天狗様と姫(6)
「せいっ! やっ! はっ!!……ちょっと、逃げないで、下さいよ!」
「に、逃げるじゃなくて、避けて、いるんだ、よ!」
拳から起こる風切り音と、私の気合の声が交互に闇の中に響く。僧正坊さんは、這う這うの体ながらもすべて避けている。さすがだ……!
「さすがは、義経に、武芸を、仕込んだ、大天狗です……ねっ!」
「あれは私だけじゃない! 鞍馬山天狗総出でやったんだ!」
「そうなん、ですか!? でも、指揮してたのは、僧正坊さん、なんでしょ! やぁっ!!」
「ひぃっ! なんて暴力的なんだ! ていうか、なんていう脳筋なんだ!」
「誰が脳筋だ! はっ!」
「じ、治朗坊は、どういう、教育をして……うわわっ!!」
さっきから私の一方的な攻撃ばかりで、僧正坊さんはいっこうに向ってこない。てっきり術か人間離れした技でやり返されるかと思ったのに。
だけど油断はできない。私が構えを解くのを待っているだけかもしれないのだから。私は構えを変えず、じっと僧正坊さんの様子を観察した。
「どうしたんですか、来ないんですか?」
「い、行けるわけないだろう! そんな……そんなに武闘派だなんて、聞いてないよ!」
「みんなと仲良くしないからですよ。治朗くん情報で、他の方たちには伝わってるみたいですよ。何回か手合わせもしましたし」
「信じられない……大天狗と手合わせする女なんて……!」
「文句なら治朗くんにどうぞ。私をこうしたのは治朗くんですから。ていうか、ただ震えてる無抵抗の人間に手を出そうとしてたんですか? 最低最悪ですね」
「今の君が言うか!!?」
このブラックホールのような真っ暗闇の空間にも、行き止まりはあったらしい。逃げ回っていた僧正坊さんだったけど、その動きが止まった。
その一瞬に、私は強く踏み込んだ――!
「はぁっ!!!」
ダダダッ! と連撃が決まった手ごたえを感じた。僧正坊さんはよろめきつつも、まだ倒れてはいなかった。
ふらつく足取りで、まだ私を睨みつけてくる。戦意は喪失していないらしい。
「まだまだ、ってことですね!」
「え、ち、ちょっと、まーー」
私の言葉に、僧正坊さんが一瞬で青ざめたその時――空間が、わずかに歪むのを感じた。
その歪みから現れたのは――
「藍!」
その人は、普段の眠そうな顔からは想像もできないくらいに目を見開いて、その瞳いっぱいに私を映していた……!
「太郎さん!」
私の声に、太郎さんの顔には安堵の表情が浮かんだ。そしてーー
「藍……! 大丈夫? 怪我は…………って、えぇ!? ななな、何やってんの!?」
次の瞬間、めちゃくちゃびっくりしていた……!
