天狗様、潜伏す(10)
「ここー!」
管狐ちゃんたち3人が案内してくれたのは、理科室。3人揃って指さすのだから、間違いないだろう。
本来なら休日に入れるはずはないのだが……ドアに手をかけると、案の定、開いた。さっきのお昼休憩と同じく、便利に鍵を開けたな……。
おそるおそる中に入ると、電気は点いていなかった。カーテンが開いているから暗くはなかったけれど……教室とは設備が違うからか、妙な違和感を感じてしまう。
「お姉さんここなにー?」
「変なにおいがします」
「こわい……」
薬品の匂いを嗅ぎ取ったのだろうか。狐ちゃんたちは3人揃って顔をしかめた。私や瑠璃さんですら一瞬入るのをためらう匂いが漂っていたのだ。人間よりも嗅覚が鋭いだろう彼女たちが嫌がるのも無理はない。
それにしたって、何も実験なんかしていない状態でここまで変な匂いを充満させるものだろうか。そうならむしろ問題になっているはずなんだけど……。
「あ~、だ、大丈夫だよ。変な薬品はあるけど、棚に触らなければ大丈夫だから」
「はーい」
管狐ちゃんたちと瑠璃さんと私、5人でそろそろと理科室の独特の机の周りを見て回った。教室の後ろに行くにつれ、嫌な感じがしてくる。
これはあやかしの気配とかそういうのではなくて、単に苦手なのだ。理科室にはだいたい、アレがあるから。
そう思って私の歩みが遅くなっていると、当然気付かれた。
「どうしたんですか?」
「いや……ちょっと……」
そう言って、瑠璃さんの背後にチラチラ見えるアレを視界に入れないようにしながら話していると……瑠璃さんが、気付いてしまった……!
「まさか……あれ? あれが、その……嫌なんですか?」
「えぇと…………はい」
瑠璃さんが驚いて指さした先にあるのは――人体模型だ。
瑠璃さんは、心底、意外そうな顔で私をまじまじと見ている。
「ええと……なんで、あんなものが?」
「だ、だって……不気味じゃない? 何が悲しくて生きたまま皮を剥がれた人間の姿を見ないといけないの? 挙句の果てに骨だけなんて……痛々しいにもほどがあるよ……!!」
「痛々しい……?」
「え、痛そうじゃない?」
「痛そうって…………ぷっ……あははは」
瑠璃さんが、噴き出したかと思ったら急に笑い出した。それはもう可笑しそうに。
「え、る……水咲さん、何で笑うの?」
「だ、だって……人体模型にそんなこと言う人初めて見たから」
「そ、そうかなぁ? 変かな?」
「変ではないけど……珍しいです……ふふふふふ」
瑠璃さんは堪えきれずにまだ笑ってる。よほどツボにハマったらしい。
笑われてるのは複雑だけど……こんな風に笑う瑠璃さんを、初めて見た気がする。
「ご、ごめんなさい……笑いすぎですね」
「ううん、いいよ。そんなにいっぱい笑うところ初めて見た。私の前では笑ってくれないかと思ってた」
「! そ、そんなことは……」
瑠璃さんがしまった、と言うように身を竦めそうになった時、私と瑠璃さんの両方が、つんつんとスカートの裾を引っ張られた。
管狐ちゃんたちだ。
「ど、どうしたの、みんな?」
「おねえさんたち、動いた~」
「私たち? 動いてないよ?」
「ちがう……」
「あっちのお人形です」
と、珊瑚ちゃんが小さなお手てでアレを指さしたその時――
カタン
理科室に、私達の誰のものでもない音が響いた。
音の出どころは、人体模型のケースだ。あまり見たくないけど、仕方なくジロジロ観察すると、何かおかしいことに気付いた。
よくはわからないけど、たぶん位置がずれてる。だいたいまっすぐ前向きに収まっているはずなのに、今は浅い角度で窓の外を見ている。黄昏てるみたいだ。
なんてことを考えたその時、人体模型のケースがいきなり開いた。
中から無表情で皮膚の向けた身体が倒れかかって――くるんじゃなくこっちに向かってきた!
「ひぇあああぁぁっ!!」
悲鳴とともに思わず右拳を突き出した! すると拳で跳ね返った人体模型が正反対の方向へ飛んでいった。
その人体模型は再びケースに収まることなく、何故かその場に倒れて落ちた……。
「あ! 瑠璃さん、ここ! ここに九字切って!」
「は、はい!」
瑠璃さんが反射的とも言えるスピードで九字を切り、人体模型のすぐ側に放った。
すると、ピシッという音がして、何もない空間に亀裂が入り――
「いってててて……」
そこから、何かがぶつかって頭をおさえるセイさんが姿を現した。
「セイさん……み~つけた」
私は、セイさんの目の前に仁王立ちした。
「あはははは~見つかっちった……ってアレ? 怒ってる?」
笑うセイさんを、上から見下ろす顔は、きっと怒っているように見えただろう。実際怒っている。
「……隠れる気あります?」
「あったあった。でも途中で飽きてさ。そしたらここ、なんか面白そうなもんいっぱいあるじゃん? つい遊んじゃって」
「遊んじゃってじゃない! どうすんですか、この人体模型! 勝手に中から出して!」
「ちゃんと戻すって」
「だいたい、ここは危険なものがたくさんあるんですから遊ばない!! 狐ちゃんたちがケガしたらどうするんですか!」
「え、藍ちゃんの心配じゃなくて?」
「どっちも! あなたと違って瑠璃さんや狐ちゃんたちは繊細なんですから」
「えぇ~なんかヒドくない? 俺だって今、コイツがぶつかってこぶできかけてんだけど」
「んなもん、舐めてりゃ直りますよ!」
「どこの昭和のお母さんだよ! 直んねーって証明されてんだろ」
「あなたのはただの自業自得です。まったく……良かった、薬品棚にいはまだ触ってなくて」
「薬品棚? 触ったけど?」
「は?」
反射的に薬品棚の方を振り返ると、よく見たら小さく開いていた。ほんの少しの、わずかな隙間だけど確かに開けてる……。触らないようにと近寄らなかったせいで気付かなかった……!
「な、な、何やってんですか! まさか中のもの出したりは……」
「あ~大丈夫。アンモニア水のボトル零しただけだから。飲まなきゃ無害無害!」
無害だけど……なんか変な臭いの理由が分かった……!
アンモニアは、まぁその……トイレのにおいがするのだ……!
この、いらん事しぃめ……!!
どうしてくれようかとお腹の底から怒りがぐつぐつと沸きあがってくるものの……今はこの理科室をどうにかするのが先決だ。それには……と少し考えて、私はすぅっと大きく息を吸い込んだ。
「セイさん!! いい加減にしてくださ~~~~~い!!!!」
――と、あらん限りの大声で叫んだ。




