3・月日は流れ、
そして、三年の月日が経ちました。
わたしはヨハンナ様が暮らしていた国境沿いの森に建つ小屋に住んでいます。
アンスル公爵家でヴィンター帝国を守護する神獣ガルム様の眷属とされている犬のマーナを飼っていると、いらぬ誤解を招きそうでしたからね。カタリーナ妃殿下の思いやりは想定以上の威力があったのです。
ところで、この小屋で日記を見つけて知ったのですが、ヨハンナ様はここで亡くなったのではないようです。そういえば、ご遺体が見つかっていないからお墓もないのですよね。
彼女はここで魔術を研究して、帝国では伝説と思われている召喚魔術を生み出していました。
その召喚魔術で呼び出した真紅の竜に乗って竜の故郷である西の大陸へ行った、行く予定だと日記には書いてありました。
ヴィンター帝国帝都の魔術学園で習った、魔術の天才初代皇帝の理論を元にした直観的な魔術は苦手だったわたしでも、ヨハンナ様の遺した日記に書かれた魔術式なら発動できました。
攻撃魔術は相変わらず得意ではありませんが、薬湯に魔力を込めてポーションを作れるようになったのは、我ながら大したものだと思っています。
いつかヨハンナ様のように竜を召喚できる日が来るかもしれません。
三年は長いもので、マーナはすっかり成犬になりました。
鼻も手足もぐーんと伸びて、遊びに来る弟を背に乗せられるくらい大きい犬になったのです。わたしも子どもだったら乗りたかったですわー。
毎朝一匹で散歩に行っていたのですが、いつも兎や野鳥をお土産に持って帰ってきてくれていました。おかげでわたしも小動物なら解体できるようになりました。
「ひゃう」
「ひゃうひゃう」
「ひゃうひゃうひゃう」
「きゅうーん、きゅうーん」
「はいはい、ちょっと待ってくださいね」
わたしは兎肉を煮たものをマーナの前に起きました。
三匹の赤ちゃん達はまだお乳です。
父犬がだれなのかはわかりません。アンスル公爵領にはほかの犬がいないので、魔術研究の一環で作ったポーションを売りに行くヘルブスト王国の村にいる犬でしょうか。でもマーナがお産や子育てで朝の散歩に行かなくなってからも小屋の前に獲物が置いてあるので、もっと近くに生息していそうな気がします。
……まさか、魔獣でしょうか。
この辺りはヴィンター帝国を守護する神獣ガルム様の縄張りなので、野性の狼はいません。魔術も使えぬ野獣ごときがガルム様に対抗できるはずがないのです。
でも神獣ガルム様に匹敵する魔獣フェンリルなら隠れ住んでいるかも。
わたしは仔犬達を見つめました。
黒、白、灰色。モフモフ、モコモコ、モシャモシャです。
あー、可愛い! 可愛いですわー! 人に仇なす魔獣の子だったとしても、わたしが絶対守るのですわー! いざとなったら竜を召喚してお引越ししちゃうのですわーっ!
今のわたしの悩みは、朝起きてマーナと自分のごはんを作って、ほんの少し仔犬達の様子を見ていたら夜になっていることです。
おかしい。なにが起こっているのかしら。これでは魔術の研究もできません。
奪われている? だれかがわたしの時間を奪っているの?
──コツン。
小屋の床を転がっていたわたしは、扉を叩く音に気づきました。
だれでしょう?
アンスル公爵家のものが来る予定は、しばらくありません。ここは国境沿いの森を通る街道から外れていて行商人が来るような場所ではありません。お父様が狩り好きなので、盗賊や山賊が隠れ住めるとも思えません。
そもそもこの小屋にはヨハンナ様の結界魔術が張られているので、悪意を持つものには存在すら気づかれないのです。
とはいえ、強い力を持つ魔獣には人間の結界魔術など効果がないのかもしれません。
あるいは愛する妻と仔犬達を求めてきた悪意のない父親なら──
呼吸を整え、わたしは小屋の扉を開けました。