「え~と……何これ? どういう状況?」
恐る恐る、太郎さんが尋ねてきた。
太郎さんの正面には、空手の構えをとる私と、明らかにダメージを受けた僧正坊さん。誰がどう見たって、人間サンドバッグと思うだろう。
「どういうって……決闘中です」
「違う! 一方的にやられてたんだ!」
「……ごめん、見た感じ、僧正坊の言ってることが正しそうに見えるんだけど……」
「そんなことないです。最初、無抵抗の私を一方的に殺そうとしたんですから。これは正当防衛です」
「な、なにを! 太郎坊、助け……ひっ!」
僧正坊さんは、自分のしたことも忘れたのか、太郎さんの背に隠れた。
「助けてなんて言えた義理ですか。お母さんかを殺しかけて、私には呪いの濡れ衣着せて、太郎さんを散々バカにしといて」
「……あ、そうだね。そういえば」
太郎さんは思い出したように眉をひそめて、無言で僧正坊さんを前に押し出した。
「ちょっ……太郎坊、それはないだろう!」
「いや、天狗の名を地の底まで貶めてる奴の背中になんて隠れたくないだろうし」
あ、それ聞いてたんだ……てっきり意識ないと思ってたのに……。
「き、聞いていたのかい!? 撤回するよ! 隠れたいよ! 隠れさせてくれ、お願いだ!」
「でも藍もちょっとは加減した方がいいよ。これでも神仏の眷属だから」
「ケンゾク……?」
「……仏様の、かなり偉い家来かな? だから、あまりやり過ぎるとあとが怖いよ。プライド高いから、あの方々」
「う~ん、納得いかないけど……なるべく気を付けます」
「殴る前提で話を進めないでくれ!!」
なんていう悲痛な叫びは無視して、私は再び構えをとった。太郎さんは、邪魔にならないように避けている。止める気はないみたいだ。
「……あのねぇ、さっきから被害者ぶってるけど、あなたこの一連の騒ぎの首謀者、親玉、諸悪の根源ですからね」
「だから、私にも……」
この期に及んでまだ言い逃れ言う気か……。思わず脅しで指をボキボキ鳴らしてみたら、これまた面白いように僧正坊さんは震え上がった。
「私は! それでなくてもいきなり現れたあんたらに生活乱されて迷惑してるんですよ!」
「こ、この前勉強を見てあげたじゃないか」
「あれ一回きりでしょうが! あんたら入れ替わり立ち代わりいっつもいっつも家に来るじゃない! 家は居酒屋じゃないっての!」
「そ、それは……すまなかった」
「それにあなたのせいで、今までとは違うケースであやかしに狙われるようになるし。そのせいで太郎さんは離れてくれないし、治朗くんは意味不明な気を遣ってどっか行くし――」
「え、僕まで流れ弾来た……?」
「ええそうですよ。本当に本当の原因は太郎さん、あなたですよ」
「えぇ~……」
太郎さんは、目に見えて、しょぼんとなった……。出会ったばかりの頃はこの姿にイライラしたけれど、今はほんの少し……違う気がする。
「でも、太郎さんにはいつも助けてもらってますから」
「……うん?」
太郎さんが目ざとく、ぴくんと顔を上げた。現金なことに妙に嬉しそうだ。
「あやかしから何回も守ってもらったし、お料理もいつも手伝ってもらって助かるし、勉強、教えてくれたし……」
太郎さんは、感激しているのか、声も出さずにうんうんと頷いた。その瞳は未だかつてないほどキラキラ輝いている。
「ほ、他の人も……」
他の人に話が及ぶと、またなんだかしょぼんとした。自分のことだけ言ってほしいらしい。
「あ~……他の人も、迷惑だけどお土産持ってきてくれるし、勉強会の時は助かったし、色々優しいし、今回だって皆さん力になってくれた……だから、文句はあるけど帳消しにしときます」
「藍……」
「君は……」
太郎さんと僧正坊さん、二人ともが何やら感慨深げに私の話に聞き入っていた。
「だから……」
私は、もう一度僧正坊さんに向き直った。しっかりとその顔を、まっすぐ見据えて。
「だから……迷惑しかかけられてない僧正坊さん《あなた》を全員分ぶっ飛ばす!!!」
「なっ……!?」
完全に虚を突かれた僧正坊さんとの間合いを一気に詰めて、ラッシュで拳を叩きこんだ。
「はぁっ!!」
上段正拳突き、連突き、手刀打ち、前蹴り、足刀蹴り、後ろ蹴り、かかと落とし……咄嗟に思いつく限りの技を思いついた順に仕掛けた。そのどれもが、見事に決まった。というより、避けられなくなっていたんだろう。
「藍、ストップストップ。ストーップ!」
太郎さんに止められて初めて気づいた。僧正坊さんの顔はいつの間にかパンパンに腫れ上がり、いつものいい男は見る影もなくなっていたことに。
私からの連打がなくなると、僧正坊さんは白目をむいて、力なく倒れこんでしまった。




