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天狗様といっしょ  作者: kano
第二章
83/210

天狗様、渇望す(13)

「まったく無茶をする……」

 保健室に到着して、開口一番にそう言われた。

「どっちが無茶なの? 治朗くんこそ、わざわざ棄権しなくても良かったのに。クラス全体棄権になっちゃったじゃない」

「緊急事態だったろうが」

「だから、私のことは他の人に任せて、治朗くんは走れば良かったんじゃない。そうすれば1位で終ったのに」

「あの競技くらい捨てても俺たちのクラスは勝っていた。少しぐらいいいだろう。お前は、クラスのためにここまで足を無理使いしたんだぞ」

 保健室に着いてすぐに靴と靴下をひっぺがすと、私の足首はびっくりするぐらいに赤く腫れていた。治朗くんの咄嗟の診断で、折れていないことだけは分かったけれど、結局、この後精密検査を受けに行くことで収まった。

 治朗くんはぶつくさ言いながらも、湿布と包帯を巻いてくれて、冷蔵庫から保冷剤を出してくれた

「ほら、これで冷やせ」

「ありがとうございます……」

 手当してくれたのは確かだから神妙に御礼を言うと、治朗くんは盛大に息を吐き出して椅子に座り込んだ。

「心配なって。そんな大事じゃないし」

「大事かどうかはこれから、医者が、判断することだ。素人が勝手な診断をするな」

「む。治朗くんだって素人じゃない」

「俺は……まぁお山での修行で、これぐらいの治療をすることも、されることもあったからな」

「……修行って、ハードなんだね」

「当り前だ」

 治朗くんは、遠い目をして窓の向こうを見た。お山のことを思い出しているんだろうか。

 頭領になるためにずっと続けてきた修行を、私のために16年休んでくれていたのか……。

「治朗くんは……お山に帰りたい?」

「うん?」

 たぶんきょとんとしている治朗くんの顔を、私は見られなかった。見たら、この先を言えなくなってしまうと思った。

「やっぱり……早く戻りたいよね。こんな……高校生とかやってられないんじゃない?」

「……ここ数百年の中で、最も安穏とした時間だとは思う。が、いったいどうした?」

 これほど瞬きを繰り返す治朗くんを見るのは初めてかもしれない。本当に、私はいきなり何を言っているんだろうと思う。でも思ってしまったんだから、仕方ない。

「お山に、帰りなよ」

「……は?」

 私は、俯いたまま治朗くんの方を見ずに続けた。

「太郎さんにはうまく言っとくから。これ以上付き合ってくれる必要ないよ。修行に戻らないと、体鈍っちゃうし。ほら、お山の人たちに忘れられちゃったりして……」

「藍、何を言っている?」

 治朗くんが、ぐっと距離を詰める。けれど、視線を逸らせたままでいた。まっすぐ見たら、絶対にこのまま言えない。

「だから……だから、太郎さんのお願いでここまで一緒にいてくれたんでしょ? じゃあ、もういいじゃない」

「も、もういいとは……」

「傍にいて色々お願いするのは僧正坊さんにできるし」

「む」

「私に張ってた結界は瑠璃さんに破られちゃったし」

「ぐ……」

「なんやかんや、最近太郎さんも頼りになるし。ほら、治朗くんじゃなきゃいけない理由なんてないんだから……」

「お、お前……」

 私は俯いたままでいたから、治朗くんがどんな顔で私を見ていたかわからなかった。わなわな震えていたことも、まったく……。

「だから、もう私のことなんてすっきり忘れて、修行に戻ったらいいじゃない。ね?」

 ああ、言えた! 最後まで言えた! すっきりした気持ちでやっと顔を上げると――ものすごい顔色の治朗くんの顔が目に入った。

「え、え?? ど、どうしたの?」

 私は、自分がこんな顔色にしたとも気付かずに暢気なことを聞いてしまった……。

 治朗くんは、幽霊のようにゆっくりだらんとした動作で、私の肩に手を置いた。

「……るな……」

「は、はい……? なんでしょう?」

「ふ ざ け る なと、言ったんだ! このバカ!」

「は、はいぃ!!」

 治朗くんが、まるで阿修羅像のような形相でこっちを睨んでいる……! そして、その声はグラウンドを通り越してご近所中に轟き渡りそうなほどに衝撃を含んでいた。

 そんなに、怒らせるようなことを、何か言っただろうか……?

「人を用済みのように言いよって……お前は、俺を定年退職した父親扱いする気か!」

「そ、そんなことは一言も言ってないけど!?」

 ていうか、全国の定年退職したお父さんにすごく失礼なんじゃ……?

「だいたいお前は、俺が、兄者の命令で仕方なく16年も縛り付けられてきたと思っているのか! 嫌々ながらも、甘んじて従うしか選択肢のない哀れな下っ端天狗だとでも?」

「そこまでは言ってないけど……そうじゃないの?」

「見くびるな! そんなくだらん苦行しかないなら、いつでも山に帰っていた。俺だってそれぐらいの意志はある」

「……えっと……どういうこと?」

「お役目が苦痛でしかないなら、あの時に……まだ赤ん坊だったお前が、俺の膝の上で粗相したあの時にとっくに山へ帰っている!」

「…………え」

 ナニイッテンノ、コノヒト……?

 心の中ですら片言しか浮かばない私を前に、治朗くんはなおも言い募った。

「そうだ、あの時もだ……母御前が毎日毎日店に出る間、お前をあやし、おむつを替えて、離乳食を作ってを繰り返していた日々。あの時もだ……お前が、俺が少し目を離した間にあらゆるものをひと舐めして部屋中よだれだらけにした時も……そうだ、お前は夜泣きも酷かった……そのくせ俺が抱くといっこうに泣き止まなかったり。お前が昔肌が弱かったからと言ってベビーローションとベビーパウダーが必要だと進言したのは俺だというのに、だ! それから……」

「い、いや治朗くん、それ以上は……そんな物心ついてない時のことでディスられても……」

 なんで今、子育て苦労話を披露されなきゃいけないの!? 確かに、うちに来たばかりの頃は大人の姿のままで、私の子守を任されてたって聞いたけど……ものすごく生々しい現状を聞かされてしまった。また、顔を見られなくなってしまった……。

「ううぅ……ご、ご迷惑をおかけして……申し訳……」

「違う、そうじゃない!」

「じ、じゃあどう御詫びすれば……?」

「心にもないことを言うな。それでいい!」

「”心にもないこと”? っていうと……?」

「二度と、この俺に”帰れ”などと言うな」

 おそるおそる顔を上げると、治朗くんの真っ直ぐな視線が飛び込んできた。今度は、いつもの顔だ。怖くない。

「えっと……それって……?」

 私の、呟きにも似た問いに、治朗くんは一瞬瞑目して、そして言い放った。

「俺は、お前の傍にいる」

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