、抉れた地面に生えていた草を黒焦げにしている。

 きちんと計算して発動した魔術ではないので、反動で自分の拳も火傷していた。しかしクラウスは痛みなど感じていなかった。


「ない。そんなことがあるわけない。コリンナは身持ちの固い娘だ」


 彼は虚ろな瞳でブツブツと呟いた。


「そうだ。きっとだれかの子守りをしているんだ。きっとそうに違いない。私のコリンナがそんな、私の……」


 そこまで言って気づく。

 コリンナはクラウスのものではない。

 『アンスルの呪い』に備えての形だけの婚約は、自分の手で破棄してしまった。


「あぁーっ!」


 もう一度叫んで、クラウスは立ち上がった。


「くそ、どうしてこんな。なんだって私はコリンナとの婚約を破棄したんだ。そもそも、なんだって彼女のことをあんなに粗末にしたのだろう」


 コリンナは感情の乏しい少女だった。

 クラウスが浮気したときだけ彼女の顔に感情が戻った。

 それは悲しみの感情だったが、なんの反応がないよりも嬉しかった。


「でも……」


 コリンナの感情が乏しくなったのは、クラウスが冷たく当たったからだ。

 婚約者としての最低限の儀礼以外、距離を置いて接していた。

 母が言ったように、コリンナの父のひと目惚れの瞬間に立ち会った両親が『アンスルの呪い』を出してからかってきたせいもある。だが、それだけではない。


「……怖かった。私はなにかが怖かったんだ。……なにが?」


 頭の中に聞き慣れた声が蘇る。


 ──近寄るな。俺の彼女に近寄るな。近寄ればお前も彼女も殺してやる。


 低い男の声。クラウス自身の声だ。

 いや、それは本当にクラウスの声だっただろうか。

 幼いクラウスには知らない男の声としか聞こえなかった。自分がコリンナに近寄ると殺されてしまう。自分だけならともかく、コリンナが殺されるのは嫌だった。


 だけど、ときどきどうしても近寄りたいと、触れたいと思う気持ちを抑えられなくなった。魔術学園の実習中の事故で彼女が怪我をしたときは、ほかのだれも近寄らせず、クラウス自身が救護室へ運んで治療した。

 さっきもだ。

 三年も会っていなかったのに、かすかに聞こえた声、フードの下から覗く瞳でコリンナだと分かった瞬間手を伸ばしていた。


「あの声は、だれの……」


(……見つけた。俺の彼女だ。だれにも渡さない。今度こそ離さない……)


 聞こえる声は自分のものとしか思えない。

 クラウスの声は成長とともに頭の中の声に近づいていって、今はほとんど同じになった。

 声が聞こえているのか、自分が考えているのかがわからなくなるくらいに。


 村で黒い犬に吠えられてからスッキリしていた頭に、なんだか重たいものが満ちる。

 婚約を破棄して酒浸りになり、コリンナへの罪悪感と会えない焦燥を抱えることで、彼はますます声の主へと近づいていった。

 青い瞳から光が消えていく。


「……婚約破棄の後に戻ったんだ。彼女は森にいる。まだ死んでない。今度こそ取り戻す……」


 呟きながら、クラウスは村へと足を進めた。


「……」


 ふと、彼の瞳に光が灯った。

 クラウスは自分の手のひらを見つめる。

 掴んだコリンナの手の温もりが、まだそこに残っているように感じられたのだ。


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