天狗様、渇望す(10)
スウェーデンリレーとは、4人でバトンをつなぐリレー種目の一つ。他のリレーと少し違うのは、走る距離が100m、200m、300m、400mと増えていくこと。
私が走るのは400m、つまりアンカーだ。責任重大だ……。
午前のリレーでもそうだったけど、リレーは徒競走と違って連携が必要だから必要以上に緊張する。だってこれまでクラスの人と連携なんてしてこなかったんだから……!
一週間ほど練習はしてきたけど、がっちり団結できたと言えるほどではないし、何より私でラストだし、この後巻き返しのチャンスがないし……!!
トラックは1周が200m。周回の関係上、第一走者(100m)の子と私、そして向かい側に第2走者(200m)、第3走者(300m)の子たちが待機していた。見ると、その第一走者の佐々木さんも、ちょっと震えていた。陸上部ではないけど、私と同じくタイムが良かったからほぼ自動的にリレーメンバーに組み込まれた子だ。
「き、緊張するね」
試しに話しかけてみたりすると、佐々木さんはぶんぶん頷いて私の手を取った。
「そう! 緊張する! リレーなんてほんとムリ! まわり陸上部ばっかりだし、私速い方じゃないし……! コケたりバトンパスうまくいかなかったらどうしよう……!」
そういう佐々木さんだって、午前の100mにも出て、陸上部相手に大健闘の2位だった。充分すごい。
だけどそれでも不安なんだ。”みんなで頑張る”よりも、”みんなに迷惑をかけたら”と心配しているのか。
「あの、大丈夫だよ」
「え?」
「ただの徒競走なら、自分が失敗したらおしまいだけど、リレーはいくらでも巻き返しのチャンスがあるから。そのために4人で補い合って走るんでしょ?」
「そ、そうだけど……」
別にリレーの何たるかを研究したわけでも何でもなかった。だけど佐々木さんの不安を少しでも払うために、何を言えばいいか、必死に考えた結果の言葉だった。
きれいごとだとわかっていても、今、行ってあげられるのは私しかいないのだから。
「ありがとう……うん、そうだね。とにかく走る。あとのことは、任せた!」
佐々木さんは、どこか振り切った顔で笑って、立ち上がった。
そして、スタートラインに立った。
不思議だ。あの時、何て言えばいいか頭をフルで回転させていたら、頭の奥で声がした。
『別に気にする必要ないんじゃない? 4人で走るってことは、補い合うってことなんでしょ? 徒競走なら失敗したらおしまいだけどさ』
そうだ、リレー選手に決まった晩に、不安を吐露した私にあの人が言ったんだ。その時に、私はそれでも不安がやまなかったから言った。
『でも逆に一人の失敗が足を引っ張っちゃうってことも……』
そんな私に、あの人はこともなげに言った。
『君が走らなきゃ、4人はゴールもできないよ。走るだけで充分役目を果たしてるんじゃないの?』
悔しいけれど、私もあの言葉で、重たかった気持ちが軽くなったんだ。今もまた、あの言葉を思い返して、ふっと重い荷を降ろせたような気がしている。
…………なんか悔しいけれど。
前の競技が終わって、いよいよスウェーデンリレーの準備ができたらしい。放送でグラウンド中に大々的にアナウンスが流れると、5クラスの第一走者が位置に着いた。
さっきまで固くなっていた佐々木さんも、今は落ち着いて、引き締まった面持ちで構えていた。隣には陸上部短距離の子も一人いるというのに、頼もしい。
「位置について、よーい」
パンッ
スターターピストルの音とともに、選手5人が一斉に駆け出した。最初はスタート位置によって差が開いていたけど、それもカーブのあたりで縮まってきて、5人の差はほぼなくなった。
半分を過ぎて直線に入った時の佐々木さんの順位はなんと2位。陸上部の子のすぐ後ろにつけていた。これは……後の走者の頑張り次第では追い抜けるかもしれない。
