最終話・蒼銀の竜を召喚しました。
「……というわけで、クラウス殿下にはゲオルグ帝の悪霊との絆を断ち切っていただきたいのです」
「そうだな……」
わたしの説明を聞いたクラウス殿下は、沈痛な面持ちで頷きました。
こんな荒唐無稽な話なのに信じてくださるのでしょうか。
「言われてみれば幼いころから妙な声を聞いていた気がするよ。私が君を裏切って浮気を繰り返していたのも、きっとその悪霊のせいだったんだな」
……それはどうでしょう?
悪霊はヨハンナ様に髪の色以外瓜二つのわたしに執着しているだけではないでしょうか。
ゲオルグ帝のせいだったとしても、さまざまな女性と浮名を流していたのはクラウス殿下ご自身なわけですし。
「コリンナ……」
「え?」
熱い吐息に気がつくと、わたしはクラウス殿下に押し倒されていました。
「どうなさったのですか、殿下」
「悪霊とやらを追い出すための一番の方法は私達が結ばれることだと思うんだ」
「なにをおっしゃっているんです?」
「可愛いコリンナ。悪霊がゲオルグ帝だとしたら、曾おじい様が求めていらっしゃるのはヨハンナ嬢だ。私と君が結ばれれば、君は私だけのものだと気づくだろう」
「そ、それは……ク、クラウス殿下おやめください。ダメです。いやあ!」
「がふっ!」
部屋の扉が開いて、神獣姿のガルム様が飛び込んできてくださいました。
クラウス殿下の頭を殴って気絶させます。
「ひゃん!」
「ひゃんひゃん!」
「ひゃんひゃんひゃん!」
「ぐーるるっ!」
三匹の仔犬達が殿下の背中に乗って鬨の声を上げ、マーナが彼に向かって吠え立てます。
一体どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
悪霊の浸食が激しくて色欲が抑えられなくなっていたのかもしれません。だとしたら浮気も悪霊の仕業だったのでしょうか。……いえ、それはやっぱり違う気がします。
「コリンナ、一瞬で気絶したので悪霊はこの男の中に留まっておる。もっともおぬしに悪さをしようとしたのが、どちらの意思かはわからぬがな。……食おうか?」
「いいえ。悪霊が留まっているのなら、竜を召喚するほうへ切り替えましょう」
わたしはマーナ達を撫でて落ち着かせてから、床に魔術式を書いて用意していた召喚魔術を発動させました。もう家族への手紙は用意してあります。
魔術式から煙が立ち上ります。
やがてそれは、蒼銀の竜に姿を変えました。
……なんて美しい生き物なのでしょう。
言葉を失ったわたしの前で、蒼銀の竜は銀色の髪を持つ褐色の肌をした逞しい男性に姿を変えました。
瞳は蒼、クラウス殿下の瞳とは違う色合いの青です。
少しくすんだその色は、夜明け前の冬空の色のように思えます。
なんだか心臓が早鐘を打ち始めます。
蒼い瞳の男性の手に小さな焔が浮かびました。
魔術でしょうか。蒼い焔です。
彼はその焔でわたしの顔を照らし、言いました。
「髪の色が違う、義姉上じゃない。当たり前だ、義姉上は出産間近で兄上が戻るのを待っているところなんだから。それに……あんたが義姉上だったら、こんなに心臓が騒ぐはずがない」
「え?」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
蒼銀の竜で、ヨハンナ様の義弟であるというラゾールド様とお話ししたところ、以下のことがわかりました。
ヨハンナ様はゲオルグ帝の浮気癖に耐えかねて注意をしたら逆切れされて、婚約破棄の上国外追放されてしまったのだとのこと。
趣味で魔術研究をしていたら召喚魔術ができたので、使ってみたらラゾールド様のお兄様が現れて、おふたりはお互いにひと目惚れしてしまったとのこと。
「ヨハンナ様は今もご健在なのですか?」
ちょっと驚きです。
だってヨハンナ様はおじい様の伯母君なのですから。
ラゾールド様が微笑みます。彼の笑顔は野性的で、なんだか見ていると体が火照ってきます。どうしてでしょう、夜会でお酒は飲まなかったのですが。
「兄上が寿命を分け与えたからな。今もあんたのように若々しいよ。兄上との十二番目の子を産むので、お腹はとんでもなく大きいがな」
「そんな大変なときに召喚してしまって申し訳ありませんでした」
「気にするな。義姉上に言われている。あんた達アンスル公爵家の令嬢は、ヴィンター帝国の皇族に執着されることがあるんだろ?……あんたもそこの悪霊憑きの男に絡まれて困ってるのか?」
「あ、それは……」
わたしは、今度はこちらの事情を説明しました。
クラウス殿下はわたしが髪の色以外ヨハンナ様にそっくりなせいで、ゲオルグ帝の悪霊に憑かれてしまったのです。
浮気の是非はともかく、なんとしても悪霊から解放して差し上げなくてはなりません。
「ふうん……」
わたしの話を聞いて、ラゾールド様はなんだか拗ねたような声を上げました。
「その男のために自分を犠牲にしてまで俺を召喚したのか」
「犠牲?」
「そうだ。まさか神獣を呼び出しさえすれば、代償も無しに願いを聞いてもらえるとでも思ってるんじゃないだろうな」
「あ……っ」
そういえばそうです。
全然考えていませんでした。
お願いするのに代償がないなんて失礼な話です。……あら?
