天狗様、渇望す(6)
「比良山と山南で、体育祭前のデモンストレーションだ。盛り上がるやつ」
「え、ええぇ~」
疲れるからやりたくないなぁ……。
そう思ってちらっと治朗くんの方を見ると、相変わらず俯き加減で死んだ魚の目をしていた。先生の言ったことは、あまり耳に入っていないようだった。そんな状態でもクラス一の健脚ぶりを発揮するとは……さすが、腐っても治朗くん。
しかし……このままでいられると、私もちょっと、こう……アレだなぁ。
せっかくだから、この場を利用するか……。
私は棒立ちになっている治朗くんに忍び寄っていった。
「治朗くん、久々に勝負といこうよ」
「…………」
「ねえ、治朗くんが勝ったらおかず一品あげるから」
「…………」
「……情けないなぁ。天下の大天狗様が、昨日から負け続きだなんて」
「……負け続き……?」
治朗くんの肩がぴくんと動いた。きたきた……!
「昨日は素人にしてやられて、今日はただの人間の私なんかに身体能力でも負けちゃってるじゃない。これは天狗の名折れなんじゃないの~?」
「天狗の……名折れ、だと……」
よしよし、あともう一息。
「あ、でも無理か。元から治朗くん、足の速さでは私にかなわなかったもんねぇ」
鼻につく言い方をしたら案の定、治朗くんはものすごい顔で睨んできた。
「藍、貴様……何と言った? 1000年の研鑽を積んだこの俺に向かって……」
「だって本当のことだもーん」
「よくぞ吠えたな……後悔するなよ」
さすが……腐っても治朗くん。短気で負けず嫌い……扱いやすいな。
そうして、2クラス全員のタイムを計り終えた後、私達は再びスタートラインに立っていた。周りの人たちは、私達のタイムを聞いたのか、一様にワクワクした顔をしていた。
「藍、頑張って! すごく凛々しいよ! 素敵だよ!」
一番黄色い声を上げていたのは太郎さんだけど……。だけど気付くと瑠璃さんが近寄って、なんだか渋い顔に変わった。そんなにあからさまに嫌な顔をしなくても……と思ったけど、よく考えたら出会った当初の私はもっとひどい反応を彼に返していた気がするから何とも言えない。
治朗くんは……私が焚き付けたせいでものすごく闘志を燃えたぎらせている。敵対心を肌でピリピリ感じながら、スタートの構えをとった。
初速で出し抜く……両足、腰に力を込めて、笛の音を待った。
ピッ
合図とともに地面を思い切り蹴る。体全体を押し出すように前へ――進もうとしたら私の体よりも前に出ている姿が見えた。
「じ、治朗く――」
と声に出す間もなく、治朗くんはぐんぐん走って行ってしまった。いや、信じられないスピードでびゅんびゅん、と言った方が正解だった……。
文字通り風を切ってゴールラインを走りすぎ、みんなが唖然としている顔など見向きもせずに、私に向けて叫んだ。
「どうだ、藍。俺の力を思い知ったか」
たかが短距離走で、天狗が人間に、何を言ってんの……?
と思ったけど、はたと気付いた。このまま皆を唖然とさせたままでいたら、学校の七不思議が増えてしまう。
私はもう一度力を込めて走り出し、”ちょっと後れを取ったけど一生懸命走った”風を装って息を切らせてゴールした。
「い、いやぁ~途中、コケちゃった~だいぶ遅れちゃったなぁ~治朗くんは速いし~差が開いちゃったよ。あはは~」
我ながらわざとらしかったと思う。けれど大声でそう言うと同時に、別の誰かが、計測係の子が手にしたストップウォッチを横から止めて、言ってくれた。
「治朗速いね。速すぎて、ストップウォッチ、押し忘れてるよ」
「ほ、ほんとだ~。残念だな~。山南さんも、コケなかったらいい勝負だったのにね~」
なんだこの棒読み……? あ、私も同じか。
太郎さんと瑠璃さんが、いつの間にかこっち側へ来て、ものすごい説明セリフを喋った。
すると、座ってみていたひとたちも、ざわざわし始めた。
「あ、ほんとだ……だいぶ差が開いちゃったな」
「コケたんなら、仕方ないよね」
みんな、あまりにも常軌を逸した光景をどう捉えていいかわからなかったのだろう。私の無理なこじつけに飛びついて、どうにか自分を納得させようとしている。ごめんね皆。どうかその線で落ち着いてください……!
太郎さんと瑠璃さんにも、お礼の意を込めて視線を送ると、小さくうなずき返してくれた。さすがは治朗くんの兄貴分。その横でまだちょっと不思議そうな顔をしている瑠璃さん、巻き込んでごめんね……。
拝むような祈るような気持ちで皆を見ていると、すでに息を整えた……いや、そもそも息など切らしてもいなかった治朗くんが傍に来て――
「藍、勝負は俺の勝ちだな。今日のおかずは、もらうぞ」
そう言って、晴れやかに笑った。心晴れたようで、ようございましたよ……。
しかし、さすが……腐っても治朗くん。短気で負けず嫌いで……大人げない……!!




