5・拗らせて子孫(そのころのクラウス)
魔術学園を卒業して三年。
クラウスは宮殿の自室で酒を飲んでいた。
彼はもう皇太子ではない。
「入りますよ」
「母上。……と、ゲオルグ」
「おー」
返事も聞かずに入室してきた母、カタリーナ妃の腕の中には赤ん坊がいる。
三年前の婚約破棄でクラウスが皇太子を廃された後で、皇帝夫婦が作った第二皇子だ。
母親そっくりのクラウスとは違い、父である皇帝によく似た厳つい顔をしている。一歳になる彼は、オムツが取れる前に皇太子になった。
『アンスルの呪い』でアンスル公爵家と皇族の結びつきが強くなったためか、皇族にはふたつの顔立ちが受け継がれている。
ひとつは初代皇帝を源流とする金髪白い肌青い瞳の美男子、もうひとつはアンスル国王のものと思われる赤毛浅黒い肌黒い瞳の厳つい大男だ。
クラウスの父は大男系、コリンナの父はふたつが入り混じった感じである。地味顔令嬢が皇族に生まれることはなかった。
「もう三年も経つのですよ? 昼間からお酒を飲んでいる暇があるのなら、コリンナちゃんに謝ってきたらどうなの?」
「おーおお?」
「……今日の分の仕事は終えています」
クラウスは有能な男である。
しかし有能であることと慕われることは別だ。
あの婚約破棄によって彼の評判は地の底にまで落ち、そこまでして結ばれたはずのドロテアが冴えない中年兵士と駆け落ちしたことで、男としての格も砕け散った。これまでの浮気相手とも長続きしたことがなかったのもあって、見かけ倒しで女性を満足させられない男だと噂されている。
「それに、今さら謝っても遅いですよ」
あの婚約破棄は異常だったと、今はクラウス自身も気づいている。
けれど、あのときはどうしてもそうしなくてはいけない気がしていた。
そこまでドロテアを愛していたわけではない。ただ──
(……彼女を取り戻すのだ。あのときと同じ道筋を通って……)
クラウスは酒を呷った。
コリンナと初めて会った日から、ときおり頭に響いてくるだれかの声だ。
毎日浴びるように酒を飲んでいる長男を見つめて、カタリーナが溜息をつく。
「私達が『アンスルの呪い』でからかってしまったから、コリンナちゃんに対して素直になれなかったの?」
「私の行動は私の意思で成したことです」
そう、頭に響く声はクラウスの声だ。
年を経るごとに同じになっていく。
「でもあなた、ドロテアちゃんや浮気相手の子と一緒にいるときにもコリンナちゃんの話しかしてなかったんでしょ?」
「おーう」
一歳児の弟に心からの呆れを含んだ声を出されて、クラウスは飲んでいた酒を吹き出した。
「あらやだ、酔っぱらったの? お酒の飲み過ぎは体に毒よ。ゲオルグ帝のようになってしまうわ」
「お?」
「うふふ、我が家の可愛いゲオルグ皇太子殿下のことではないわ。自分が浮気した挙句逆切れして婚約破棄して国外追放までしたくせに、ヨハンナ様が亡くなったと聞いたら酒に溺れてボロボロになったゲオルグ帝のことよ」
「おーう」
「ゲオルグ帝の後始末がなかったら、お義父様とお義母様もご健在でいらっしゃったでしょうに。おじい様とおばあ様に可愛がっていただけなくて残念だったわね」
「おお、おお」
ゲオルグ皇太子は、わかったような顔で頷いている。
彼の祖父母は、酒浸りで悪政を敷いた曾祖父帝の後始末で疲れ果て、幼い息子レオナルトを遺して早くに亡くなっていた。
口元の酒を手で拭いながら、クラウスが母に反論する。
「わ、私はコリンナのことなど……」
「そうね。三年間なにもしないでおいて、今さらなにも言えないわよね」
「直接会って謝罪しようと思っていました。ですがアンスル公爵は領地への訪問を許可してくださらないし、コリンナも社交界に出てこないので。……手紙は送っていますよ」
「はいはい。所詮それまでの関係だったということでしょう。ゲオルグがいるから我が家はもういいけれど、コリンナちゃんが結婚することになっても暴れないでよ?」
「は? なにをおっしゃっているのです、母上。そんな話は聞いていない! アンスル公爵家ほどの貴族が政府に報告もなく勝手に婚姻を結ぶのは問題です」
「貴族同士でなければいいのではなくて? 平民出身の家臣とか」
「おお、おお」
(……彼女が結婚だと? 彼女が、俺以外の男と……)
胸の中で荒れ狂う嫉妬はクラウスのものだけではなかったが、彼はこれまでと同じように、そのことには気づかなかった。
(……彼女は国境沿いの森で暮らしていた。そして作ったポーションを売りにヘルブスト王国へ……)
いつの、だれのものともしれない知識に突き動かされて、クラウスは翌日以降の予定を決めた。