「ヨハンナ様はラゾールド様のお兄様に、どんな代償を支払われたのですか?」
「それは……」
「ううっ」
ラゾールド様が答えてくださる前に、クラウス殿下が目を覚まされました。
わたし達を見て、青い瞳が光を失います。
──近寄るな。俺の彼女に近寄るな。近寄ればお前も彼女も殺してやる。
地の底から響くような低い声が部屋中に轟き渡りました。
少しクラウス殿下の声に似ていますが、彼と違って邪悪な声です。
「うるさい」
ラゾールド様の一言で、クラウス殿下の体が蒼い焔に包まれます。
「殿下っ!」
──うぐっ!
クラウス殿下の体から声がして、青い瞳に光が戻ります。
神獣ガルム様が頷いています。
悪霊が消え去ったのです。
「コリンナ? 私は……」
「ご無事でなによりです、殿下。悪霊はラゾールド様が退治してくださいました」
クラウス殿下は、なぜか怒りに満ちた瞳でラゾールド様を睨みつけます。
どうしたのでしょう?
とりあえずわたしは、ラゾールド様に代償を支払わなくてはいけません。わたしが彼を召喚したのですからね。
「ラゾールド様、代償はなにをお望みでしょうか?」
「……なにも」
「え?」
「あんたが手に入らないんなら、ほかに欲しいものはない」
「な、なにをおっしゃってるんです? わたし達、今会ったばかりですよ?……もしかして、わたしをヨハンナ様の身代わりになさるおつもりですか?」
兄嫁に恋する義弟というのは、恋愛小説でよくある話です。
「義姉上を前にして、こんなに胸が騒いだことなんかない。心も体も叫んでる。あんたが俺の番なんだと。さっき義姉上が兄上に払った代償について聞いたよな? そんなものはないよ。出会っただけで幸せになれる相手と巡り会えたんだから。俺も……あんたがその男のものだとしても、会えただけで嬉しい。邪魔者はとっとと消え去るから、召喚魔術を逆式発動させて送り返してくれ」
「……クラウス殿下との婚約は、三年前に破棄されています」
「コリンナ!」
胸が、騒ぐ。
血が、燃える。
ラゾールド様の姿を一瞬でも見逃したくなくて、瞬きすらできない。……こんな気持ち知らなかった。
考えてみるとクラウス殿下への気持ちは、愛は愛でも愛情、長く過ごしてきた情に過ぎない気もします。
わたしは恋に恋していただけなのかもしれません。
マーナや仔犬達と会えないのは一日でも寂しいですが、正直殿下とは三年会わなくても平気でしたしね。
「殿下のことを好きなのだと思っていました。冷たくされて、浮気されて悲しかった。でもこんな気持ちになったことはありませんでした。ラゾールド様、わたしの心と体も叫んでいます。あなたがわたしのたったひとりなのだと」
「……」
「落ち着くんだ、コリンナ。君は私の……」
なにか口走ろうとしていたクラウス殿下は、神獣ガルム様に頭をかぷっとされて部屋の外へ捨てられました。
戻ってきたガルム様が、愛しそうにマーナを見つめて呟きます。
「わしらもそうじゃったな。ひと目見たときから、お互いが運命の相手だと分かった」
「……きゃうん」
「ひゃう」
「ひゃうひゃう」
「ひゃうひゃうひゃう」
さすが神獣の子どもというべきか、わたしの可愛い仔犬達がラゾールド様の足に体を摺り寄せて甘えています。
「コリンナ、俺と一緒に竜の国へ来てくれないか。家族とは生きる時間の流れが変わってしまうが、俺の寿命を受け取って俺と同じ時間を生きてくれ」
「……この子達も一緒でいいですか?」
「マーナにはわしの寿命を分け与えているし、我が子達は神獣の血を引いておるから長生きなのじゃが、良いかの?」
「ふっ、ふはははは。竜王アフマル・ガーメクの弟、竜将ラゾールドを舐めるなよ。愛しい番とその愛犬くらい百万年でも養ってみせるぞ!」
──というわけで、わたしは竜の国へ行くことになりました。
最初の予定通りですね。
蒼銀の竜の姿になったラゾールド様の背中に乗ります。もちろん愛犬たちも一緒です。手紙は書きましたけれど、家族にはまた近いうちに会いに来るつもりです。そのときはヨハンナ様も一緒かも。
「コリンナ」
「なんですか、ラゾールド様」
「あんたの愛犬を連れて行くのはいいが、ソイツらばっかかまうなよ?」
「それは約束できませんわ。だってうちの子達は、とっても可愛いんですもの」
番、運命の相手、わたしのたったひとりに出会っても犬達は可愛いです。
こんなわたしって、以前クラウス殿下に言われた通り罪深い女なのかもしれませんね。
「……犬どもが眠ったら、あんたは俺ひとりのものだからな」
「え?」
「ははは、覚悟してろよ」
「ひゃう?」
「ひゃうひゃう」
「ひゃうひゃうひゃう」
「……くー……」
「……ぐー……」
月明かりの下、わたし達は竜の国を目指して飛んでいますが、きっと途中でひと休みして、わたしはラゾールド様のものになるのでしょう。




