天狗様と姫(7)
「ああ……やっちゃった」
「やり過ぎ……ですか?」
「まぁ、ね。僕もつい止めそびれたけど……」
太郎さんが、倒れて動かなくなった僧正坊さんに近づいて脈をとった。と、首を横に振った。
「完全に意識が飛んでる」
「さすがに……後で一言謝らないと……」
「それは……まずは、ここから出ることを考えないと」
「……え? 出られないんですか? 仕掛けた人がこうなっちゃいましたけど?」
「だからだよ。結界解く前に意識不明になっちゃったからマズい」
「マズいって、どんな……?」
私の問いに答えたのは、太郎さんじゃなくて、背後の真っ黒な壁だった。
ビシッ――メキメキッ
それは大きな軋み音が辺り一面に響いた。柱が折れようとしているような、色々と限界を感じる音だ。
「これって、何の音ですか……?」
恐る恐る聞いてみると、ものすごく何でもないような暢気な声が返ってきた。
「うん。この空間が壊れる音」
「テンションがおかしいですよ!!」
「だって慌てても仕方ないし」
「そ、そうですか……ちなみに、このままだと私たちどうなるんですか?」
「う~ん、潰れるかな?」
「”かな”って内容じゃない!!」
「う~ん、理屈の上では……こう風船の中におもちゃが入ってるみたいな? で、空気が抜けたら中のおもちゃは取り出せなくなるでしょ? あれと一緒で……」
「今ゆっくり聞いてる場合じゃないです! 私のせいだから自業自得だけど、なんとかできないんですか!?」
「……え、できるよ?」
「………………え、できる、んですか?」
「うん」
太郎さんは、しれっと頷いた。背後では破砕音が鳴りまくっている中、あまりにも不釣り合いな声だった。
「だったら……なんでしないんですか?」
「え、気が足りないから」
「なんで今日に限って遠慮してるんですか? いつも勝手に吸い上げていくのに」
「人聞きの悪い。事後承諾だよ」
「どっちにしても、今日は何でやらないんですか?」
「う、う~ん……ちょっと必要な量が多くて、いつもの手をつないだ程度じゃ足りないかな」
太郎さんは、なんだかそわそわした様子で、私をチラ見してくる、いつものさらりと触ってくる様子とはえらい違いだ。何があるんだろう……?
「よくわからないですけど……もうちょっと密着度が上がるってことですか?」
「平たく言えば、そう」
手をつなぐ以上のこと……普段ならたぶん殴り飛ばすけど、今は命の危機が迫っている。おそらく……四の五の言ってる場合じゃない。
私は空手や合気道のように「えいっ」と掛け声を上げてから、大きく両手を広げた。
「え? な、なに?」
なんでそこで戸惑う、太郎さん?
「い、いや……もうちょっと密着しないとダメなんですよね? どんと来いって気持ちで……」
「どんと来いって……いいの?」
太郎さんは、いつもと真逆で後ずさりした。
「い、いいんです! 今回だけ!」
「今回だけ……? 本当に? 後で僕のこと、殺さない?」
「殺しませんよ!」
「本当の本当に?」
「しつこいですよ!」
逆ギレに近い剣幕で言うと、ようやく太郎さんはこっちに戻ってきた。
ごほん、と咳ばらいをしてから――
「じ、じゃあ、目を閉じて」
言われた通り、何も考えずに目を閉じた。
「あれ、なんで目を閉じ――」
……
…………
……………………
それ以上、言えなかった。言えなくなった。
何かに、塞がれたから……。
思わず目を開けると、太郎さんの顔がもうすぐ間近にあった。思った通り、全身抱きすくめられていた。
だけどそれ以上に、私の唇と太郎さんの唇が、密着していた――!
私の体を、今まで知らなかった感覚が一瞬のうちに満たしていった。
体ごと包み込まれる温かさ――
男の人の骨ばった体の感触――
自分以外の人の唇の、柔らかさ――
なんてものは全部、『恋人』と最初にしたかったよ!
だけど今は、生きるか死ぬかの瀬戸際だと思った。だから上の2番目までは、致し方ないと(相手に失礼だけど)思ったけれど……まさか、3番目まで今日、経験することになるとは――!!
「――っ!!」
逃れようにも、全身がすっぽり腕の中に収まっていて、逃れられない。かろうじて動く手先でじたばたしても、より強い力で押さえつけられるだけだった。突然の行為にもさることながら、太郎さんにこんな力があったことにも驚いていたら、頭の中に直接声が届いた。
――お願いだから、じっとして
これは……太郎さんの声だ。太郎さんの声が、天狗様たちが神通力で語りかけてくるときのように直接頭の中に聞こえてきた。
――気が、必要なんだ。嫌だろうけど、後生だから、もう少しだけ我慢してほしい
いつも以上に気を吸い上げたから、天狗様たちと似たことができているんだろうか?
いつになく、必死の声だった。そうだ、想像していなかったとはいえ、私が『いい』と言ってこうなったんだった……。悔しいけど、受け入れにくいけど、ここで暴れても何もならないらしい。
私はとりあえず抵抗することをやめた。そういったことは、ここを出られたらしよう。
私からの抵抗がやんだら、太郎さんは無理に押さえつけるのをやめて、そっと手を添えるように私の体を包み込んだ。
その感触がどこか心地いいと、悔しいけどふいに思ってしまった。
「……よし」
そう思った瞬間、太郎さんがようやく解放してくれた。
その目には、照れた様子や良心の呵責とかそういった感情はなく、力がみなぎることを確信しているようだった。
もしかしてこれが本来の――力を失う前の太郎さんなんだろうか?
戸惑う私に、ようやく太郎さんは少し笑いかけた。
「藍、すぐ、出られるから」
太郎さんは、いつもの飄々とした声音ではなく、どこかゆったりと余裕のある響きでそう言うと、これもまたゆったりと大きな仕草で印を結んだ。
「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク……」
太郎さんがやや早口でそうまくし立てた。
すると、さっきと同じように、無風のはずの空間に空気の流れが起こった。いや、空気じゃない。たぶん太郎さんがよく言う”気”なんだろう。それらが太郎さんの周りに集まって、空気ごと動かしている……そう感じた。
太郎さんは、いまこの場にあるすべての力を司っているかのような力強い声音で唱え続けた。そして――
「ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン!」
そう唱え挙げると、印を結んでいた両拳をすり合わせた。途端、集まっていた気の流れがいよいよその拳一点に吸い寄せられていった。
「結界を、打ち砕く。藍、僕から離れないで」
「は、はい! あの……僧正坊さんは……?」
「別にいい」
いいんだ……。ボコボコにしたのはわたしだけど、ちょっと哀れ……。
太郎さんは応えたのを合図に、拳を小さくぶつけ合わせると、そのまま地面を砕くように叩きつけたーー!
ズガァァァァンッ
と、激しくぶつかり合う音が鳴り響いた。工事現場のようなそれは鳴りやむことなく、むしろ激しさを増していく。
比喩じゃなく、今、ぶつかり合っているんだ。太郎さんの力と、この結界を作った僧正坊さんの力が。
「僕の姫を傷つけた報いだ。すべて、砕け散れ――!」
太郎さんの叫びと共に、真っ暗な壁に、床に、天井に、ヒビが走っていく。それぞれが繋がるように、次々、次々とあちこちで軋んで、ひび割れ、そして――崩れ落ちていった。
「”砕破せよ”!!」
最後の一言とともに、私たちを取り囲んでいたすべてが音を立てて崩れて、剥がれ落ちた。ガラスが割れたように、一瞬にして粉々に砕け散って舞い散りーーひとつ残らず消え果てた。