第2走者がコースに並び、リードをつけていよいよ佐々木さんからバトンを受け取り再び加速する――と思われたその時
二人の間で、バトンがするりとすり抜けて、地面に落ちた。
慌てて佐々木さんが拾って渡すも、その間に他の選手が次々にバトンを手渡して走り去っていく。バトンタッチが終った時には、私たちのクラスは最下位になっていた。焦燥感に溢れた顔で第二走者がダッシュした。
第2走者は200m。トラック1周分を走らないといけない。長い直線でどうしても引き離されそうになったけれど、必死の走りでなんとか距離を縮め、4位の子に追い付きそうなところでバトンを渡した。
第3走者は300m。トラック1周半だ。少しでも距離を縮めるという意欲があるのか、落ち着いた調子で、第3走者は走った。最初から全力でぐんぐん追いかけていく。けれど、偶然にも同じ走者には陸上部が固まっていた。みんな普段からこの距離を走りこんでいるような猛者たちばかりで、なかなか距離を詰めさせてくれない。
それでも、最後のカーブで追い上げ、なんとか4位の子と並んで駆けこんできた。
他の人たちがスタートしたから、隣の子と内側のコースに入る。どちらが前に出るかわからない状態で、入り乱れたように4本の腕が交差する。
後ろを見ながら少し走ったところで、第3走者からバトンをしっかり受け取り――落とさずしっかり握って、一気に加速をつけた。その勢いで、4位だった子を抜き去る事が出来たのだった。
――現在4位。あと3人。
3位の子は目と鼻の先まで近づいている。私は上体を起こして、思い切り腕を振った。その腕についてくるように、足が前に出た。交互に地面を蹴る感覚は、まるで跳ぼうとしているかのようだった。
1度目のカーブに差しかかると、クラスの人たちの席が見えた。みんな立ち上がって叫んでいる。ここで抜き去ったら、私……カッコイイだろうな。
なんて考えて、ぐんと前に出た瞬間、さっきまで前を走っていた子が、隣に見えた。そのまま後ろに見て、大きく前に踏み出す――!
「山南さん、すごい!」
「頑張れ! 頑張れ姐御!」
誰が姐御やねん……! 後で言ってやる。って、言ったの誰だっけ? もうわからない……!
今、目の前には2人。あと2人だ。
けどこの二人こそ、この競技における真打なのだ。確か二人とも陸上部の400mがメインの子たちだ。攻略法を熟知している二人だ。ラスボスと裏ボスがいっぺんに現れたようなものだ。
さっきスタートして、1周してくる間、ほとんど距離が縮まらなかった。そうなると、走り慣れていない私が不利になってくるか……。足も少しずつ重くなってきたし、腕も上がりづらくなってきた。息も苦しい。それもそうだ。400mを100mのペースで走ろうとしているんだから。無茶なのはわかっているけど、これぐらいしないと追い付けないのだ。
あと1周の間に追い付かないと……いや、追い抜かないと。
ああもう、こういう時に天狗様たちに助けてもらえたらなぁ……。それでなくても身体能力高い人が多いし。
でも治朗くんは……絶対無理だろうな。というか怒られるな。そういう不正じみたことは人一倍嫌いだし。
僧正坊さんは……面倒だ、とかいう理由で断られそう。それか『私を不正行為に巻き込むな、暴力娘』とか言われそう。……暴力娘って何さ。
太郎さんは……あの人こそ絶対無理だろうな。瑠璃さんのカンニング発言へのぶち切れ方を見ても間違いない。というか、そんなことを言ったら……失望される気がする。
それは、ちょっと嫌だな。どうしてかわからないけれど……うん、嫌だ。
じゃあ、自力で頑張るしかないじゃない――!
歯を食いしばって、さっきよりも気持ち大きめに腕を振り上げる。それに併せて、ぐんっと足が前に出た。同じ調子を保っていると、2位の子の背中が少しずつ近づいてきた。丁度いい具合にカーブに差し掛かった。
再びクラスのみんなの前に躍り出て、ちらっと横目で2位の子を見ながら、その先へと視線を移し、一気に抜き去った――!
