天狗様と姫(4)
「なるほど。迂闊でしたね」
「迂闊? お前さん、隠す気なんぞなかったんだろう」
「何故そのように?」
「何故もなにもあるか。あれだけ三尊の気配をまき散らしておいて、黒子に徹してたと言うつもりか?」
「……確かにね。気付いてくれれば、という気持ちがあったのも確かだ」
僧正坊さんが、ため息をついて、わずかに俯いた。その表情に影が差していた。
「私はね、太郎坊。君がいずれ現愛宕山頭領を超える大天狗として君臨すると信じて疑わなかった。それなのに……君は変わってしまった。あの女に出会ってからだ」
太郎さんがピクリと動いたのが見えた。僧正坊さんは気付いたのか気付いていないのか、声音を変えずに続けた。
「人間の小娘なぞのせいで偉大な力を手放して、にもかかわらず今も愛宕山に縛られている。他人から気を恵んでもらわないとその実力も発揮できない姿など……私は見るに堪えない」
「僧正坊……僕のことそんな風に思ってたんだ……」
「ああ、思っていた。いや、思っている。君は一刻も早く表舞台に立つべきなんだ。そんな、あの時の小娘以上に取るに足らない人間ごときに構っているべきじゃない」
「っ……僧正坊!!」
太郎さんの声に、はっきりと憤怒が表われた。
と同時に、太郎さんを取り巻く空気が、彼を中心に渦を巻き始めた。結界によって外界から切り取られた、無風の空間に、風が巻き起こる。
「兄者……! ここは抑えて……」
治朗くんの言葉にも、太郎さんは応えない。僧正坊さんしか目に入っていないようだった。
「ははは……なんだ、できるんじゃないか、太郎坊。恐ろしいね、君を怒らせるというのは!」
僧正坊さんはこの場でただ一人、歓喜の声を上げた。”恐ろしい”などと言いながら、太郎さんがその身に秘めた力を目の当たりにするのが喜ばしいのだ。
こんな、空間を震わせるほどの怒気に触れて、どうして喜べるのか。
信じられない気持ちで僧正坊さんを見ると、何故かその僧正坊さんと視線が交わった。バチッと歯車がかみ合ったような奇妙な感覚に陥る。
すると、聞き取れないような声音と速さで僧正坊さんが何事か唱えた。それと同時に、部屋の中がぐにゃりと歪んで見えた。
「僧正坊、何を!?」
法起坊さんの声を捨ておいて、僧正坊さんが私へ向けて手を伸ばした。その手が私に届くことはなかった。だけど、腕を掴まれた感覚がした。
「っ!?」
驚くような暇もなく、私の腕は、体は、部屋の中から真っ暗な”何処か”へ引きずり込まれていった。
「藍……!!」
太郎さんの叫び声が、最後に耳に残った。
ここは、何処だろう?
真っ暗で、何も聞こえない、何も見えない。
なんだか最近よくこういうおかしなところに落っことされている気がするけど、ここは今までとはどこか違う。どこか寂しくて、冷たい。
「お母さん……治朗くん…………太郎、さん……?」
呼びかけても、誰一人私の名を呼んではくれなかった。呼び声が虚しく消えていくかと思いきや、別の声が、私のもとに届いた。
「誰を呼んでも、ここには来やしないよ。ここには私と君しかいないのだから」
暗闇の中でも、その姿を認識する事が出来た。私やお母さんを陥れて、太郎さんを嘲り笑っていた張本人……鞍馬山僧正坊さんの姿が。
先ほどまで僧正坊をとらえていた客間では、にわかに浮足立っていた。
大天狗5人が張った強力な結界の中から、捕らえていたはずの者が忽然と姿を消したからだ。それも、一番守らなければならない人間を連れて。
「あいつ、どこに行きやがった!? まさか結界に穴開けたのか?」
「そんなはずはない。我々の誰も、傷一つ負っていない。結界を内側から無理矢理破ろうとすれば、術者に影響があるはずだ」
「その通り。あいつはまだこの中から出ていないようだぜ」
壁際から動かずにいた三郎が、場の空気をしずませるように言った。手には幾本かの管狐の筒が握られている。修行中の子狐たちのものではなく、三郎の命に従って様々任をこなす大人の狐たちのものだ。
「狐たちが僧正坊の気配を察知した。まだこの中にいるようだぜ」
三郎の言葉に一様に少しの安堵を見せるも、疑問は拭いされてはいない。それを言葉にしたのは、ここに到着以来ずっと無言だった豊前坊だった。
「つまり、いなくなったのではなく、ここにいるが我々が感知できなくなったということか」
「…………結界の中に結界、か」
豊前坊の言葉を継ぐように法起坊が呟いた。
「この結界がそもそも、治朗坊が家全体にかけていた大きな結界の中の部分を”切り取った”いわば中結界。そこからさらに藍だけを連れて、小結界として”切り取った”ということか」
その言葉に、相模坊がまだ首を傾げた。
「それにしても、どうやって藍さんだけを連れて、完璧な結界を作れたのでしょう? 彼一人ならば完全に切り離した空間を切り取ることも出来るとはおもいますが、藍さんという……言うなれば異物を含んだ状態では、普通はそうはいかないのでは?」
「おそらく……母君の力を使ったんだろう」




