天狗様と姫(2)
「…………愚かな…………!」
誰かが、震えながらそう言った。泣いているんじゃない。これは……怒りに打ち震える声だ。
「なんと、愚かな……太郎坊!」
叫んで床を踏み抜くような勢いで立ち上がったのは――僧正坊さんだ。
「人間の小娘一人のために、くだらない呪いをその身に受けるとは……そこまで堕ちていたとは……愛宕山の名を、いや、天狗の名を地の底まで貶める愚かしい行為だ!」
さっきまで静かに座っていた僧正坊さんは、急に太郎さんへの悪口雑言を並べ立てた。いつもの落ち着いた物腰など忘れたかのように、怒りに任せて荒々しい声を吐き続ける。
誰もが、眉をひそめながらそれを見ていた中、法起坊さんが咎めるような声音でそれを制した。
「僧正坊、ちと言葉が過ぎるんじゃないか」
「これでも足りません。太郎坊の命、こんな……術一つまともに使えないような小娘のために捧げていいものではないはずです」
「他ならぬ太郎坊の選択だ。儂らは、見届けるのみ。そうだろう」
「ただの天狗なら、私だってこうは言わない。だが彼は、この国の天狗たちすべての頂点に立とうという存在だった。それが……」
「要はさ、僧正坊は太郎が藍ちゃんにベタ惚れだったのが気に入らないわけね?」
セイさんが睨みつけながらそう呟くと、僧正坊さんは苦々しい顔を向けた。
「そんな軽い話ではない。私は……!」
「残念だったな。太郎にとっては、その”小娘”への恋情、執着こそが、この1000年を生き抜く糧だったんだ。お前さんにゃ、わからんかもしれんがな」
三郎さんから投げられた言葉に、僧正坊さんは唇をかみしめた。
「貴様ら……!」
四方から視線を浴びる僧正坊さんは、歯噛みしながら言葉を探していた。
そんな様子を見て、法起坊さんがにやりと笑った。
「だいいちな、僧正坊よ。太郎坊が、いつ”命を捧げた”よ?」
「何を……現に、こうして……」
私もふと太郎さんを見た。横たわったまま、動かない。だけど手のひらに、小さな人形を握っているのが目に入った。
私がさっき折ったものだ。そうえいば、その時何か言われたような……?
――この人形は僕だって思いながら折ってね
――あとは豊前を待つだけなんだよ
「豊前さん……?」
どうしてあの時、豊前さんの名前が出てきたんだろう? 何をしてもらうつもりだったんだろう……?
ふと視線を動かすと、治朗くんと目が合った。治朗くんは小さく笑って、頷いた。そして、呟いた。
「――来た」
何が――と問う間もなく、客間に旋風が吹き荒れた。家ごとなぎ倒そうかという風の中から現れたのは、筋骨隆々の逞しい体躯の大天狗・彦山豊前坊さんと、穏やかな表情の中に微かに怒りを湛えた相模坊さんだ。
豊前さんは、今までの会話を聞いていたかのように僧正坊さんを睨み据えて仁王立ちした。その視線を受けても、僧正坊さんは疑問は抱いても怯む様子は見せなかった。
「藍!」
治朗くんが咄嗟に私を促した。何をするのか? 今、この瞬間にわかった。
太郎さんは何を言っていた? 『豊前が来たら始める』と言っていた。
太郎さんは何を何をしようとしていた? 『え? 燃やすんだけど?』
そうだ、確かに言っていた。今はやるべきことは、これしかない――私は太郎さんの掌の折り紙人形を拾って、力の限り投げつけた。
「豊前さん! その人形を燃やしてください!」
「っ!」
はじかれたように、豊前さんが印を結んでその手に炎を呼び出した。と、私が投げた人形が吸い込まれるようにその炎に呑み込まれた。
――キエエエエエエェェェッ!!!!
この世のものとも思えない叫び声が轟き渡ると、炎は自然に小さくなって姿を消した。
「……え? 今のって……」
治朗くんを含め、天狗様たち全員がにやりと笑む中、私と僧正坊さんだけが唖然としていた。だけど、落ち着きを取り戻したのは僧正坊さんの方が先だった。
「そうか……形代か」
「か、形代?」
言われてもピンときていない私に、そばにいた治朗くんが視線を動かさずに答えてくれた。
「呪われた人間の代りに呪詛を受けてくれる身代わりだ。川に流すか、ああして炎にくべることで呪いや厄を落とすと言われている」
「……あ」
思い出した。そういえば太郎さん、自分の名前を書くようにいっていた。あれには、そんな意味があったのか……。
「彦山豊前坊は、愛宕山太郎坊と同じく火を司る神。兄者は、その神聖な炎を求めていたんだろう。何故なら、すべてを仕組んだ首謀者は、それだけ強大な力を持つ者だからな」
治朗くんはそう言って、僧正坊さんに視線を定めた。治朗くんだけじゃなく、全員が、僧正坊さんをまっすぐ捕らえていた。
当の僧正坊さんは――それらから逃れることなく、不敵に笑みを浮かべた。