クラスのみんなの歓喜の声が聞こえた。でも、まだだ。まだ1人いる……!
1位の子の背中に向けて、突進していった。気のせいかな。1位の子が『ひぃっ』て悲鳴じみた声を上げてた気がするけど。
とにかく追い付く、追い付く、追い付く。そんで追い抜く、追い抜く、追い抜く、追い抜く――!!
あの子一人追い抜くぐらいできるはずだ。だって私は、天狗に鍛えられたんだから。その天狗が、足では敵わないってお墨付きをくれたんだから――! この前のアレは天狗の力を解放してたんだからノーカウント!
最後のカーブで横に並んだ。だけど前に出させてはくれない。
出てもすぐに抜き返される。周囲の人が何か叫んでいるけど、何も聞こえない。必死になるとこうなるのか……!
あれ? 聞こえないと言えば……さっきクラスの近く通った時も、入場ゲートの近くでも、太郎さんの声が聞こえなかった。絶対こういう時に場違いな応援をすると思っていたのに。どうしたんだろう?
顔が赤かったし、やっぱり具合が良くなかったのかな? これが終ったら、様子見に行かなきゃ――
パンッ
「!?」
気づいたら、ピストルが鳴っていた。私の体にはゴールテープが絡みつき、私の後ろで1位だった子が悔しそうな顔で息を切らせている。
「あれ? 私……」
いつの間に、ゴールラインを越えていたんだろう…?
あたりをキョロキョロ見回していると、背中に大きな衝撃が走った。
「山南さん~~~~~~! もう、すっごいよぉ~!!」
「え、佐々木さん?」
いつの間にか、佐々木さんが傍に来て、抱きついていた。見ると第2走者、第3走者の子たちも傍にいた。
「ごめんねごめんね! 私があんなミスしたから、山南さんすごく大変だったよね……」
「ほんと、まさかゴボウ抜きするなんてね」
「伝説級だね」
「な、何が?」
結果がどうなったとか、なんで佐々木さんが泣いているとか、頭が追い付かなかった。
そんな私を、3人とも困ったように笑って見ていた。
「何がって……ねぇ?」
佐々木さんがそう言うのとほぼ同時に、アナウンスが流れた。
「ただいまの女子スウェーデンリレーの結果を、お伝えします。1位は――」
その瞬間、学年のクラスも関係なく、グラウンド中から咆哮にも似た歓声が沸き起こった。
校舎内の保健室にも、その大歓声が地響きのように聞こえてきた。
ベッドで寝転んでいた太郎は、ふと目を開いた。
「……なに?」
それに答えたのは、傍についていた僧正坊だ。
「あの暴力娘が、リレーで伝説を残したんだそうだ」
「はは……そっか。さすがは藍だね」
太郎は力なく笑った。僧正坊は、それには答えなかった。
「ねぇ、僧正坊」
「……」
「藍は、やっぱり眩しいくらいに輝いている人だよね」
「……私に言わせれば、ただの脳筋の暴力的な小娘だ」
「ははは……」
そうは言っても、僧正坊は藍のお弁当は気に入っていることを、太郎は知っていた。
そう思っているのがバレたのか、僧正坊はため息をついて立ち上がった。
「……私はそろそろ行くが、君はあの娘のところに飛んで行ってはダメだからね。寝ていなさい」
「わかってるよ。やろうと思ってもできないよ」
「よろしい」
それだけ言って、ぴしゃりと扉を閉めて行ってしまった。
常々、僧正坊という天狗は、ツンデレだと思っていたが、今日ほど思ったことはない。
これからどこへ何をしに行くのかも、太郎は薄々わかっていた。
「素直じゃないなぁ……もうちょっと藍を見習えばいいのに」
そんなことを言えば苦虫を噛み潰して吐き出さんばかりの顔をするだろうから、絶対に言わないが……。




